3rd Stone
「ようこそ、大門下町へ」
――時が止まったかのような感覚。
特別なことを言われたわけでもないのに、不思議な空気感に動けなくなる。
パチン、
ルパンが指を鳴らす。
周囲の音が戻ってくるような、魔法が解けたかのような感覚。
思わず玲を見遣るも、変わった様子はない。
ルパンが何事もなかった風に続ける。
「で、暴走を監視している途中で度々君の姿を見かけたから招待してみたってわけ」
金の球体が存在を示すように羽根を一振り。
……メアリー。
「……って、ちょっと待った!じゃあ、さっきの一部始終も視てたってこと?」
助けてくれてもよかったのでは、との意を込めて真央がルパンを睨みつけるが、涼しげな微笑みが返ってくる。
「そもそもアンタら一体何なの、ほんと。アレの何を知ってるのさ」
「あれ、君はその辺の凡人たちとは違ってそれなりに理解力が高いと思ったのだけど」
ルパンに微笑を浮かべたまま疑問を返され、真央は思わず眉間に皺を寄せる。
「ふふ、冗談だよ。そんなに怖い顔をしないでおくれ。……いやぁそれにしても。君たちがこんなにあっさり仲良くなってくれるなんてね」
「ちっ。仲良く無ェ」
なぜか玲が顔を歪めて舌打ちを一つ。
「そう?私以外にも魔術師の友人ができるなんて喜ばしいじゃないか」
「黙れこの化け狐。いつお前と友達になった」
「ひどいなあ」
じゃれ合いのような応酬を続ける玲とルパン。
ふと、ルパンが組んだ指に視線を落とす。逡巡するような間の後、真央に視線を向けた。
「うん、そうだね、まずは私たちについてか。チームKANSAIは魔法で人助けをする秘密結社みたいなものだよ。さっきのクジラみたいなのから市民を守る。いやー、それにしてもあんなに堂々と立ち回っちゃって。ありゃ絶対にあちらさんにマークされたよ」
えらく楽し気なルパンの声。
真央は視線で不本意だと訴える。
まあ、と気を取り直すようにルパンが続ける。
「結果オーライだ。君がさっき介入したのは正解だよ。その点は私が保証しよう」
突然飛んだ話の流れに真央が眉を潜めるも、ルパンは楽し気な調子を崩さず続ける。
「まあぶっちゃけ私は君の能力に興味がある。周囲から魔力を集めるなんて珍しいじゃない。というわけで、協力してみないかいというお誘いが今日の主題だ」
「……え?」
「玲君を貸してあげるし、お望みならばコユキさんの警護も請け負おう。もちろん今日のことは綺麗サッパリ忘れて帰っても構わない。ただしその場合、奴らの追撃を自力で躱しながら孤軍奮闘することになる」
答えはハイかYESってわけか。……だが。
「ちょっと待って。そもそもクジラってのは結局何なの。それに魔法使いで秘密結社って…」
「ぷっ、あはは、そっか。そうだね。君はこの界隈についてだいたいを知っているようで何も知らない。いやあ、しばらく『こっち側』の人間としかつるんでいなかったからつい」
なぜか爆笑寸前のルパン。よく笑う男だ。
「ねえ、昼間のミステリアス感はどうしたの」
真央が思わずといった風に零す。
ルパンはひとしきり笑うと、ごめんごめんと適当に謝る。
立てた人差し指を弧を描く口許に持ってくると、目を細めて続けた。
「座礁鯨、って知っているかい?」
「いや」
「だろうね。仲間になるなら教えるよ」
「……」
「ごめんって。怖い顔しないで」
冗談か本気か分からないテンションでフォローしたルパンが続ける。
「鯨の自殺、なんて言われてもいるんだけどね。原因不明で座礁した個体が見つかることがあるんだよ。魔力の暴走による自滅がそれに似ているから、我々はクジラと呼んでいる」
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
「で、クジラは個々人の異常ではなく、指示系統がある集団だと推察している。彼らは自棄になったとき、特に魔術師を狙って自滅に巻き込んでくるからね」
「……。なんでだよ。魔術師を憎んだテロリストってことか?」
「あは、そのくらい単純ならむしろありがたいんだけど。詳しい目的はまだ不明。今のところ分かっているのは、対人攻撃のリミッターが外れた魔術師の集団ってことかな」
「リミッターに干渉できるやつがいるってことか?」
「さあ。それも含めて調査中さ。そしてそのヒントは今、君の手中にある」
含みのある笑顔でルパンがすっと真央の懐あたりを指さす。
