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【書籍化&コミカライズ】傷物令嬢の最後の恋  作者: 瑪々子


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零れ落ちた涙

誤字報告をありがとうございます、修正しております。

 トラヴィスとブリジットが入院しているという病院に向かう馬車の中、俯いているオーレリアに向かって、ギルバートは労わるように口を開いた。


「オーレリア、君が考えていることはだいたい想像がつくが、君が責任を感じる必要はどこにもないよ。君は何も、間違ったことはしていないのだから」

「……ありがとうございます」


 オーレリアは力なく微笑んだ。彼女は、トラヴィスから魔法を掛けて欲しいと請い願われた時、それを断ってしまったことに対して、少なからず良心の呵責を覚えていたのだった。


(あの時、もしも私がトラヴィス様に魔法を掛けていたら、彼やブリジットが怪我をせずに済んだ可能性もあったのかしら……)


 同じ考えがぐるぐると頭を巡り、オーレリアは幾度か溜息を吐いていた。

 オーレリアの父から送られて来た手紙に記載されていた場所で、馬車ががたがたと揺れながら速度を落として止まると、ギルバートは携えてきた魔剣を腰に差して立ち上がった。


「どうやら着いたようだね」

「はい」


 ギルバートの手を借りて馬車から降りたオーレリアは、目の前に立つ古びた病院を見つめた。空には厚い雲が垂れ込め、周囲はどことなく薄暗かった。ギルバートは辺りを見回すと、すっと瞳を細めた。


「ここは、魔物が出たという場所からそれほど遠くはないと聞いている。ここまで魔物がやって来る可能性は高くはないだろうが、一応注意をしておこう」

「わかりました」


 ギルバートの言葉に頷いたオーレリアは、彼と並んで、幾人かの騎士が警備をしている病院の中へと入って行った。

 入口でオーレリアが名前を伝えて妹の病室を尋ねると、看護師の一人が彼女とギルバートを案内して、廊下の奥の方に向かって歩いて行った。


「妹のブリジットの怪我の具合はどうでしょうか?」


 看護師は、廊下を歩きながらオーレリアを振り返った。


「命に別状はありません。ただ……」


 少し言い淀んでから、看護師は続けた。


「完治は難しいでしょう。ご本人も気が立っていらっしゃるご様子なので、あまり刺激をしない方がいいかもしれません」


 オーレリアは浮かない顔でちらりとギルバートと目を見交わした。

 病室のドアをノックして看護師が開くと、オーレリアの視線の先に、ベッドの上で上半身を起こしているブリジットの姿が映った。

 彼女のベッドの向こう側には、すっかり肩を落として老け込み、虚ろな目をした両親の姿があった。

 両親に軽く頭を下げてから、オーレリアは妹を見つめた。


「ブリジット……」


 病室に足を踏み入れたオーレリアに、ブリジットが徐に顔を向けた。


「……お姉様?」

「……!」


 オーレリアの方を向いたブリジットを見て、彼女は小さく息を呑んでいた。病室に入った時には見えなかった、ブリジットの顔の左側に、濃い紫色に爛れている部分があることに気付いたからだった。


「それは、どうしたの……?」


 呆然とした様子のオーレリアに、ブリジットは手で爛れた部分を覆い隠しながら、瞳からぼろぼろと涙を零した。


「ワイバーンの尾の毒にやられたの。魔物討伐に出向いた先で、ワイバーンの群れが襲い掛かって来て……」


 ドラゴンの頭に蝙蝠の羽、蛇の尾を持つワイバーンは、炎を吐くことに加えて、尾の先に毒があることでも知られている魔物だった。

 多くのワイバーンが群れをなして襲って来たことを思い出したブリジットは、自分が病院に運ばれた後、果たして自分たちの隊がワイバーンを逃さずに倒せたのだろうかと、未だ不安な気持ちを抱えていた。

 痛々しい様子でブリジットは続けた。


「身体は治癒魔法である程度は回復したのだけれど、この顔はもう、元の通りに戻らないかもしれないのですって」


 美しかった妹の顔に、大きな染みのように紫色が広がっている様子を、オーレリアはショックと共に言葉もなく眺めていた。

 オーレリアの父が暗い顔で口を開いた。


「治療は続けるが、治る可能性は低いようだ。どうして、ブリジットがこんな目に……」


 呻くように言った父に続いて、忌々しそうにブリジットが顔を歪めた。


「これも、あの疫病神のような男のせいよ……!」

「疫病神?」


 ブリジットはきっとオーレリアを睨み付けた。


「わかっているでしょう、トラヴィス様よ! 彼は近付いて来たワイバーンを仕留め損なったの。しかも、ワイバーンを避けようとした私を掴んで離してくれなかったせいで、こんなことに……。最悪よ」


