切り裂きジャックとの対峙――凶器の正体、ついに判明す
世間の関心から事件の記憶が薄れだし、そろそろ本格的な梅雨の便りもありそうな頃、和久井朝香は重い足取りで阪急梅田の改札をくぐった。元々内向的な性格の彼女にとって、営業回りほど苦い仕事は存在しなかった。
――新しい製品、どう話してみよう。
元来が技術畑の人間ということもあって、新製品の性能をうまく伝える点においては有利だったものの、ほかの口八丁・手八丁の面々と比べれば決して営業成績は芳しいものではない。悪く言えば、派手さがないのである。その部分が日々、彼女の中にどす黒い感情を渦巻いていなかった、といえばウソにはなるのだが――。
「――あ」
ふと、顔を上げた朝香の視界に、見覚えのある立ち姿がうつった。人からたぬき顔、などと呼ばれる自分とは対照的な、細身の体躯にタイトスカートの似合う、きれいにウェーブをかけた長い髪――。中学時代からの旧友、大津智花が、いままさに宝塚線の電車から降りて、改札を抜け出ようとしているところに朝香は遭遇したのである。
――どうしよう。
うなじを伝う冷汗に、朝香の鼓動はどんどんと高まってゆく。いっそやめようか、という気持ちがないわけではない。だが、ここを逃せば後がない――朝香の決意は固かった。
――やるしかない。
履きなれないハイヒールで、きれいに磨き上げられたリノウウム張りのホームを小走りに歩く朝香は、どんどんと智花との距離を縮めていった。
――もう戻れない、止めるなら今しかない!
ないまぜになった感情があふれて、両の目元がうっすらとにじむ。もう数歩先には智花がいる――そうなった時、不意に後ろから、
「止しぃなお姉さん。勇み足は、おまわりさんらに任せときましょ」
そう声をかけられて、朝香はストップモーションでもかかったように立ち止まり、膝からカクリと崩れ落ちてしまった。それと同時に、人混みに紛れていた私服の警官が数名、石坂刑事や有作と一緒に、智花たちの前に姿を現した。
「――府警本部のモンです。大津さん、実はちっと、お伺いしたいことがありましてなぁ」
石坂老刑事がそう言い終わるか終わらないかのうちに、突然、智花はスーツのポケットから小さなものを出して首筋へ当て、来ないで! と叫んだ。周囲の視線が改札口へと釘付けになる。
「お嬢はん、もうとーっくの昔に、ネタはあがっとるのや。ここで大人しく引き下がれば、まだ罪は軽うて済む。だから、もうこんなことはおよしなさい」
「智花、お願い。怪我をするのはわたしでもうおしまいにして。だから……」
石坂刑事と朝香の言葉がゆっくりと染みたのか、大津はしばらく、手を震わせながらその場に立ち尽くしていたが、やがて右手に持っていたものを床に放り投げ、優しい顔の老刑事へ、半べそを掻きながら両の手を差し出すのだった。
そして翌日、新聞はこぞってこの逮捕劇の様子を書き綴った。ことにあるスポーツ紙の見出しは、その端的な表現が実に大きな反響を呼ぶこととなった。
「梅田の切り裂きジャック」捕まる
凶器は鋭利な「定期券」 研いだICカードで七人襲う