「さっきの石、解析してみようじゃないか。クジラは追い込まれると自害してしまうからね。石を回収できたのは初めてだよ」
石は術者が魔術師ではなくなると『中身』が消失する。つまり、生きているうちに回収しなければ解析はできない。
「……お前らを信用できるって証拠は?」
「この件に関して、私を信用できるかどうかは関係ないさ。君が実際何を知っているのか知らないけど、さすがにその石を今すぐ解析する術はないでしょう?」
つまり、さっきの男が消されるまでに石の中身を見るにはこいつらを頼るしかない、ということだ。何もかもお見通しという態度が癪だが、確かにその通りだった。
真央がポケットから黒い石を取り出すと、玲が無言で掌を差し出した。
そこにそっと石を乗せる。
受け取った玲が石をつまんで一周眺めた後、流れるような動作でそっと右手をかざす。
眼を閉じ、集中するかのように一つ息を吐く。
――空気が変わった。
どことない緊張感に、真央は思わずこぶしを握る。
ひょい。
いつの間にか移動していたルパンが玲の手から石をつまみ上げた。
「おい、邪魔するな」
一瞬のうちに静謐な空気を霧散させ、目を開けた玲が低い声で唸る。
「ふふ、特別に私がやってあげよう。キミの力は取っておきなよ」
もったいぶった口調で割り込んだルパン。
ものすごく不本意そうな表情を浮かべながらも、玲はあっさりと手を引いた。
ルパンは左手の手のひらに石を乗せると、右手の人差し指を当てる。
ヒュン。
あっさりと、何の前触れもなく。ルパンの顔ほどの大きさの魔法陣が空中に現れた。六芒星にさらに線を増やしたような幾何学模様や、見慣れない文字列がくるくると回る。
「へぇ」
真央は思わず机に手をつき、身を乗り出すようにして顔を寄せた。
見た目は完全に魔法陣然としたそれを至近距離で観察する。
「ふふ、珍しい?あまり人前でやる作業でもないからね。そういう反応は久々だ」
「珍しいも何も、見たことないよ」
数式のようなものをじっと見つめていたルパンが、いくつかの文字に触れる。
キュイン。
突然、くるくると舞っていた文字が蠢く。星座のようなものが浮かび上がった。
「おい…これって」
真央が口元を引きつらせる。先ほど男の腕に浮かんだ赤い痣に酷似している。
「人為的、でビンゴかな」
「でもこれ、外を攻撃しろ、って命令じゃない?自滅って感じじゃあない」
「おや?真央君、式が読めるのかい」
「いや、直感で何となく。あれ、これはどういう意味なの?」
真央が中心部の文字列を指してルパンに問う。
「ありゃ、目ざといね、これは……」
ルパンが目を細めた、瞬間。
パキン
石にヒビが入ると、そのまま砕けた。
空中を待っていた式もサラリと消える。
「……」
沈黙。
「……ご愁傷さま、かな」
感情の読めない声でルパンが呟く。
「んなっ……」
一瞬遅れて事態をのみ込んだ真央がルパンを見遣る。つまり、術者が今まさに消されたということか。
ふ、と息を吐いたルパンが気を取り直すようにして続ける。
「ところで、君は魔術の仕組みを知っているかい?」
「マジックハンドを上手いこと使うんでしょ」
「そのマジックハンドの原理さ。仕組みの理解は大事だよ。人間は魚がなんで水中で息ができるのか知らない。いや、知識としてはあるけど、感覚は未知だ」
「そんなの、誰も知らないんじゃないの。魔術だって。使える奴は使える、だっけ?そんなの息をするのと同じだ」
「いや、一部の人間は知っている」
ルパンはしれっと言うと、呆気にとられる真央に人差し指向ける。
どこからともなく風が舞い、真央の髪がふわりと靡く。
「魔術はイメージ。そのへんに漂っている魔術媒体『物質X』に、魔術師がもつ『物質M』、いわゆる魔力を干渉させてマジックハンドを生み出しているんだ。まあ簡単に言うと、そのへんに漂っている摩訶不思議物質Xを好きに扱えるのが魔力ってこと。古代でいうチャクラに似た概念かな。2つ混ぜると効果を持つ薬品みたいなものだと思ってくれてもいい」
「…説明どうも」
なんというか、国家機密級の秘密を聞いた気がする。RPGの人みたい、とは実に的確なファーストインプレッションだったのではなかろうか。
「君の戦闘センスは一流なんだろうね。その辺のチンピラ相手なら、いや、なんなら普通のクジラ相手にも引けを取らないだろう。…でも『裏』をなめない方がいい。私があげた石、この街にいる間は持っててよ」
「……」
横で玲がものすごく嫌そうな顔をしている。
