二人の朝食
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翌朝、ギルバートの部屋のドアが軽くノックされた。ギルバートが返事をすると、ドアの陰からオーレリアが顔を覗かせた。
「おはようございます、ギルバート様」
「おはよう、オーレリア」
オーレリアはギルバートの側に近付くと、気遣わしげに彼を見つめた。
「昨日はたくさんお時間をいただいてしまいましたが、あの後、ゆっくりお休みになられましたか?」
「ああ。君が掛けてくれた魔法のお蔭か、久し振りにぐっすり眠れたよ」
「そう伺って安心しました」
ほっとしたように微笑んだオーレリアに、ギルバートも笑みを返した。
オーレリアは明るい朝陽の差す窓の外を眩しそうに見つめた。
「今日はよいお天気ですね」
執事のアルフレッドが、少し前にギルバートの元を訪れ、カーテンと窓を開けていったところだった。窓の外からは、時折爽やかな朝の風が部屋の中に吹き込み、カーテンを軽く揺らしていた。オーレリアは、ギルバートが起きていることをアルフレッドに確認してから、彼の部屋を訪れたのだった。
「そうだね、清々しい晴天だね」
ギルバートはちらりと窓の外に目をやったけれど、それから視線をオーレリアに戻した。彼がなぜか眩しそうな瞳でオーレリアを見ていることに気付いて、彼女の頬はみるみるうちに染まった。
「……お身体の具合はいかがでしょうか」
「とても調子がいいよ。今までは、日毎に身体が重くなっていくようだったが、今朝は逆に、身体が軽くなったような感覚があるんだ」
明るい朝陽に照らされたギルバートの色白の顔は、昨日よりも心なしか血色がよくなっているように見えて、オーレリアは嬉しそうに笑った。
「それは何よりです」
「これも、君が来てくれたお蔭だよ」
(ギルバート様は、いつも私に優しい言葉をかけてくださるのね)
ギルバートは、前の婚約者だったトラヴィスとは正反対だと、オーレリアは改めてそう感じていた。
「環境が変わったばかりで落ち着かないかもしれないが、君はちゃんと休めたかい?」
「はい。私の方こそ、ギルバート様もお優しいですし、フィルやアルフレッド、それに屋敷の皆も温かく迎えてくださって、むしろ実家にいた時よりも居心地よく過ごさせていただいています。昨夜も、お蔭様でよく眠れました」
信じられないほどふかふかの羽根布団にくるまれて、幸せな気分で目を覚ましたことを、オーレリアは思い出していた。
「それならよかったよ」
穏やかな笑みを浮かべたギルバートに、オーレリアは尋ねた。
「ギルバート様、お腹は空いていらっしゃいますか? 朝食をお持ちしてもよろしいでしょうか」
「ああ。だが、君にそんなことまで頼んでしまってもいいのかい?」
オーレリアはくすりと笑みを零した。
「もちろんです。ギルバート様に嫁がせていただいたのですから、それくらいは私にさせてください」
ギルバートの口元が嬉しそうに綻んだ。
「ありがとう。ではお願いするよ」
「では、これからお持ちしますね。……まだ頼りないとは思いますが、妻としてギルバート様をできる限りお支えしたいと思っておりますので、どうか私には遠慮なさらないでください」
「ああ、本当にありがとう」
にっこりとギルバートに笑い掛けたオーレリアは、足早に彼の部屋を出て行った。
程なくして、オーレリアはトレイを手にして彼の部屋へと戻って来た。
「お待たせしました」
オーレリアはベッドの脇にあるテーブルにトレイを置くと、ギルバートに手を貸して彼の上半身を助け起こした。
トレイの上には、湯気の立つパン粥と、搾りたてのオレンジのフレッシュジュースが、それぞれ二人分並んでいた。
「まだ鍋にたくさん作ってありますので、もっと召し上がれるようでしたら、よかったらおかわりもなさってくださいね」
食欲をそそるチーズの香りが漂うパン粥を見つめて、ギルバートは彼女に尋ねた。
「もしかして、君が作ってくれたのかい?」
「はい。ごく簡単なものですが、お口に合うとよいのですが……」
彼の部屋を訪れる前に、オーレリアは屋敷のキッチンで手際よくパン粥を作っていた。貴族家の令嬢が料理をすることに、コックも驚いてはいたけれど、実家でも時々息抜きに料理をしていたオーレリアにとっては、何も特別なことではなかった。ギルバートのために食事を作ってもよいかと申し出た彼女に、コックも快く協力して、キッチンを貸してくれていた。
