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結婚の対価

誤字報告をありがとうございます、修正しております。

 フィルは、テーブルを挟んでソファーに腰掛けたオーレリアと彼女の父をじっと見つめた。


「驚かれるのも無理はありません。それに、オーレリア様は婚約を解消なさったばかりですし、急に縁談などと言われても、乗り気になれないこともわかっています」

「……娘がトラヴィス様と婚約解消したのを、ご存知だったのですね」


 オーレリアの父の言葉に、フィルは頷いた。


「はい。昨夜、ちょうどトラヴィス様たちがそのような話をなさっている場面に出くわしまして」


 昨晩の情景が頭に蘇り、オーレリアの胸はつきりと痛んだ。


(フィル様は、私の気持ちもよくわかっていらっしゃるのね)


 トラヴィスの口から心ない言葉を聞いたとはいえ、長い年月にわたり、魔剣の使い手として支えてきた彼との婚約を解消したばかりのオーレリアの心は、まだ鈍い痛みを抱えていた。

 オーレリアの父が口を開き掛けた時、フィルは言葉を続けた。


「縁談の相手は誰なのかというのも、ごもっともな疑問です。まずは僕の兄、と申し上げておきましょう」

「『まずは』とは?」


 フィルはぎゅっと手を握り締めると、少し視線を彷徨わせてから辛そうに目を上げた。


「兄は身体の自由があまりききませんし、もう長くはないでしょう。治癒師からも医者からもそう言われていますし、何より本人がそう感じています」


 彼はオーレリアに視線を移すと、真っ直ぐに彼女を見つめた。


「オーレリア様、あなたにお願いがあります。僕の兄のギルバートを、妻として看取ってはいただけませんか?」


 想像もしていなかったフィルの言葉に、オーレリアは驚きのあまり返す言葉を失っていた。


(ギルバート様のお身体がそれほどに悪かったなんて、知らなかったわ……)


 悲しげに表情を曇らせたオーレリアに向かって、フィルは必死に続けた。


「無茶なお願いをしているのは重々承知しています。でも、できることなら、最後に兄に光を与えて欲しいのです」


 オーレリアの頭の中を、ぐるぐると疑問が回っていた。


(私の治癒師としての力は、たいしたことはないわ。それに、私は顔にこんなに醜い傷を負っている。一度しかお会いしたことのないギルバート様だって、私がお側に行っても喜ばないのではないかしら……)


 ようやく口を開いたオーレリアは、一言フィルに尋ねた。


「……なぜ、私なのですか?」

「それは、オーレリア様にしかできないことだからです」


 オーレリアには、フィルの言っていることの意味がわからなかった。まるで禅問答のようだと思っていると、彼は続けた。


「もちろん、もしこの縁談を受けていただき、兄と添い遂げてくださったなら、相応の対価はお支払いします」


 オーレリアの父の瞳が、にわかに輝いた。


「ほう。それは確かなのですか?」

「はい。オーレリア様が今後、一生自由にどこででも生活できる程度の額はお約束します」


 前のめりになった彼に、フィルは釘を刺すように続けた。


「ただ、お支払いするのはオーレリア様に対してですが」


 小さく咳払いをしたオーレリアの父は、フィルに尋ねた。


「先程、『まずは』と仰られた理由をはっきりとは伺っていませんでしたな。もし長男のギルバート様をオーレリアが看取ったとしたなら、その後はどうなるのですか?」

「お伝えした通り、十分な額の金銭をお渡しするのに加えて、……もしもオーレリア様が望んでくださったならですが、僕の妻にお迎えします。僕が成人するまでは待っていただくことになりますが」

「……えっ?」


 目を丸くしたオーレリアの横で、彼女の父はごくりと唾を飲み込んでいた。


「つまり、娘が望めば、確実に将来のエリーゼル侯爵家夫人になれるということですね」


 今の状況で、オーレリアがギルバートとの子を成すことは不可能に等しいと彼は考えていた。けれど、その場合に侯爵家を継ぐこととなるであろうフィルと婚姻を結ぶことまで確約されているなら、娘の玉の輿が保証されたに等しかった。