 以前はトラヴィスに熱を上げていた妹から、すっかり愛情が冷え切った様子で放たれた恨みがましい言葉に、オーレリアは顔を曇らせていた。


「では、トラヴィス様のお身体の回復は……?」

「それどころじゃなかったわ。私だって、自分のことで精一杯だったし、私をこんな目に遭わせたのは彼なのよ。彼がどうなったとしたって、私の知ったところではないわ」


 一息にそう言い放ったブリジットを、オーレリアは悲しげに見つめた。


(……では、ブリジットは、ワイバーンに襲われたトラヴィス様には治癒魔法を掛けてはいないのね)


 ブリジットに付き添っていた父と母は、顔を見合わせてひそひそと話してから、戸惑ったようにオーレリアに尋ねた。


「オーレリア、そちらの方は?」


 両親の言葉に、ブリジットもようやく、姉の少し後ろからギルバートが静かに見守っていることに気が付いた。


 オーレリアはギルバートの隣に並んだ。


「ご紹介が遅れましたが、私の夫のギルバート様です」


 オーレリアの紹介を受けて、彼女の両親とブリジットに軽く会釈と挨拶をしたギルバートを見て、三人は揃ってぽかんと口を開けた。

 彼女の父とブリジットは、それぞれ信じられない様子で呟いた。


「貴方様が……ギルバート様? お身体を悪くなさっていたのでは……?」

「え……嘘でしょう? だって、お姉様は看取りに行くとかいう話で……」


 ギルバートは静かに口を開いた。


「これもすべてオーレリアのお蔭です」


 彼の言葉を聞いても、オーレリアの父は、まさか娘がギルバートを回復させたとは信じられずに、彼について事前に聞いていた話が誤っていたのだろうと思い込んでいた。

 一方のブリジットも、父と母が、姉の結婚相手についての正確な情報を伝えてくれてはいなかったのだろうと苛立っていた。


(お姉様に、そんな力があるはずないじゃない。それに……)


 今になって、ギルバートの顔が驚くほど整っていることに気付いたブリジットは、しばらく惚けたように彼に見惚れていた。


(お姉様には、顔にあんなに醜い傷があるのに。どうしてこれほどお美しい方と……?)


 ブリジットは、ギルバートとオーレリアを交互に見つめると、再び瞳に涙を浮かべた。


「お姉様ばかり、ずるいわ! あんな人を私に押し付けて、自分はそんなに素敵な方と幸せそうにして……!」


 自分がトラヴィスを奪ったことは棚に上げて、ヒステリックにそう叫んだブリジットは、オーレリアに向かってベッドの上の枕を投げ付けた。枕はオーレリアまで届かず、途中でぱさりとオーレリアの足元に落ちた。

 ギルバートが、オーレリアを庇うように彼女の身体に軽く腕を回した。オーレリアは遠慮がちに妹に尋ねた。


「ブリジット、何か私にできることは……」

「そんなものはないわ。お姉様の魔力で治るくらいなら、私自身の魔力でとっくに治しているもの」


 ブリジットは嗚咽を漏らしながら、夫に愛され、大切にされている様子の姉を見つめた。


「お姉様……もう、帰って」


 オーレリアは、妹が強情なことをよく知っていた。眉を下げた彼女は、諦めの表情を浮かべている両親とも視線を交わしてから、小さく息を吐いた。


「わかったわ、ブリジット。……それから、トラヴィス様は……」

「あんな方のこと、思い出したくもないわ。……ねえ、言ったでしょう? もう出て行ってよ」


 取り付く島もない妹の様子に、オーレリアはギルバートと目を見合わせると、最後に一言だけ彼女に告げた。


「……お大事にね、ブリジット」


 ブリジットから返事は返っては来なかったけれど、オーレリアはギルバートと一緒に彼女の病室を後にした。

 病室のすぐ外で控えていた看護師に、オーレリアは尋ねた。


「あの、妹が治癒師としてパートナーを務めていた、トラヴィス様はどちらに?」

「ああ、彼は、より症状が重いのですが……上の階の病室になります」


 オーレリアは看護師の後について、ギルバートと一緒に階段を上りながら、胸の中が鉛のように重くなるのを感じていた。


(あまり、トラヴィス様にお会いしたいとは思えないけれど。でも……)