「ふふ、玲くんも反対ってわけじゃないだろう?」
「……てめえ」
反対ではないようだが、何かが気に食わないらしい。
「で、何するつもりなの。この魔法陣、アンタらのオリジナルってとこでしょ。俺にこれを持たせるには何か理由があるはずだ」
「察しがよくて助かるね。実は、いつでも私と念話ができるスペシャル機能を搭載しておいた」
「やっぱり返す」
「はは、ごめんごめん。もちろんそれだけじゃないさ。クジラと戦うには相応の裏技が必要だ。この石は魔法の杖みたいなものだからね。やり方がわからずとも、何をしたいかを想像すれば大抵のことは感覚でできる。私のデータセットは基本的に剣術に特化しているんだけど、銃や打撃に対応したデータもあるから正当防衛の時なら好きに使ってくれて構わない、それに何より、」
ルパンが存外真面目な顔になって続ける。
「この石があれば玲君の魔力を利用できる」
「は?」
「君のインチキ魔術がばれていないとでも?」
どうやら他人の魔力を拝借していたのはバレているらしい。だが、いったいいつ?
とはいえ、玲が渋い顔をした理由ははっきりした。
コン。
突然、ノックと呼べるか微妙なワンコールが聞こえたかと思うと、入り口の襖が開いた。
ぴょこり。
小柄な白銀の狐が机に飛び乗った。ルパンが小さな頭を撫でて迎える。
「やあ。彼女の手当て、ありがとう。伊神さん」
「…えっ?縮んだ」
思わずといった風に真央がミニ狐を凝視する、
狐はルパンの腕から抜け出すと、尻尾でふわりと真央の頬を撫でて玲の肩に乗った。玲が当然のように抱き抱える。
「あの…失礼します…」
言いながら、おずおずと入室してきたのはコユキだ。どうやら狐は彼女を連れてきたらしい。ルパンがにこやかに迎え入れる。
「やあ、コユキさん。目が覚めてよかったよ」
「あ」
コユキが小さく声を上げる。
ひらりと後ろ手に手を振った玲が部屋から出ていった。
「で?コユキさん、ほんとキミ一体何者なの?」
真央がコユキに疑問をぶつける。決して喧嘩腰ではなかったはずだが、なぜかキッと睨み返された。
「ふふ、まあまあふたりとも。ところでコユキさん、現場で石の在りかを言い当てたそうじゃないか。もしかして貴女、『眼』を持っている?」
ルパンがコユキに、まるで答えが分かっているかのように問う。
「なにそれ」
真央が不信感を隠さない声音で尋ねる。
奇麗にスルーしたルパンは、警戒をにじませた視線を向けてくるコユキを見遣る。
「私もだからさ。魔力の流れが視えるんだよ。同じものが見えている人の行動のクセみたいなものはなんとなく分かる」
「……」
さて。
ルパンが手を打ってどこか静謐な空気を霧散させる。
「コユキさんはしばらくここにいるといい。部外者は入ることすらできない要塞だ。安全は保証しよう。真央君は玲と組むといい。我々の持っている情報が役立つはずだし、彼の能力との相性もいいはずだからね」
-------------―
「ねえ」
部屋から出てすぐ、真央がコユキを呼び止める。
「話があるんだけど」
「嫌よ。今あなたと二人きりにはなりたくない」
「え、いやあの、そういうんじゃないんだけど」
あまりにバッサリと断られ、一瞬真央がつまる。
「分かってるわよそのくらい。馬鹿にしてんの?」
上目遣いでキッと睨まれる。突然の塩対応の理由が気になるが、たしかに誰が味方で敵か分からない状況だ。真央は一つ嘆息して続ける。
「じゃあここで良いよ。……コユキが俺をこっちに呼んだの?」
「そんなわけないじゃない。むしろ、私に街を案内してくれなんて言うから最初から、こっち側なのかと思ってたのに」
「ああ、なるほどたしかに。んー……じゃあお前さ、さっきのイガラシって奴と同類か?」
真央は単刀直入に、問いというよりは確認を投げる。コユキの表情が強張るのを観察した上で続ける。
「で、玲と何かあるな?」
あえて『何が』とは聞かない。
「…で?だったら何?」
あきらめたように嘆息したコユキが問うと、真央は口元に笑みを刻む。
「鯨をもう一匹捕まえる。俺の読みだとコユキの能力が役に立ちそうだからさ、手伝ってよ」
コユキが真央をひたりと見つめる。
「……危なくなったら守りなさいよね」
「もちろん!じゃ、明日16時に表の祠前で」
話を終え、夕日の差し込む縁側のような廊下を歩く。来るときには気づかなかったが、ガラス戸の向こうを見てみれば見事な日本庭園。手入れされていると一目でわかる。
――薔薇…?
