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穏やかな時間

 ギルバートの部屋の扉をオーレリアがノックすると、フィルがすぐに扉を開けた。


「オーレリア様、早かったですね」


 嬉しそうに笑ったフィルについて彼女が部屋に入っていくと、ギルバートはベッドの上で上半身を起こして、ベッドの背に身体を凭せ掛けていた。

 オーレリアはギルバートに近付くと気遣わしげに尋ねた。


「お身体をそのように起こされていて、辛くはありませんか?」


 ギルバートは首を横に振ると、温かな瞳をオーレリアに向けた。


「いや、大丈夫だよ。このほうが君とも話しやすいだろうと思って、さっきフィルの手を借りて姿勢を変えたんだ」

「もしも疲れを感じられたら、すぐに仰ってくださいね」

「ああ、ありがとう。……君の部屋は気に入ってもらえたかな?」

「はい、とっても。私にはもったいないくらい素敵なお部屋でした」


 にっこりと笑ったオーレリアに、ギルバートはベッドの側の椅子を勧めると、フィルとも目を見交わしてほっとしたように微笑んだ。


「それならよかった。俺はフィルに聞くまで何も知らなかったから、君を迎える準備が満足にできていたのかと気を揉んでいたんだ」

「私は、むしろ過分なお心遣いに恐縮しています。……つい先程まで私がここに来た理由もご存知なかったなんて、ギルバート様を驚かせてしまいましたよね?」

「ああ。夢でも見ているのかと思ったよ」


 オーレリアは戸惑いながら彼に尋ねた。


「温かく迎えてくださって感謝しておりますが、本当に私でよろしかったのでしょうか? ほかの令嬢方と比べて私が優れている点など、何も思い浮かばないのですが……」


 横からフィルが口を開いた。


「オーレリア様は兄上にとって特別な方だから。今は、それだけわかっていていただければ十分です」


 フィルはオーレリアに軽くウインクをすると、ギルバートを見てふふっと笑った。


「兄上を驚かせちゃったのは確かだけど、喜んでもらえてよかったよ。兄上が笑うところを見たのは、本当に久し振りだったもの。これもオーレリア様のお蔭だね」

「そうだな。今でも、まだ信じられないような気がするよ」

「これは夢じゃなくて、ちゃんと現実だからね。オーレリア様と一緒に過ごせるんだから、もっと長生きしたくなったでしょう?」


 年相応の少年らしいフィルのくだけた口調を聞いて、オーレリアは思わずくすりと笑みを零した。彼はオーレリアを見つめると、恥ずかしそうに頬を染めた。


「ごめんなさい、つい素が出ちゃって。子供っぽいですよね……」

「いえ。今まで、随分大人びた話し方をなさるのだなと思っていましたが、今のフィル様を見ていて何だか安心しました。私にも敬語を使う必要はありませんから、どうぞお気遣いなく」

「ありがとう、じゃあ遠慮なく。これからはあなたを、オーレリアと呼ばせてもらっても?」


 フィルがあえて、義姉あねではなく彼女の名前で呼んだところに、オーレリアには、彼が彼女に縁談を持って来た時の約束を、今でも律儀に意識していることが感じられた。

 彼に笑顔を向けられて、オーレリアも笑みを返した。


「ええ、もちろん構いません」

「オーレリアも、僕には楽に話して。もう僕たちは家族になるんだから」

「ふふ、わかったわ。ありがとう、フィル」


 フィルはオーレリアに頷くと、彼女とギルバートを順番に見つめた。


「じゃあ、僕はこれで。後は二人で、ごゆっくり」


 ひらひらと手を振ると、フィルは軽い足取りでギルバートの部屋を後にした。

 閉まる扉を眺めながら、オーレリアは柔らかな笑みを浮かべた。


「明るくて優しい、お兄様思いの素晴らしい弟さんですね」

「ああ、そう言ってくれてありがとう。出来た弟だよ。俺も、フィルにはいつも感謝しているんだ。……まだあんな年だというのに色々なものを背負わせてしまって、申し訳なく思ってはいるがね」