キッチンに戻ってから、オーレリアは手早くパン粥を温め直すと、絞ったオレンジのジュースを添えて、急ぎ足でギルバートの部屋を再び訪れていたのだった。
頬を薄く染めたオーレリアに向かって、ギルバートは明るく笑った。
「俺のために作ってくれてありがとう。いただくよ」
パン粥の皿とスプーンに手を伸ばした彼の手を、オーレリアは少し心配そうに見つめていた。ここ最近は、手元も覚束なくなることがあると、そうアルフレッドから聞いていたからだった。
手を貸した方がよいかと迷っていたオーレリアだったけれど、ギルバートの手付きが思いのほかしっかりしていることに安心していた。
(今日は、ギルバート様もさっき仰っていた通り、お身体の調子が良いみたいね)
一方、スプーンを手にしたギルバートは、内心で驚きを隠せずにいた。
(これまで、少しずつ身体の自由が利かなくなってきていたが、今朝は不思議と手に力が入るな。これも、彼女のお蔭だろうか……)
パン粥を口に運んだ彼は、思わずその口元を綻ばせた。
「とても美味しいよ。ありがとう、オーレリア」
「お口に合ったようで、よかったです」
オーレリアは薄らと頬を染めると、彼女もパン粥の皿とスプーンを手に取った。
(喜んでいただけたようで、嬉しいわ)
ギルバートと談笑しながらの朝食は、彼女にとっても心温まるものだった。包容力を感じる彼と一緒にいると、オーレリアは不思議と穏やかな気持ちになれた。けれど、それと同時に、彼の碧眼に見つめられ、美しい笑顔を向けられる度に、彼女の胸は自然と跳ねた。
(私、ギルバート様とこうして一緒の時間を過ごす度に、どんどん彼に心惹かれていっているわ)
胸の奥が熱くなるのを感じながら、彼女はギルバートに対する恋心を自覚せずにはいられなかった。トラヴィスとはまだ婚約を解消したばかりではあったけれど、彼の存在は、辛かった記憶と共に既に過去のものになっていた。
彼のパン粥の皿が空になると、オーレリアは彼に尋ねた。
「よろしければ、おかわりをお持ちしましょうか?」
「ああ、お願いしてもいいかい?」
オーレリアの顔がぱっと明るく輝いた。
「はい、すぐにお持ちしますね」
ギルバートは微笑みを浮かべて彼女をじっと見つめた。
「……こんなに朝食を美味しいと感じたのも、いつ以来かわからないくらいだ。これも、君が作ってくれて、こうして君と一緒に食卓を囲んでいるからだろうな」
これまで、あまり味も感じられないままに、喉に流し込むように食事を摂っていたギルバートにとって、鈍っていた全身の感覚が戻り始め、日常にも鮮やかな色が戻ってきたようだった。
オーレリアは、頬に熱が集まるのを感じながらにっこりと笑った。
「そう言っていただけると嬉しいです。私も、ギルバート様とこうして朝食の時間を過ごすことができて幸せなので」
赤くなった顔を隠すように、急ぎ足でおかわりを取りに向かう彼女の背中を、ギルバートは温かな瞳で見つめていた。
キッチンに戻ったオーレリアは、アルフレッドに遠慮がちに声を掛けられた。
「オーレリア様。これまで、ギルバート様のお食事のご用意や付き添いは私の方で行っていたのですが、来ていただいて早々、すべてオーレリア様にお任せしてしまって申し訳ございません」
オーレリアは微笑むと首を横に振った。
「私がギルバート様のお側にいたいだけだから、何も問題ないわ」
アルフレッドは、オーレリアの手にしたトレイの上の、空いている皿を見て嬉しそうに笑った。
「おや。今日は、ギルバート様は残さず召し上がられたのでしょうか」
「ええ。これから彼におかわりをお持ちするところなの」
オーレリアの言葉に、アルフレッドははっとしたように目を瞠ってから、その瞳に思わず涙を滲ませた。
「ギルバート様は食もどんどん細くなるばかりで、どうしたらよいかと心配しておりましたが、これもオーレリア様がお越しくださったお蔭ですね。……フィル様から、オーレリア様はきっとギルバート様の希望になると伺ってはいましたが、本当にその通りでしたね」
アルフレッドは、滲んだ涙を指先でそっと拭った。