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N.O.  作者: 水晶人
2/2

咆哮か、或いは慟哭か(2)了





「お嬢様は認識を改めた方がいいと思います」

 イオの声は、責めるような語調とは裏腹に、酷く淡白に聞こえた。

「彼等は復讐者です。彼等は己の命などより、人の命を奪う事の方が重要なのです」

 黒い三角帽子を風になびかせて、魔女は歌うようにさえずるように語る。

「もはや、彼等の寄る辺などこの世界に存在しない。それは、あのデカイやつが言外に語った事です」

「何故、断言できるの?」

「イオも――私も、同じ立場だからです。その気持ちは、痛いほどに理解できる」

 ユリアは何も言い返せない。イオの鉛の瞳は遠い過去を見ていた。

「我等が母なる大樹は既に燃え尽き、その灰から産まれた私たち姉妹は、我等最後の末妹」

 人間はあらゆる他者を踏みにじって、その権勢を確立してきた。

 巨狼の事だけではない。人間は人間同士でさえ、奪い合い、殺し合う。ただ、己のために。

「私は、人に拾われて人に育てられ、人として生きてきたからこそ、こうしているだけであって、もしも彼等と同じような境遇であれば、ただ生きているだけなど許容できない」

 鉛の瞳に感情は表れない。血と炎に彩られた酸鼻な光景にも、イオは何も感じない。

「だからこそ、私は彼等を殺したいと思った。お嬢様の心を傷つける、何よりも危険な敵を」

 その足元には、無残に食いちぎられた人の足が転がっている。内臓が食い荒らされ、ぽっかりと胴体に空洞が出来た首を失った死体が、燃え盛る家屋の屋根にひっかかっている。

 夜の帳の下、爛々と輝く赤い双眸。炎に照らされた銀毛は、恐ろしいまでに美しかった。

「その通り。我等は復讐の者。ただ人を食らうだけの、地獄の悪鬼と同じもの」

 血が滴る口元の牙には、小さな子供の手がぶら下がっていた。

「もはや、我等に命運は尽きている。聖地を奪われ、同胞の大半は無念の内に大地に還った」

 骨と肉を噛み砕く音、血が噴きこぼれる湿った音が、耳に響く。

「貴様等も例外ではない」

 一対の赤い光点が、二つ、三つと増えていく。その数は、もう十数程度しか見られない。

「……猟師たちを警告したというのは、虚言だったの?」

「さて、な。だが、我等は最早、人の肉を食らい皮を裂き、頭蓋を噛み砕く事でしか己を確立できない、最低最悪のケモノ。それ以上でも以下でもない」

 巨狼の長の言葉に、ユリアは絶句した。

 凄烈な意思が、灼熱する憎悪が、紅玉の瞳から感じられた。

「――人の言葉など、もう捨てなければなるまい。我等は単なるケダモノなのだから」

 威圧感が二人の体を否応無しに束縛する。怒りに燃える紅玉が二人を捉える。

「ゥォオオオオオオオオオオオルルルルルルルッッ!」

 その咆哮に、大地が震えた。爪が大地を削り、巨狼が風となって走り出した。

 憎悪の化身が迫りくる、この瞬間。ユリアは、自分は強くないのだと言う事を再認識した。

 この力も、武器も全ては借り物で、ただ運良く手に入れられたに過ぎない。

 ただの小娘である自分がこうして戦えるのも、全てはイオと、今は亡き義父の力なのだ。

 両手に持った《断頭台ヒルダ》が、重い。だが、振るわねばならない。

 敵は怒りに我を失った、哀れなケダモノ。もう、救う道は無い。

(いいえ――そんなものは最初から無かったのだわ)

 人としての身を捨てて、魔性に堕ちた身であれ、心は惰弱な小娘のまま。

 だからこそ、何も見えてなかった。何も聞こえなかった。

(イオは、最初から分かっていたのでしょうね)

