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懐かしい記憶

 オーレリアは、中庭の木立の間を抜けると、失意のまましばらく夢中で駆けて行った。一刻も早く、トラヴィスとブリジットの視界から消え去りたかったからだった。婚約者だったトラヴィスを今まで信じて縋っていた自分が情けなく、恥ずかしく感じられて、オーレリアはそのまま消えてなくなってしまいたいような気分だった。


 王宮の外門が視界に大きく映り始め、肩で息を吐きながら速度を緩めたオーレリアは、石畳に躓いて足を縺れさせた。


「……あっ」


 前のめりに石畳に転んで、擦りむいた彼女の腕に血が滲む。砂埃に塗れたドレスを見たオーレリアの瞳からは、一筋の涙が零れた。酷く惨めな気持ちになり、オーレリアは起き上がる気力も湧かずに、そのまま地面に座り込んでいた。

 しばらくぼんやりとしていた彼女の背後から、声が掛けられた。


「大丈夫ですか?」


 まだ幼さの残る高い声の主を振り返ると、そこには立派な服装をした少年が立っていた。一目で高位貴族の令息だろうとわかる彼に手を差し伸べられて、オーレリアは慌てて彼の手を借りて立ち上がった。


「ありがとうございます」


 目の前にいたのは、彼女よりも少し背の低い少年だった。年の頃は十一、二歳ほどと思われる可愛らしい少年が、じっと彼女のことを見上げていた。


「オーレリア様。よかったら、これを」


 礼儀正しく綺麗なハンカチを差し出され、自らの頬を伝っていた涙に気付いたオーレリアは、思わず顔を赤く染めると慌てて涙を拭った。


「すみません、お見苦しいところをお目にかけてしまって」

「いえ。……あんなに酷い仕打ちを受けたら、動揺するのも当然です」


 柔らかそうな濃紺の髪に、大きな碧眼をした少年は、顔を顰めてちらりと後ろを振り返った。


(この方は、さっきの私たちのやり取りも見ていらしたのね。だから私の名前もご存知なのかしら)


 瞳を揺らして俯いたオーレリアに向かって、彼は眉を下げた。


「ごめんなさい。盗み聞きするつもりはなかったのだけれど、偶然あの場に居合わせてしまって」


 年の割には大人びた口調の少年に向かって、彼女は首を横に振った。


「こちらこそ、せっかくの祝勝会の場で申し訳ございませんでした。あの、貴方様は……?」

「申し遅れました。僕はフィル・エリーゼルと言います」


 オーレリアは、小さく息を呑んだ。


「では、あのエリーゼル侯爵家の……?」

「はい、そうです」


 エリーゼル侯爵家は、ラシュトル王国の中でも名門中の名門と呼ばれ、歴史に名を残す魔剣の使い手を数多く輩出してきた、王族とも遠縁に当たる由緒正しい家柄だった。


(エリーゼル侯爵家には優秀な次男がいると聞いていたけれど、それが彼だったのね。こんなに若くして、前線で戦っていたなんて)


 今回の魔物討伐は、いくつかの隊に分かれて行われたため、オーレリアは、別の隊にいた彼とは魔物討伐の場では直接顔を合わせてはいなかった。けれど、成年の魔剣士に負けず劣らず優れた腕を見せていたと、オーレリアもフィルの評判を耳にはしていた。


「オーレリア様。よかったら、僕にあなたを家まで送らせていただけませんか?」


 フィルはにこっと笑うと彼女を見上げた。


「……よろしいのですか?」


 何事もなく祝勝会を終えていれば、オーレリアはブリジットと一緒に、トラヴィスに実家まで馬車で送り届けてもらう予定だった。

 けれど、あのようなことがあった後で、彼女はどうしても、二人と一緒の馬車に乗る気にはなれなかった。ただ、オーレリアは、自身の砂埃に塗れたドレスが気になっていた。


「でも、私、ドレスが汚れてしまって。馬車を汚してしまっては申し訳ないですから」

「そんなこと、何も気にしないでください。さ、行きましょうか」


 小さな紳士といった様子のフィルに手を引かれて、オーレリアは王宮の外門の外へと向かった。立派な馬車に恐縮しながら乗り込むと、オーレリアは遠慮がちに彼に尋ねた。


「あの、どうしてこれほど私に親切にしてくださるのですか?」

「以前、僕の兄のギルバートがオーレリア様に助けていただいたことがあったのですが、覚えていらっしゃるでしょうか。そのお礼だとでも思ってください」

(フィル様は、そんなことまでご存知だったのね)


 オーレリアは驚いたように目を瞠った。


「私、ギルバート様にはたいしたことは何も……」


 彼女は、以前の魔物討伐の際に、一度だけギルバートに簡単な治癒魔法を掛けたことがあった。その直後に、彼女が魔物からトラヴィスを庇ってこめかみの傷を負ったことから、その時の魔物討伐のことは、良くも悪くもはっきりと記憶に残っていた。


「いえ。兄は今でも、あなたのことをよく覚えていますから」


 オーレリアは、少し躊躇ってから口を開いた。


「こんなことを伺ってよいのかわかりませんが……ギルバート様は、いかがお過ごしですか?」


 ギルバートはかつて、歴代のエリーゼル侯爵家における魔剣の使い手の中でもきっての天才と言われていた。目の前で見た彼の魔剣の太刀筋が恐ろしいほど美しかったことを、オーレリアも忘れられずにいた。そして、彼の容姿も、思わず見惚れてしまうほどに整っていた。オーレリアが治癒魔法を掛けた後に返された微笑みが、戦いの際の鬼気迫るような迫力とは裏腹にとても優しかったことも、まだ駆け出しだった頃の彼女の記憶に鮮明に残っていた。


 けれど、二年ほど前の魔物討伐以降、彼は突然、表舞台から姿を消してしまっていた。大怪我を負ったらしいという噂は彼女の耳にも届いていたけれど、それ以上詳しいことは知らなかった。

 少し表情を翳らせて口を噤んでから、フィルは言葉を選ぶように続けた。


「……残念ながら、思わしくはありません。ずっと床に臥せっています」

「そう、でしたか……」


 申し訳なさそうに視線を下げたオーレリアに、フィルは静かに続けた。


「でも、どんな姿になったとしても、兄は僕にとってはかけがえのない、自慢の兄です。兄の幸せのためなら、僕は何でもするつもりです」

(……フィル様は、お兄様思いの優しい方ね)


 心が温まる思いでフィルを見つめたオーレリアを、彼は真剣な瞳で見つめ返した。


「オーレリア様、あなたを見込んでお願いがあります。できれば、僕に手を貸してはいただけませんか?」

本日中に後程もう1話投稿予定です。

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