 さらに、まだ年若いとはいえ、明らかに将来有望なフィルを前にして、彼は鼻息荒くオーレリアに告げた。


「これほどの好条件の縁談がお前に来ることは、今後二度とないぞ」

「ですが、まだギルバート様に直接伺ってさえもおりませんわ。本当に私を妻にと望んでくださるのかと」


 オーレリアの父は、ちらりと娘のこめかみにある深い傷を見てから続けた。


「ならば、確実にギルバート様に望んでいただくようにするのが、今のお前がなすべきことだろう」


 父の言葉に、オーレリアは小さく溜息を吐いた。


「……少しだけ、フィル様と二人でお話をさせてはいただけませんか?」

「僕も、できればオーレリア様と二人きりでお話ししたいと思っていました」


 二人が視線を交わすのを見て、オーレリアの父は渋々頷いた。


「では、私はしばらく席を外しましょう。……だが、オーレリアよ。決してこの縁談を逃すことのないようにな」


 彼は、立ち上がって頭を下げた初老の執事と一緒に応接間を出て行った。

 ドアの閉まる音を聞いて、オーレリアは今度は深い息を吐いた。


「何だか、狐につままれているような気分です。まさか、こんな縁談をいただくなんて思いもしませんでしたわ」


 フィルは微かに苦笑した。


「でも、僕は本気ですよ。兄も、オーレリア様に会いさえすれば、必ず喜んでくれるはずです」


 オーレリアは不思議そうに彼に尋ねた。


「けれど、どうして私が嫁ぐ必要があるのでしょうか。仮にギルバート様を看取る必要があるなら、私がそれまで側仕えをさせていただければ済む話かと思いますが」


 彼は首を横に振った。


「いえ、そういう訳にもいかないのです。すぐにでも、あなたを確実にエリーゼル侯爵家に囲い込んでしまいたい、とでもいったところでしょうか。ただ、それはあなたを守ることにも繋がると信じています」


 彼女は誠実そうなフィルをじっと見つめた。彼の言葉に嘘は感じられなかった。それに、彼は実年齢よりもずっと賢いようだというのがオーレリアの印象だった。


(フィル様は、どことなく、私が知らない何かを知った上でそう仰っているように見えるわ)


 オーレリアは思案気にしばらく口を噤んでから、フィルに向かって微笑んだ。


「フィル様のご覚悟は、よくわかりました。年も離れている上に、醜い傷があり、治癒師としても未熟な私を、将来娶ろうとまで仰ってくださるなんて。……でも、輝かしい未来が約束されているフィル様が、ご自分を犠牲にしてまでそんなことを言う必要なんてどこにもないのですよ。貴方様がどれほど、ギルバート様の身を案じていらっしゃるとしても」


 諭すようにゆっくりとそう言ったオーレリアは、温かな瞳で彼を見つめた。


「ですから、そんな心配はいりません。もしも私でよいのなら、ギルバート様に嫁いでお側にいさせていただきます。……ただ、本当に私を必要としてくださるのか、それだけギルバート様にお会いして確認させていただけますか?」

「はい、もちろんです」


 兄のためにと必死にオーレリアを説得しようとするフィルを見て、オーレリアの覚悟も決まっていた。トラヴィスへの気持ちはきっぱりと断ち切ろうと、彼女はそう心に決めた。

 ほっとしたように表情を緩めたフィルに、オーレリアはにっこりと笑った。


「私も家に居場所を失くして困っておりましたし、私にとってもありがたいお申し出でもありますわ。それに……」


 オーレリアは、彼の澄んだ碧眼を覗き込んだ。


「フィル様は、本当はギルバート様の回復を望まれているのでしょう? だから、看取るなどと悲しいことを仰らないでください」


 はっと息を呑んだフィルに、オーレリアは続けた。


「私に何ができるかはわかりませんが、もしもギルバート様が望んでくださるなら、力を尽くしてお仕えさせていただきます」

「……ありがとう、オーレリア様」


 瞳を潤ませたフィルに、彼女は再び微笑んだ。


「私のことは、不出来な姉ができたとでも思ってくださいませ」

「いや、オーレリア様は、僕にとってはこれ以上ない、素敵な姉……家族です」

「ふふ。では、これからよろしくお願いいたしますね、フィル様。そろそろ、父を呼んでもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いません」


 父を呼びに戻るオーレリアの背中を眺めながら、フィルはぽつりと呟いた。


「兄上がなぜオーレリア様を望んだのかが、僕もよくわかるな」


 閉まったドアを見つめながら、彼はふっと笑った。


「……僕も、オーレリア様を気に入ったのは確かなんだけどね。それだけ伝えそびれちゃったな」


 フィルが自分の将来を犠牲にしてまで、オーレリアにギルバートとの結婚を承諾させようとしていると、彼女がそう思い込んでいたことに苦笑した彼だったけれど、その思いはそっと胸の奥へとしまいこんだ。


***


 善は急げとオーレリアの両親が後押ししたこともあり、その翌日には、彼女は小さな手荷物一つを抱えてエリーゼル侯爵家に向かうこととなった。早速フィルが彼女を出迎え、兄のギルバートの部屋へと案内した。


「兄上、失礼します」


 軽くノックしてから、フィルが部屋の扉を開けた。オーレリアは緊張気味に、ベッドの上に横たわるギルバートを見つめた。

 力なくベッドに身体を横たえていたギルバートは、以前オーレリアが会った時よりも随分やつれてはいたけれど、その顔には、今でもはっとするような美しさを湛えていた。


「ギルバート様、ご無沙汰しております」

「オーレリア? どうして君がここに?」


 オーレリアの姿を目にして、ギルバートは信じられないといった様子で深く澄んだ碧眼を瞠っていた。

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