 だからこそ容赦が無かった。殺す事でしか救う道が無いのだと、言葉ではなく行動で示していた。

 イオの思考は余りにも単純明快で、残酷なものだった。

 いや、残酷なのはこの世界の方なのか。他者を廃絶する事でしか自分を守る事の出来ない、この世界こそが。

 ――そう、だからこそ立ち上がったのでは無かったのか。

 理不尽な世界を打破し、人が人として平穏に暮らせる世界を手に入れるために。

 貴賎上下を問わず、誰もが笑顔で暮らせる国を作るために。

 全てを捨てて、理想と一つの言葉を胸に抱いて。

「――イオ、手出しは無用よ」

「分かっております、お嬢様」

 花咲くような可憐な笑顔。美しいもの、という意味の名前を持つ少女の微笑みに背中を押されて、ユリアは大剣を携えて走り出した。

 迎えるのは怒れる牙の群れ。牙を噛み鳴らして、巨躯が疾走する。

 先頭の巨狼が全身の力を解放して跳躍、と見せかけて急加速。

 ユリアは即座に対応し、ヒルダを槍のように構え、放つ。

 人外の膂力が乗った超重量の刃に正面から衝突した巨狼の頭部が一瞬で潰れ、首ごと体に埋没。剣尖に突き刺さったままの死骸を、牙をむき出しにする巨狼に投げつける。

 同胞の死骸を踏み越えて跳躍。更に二匹の巨狼が空中から襲い掛かる。

 刃が巨狼を貫通させるほどの膂力で振り上げた刀身の腹で一匹を吹き飛ばし、返す刃で二匹目の足を破砕する。二匹は前足や胸を破壊されて戦闘不能。

 三匹目は既に着地し、岩をも引き裂く爪が兜に命中。真っ二つに割れた兜が宙に舞い、黄金の髪と瞳が外気にさらされる。

 額が割れて、血が噴出す。視界が朱に染まり、苦痛が心を焼く。

「いあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 喉が潰れるほどの絶叫。渾身の力を込めてヒルダを振り上げ、下ろす。

 超重量の刃が巨狼の巨体を完全に両断し破壊、どころか衝撃で二つに分かたれた体が左右に吹き飛び、それぞれが血と臓腑を撒き散らし、それらが一瞬の雨となって降り注いだ。

 額の傷から血を流したまま、ユリアは突撃する。呼応するように数匹の巨狼が突撃してくる。

 その赤褐色の瞳には、同胞の無残な死を悼む色は無い。むしろ、自らの運命を受け入れたような、冷たい静謐があった。

 だが、ユリアにはそれを感じ取るだけの余裕が無い。苦痛が、疲労が、失意が、ユリアの目と心を侵していた。

 ――両者が激突する。

 片手で振り切られるヒルダの軌道上にあった首と足が砕けて吹き飛ぶ。ヒルダを振り切った隙をついて、右腕に食らい付いた巨狼の顎が閉じられる。

 甲冑ごと右腕が噛み砕かれるが、苦痛を無視して左手にもったヒルダの柄頭で巨狼を殴りつける。砕けた眉間から血を流して、巨狼が右腕から離れる。

 ユリアは出血の止まらない右腕を放置して、ヒルダを手放した。左手でアルーシャを抜き、飛び掛ってきた巨狼の腹の下に飛び込んで左手を大きく一閃。腹部を縦に裂かれた巨狼が苦痛の声を上げて地面に激突する。

 弓手からの爪の一撃を上体を捻って躱し、反動を利用して刃と全身を左方向に回転させて掲げられた前足を切り飛ばす。次いで喉に刃を引っ掛けて引き裂いた。

 自分の方へ傾斜してくる亡骸を後方に跳び退って避ける、が馬手から回り込んできた巨狼に吹き飛ばされ、崩れかけた家屋の壁に衝突。いくつかの壁を貫通しながらそのまま突き抜けて、反対側に出た。

