突然の縁談
本日2話目の更新です。
誤字報告をありがとうございます、修正しております。
「手を貸す、ですか?」
きょとんとしたオーレリアに、彼は続けた。
「失礼ですが、先程、オーレリア様はトラヴィス様との婚約を解消されたのですよね?」
「ええ、ご理解の通りです」
苦笑したオーレリアの手を、フィルはぎゅっと握った。
「それなら、あなたの時間を兄にいただけませんか? その代わり、あなたの望みはできる限り叶えるとお約束します」
「それは、どのような意味でしょうか? 私にできることがあるなら、お手伝いできればと思いますが……」
彼の言葉を理解できずにいたオーレリアが目を瞬いていると、そのうちに馬車が速度を緩めてごとごとと止まった。
フォルグ子爵家の屋敷の扉が開いたのを見て、フィルは言葉を呑み込んだ。首を傾げたオーレリアの耳に、フィルは囁いた。
「また、すぐに伺います。続きはその時に」
「はい。……送ってくださって、どうもありがとうございました」
フィルはにっこりと笑って彼女に手を振った。笑うと年相応のあどけなさの覗く彼に、オーレリアも笑顔で手を振り返した。
家の中から出て来たオーレリアの父が、不思議そうにエリーゼル侯爵家の立派な馬車を見送っていた。
「おや、オーレリア。ブリジットと一緒ではなかったのかい? トラヴィス様に送っていただいたものかと思っていたのだが……」
「お父様。実は……」
オーレリアは、フィルと会って少し軽くなっていた胸が再び重苦しくなるのを感じながら、父に向かってゆっくりと口を開いた。
***
「ただいま帰りました」
ブリジットの弾む声が屋敷内に響いた。玄関に彼女を迎えに出た父と母に続いて、オーレリアも半ば両親に隠れるように、静かに彼女を出迎えた。
彼女は姉の姿を認めると、満面の笑みを浮かべた。
「お姉様、先に帰っていらしたのね。せっかくトラヴィス様とお姉様の姿を探したのに、どこにも見付からないのだもの。……まあ、あの状況で私たちを邪魔できるほど、お姉様は図太くないとは思っていたけれど」
上機嫌に頬を染めたブリジットは、両親に瞳を向けた。
「お父様もお母様も、そのご様子だと、お姉様からもう聞いていらっしゃるのかしら?」
二人は顔を見合わせると、娘の言葉に頷いた。
「トラヴィス様は、お前と婚約を結び直すそうだな」
「ブリジットとの婚約を、トラヴィス様も望んでいらっしゃるのよね?」
「ええ、その通りよ」
ブリジットは満足気に答えると、勝ち誇ったような視線を姉のオーレリアに向けた。
「ずっと前から、トラヴィス様の婚約者には私がなるべきだと思っていたの。顔に醜い傷がある上に、治癒師としてもうだつの上がらないお姉様より、私の方がトラヴィス様にずっと相応しいわ」
オーレリアは黙ったまま、安堵の表情を浮かべている両親を寂しく見つめた。彼女が幼い頃は、両親の期待は一身に彼女が背負っていたけれど、次第に魔力の強さがブリジットと逆転するにつれ、二人の期待が向く先は妹のブリジットへと変わっていった。さらに、ブリジットが美しく成長していくのに対し、オーレリアの顔の大きな傷を見る度、両親が残念そうに目を逸らしていたことも彼女は感じざるを得なかった。
オーレリアの視線に気付いて、父はぽんと彼女の肩を叩いた。
「お前もよくやったよ、オーレリア。このラシュトル王国でも、今や飛ぶ鳥を落とす勢いのトラヴィス様に見初められたことは、素晴らしかったぞ。それがきっかけになって、ブリジットとの婚約にも繋がったと思えばな」
母もオーレリアに労わるように笑い掛けた。
「……あなたの魔力が思うように伸びなくなってから、あなたにはトラヴィス様との婚約が重荷になるのではないかと心配していたのよ。ブリジットに婚約者の立場を引き継げて、むしろよかったのではないかしら」
目覚ましい功績が認められれば、その褒賞としてより高位の爵位を授かる可能性もある。ラシュトル王国の期待の星とも言われるトラヴィスを絶対に逃したくはないという両親の気持ちは、オーレリアにも理解できた。けれど、それと同時に、困ったような表情を両親が浮かべていることにも気付いていた。
その理由を最初に口に出したのはブリジットだった。
「ねえ、お姉様。これから、お姉様はどうなさるの? ……ギュリーズ伯爵家はもうトラヴィス様のお兄様が継いでいらっしゃるし、彼がこの家に婿入りしていただく予定になっていることは、お姉様もよくご存知のはずよね」
ブリジットはあからさまに顔を顰めた。
「せっかく私を送ってくださったのに、トラヴィス様はお姉様に遠慮してか、すぐに帰ってしまわれたわ。お姉様も、今後の身の振り方を考えてはいただけないかしら」
(困ったわ。この家を出て行けということね……)
トラヴィスも言っていたように、オーレリアには、顔に醜い傷がある自分を好んで妻に迎えようとする男性がいるとも思えなければ、治癒師としても中途半端な自分に、王国軍で十分な務めが果たせるのかもよくわからなかった。さらに、魔剣の使い手であるトラヴィスのサポートを今まで長く行ってきたオーレリアは、彼のために一定の魔力を使い続けてきたことから、それ以外の治癒魔法の技術も、他の治癒師と比べて劣っていることを自覚していた。
少し口を噤んでから、オーレリアはブリジットと両親を順番に見つめた。
「……数日間、私に考える時間をいただけないでしょうか」
彼女の頭には、聞いたばかりのフィルの言葉も浮かんでいた。
(フィル様にもご相談してみようかしら。手を貸して欲しいと仰っていたし、新しい仕事が得られれば、もしかしたら家を出られるかもしれないわ)
「ふうん、数日間ね。その言葉を忘れないでくださいね、お姉様」
不安気な表情で目を見交わした両親とオーレリアにくるりと背を向けて、ブリジットは自室へと戻って行った。
***
その翌日の昼過ぎに、オーレリアの父が慌てた様子で彼女の部屋のドアをノックした。
「オーレリア、エリーゼル侯爵家のフィル様がお越しだ」
「今まいります」
(……随分と早くいらしたのね)
オーレリアは急いで父の後について応接間へと向かった。フィルは初老の執事を連れてフォルグ子爵家を訪れていた。ソファーに腰掛けていたフィルに、オーレリアは頭を下げた。
「昨夜は送っていただき、ありがとうございました」
「どういたしまして」
にっこりと笑った彼に、オーレリアの父は尋ねた。
「このような場所までご足労いただき、恐れ入ります。本日は、どのようなご用件でいらしたのでしょうか?」
「実は、オーレリア様に縁談をお願いさせていただきたくまいりました」
「……縁談、ですか?」
オーレリアの父は、呆気に取られたようにぽかんと口を開けてから、戸惑ったようにオーレリアを見つめた。
エリーゼル侯爵家には、臥せったままの長男のギルバートと、目の前のまだ幼い次男のフィルしかいないことを、彼もオーレリアも知っていた。
(どういうことなのかしら?)
昨日フィルに聞いた話と重ね合わせても、どうして縁談なのか、そしてなぜ自分に来たのだろうかと、オーレリアは首を傾げずにはいられなかった。