視界の端に何やら浮いた雰囲気のものが目に入る。
御神木と思わしき立派な幹に巻きつくのは、真っ赤な大輪の花をつけた薔薇。思わず足を止めて凝視する。
真央のつぶやきにコユキが振り向くが、すぐに前に向き直ってスタスタと先を行く。
気にも留めないのか、あるいは訳知りだが説明する気はないのか。
訪れたのがずいぶんと昔のように感じる玄関を通り、それぞれの目的地へと一時解散した。
################
夜。玲はひとり月明かりが差し込む庭に佇む。
庭の中央に鎮座する御神木には、ひどく不釣り合いな真紅の薔薇が巻きついている。
カサリ。
懐から、先ほどの現場で飛来した書簡を取り出し、見下ろす。
彫刻のような無表情を月が照らし出す。
「珍しいわね。貴方が感傷に浸るなんて」
斜め後方に、人の形に戻った伊神が音もなく現れる。
「そんなんじゃねぇよ。ただの安全祈願だ」
「ふふ、貴方はクジラにはお願い事をしないのね」
笑う声はとても耳馴染みが良い。
「んな悪趣味なことするわけ無ぇだろ」
「真央はそれでルパンに出会ったみたいだけど?ある意味では当たりね。願い事に近づいてる」
「……」
無言のまま踵を返した玲。一歩踏み出したところで、僅かに蹌踉めく。
伊神が手の届く距離に寄ると、玲の顔を覗き込む。
分かりやすく取り繕った無表情に、咎めるような視線を向ける。
「……問題無ぇ。昼間外にいたからな。ちょっと当てられただけだ」
「驚かさないで。普段のあんたならこんなになる前に引くでしょう」
「アイツがこの街に来たんだ。接触しないわけにいかないだろう。それにお前が来ることも分かっていた」
「なあに?最初から私に護衛させるつもりだったの?」
伊神がどこか嬉しそうな声音で返せば、玲のが眉間に皺を寄せた。
「……太陽に弱いヒーローなんて誰も崇めないわよ」
伊神が悪戯っぽく、少し寂しげに言う。
「はっ、ヒーローなんかじゃねえよ。それにまあ、崇めるならルパンなんじゃねえか」
「ふふ、ルパンは崇めるっていうか、逆らえば祟られそう」
伊神が冗談めかして返す。
「確かにな。まあ俺たち全員、ヒーローってよりは地縛霊だろ」
「言い得て妙ね。生者の記憶で作られている。でもあなたは違うでしょ」
「そう変わらねえよ」
話は終わりだ、とでもいうように今度こそ玲が出口へと歩を進める。
「玲!」
呼び止めた伊神が、風呂敷に包まれたこぶし大の荷物をふわりと投げる。
「そのルパンからお届け物よ」
半身振り返って受け取った玲はそれを無表情で見下ろす。
「---」
玲が目を細めてつぶやきをこぼす。
「アンタがそんな顔するなんて、今日は珍しいことばっかり。でも、あんたたち3人が顔を合わせたのは大きな転機よ。良くも悪くも、ね」
「わかってるよ。それに……仲間を忘れても、罪の意識は消えねえんだ」
寂し気に微笑む伊神を残し、玲は今度こそ踵を返した。
閲覧ありがとうございます。
↑の【☆☆☆☆☆】を押して応援していただけるととても励みになります!