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近付く距離

 ギルバートの弱々しい右手を握りながら、オーレリアは考えずにはいられなかった。


(私がもっと優秀な治癒師ならよかったのに。そうしたら、ギルバート様の身体を少しでも快方に向かわせられたかもしれないのに……)


 執事のアルフレッドから聞いた話を考えても、オーレリアの治癒魔法では、ギルバートの身体にあまり効果があるとは思えなかった。


(それでも、これから試させていただこうかしら。ほとんど効かない可能性もあるけれど)


 今まで、オーレリアはトラヴィスを長い間パートナーとして支えてきたために、彼に特化した形での治癒の方法が染み付いてしまっていた。

 魔剣の使い手を支える場合、その治し方は、オーレリアの感覚としては一般の治癒魔法とは大分異なる。

 誰に対しても一定の効力のある通常の治癒魔法の型とは異なり、治癒を行う対象に慎重に意識を向けて、欠けた部分を補い、消耗した箇所を魔力で潤すような、そんな感覚で彼女はトラヴィスをサポートしていた。

 トラヴィスとの付き合いは長かったために、オーレリアは特に意識をしなくても、彼が魔物に向かって跳躍する時や剣を振り下ろす時、身体のどこにどのような負荷がかかっているのかが手に取るようにわかった。

 支える側の治癒師が優秀で魔力が高いほど、魔剣士にかかる負担も少なく済むことは明らかだった。けれど、これまで思うように魔力が伸びなかったオーレリアでもトラヴィスを支え続けて来られたのは、恐らく、一緒に過ごした長い年月の間に培われた、この感覚ゆえだろうと思っていた。


 ただ、魔物との戦いの度に、トラヴィスを支えるために魔力を消耗してしまったことにより、オーレリアには、残念ながら並行して汎用的な治癒魔法まで十分に磨けるほどの力は残らなかった。ブリジットからは、自分ならそのくらいは余裕をもってできるのに、なぜお姉様はそんなこともできないのかしらと、よくそう言われては眉を顰められていた。

 魔剣の使い手の治癒は、その魔剣士に慣れたパートナーであればあるほど、パートナー側の負担も少なくなると言われている。それなのに、一向にその様子の見られない姉のことを、ブリジットは見下したように眺めていた。

 トラヴィスからも次第に苛立ったような表情を向けられるようになっていたことを思い出し、オーレリアはギルバートに向かって躊躇いがちに口を開いた。


「ギルバート様、私に治癒魔法を掛けさせていただいてもよろしいでしょうか? ……ただ、私にはたいした力はないので、がっかりさせてしまったらごめんなさい」

「いいのかい? 無理をすることはないんだよ、オーレリア」


 労わるような口調でそう言ったギルバートに、彼女は首を横に振った。


「いえ。私が掛けさせていただきたいのです。ほんの少しだけでも、ギルバート様のお身体が楽になればよいのですが……」


 ギルバートは温かな笑みを浮かべた。


「君のその気持ちだけでも嬉しいよ、ありがとう。では、お願いしてもいいかい?」

「はい」


 オーレリアは立ち上がって一歩ギルバートに近付くと、彼に向かって手を翳して治癒魔法を唱えようとした。けれど、そこでふと思い留まった。

 ギルバートも、トラヴィスと同じく魔剣の使い手であったことをオーレリアは思い出していた。彼女は今までの経験から、普通の治癒魔法よりも、魔剣士に合わせた魔力の使い方をする方が、回復が円滑に進むことを感じていた。

 これまで、トラヴィスを前にすると、オーレリアは彼に合わせようとはしなくても、彼を癒すために効果的な魔力の使い方が無意識的にできていた。トラヴィスとは違うけれど、同じ魔剣士であるギルバートに、今まで自分がトラヴィスを支える時に培ってきた感覚が少しでも活かせないだろうかと、オーレリアはそう思ったのだった。


(きっと、初めての相手に対して、一朝一夕にできるものではないのだろうけれど……)