 微かに苦笑したギルバートに、オーレリアは労わるように続けた。


「ギルバート様の存在が、彼にとっても大きな支えになっていることが、お二人を見ているとよくわかります。絆の強い素敵なご兄弟でいらっしゃるのだなと、そう思っておりました」


 ギルバートは、しばらく口を噤んでからオーレリアを見つめた。


「俺の身体のことは、きっとフィルから聞いているんだろう」

「……はい」


 兄を看取って欲しいとフィルに頼まれたことを、オーレリアは思い出していた。


「それでも俺の元に来てくれるなんて、君は優しいな。……君の時間を俺にくれて、ありがとう」


 切ない気持ちが胸に広がるのを感じながら、オーレリアは目の前のギルバートを見つめた。

 ギルバートは、天才の名をほしいままにしていた以前と比べたら、逞しかった両腕も痩せ細り、やつれた様子になっていたことは否めなかった。それでも、一度見たら目が離せなくなるような美しさを、今でも変わらず湛えていた。

 艶のある濃紺の髪に彩られた小さな顔には、青白いけれど陶器のように滑らかな肌に、すっと通った鼻筋と薄い唇、そして印象的な切れ長の碧眼が、この上ないほど完璧に配置されていた。

 神々しいような、それでいて繊細で壊れやすい彫刻のようにも見えるギルバートの美しさに、オーレリアは改めて息を呑んでいた。けれど、どことなく、静謐さの中に溶けて消えてしまいそうな儚さも同時に感じていた。

 彼の落ち着いた低い声の響きも耳に心地良かったけれど、オーレリアは、自らの運命を淡々と受け入れているようにも見えるギルバートに、深い悲しみを感じざるを得なかった。


(まるで、死が訪れるのを静かに待っているとでもいうような、そんな佇まいだわ)


 実際にギルバートに会って、オーレリアには、フィルが『看取る』という言葉を使った意味がようやくわかったような気がしていた。

 フィルがいなくなり、すっかり静かになった部屋で、彼女はギルバートに向かって手を伸ばすと、彼の右手をそっと握った。

 彼の手の温かさがいつか感じられなくなってしまうのだろうかと想像するだけで、オーレリアの胸は締め付けられるように痛んだ。


「ギルバート様。……私、ずっと貴方様のお側にいたいと思っております。どうか私を置いてはいかないでください」


 そのような言葉が口から零れたことに、オーレリアは自分でも驚いていた。ギルバートもはっとしたように目を瞠ると、オーレリアに瞳を向けた。

 彼女は必死になって続けた。


「きっと、いえ絶対に、ギルバート様は回復なさると、私はそう信じています」


 ギルバートの顔に麗しい笑みが浮かんだ。彼の青く輝く瞳は、オーレリアを見ているようでいて、けれどどこか宙を見つめているようにも見えて、オーレリアは不思議な思いでいた。

 彼は、今度ははっきりとオーレリアの顔に焦点を合わせると、ゆっくりと口を開いた。


「君は、とても美しいね」

「……私が、ですか?」


 突然の彼の言葉に、オーレリアは驚きに目を瞬いた。昔は美しいと言われたこともあったけれど、こめかみに深く醜い傷ができてからというもの、蔑みと同情が入り混じったような視線を向けられることの方が多かったからだった。

 オーレリアの赤紫色の瞳が揺れた。


「私にはもったいないお言葉です。……私の方こそ、ギルバート様のお美しさには思わず見惚れてしまいましたけれど」


 ギルバートは、ふっと楽しげに笑った。


「こんな死に損ないの俺に、そんな言葉を掛けてもらえるとは思わなかった。だが、フィルも言っていた通り、できる限り長い時間を君と過ごしたいと、今ではそう願っているよ」


 優しい彼の笑顔を見て、オーレリアの胸はうるさく跳ねた。


(ギルバート様の話し相手になるだけでなく、もっと何かお役に立てるようなことはないかしら)


 頬に熱が集まるのを感じながら、オーレリアはギルバートを支えたい一心で必死に頭を巡らせていた。

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