 前回トラヴィスが訪ねて来た際、彼に魔法を掛けなかったことに、今ではどこか罪悪感を覚えていたオーレリアは、このまま彼に会わずに帰ることも憚られていた。

 看護師がノックをして病室のドアを開けると、ベッドの上には力なく横たわるトラヴィスの姿があった。


 恐る恐るオーレリアが病室に足を踏み入れると、トラヴィスが顔だけをゆっくりとオーレリアに向けた。


「オーレリア?」

「トラヴィス様……」


 トラヴィスは顔色悪くオーレリアを見つめた。彼の顔には、ブリジットのような爛れは見られなかったものの、首から下には包帯が巻かれている様子が服の合間から見て取れた。トラヴィスは必死に身体を動かそうとしていた様子だったけれど、オーレリアの方向に少し身体を向けるのが精一杯だった。


 彼はオーレリアの隣に立っているのがギルバートだと気付いて、みるみるうちに目を丸く瞠っていた。


「ついこの間まで、あなたは車椅子に乗っていたはずじゃ……」


 呆然として呟くようにそう言ったトラヴィスは、はっと目の色を変えてギルバートを見つめた。


「あなたは、オーレリアの特別な力を知っていたのでしょう? そうだ、そうに違いない」


(特別な力……?)


 ギルバートやフィルにも、何度か似たような言葉を言われていたことを思い出したものの、何も自覚のないオーレリアは戸惑いながらギルバートを見つめた。

 彼は首を横に振った。


「いや。オーレリアの力は、俺の側に来てくれてから初めて知ったんだ」

「そんなことを言っても、俺の目はごまかせませんよ。……だから、俺とオーレリアとの婚約が解消された後、すぐに彼女を攫っていったのでしょう?」


 トラヴィスはすっと瞳を細めると、ギルバートとオーレリアを交互に見つめた。


「……頼むよ、オーレリア。俺の身体を何とかしてくれないか。ワイバーンの炎を、避けられずにまともにくらってしまったんだ」


 縋るような瞳をオーレリアに向けたトラヴィスに、彼女は静かに問い掛けた。


「……貴方様のパートナーを務めていたブリジットとは、どうしてあのようなことに?」


 妹の言葉を思い返していたオーレリアに向かって、トラヴィスは顔を怒りに赤く染めた。


「ブリジットは、俺がワイバーンに襲われ掛けていた時、俺を見捨てて自分だけ逃げようとしたんだ! だから、俺は……」


 オーレリアは寂しげにトラヴィスを見つめた。


(きっと、トラヴィス様は、ブリジットとしっかり話し合わないままに魔物討伐を迎えたのね……)


 しっかりとした信頼関係を基礎に成り立っている魔剣士と治癒師ならば、相手を責め合うようなことはせずに、むしろ相手を庇い助けるはずだと、オーレリアはそう感じずにはいられなかった。

 トラヴィスは必死になってオーレリアを見つめた。


「お願いだ。本当に、最後にこの一度きりでいい。どうか、俺の身体が再び動くように、魔法を掛けてはもらえないだろうか」


 彼はなりふり構わず、ギルバートにも懇願した。


「あなたはもう、オーレリアの力でそれほどに身体が回復しているのですから、ほんの一度くらい、オーレリアの力を俺に貸してくれたっていいでしょう?」


 ギルバートは静かに答えた。


「それを決めるのは俺ではない、オーレリアだ」


 彼は穏やかな眼差しでオーレリアを見つめた。彼女には、ギルバートが、その言葉とは裏腹に、自分がこれからしようとしていることを既に理解していることを察していた。

 彼女はトラヴィスの横に進み出ると、ゆっくりと口を開いた。


「これきり、貴方様に私が魔法を掛けるのは最後です。ただ、貴方様が期待なさっているような効果が出るのかはわかりませんが……」


 トラヴィスは瞳を輝かせた。


「大丈夫だ、頼むよ」


 オーレリアは、かつて自分が治癒師として側にいた頃と比べて、見る影もなくなってしまったトラヴィスの隣で手を翳すと、彼の身体に意識を集中させながら、静かに魔法を唱えた。

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