 数え切れないほど多くの戦いの場面を目の前で見て来たトラヴィスとは異なり、ギルバートが戦う場面を彼女が見たのはただの一度きりだったし、当時は彼の見事な太刀筋に見惚れていただけだった。その時のオーレリアは、治癒すべき相手であったトラヴィスに向けるような意識は、ギルバートに対しては持ってはいなかった上に、今のギルバートの身体の状況は、当時とはまったく違っていた。


(でも、失敗したとしても、これ以上ギルバート様のお身体が悪くなる訳ではないもの。試してみる価値はあるはずだわ)


 翳した手をいったん下げたオーレリアは、代わりにギルバートの両手を取った。


「少し、お手をお借りしますね。この方が、感覚的にわかりやすいので」


 ギルバートは不思議そうにしつつも、彼女の言葉に頷いた。


「ああ、君に任せるよ」


 オーレリアは、瞳を閉じて彼の身体に意識を集中させると、今までトラヴィスを治癒していたのと同様の方法で、魔力を流し込むような感覚をギルバートに向けた。

 白く淡く輝く光がオーレリアの両手から浮かび上がると、その光がギルバートの身体をふわりと包み込んだ。


 オーレリアは、ギルバートの身体の内側に、まるで吸い込まれるような不思議な感覚を覚えていた。

 癒すべき箇所だけが感覚的に掴めたトラヴィスとは対照的に、ギルバートの身体は、むしろ大半の部分が癒しを必要としているように思われた。

 オーレリアの胸はつきりと痛んだ。


(フィル様を助けて大怪我をされた時、ギルバート様のお身体は、既にぼろぼろになっていらしたのでしょうね……)


 トラヴィスを前にした時には、どこをどう癒せばよいのか無意識のうちにわかっていたオーレリアだったけれど、ギルバートに対しては、やはり勝手が違うようだった。


(何と言うか……器の大きさが、全然違うみたいだわ)


 身体能力の限界を概ね把握できていたトラヴィスとは異なり、ギルバートの方が遥かに秘めた器が大きいことを、オーレリアは感じ取っていた。


(さすがは、天才と呼ばれたギルバート様ね。私の魔力では、まだ全然足りないみたい)


 トラヴィスを癒していた時とは異なり、確かな回復の手応えまでは感じられないことが、オーレリアには歯痒かった。

 ギルバートの身体に意識を集中させるあまり、魔力を使い切ってしまったオーレリアは足元をふらつかせると、彼のいるベッドの上によろめいた。ギルバートは慌ててオーレリアの身体に向かって両手を伸ばし、彼女はギルバートの身体に重なるように倒れ込んだ。


「大丈夫かい、オーレリア?」

「はい、私は大丈夫です。……でも、やっぱりギルバート様のお役には立てなかったようで、すみません。逆に、こうしてご迷惑をお掛けしてしまって」


 ギルバートの温かな腕に抱き留められて、オーレリアの頬は薄らと染まっていた。

 首を横に振った彼は、驚いたように目を瞠ってオーレリアを見つめていた。


「いや、そんなことはないよ。それどころか……素晴らしい力だ」


 オーレリアに回した腕に、ギルバートは力を込めた。


「どうもありがとう、オーレリア。君のお蔭で、身体がずっと楽になったよ」


 彼の腕に優しく抱き締められて、オーレリアはみるみるうちに真っ赤になっていた。

 腕を緩めたギルバートの顔色が多少は良くなったように感じられ、彼女はほっと胸を撫で下ろしていた。彼の澄んだ碧眼が、オーレリアの顔を覗き込んだ。


「君は、俺に希望の光を見せてくれる。さっき君の手から放たれた、あの柔らかく包み込むような光のように。……君がこうして俺の元に来てくれたことを、心から神に感謝しているよ」


 確かに彼の目に明るい光が宿っているのを、オーレリアは感じていた。美しい彼に間近で微笑まれて、彼女の鼓動は自然と速くなった。


(たいしたことをした訳ではないけれど、お世辞でも私にこんな温かな言葉を掛けてくださるなんて、ギルバート様は本当にお優しいのね。……こんな風にお礼を言われたのは、久し振りだわ)