 地面に叩きつけられた衝撃で胸が圧迫され、呼吸が一瞬止まる。何度も咳き込みながら、ユリアは自分の負傷の程度を確認する。

 右腕は血塗れの皮袋と化してぶら下がっているだけ。今の衝撃で肋骨がいくつかやられたかも知れない。額の出血で視界が制限されている上に、右腕との出血で意識が朦朧としていた。

 既に戦闘能力は半減していて、このままでは命さえも危うい。

 それでも、ユリアには退く理由が無い。退けない理由だけが、その胸に刻まれている。

 拡散する意識を強引に繋ぎとめて、重くなった足を必死に上げて走り出す。

 激痛から逃避するように、ただひたすらに敵の姿を探した。探すまでも無く、目の前に巨狼が飛び出してきた。

 剣を振り上げる。剣尖が震えた。力が抜けて、体が前に傾斜していく。

(ここ、で……終わ、る、の?)

 心は前に進んでいる。肉体が追いつかない。貧血で蒼白になった顔が地面に落ちる。

 苦痛に意識が削りとられていく。

 そして、視界が暗転。

 闇に落ちる。










 ――誰かが呼ぶ声が聞こえた。





















 気配を感じて、ユリアは目を開いた。

 痛みは無かったが、体は動かなかった。

 記憶が混濁している。意識は撹拌した水のように渦巻いていた。

 眩い光に目を細めながら、ユリアは混乱する自分をなんとか落ち着かせようとした。

 とりあえず、ここがどこなのかを確認すべく前に目を向けた。

 眩い光を切り裂いて、天高く枝を広げる、雄大な大樹が視界を覆った。

 数百年を生きる大樹の下に設えた、丸いテーブルを囲んだ三つの椅子に、二人の少女と一人の老人が座っていた。

 黄金の髪と青玉の瞳の少女が、嬉しそうに老人に話しかけている。

 片や、鉛色の瞳と髪を持つ少女は、顔を伏せて黙り込んでいるだけだった。

 老人は、二人に柔和な笑顔を向けて、何事かを語りかけている。

 それは、ユリアの幼い日の光景。

 イオノプシスという友人が出来た日の出来事。

 自分の過去の光景を、他人事であるかのように、ユリアは眺めていた。

 涙が溢れるほどに懐かしい景色。

 もう戻れない、人としての幸せの在り方。

 何故、こんなところまで来てしまったのだろう?

