表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/5

消えた凶器と被害者たちと……

 そして迎えた当日、大阪駅へついたばかりの二人は、自分たちを嘲笑うかのように起きた七件目の凶行の様子を確かめるべく、老刑事の案内で阪急梅田の改札口、規制線の中へと一歩踏み入れた。

「――こらかなン、この分やと、さぞ傷口も広いやろうなあ」

 改札に入るなり、鼻を突くように漂ってきた血の匂いに思わず顔をしかめると、浮音はそっと、現場保存に動き回る鑑識班員の背中越しに、凶行のあったらしい一角へ目を向けた。黒のリノリウムをひいた上に広がる真っ赤な血だまりは、その毒々しい色彩をプラットホームのかたすみに称えながら、被害の凄惨さを静かに物語っていた。

「オイ、ぼん、ガイシャはどうした」

 規制線の張られた改札をくぐると、石坂刑事はぼん、と呼んだ若い巡査を警官に様子を尋ねた。

「いま、そこの事務室で手当てを受けております。動脈をざっくり斬ったようで、それぞれ二人がかりで運び込みました」

「そうか、だから血が点々と続いて……」

 有作の言葉の通り、問題の血だまりから事務室のドアの前へ、大小入り混じった赤い点が間隔もいびつに続いている。それを一べつすると、浮音は袂へ手をひっこめ、あまり気持ちのエエもんやないな……とつぶやいた。

「それよりイシさん、あの話ホントやったんですね。僕ァてっきり……」

「アホ、六人通り越して八人やられとるんやぞ。ここまでせなんだら、捕まえられんやないか」

 野次馬が並ぶ改札口を背に、石坂刑事は小柄な体躯に似合わぬ大きな声で若い警官をドヤしつけた。もっとも、プラットホームと改札との間の出入りはおろか、各方面に向かう特急や準急、急行を止めてまで現場を保存しているのだから、若い巡査のつぶやきは無理もない話だったのだが――。

「阪急さん、よう許しはりましたなァ」

 事情を察した浮音が、袂の中から手を戻し、腕組みしたままあたりの様子を伺う。

「なにせここは大大阪のターミナルだからな。一本電車が入ってくりゃ、入れ替わり立ち代わりに神戸行き、京都行きが来る……逃げるには格好の場所やないか」

「間違いない。封鎖せなんだら、みすみす逃がすようなカッコになる」

 肩をすくめる浮音に、石坂刑事はポケットへ手を突っ込んだまま、

「で、阪急電鉄との申し合わせで、今度事件があったらこうしてよろしいと、こういうことになっとるんや。アチラさんも切り裂きジャックのせいでずいぶんブランドイメージに傷いっとるから、神経質になっとるのや」

 と、ずらりとならんだ特急、急行、普通電車のマルーン色のボディをにらんで呟くのだった。

「けどカモさん、ここにいる全員を取り調べるっていうのは、ちょーっと骨が折れそうだよ。――石坂さん、もちろん全員調べるんですよね」

 有作の問いに老刑事は当たり前やろ、と返す。

「そのためにわざわざ、府警本部や所轄警察、鉄道警察隊まで動員して応援呼んどるんや。身体検査、所持品検査で、怪しい奴はあぶり出しじゃ」

 どこか鬼気迫る老刑事の口ぶりに、浮音と有作は互いを見やり、これでひとまず見つかればカステラの分はチャラだろう、と、どこか呑気に構えていた。


 ところが、夜の八時過ぎまでかかって行われた身体検査の結果は、ことごとく大阪府警にとって不利なものとなった。

 ホーム上に居合わせた数百人近い乗客の所持品からは、ひとつとして凶器らしいものは見つからず、金属探知機は家の鍵や小銭入れにばかり反応をするという始末。おかげで翌日のニュースはどれも、大阪府警の物量作戦の失敗を責める論調のものばかりで、捜査関係者を辟易とさせたのだった。もちろん、その中には浮音と有作の二人が含まれていたのは言うまでもない。

「『府警「梅田の切り裂きジャック」また逃がす』か。なかなか厳しいこと書かれてるねえ」

 腹ばいになって新聞を読んでいた有作の言葉に、座布団に収まっていた浮音も黙って首をしゃくる。

「こらぁ、名誉回復にゃあ時間かかりそうやなあ。――さて、ひと段落着いたし、ちょっと休もか」

 座卓の上からピースの箱を取り、一本つけた浮音は、天井に向かって紫煙をまき散らした。その隣には、該当箇所を赤鉛筆で囲んだ朝刊が、山のように積まれている。

 昨晩、終電で京都へ戻り、昼過ぎまで深々と眠っていた二人は、朝昼兼用の食事を済ませてからかれこれ、二時間ばかり朝刊の山と戦っていた。が、どれも載っているのは昨日現場で石坂刑事を通して知りえたことを反芻するばかりで、目新しい情報はどこにもなく、浮音と有作を失望させるばかりだった。