 婚約を解消したばかりのトラヴィスには、最近では彼を支えることが当然といった態度を取られ、むしろ、活躍する彼の側にいられることをありがたく思うようにと仄めかされていた。すっかり感謝の言葉を言われることなど忘れていたオーレリアにとっては、ギルバートが礼を述べてくれたこと自体が、とても嬉しかったのだった。

 トラヴィスと別れて痛んでいた胸が、すうっと軽くなったようにオーレリアには感じられていた。


「私の方こそ、こうしてギルバート様のお側に迎えていただいて、本当に感謝しています」


 オーレリアのはにかんだような笑顔と染まった頬を見て、ギルバートは愛しげに彼女に笑い掛けた。


「可愛いな、君は。……こんな幸せを感じられる日が来るとは、思わなかった」


 再び彼の腕に柔らかく抱き締められて、彼女の胸には仄かに甘い感情が湧き上がっていた。


***


 一方、トラヴィスはその頃、落ち着かない思いで魔物討伐へと向かう馬車に乗っていた。彼の横には、オーレリアの妹のブリジットの姿があった。

 彼女はトラヴィスに腕を絡めながら彼を見上げた。


「トラヴィス様を治癒師として支えさせていただくのは初めてですけれど、トラヴィス様が魔物と戦っていらっしゃるご様子は、前からよく見ておりましたもの。お姉様などよりも、必ず上手くサポートさせていただきますわ」

「ああ、ありがとう。……期待しているよ、ブリジット」


 少し口を噤んでから、彼はブリジットに尋ねた。


「……オーレリアは、あれからどうしているかい?」

「せっかくこうして二人でいられるというのに、お姉様の話ですか?」


 不服そうに口を尖らせたブリジットだったけれど、ふっとその口角を上げた。


「お姉様なら、もう嫁いでいかれましたよ」

「何だって!? まだ、あれから何日も経っていないじゃないか」


 トラヴィスの背中を、嫌な汗が伝っていた。


「あら、お姉様との婚約解消を承知してくださったのはトラヴィス様でしょう? お姉様が嫁いだって、もう関係ないではありませんか。……ふふ、でも、お姉様にはお似合いの縁談だと思いますけれど」

「相手は誰だ?」


 硬い顔で尋ねた彼に、ブリジットは続けた。


「エリーゼル侯爵家のギルバート様よ」

「ギルバート様だって? 彼は身体を悪くして、長いこと臥せっているという噂を聞いていたが……」


 怪訝な顔をしたトラヴィスに向かって、ブリジットは可笑しそうにくすりと笑った。


「何でも、妻としてギルバート様を看取って欲しいと頼まれたのですって。もう先行きが長くない方のところに嫁ぐなんて……まあ、お姉様がいくら魔力が足りなくたって、死んでいく方を見守るくらいならできますものね。ちょうどよかったんじゃないかしら」


 オーレリアが無事に家を出て行ったことを、ブリジットは喜ばしく思っていた。ただ、彼女の両親は、ブリジットが姉の玉の輿を僻むことを懸念して、フィルに告げられた縁談の詳細までは話さずに、オーレリアが看取りを頼まれたことだけを話していた。


(……看取るために嫁ぐ、か。聞いたこともないような話だが、お飾りの妻ということだろう。オーレリアは、彼が死んだらまた戻って来るのだろうか……)


 トラヴィスの胸にはもやもやとした不安が立ち込めていた。けれど、それはきっと思い過ごしに過ぎないはずだと、彼は自分に言い聞かせていた。


(俺は誰よりも強い。確かにオーレリアとの付き合いは長かったが、オーレリアがいなくとも、さらに優れた彼女の妹のブリジットが側にいるんだ。何も問題はないはずだ)


 今まで、阿吽の呼吸でつぶさに彼を癒してくれたオーレリアの顔が頭に思い浮かび、彼はそれを振り払うように首を横に振った。

 トラヴィスは、ぎゅっとその拳を握り締めていた。そこに冷や汗が滲んでいたことに、彼自身も気付いてはいなかった。

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