別れ
トラヴィスは、ブリジットの言葉に満更ではなさそうな顔で笑った。
「それができるなら理想だが、オーレリアが首を縦には振らないだろう。彼女は俺に惚れ込んでいるからね」
確かに、オーレリアが今までトラヴィスを愛していたことは事実だった。かつて、顔に傷を負ってまでオーレリアがトラヴィスを庇ったのも、彼のことを想うが故だったし、そのことを後悔してはいなかった。けれど、彼の言葉を聞くうちに、今まで目を背けようとしてきた現実を思い知らされてもいた。
婚約したばかりの時は、トラヴィスははにかみながらも輝くような笑顔をオーレリアに向け、大切に扱ってくれていた。けれど、彼が名声を得ていく中で、オーレリアに対する彼の態度は少しずつ冷たくなり、時に感情のまま苛立ちをぶつけられたり、あからさまに邪険にされたりすることもあった。それに対して、彼女の妹であるブリジットには、トラヴィスは次第に甘い笑顔を向けるようになっていたのだ。
(トラヴィス様にはもう、私に対する気持ちは残ってはいなかったのね。なのに、私はそれを言葉で直接告げられてはいなかったからと、見て見ぬふりをしてきたのだわ)
傷付いて瞳に涙を浮かべていたオーレリアとは対照的に、ブリジットはふふっと無邪気に笑った。
「お姉様の長所は、身の程をきちんと弁えていらっしゃるところなの。……ねえ、そこにいらっしゃるのでしょう、お姉様?」
ブリジットに視線を向けられて、オーレリアは顔を引き攣らせたまま固まっていた。そんな彼女を、トラヴィスは焦ったように見つめた。
「オーレリア、いつからそこに?」
「……少し前からですわ」
青い顔をしたオーレリアを見つめて、ブリジットは微笑んだ。
「私たちの会話も聞いていらっしゃいましたよね? なら、トラヴィス様の婚約者の地位を私にいただけませんか。……最近、お父様とお母様も、お姉様がトラヴィス様の足手纏いにならないかと心配していらっしゃったのよ?」
(お父様と、お母様も……? それは知らなかったわ)
黙ったまま俯いたオーレリアに、ブリジットは畳み掛けた。
「お姉様、その醜い傷の責任をどうしてもトラヴィス様に負わせたいのでなければ、彼を私に譲ってくださいませ。……それとも、まさか、最近のトラヴィス様のご活躍はご自分の支えによるものだと、そう思い上がってでもいらしたのですか?」
トラヴィスの顔が不快そうに歪んだのを見て、オーレリアは首を横に振った。
「そんなことはまったく思ってはいないわ」
悲しげな瞳で、オーレリアはトラヴィスを見つめた。
「トラヴィス様。今まで私の元に貴方様をお引き留めしてしまい、申し訳ございませんでした。ご迷惑をお掛けしてしまったこと、お詫び申し上げます」
「……オーレリア」
頭を下げたオーレリアの元に近付こうとしたトラヴィスの腕を、ブリジットがすかさず掴んだ。
「トラヴィス様には、もう私がおりますわ。なのに、まだお姉様が必要なのですか?」
トラヴィスは無言のままブリジットから目を逸らした。けれど、オーレリアにもそれ以上の言葉は何もなかった。
やるせない気持ちを胸の奥に押し込めながら、オーレリアは最後にどうにか笑顔を作った。
「貴方様がブリジットを選ぶなら、私はそのお気持ちに従います」
「ありがとうございます、お姉様!」
ブリジットは、ぱあっと明るい笑みを顔いっぱいに浮かべると、ぎゅっとトラヴィスの腕に抱き着いた。
思わず涙が零れそうになり、オーレリアはすぐに二人に背を向けると小走りに駆け去っていった。
そんな三人のやり取りを、木陰から眺めていた少年の姿があった。
「ふうん……」
彼が思案気にオーレリアの後ろ姿を眺めていたことには、その場の誰も気付いてはいなかった。