「被害者二人はいずれもセールスレディ。それぞれストッキングの上から足を切りつけられて転倒、出血……。あんなにざっくり切られて、障害の残らなかったのは奇跡としか言いようがないねえ」

 淹れたお茶をめいめいの手元へ置きながら、有作は湯気を吹き吹き、被害者二人の様子をそらんじる。

「そこが問題なんよ。ほんまに殺したいなら、駅よりも暗がりで襲い掛かった方が手っ取り早い。なのに相手は、わざわざ人目に付くような場所で凶行に及びたがる……。『梅田の切り裂きジャック』、よっぽどの自信家やで」

 ピースの灰を落とすと、浴衣姿の浮音は足を崩し、疲れでしびれた舌へお茶を流し込んだ。

「タチが悪いンは、凶器が出てこんかった、ってところやな。ストッキングの縫い目や網目をすっぱり切ってまうシロモンやで? そんなに切れ口のいいもん、傍目に凶器に見えなくたってすぐボロが出そうなもんやないか」

「見えない凶器を持つ犯人……。またえらい相手にかちあっちゃったねえ、カモさん」

 お茶受けが何かないか、戸棚を探していた有作が背中越しに返すと、浮音は眉をハの字にして、

「心理も分からん、凶器も分からん。こらちょーっと面倒くさい相手やで、今度のは……」

 と、偽らぬ胸の内を有作へ吐露するのだった。

 休憩も済み、ひとまず朝刊との格闘も終わると、二人は気分転換に、台所からコーヒーサイフォンを持って来、淹れたての薫り高いモカで昨夜からの肉体的・精神的な疲労をささやかに癒した。

 が、そのくつろぎの残り香も消えきらぬうちに、二人は不承不承、御所西の京都府警本部へ出向くことになった。広域での前科者洗い出しのため、関西の各警察本部へ配られた捜査資料の写しがちょうど京都へ着いた頃だから――という石坂刑事の親切心からの電話を知らん顔するわけにはいかなかったのである。

 府警本部の職員隣席の元、黒の綴じ表紙にしたためられた「梅田連続傷害事件 資料」という題字を一べつすると、浮音はさっそく、中へ目を通すことにした。資料の内容は、ここまでに行われた所持品検査・身体検査の結果の一覧や、昨夜の事件の折に撮影された所持品の写真、それに付随する被害者たちの情報といった、普通ならば一般人へは渡ることのない一級資料の山であった。

「すごいねえ、所持品の詳細と一緒に、年齢から性別、職業まで書いてあるよ。普通ここまでやるかなあ」

「そこまでせんとよう捕まらんと、大阪府警も焦っとるんやろ。ここまでの努力がなぜか実らないのが不思議でかなンな……」

 詳細を極めるリストの出来に、二人は舌を巻きながら目を通した。

「大したもんやで、被害者だけでもずいぶん細かく書いてあるわ。鞄に入ってた化粧品から財布の種類、ハンカチなんかも載っとる」

「でも、ちょっとこれは余計な気がするなあ。項目の『鞄(やや傷あり)』だとか、『ICOCAとパスケース(上からステッカーが貼られている。ケースはすれた傷あり)』とかの補則は余計じゃない?」

「まあ、そこは許してやりぃな。こういうとこも必要になってくる場合があるやろうし……。へえ、この人太平シザーの営業さんかぁ。ほら、僕の使うてる両刃のカミソリ。あれのメーカーやで」

「――カモさん、いい加減僕みたいに電気カミソリにしなよ。寝ぼけて顔切るの、今年で何度目?」

 有作の言葉に、髭をあたるジェスチャーをしていた浮音は思わず右頬を抑える。今朝方、寝ぼけ眼でカミソリをあてていた浮音は、うっかり刃を横へ滑らせて顔を切り、洗面所いっぱいに広がる悲鳴を上げたばかりだったのである。

「――このォ、痛いの思い出させてェ……」

「ごめんごめん。で、どれがなんだって?」

 有作のフォローに浮音は苦い顔のまま、被害者の資料の一番最後のページ、第八の被害者・和久井朝香の写真と項目を指で示す。ほかのセールスレディやOLの派手そうな雰囲気と違い、どこか幼げな顔立ちの彼女が浮音にはひと際目立って見えたようだった。