 心の奥底から、水面で弾ける泡のように、疑問が心の中に浮かび上がる。

「それが、君の選んだ道なのだろう?」

 老人の涼しげな声が耳朶を打つ。

「私の遺志と教えを受け継ぎ、立ち上がったのだろう?」

 嗚呼、と声が漏れた。老人の深い藍色の瞳が、優しい光を湛えていた。

「ノーブレス・オブリージュ。私たちがその魂に刻むべき言葉」

 涙が溢れた。懐かしさではなく、己の弱さ故に。

「痛みを胸に刻み、悲しみを糧に、誇りを心に背負って、君は立ち上がった」

 老人の右の人差し指に嵌った指輪が、白銀の輝きを放つ。

 それは、今、ユリアの指に嵌っているものと同じもの。

 N.O。

 ノーブレス・オブリージュ、誓いの言葉が刻まれた、誓約の証。

「さあ、いきたまえ。ここは君の来るべきところではないよ」

 老人の言葉に頷くと、景色が急速に遠ざかっていった。

 意識が光に飲まれていく。


「――――ユリアお嬢様」


 誰かが呼ぶ声が聞こえた。

















 唇に、柔らかい感触がある。それが最初の感覚だった。

 苦痛に顔を歪めながら、ユリアの目蓋がゆっくりと開かれていく。

「お目覚めになりましたか。お嬢様」

 鉛色の瞳と黄金の瞳が出会う。背景には、火種が燻る炭の塊と化した家屋が並んでいる。

「……イ、オ?」

「はい。イオですよ、お嬢様」

 無邪気なイオの笑顔が、目の前にあった。どうやら、膝枕をされているようだった。

「う、何で……」

 立ち上がろうとすると、激痛。痛みの下を目で探ると、砕けた甲冑を外された右腕が、沸騰するようにして急速に再生していた。

 イオの唇の傷から血が一滴漏れる。それで合点がいった。

「血を、分けてくれたのね」

「はい。イオの眷属であるお嬢様には、イオの血は最高の治療薬です」

 意識を取り戻す時のあの感触は、つまり、そういう事なのだろう。

「――って、イオ? なんで、唇から、あれ? ええと……」

「うふふ、今更恥ずかしがる事なんてないですよ、お嬢様」

 イオの言葉にユリアの顔が沸騰する。

「な、ななななななな、なんてことを……!」

「もう、ユリアお嬢様ったら、かーわいい」

 くすくすと笑うイオに釣られて、顔を真っ赤にしたユリアもぎこちなく頬を綻ばせた。

 イオの手を借りて立ち上がり、周囲を見回す。夜は明けており、巨狼の姿はどこにも無かった。

「……彼等は?」

「追い払いました。ここの狭さと家屋が邪魔して、私の魔法もあまり役に立たず、殲滅するまでには至りませんでした」

 イオが残念そうに言った。ユリアは、どこか安心したように肩を落とした。

「そう……でも、イオが無事でよかった」

「それより、お嬢様が無事で何よりでしたよ」

 表情は優しげだったが、言葉には棘があった。

「次からは、何と言われようと、イオがお嬢様を守りますからね」

 ユリアは思い出した。小さい頃、まだ言葉も話せないイオに、自分は同じような事を言ったのを。

 何の因果か、今度は自分が言われていた。なんとも皮肉なもので、可笑しくなって、ユリアは笑った。泣きながら笑った。

「どうしたんですか、お嬢様。まさか、頭でも打ったんじゃ……」

「馬鹿ね」

 握り拳をイオの額に押し付けた。イオは理解不能というように目を瞬かせる。

「ああ、で、巨狼の方はどうしましょうか。もう群れとさえ呼べない数ですが、小さな集落や猟師に対しては十分すぎる脅威ですけど」

 イオはユリアの心情を汲み取る事もせずに言う。ユリアは小さく溜息を吐いて、首を横に振る。

「いいえ。私たちは、依頼人の下へ帰って、結果を報告しましょう。完全ではないにせよ、八割方依頼は達成できたのだし、何より、たまには税を搾り取るだけの領主にも働いてもらわないと」

「それもそうですね」

「報酬が減額になるのは、避けられないでしょうけどね」

 全身が痛みを訴えるのを無視して、ユリアは歩き出した。そこここに散らばった自分の武具を拾い上げる。

 《断頭台ヒルダ》の重みが、今は頼もしい。

 《閃くものアルーシャ》が陽光を反射して煌めく。

 それぞれを背と鞘に収めて、無残な有様を見せる元集落の光景を目に焼き付ける。

「さて、まずは集落の人々の弔いから、始めましょうか」

 死者を弔うという人間独自の文化を理解出来ないイオは、不承不承というように頷いた。

 朝日が二人を照らし、そして、その恩恵を全ての生けとし生けるものに振り撒くために、空を昇っていく。

 あの朝日のように、万人にもたらされる平和を築き上げるためにも。

 そして、老人と交わした約定を果たすために。

 自分はもっと強くあらねばならない。

 かつての誓いを、強く強く思い描いて、ユリアは前を見据えた。

「クリストファのおじさま。私は、決して諦めません。どうか、見守っていて下さい」

 その声は誰にも聞かれる事は無く、空気の中に溶けて消えた。

導入というか、プロローグ的なお話です。

実際はここに投稿する事を念頭に入れていなかったので、微妙な長さからそういう扱いにしておきます、的な!

そういう事でまあお願いします。

次話投稿は結構先になりそうな風味がしますね。

それでは、水晶人でした。

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