「何々、『昨年度まで設計部に在籍。春より営業部へ異動。勤務態度は良好。性格温厚。第二の被害者、大津智花とは中学・高校時代からの古い友人』。こんなとこまでよう調べてるな。――ほほう、『設計部では握りやすい持ち手を考案し、それにより同社は実用新案を取得す』。専門は刃と違うらしいなァ」

 そう言いながら、浮音は逆向きに資料をめくって笑って見せる。今度は同じ現場にいた第七の被害者・大津智花の資料が出たが、こちらは和久井と対照的に、派手好きなで自信家な印象がわかる鋭い目つき、アイロンを丁寧にかけた髪の目立つ、モデル誌から抜け出たような人物だった。

「見てみぃ、こらまたファッション雑誌のモデルさんみたいな人やで。ほう、オーラ化粧品のセールス担当で、売り上げはなかなかのもの、か」

「こんなに性格も違いそうな二人なのに、友情って不思議なものだねぇ」

「まあ、友達付き合いって、当事者以外から見たらそんな風に見えるもんなのかもしれんで――」

 そこまで呑気に話をすすめていた浮音だったが、何か思い当たることがあったのか、とあるページへ差し掛かったところで彫像のように固まると、机の上に置いてあった巾着袋の中から、愛用の拡大鏡を取り出し、丹念に資料へ目をやった。浮音が覗き込んでいるのは大津智花の所持品をリストアップした箇所で、鞄から財布、手帳に至るまで、高級ブランドで固めた持ちものの数々がぎっしりと記載されている。

「どしたの?」

 食い入るように紙面をのぞく浮音に、たまりかねて有作が尋ねる。

「――あかん、印刷だとまるでわからん。石坂さんに頼んで、原本を見さしてもらわんといかんな。お巡りさん、ぼちぼち帰りますわァ」

 浮音の妙な様子を有作は訝しんだ有作が、矢継ぎ早に資料を片付け、荷物を支度する浮音にすっかりペースを奪われてしまい、質問のいとまもないまま、府警本部をあとにする形となった。

 有作の手による五目飯と塩サバ、粕汁の夕食が済むと、浮音の提案で、今夜はもう事件の話は止そう、ということになった。が、めいめい部屋へ引っ込むのもどうにも味気がないということで、二人は居間にとどまり、浮音は読みさしの本を開き、有作はイヤホンをつけてテレビを見ていた。

「痛っ」

「どしたぁ、佐原くん」

 時計が九時を差そうとした頃、ページの終わりに差し掛かっていた浮音は、有作の悲鳴に顔を上げ、右手を抑えて苦しむ同居人の元へ寄った。見れば、抑えた指先から真っ赤な血がしたたっている。

「どないしたんや、こんなひどい傷……」

 救急箱を持ち出し、マキロンと絆創膏を出す浮音に、有作は苦い顔をしながら答える。

「番組が終わったから、なんか本でも読もうと思って、マガジンラックへ手を伸ばしたんだよ。そしたら、はずみでページの角で指切っちゃって……」

「あー、マイニチグラフで切ったんか。この雑誌、紙が丈夫すぎるんよ」

 マキロンで湿した脱脂綿で傷口を拭き、絆創膏を巻いてやりながら、浮音は有作が指を切ったグラフ雑誌の固すぎる紙質を思い出して苦い顔をした。ところが、手当が済むなり、浮音はうっすらと血のにじんだマイニチグラフを手にして、しきりに問題の個所をめくり、指でつつきだしたではないか。

「カモさん、別に気にすることないよ。洗いものしたあとでふやけてたから、切れやすかったんだよ」

「――まあ、そういうもんかもしれんな。ちっと電話してくるよって、風呂は先に入っててちょうだい」

 救急箱を元へ戻すと、浮音は灰皿とピースを手に、廊下にある電話の方へと歩いて行った。灰皿まで持ち出すのは長電話の合図だと悟ると、有作はそのまま三十分ばかり長風呂を楽しんだが、ちょうど脱衣所から出かけたところで、浮音と相手――どうやら石坂刑事らしかった――とのやり取りをかろうじて聞き取ることが出来たのだった。

「――ひとつ実験してみんことには何とも言えまへんけれど、僕はそいつが凶器やと思うんです。ま、あとは写真のほう、よろしゅうお願いします、ほいじゃごめんください……」

 受話器の置かれた黒電話から、リン、という涼しげなベルの余韻が真夜中の廊下にこだました。


大大阪だいおおさか……大正末期から昭和初期にかけての大阪の呼び名の一つ。人口や工業生産量が首都である東京を上回ったことからこの呼び名がついた。使う人は今でもたまにいる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