1st Battle
「……ねえ、聞いてる?」
真央が呆気に取られたまま青年が立っていたあたりを凝視していると、一足先に気を取り直したらしい少女――呼幸が横から声をかけてきた。真央の肩ほどの身長、茶髪のボブが黄色いカチューシャの下で揺れる。
真央の幼馴染にして、数年前にこの町に引っ越していた元同級生。
土地勘のない真央が町の案内を頼もうと待ち合わせていたので、青年が言った「お連れさん」の表現は正解だ。
コユキは膝丈のスカートを躍らせてくるりと真央に向き合うと、ずいと顔を覗き込む。
「ちょっと!せっかく私が案内してあげようとしてるのに。さっきから聞いてないでしょ!」
「あー、ごめんワンモア」
真央が意識を向ければ、腰に手を当ててぷくりとこちらを睨んでいたコユキがくるりと進行方向に向き直る。
「もうっ!私のやさしさに感謝しなさい。いーい?この神社は『こっち』と『あっち』の境目。表の参道はアンタにとっての普通の街。で、そこの西門の先は魔法使いの街――大門下町よ」
「は?いや、俺はてっきり異世界か何かに来ちゃったんじゃないかと」
「はあ?そんなのあるわけないじゃない」
まったくわけが分からない。つまりあれか、この神社が9と4分の3番線なのか。
真央は、躊躇いなく西門に足を向けたコユキを追う。あの向こうは異世界だ。たぶん。きっと。
そんな真央の予想に反して、門の先に広がっていたのは至って普通の風景だった。
やや広めの石畳の両側には京町屋風の建物。行き交う人々は着物――ではなく普通に普通の今風の服装。時間軸にも異常はないようだ。
カラーン。
「ん?」
どこからともなく響いた、鈴のような小ぶりの鐘のような音。
真央がぴたりと足を止めるが、半歩先を行くコユキはそんな真央の行動に怪訝な表情を浮かべるのみ。どうやら鐘の音は聞こえていないらしい。
カラーン。
――呼ばれている。
まるでついて来いとでも言うように徐々に離れていく音。
真央は誘われるように音の方向へと足を向ける。
「ちょっと!どこ行くつもり?」
「こっち!早く!」
「何が!?知らない人について行っちゃだめって常識、知らない?」
コユキも声を張りながら真央の背を追って駆け出した。
その時。
タァーン。
突如響いた発砲音。
一拍の静寂の後、複数人の悲鳴が響く。
「え?」
真央たちがいる石畳に、わき道から逃れてきたらしい人々が駆けこんでくる。
事態の発生源はおそらく、誘うような鈴の音と同じ方向。
「ちょっと!ほんと待ちなさいって!そっちはダメ!」
「悪い、ちょっと待ってて!」
なにやら訳ありな様子で止めようとするコユキ。真央はそれを断ると、人込みをかき分けて騒ぎの中心へと向かう。
「マオ君!」
鋭いコユキの声に振り返れば、真央に向けて何かを投げた。
咄嗟に受け取ったそれは、人々の頭上を越えるには少々リスクがありそうな長い木の棒。
「……木刀?おい!」
真央は流石に振り返るが、人ごみに飲まれたコユキは見当たらない。
「なんなんだ?」
真央は怪訝に思いつつも、鐘の音に誘われるまま速度を上げた。
騒ぎの中心はさらに道1本入った丁字路の先らしい。鐘の音が呼ぶ方へ。迷わず右に曲がる。
突然、開けた空間に出た。落ち葉が敷き詰められ、日が差し込む円形の広場。
パキパキ。
真央の耳に聞きなれない音が届く。
咄嗟に音の方角――向かって右奥に視線を向ければ、それなりの太さがある樹木が倒れる所だった。
「え?」
思わずそこを凝視した、瞬間。
ガキィン。
何もなかったはずの至近距離から白刃に襲われた。咄嗟に木刀を盾にするように持ち上げる。手首のミサンガに編み込まれた黒い石が、存在を主張するようにふわりと舞った。
「へえ…!ずいぶんと物騒なモン持ってるな」
斬りかかってきた相手は面白がるような声を上げ、刀を返して飛び下がる。
真央は木刀を正眼に構え、距離を取った相手を見遣る。そこにいたのは、大太刀を肩に乗せた細身の少年。
お前の方が物騒なモンを持っているじゃないか、と思うが、真央が口を開く前に少年が話しかけてくる。
「おい、お前」
好戦的な眼差しで、彼は真央に何かを尋ねようとする。
しかし真央と目が合った瞬間、少年は驚愕したように目を見開いた。
「は?真央?」
「え?えーっと……?」
「俺だよ、玲だ」
「……?」
一瞬遅れてそれが先ほど耳にした『会ってみるべき相手』の名前だと理解する。
「ああ、あんたが。てかなんで俺の名前」
真央の言葉に、なぜか舌打ちする玲。
「あー……あれだ。悪ぃ、間違えた。人違いだ」
「え?いや、いま俺の名前呼んだじゃん。どこかで会ったことあった?」
「……」
真央が問うも、舌打ちとともにあからさまに視線をそらされる。
カチャリ。
ふいに、玲と名乗ったが刀を構えなおすと背後に視線を移す。何かを見極めるようにスウと目を細めた。
広場の奥、倒れた樹木のあたりでふらりと立ち上がったのは、Tシャツに緑のカーゴパンツといったどこにでもいそうな軽装の若い男。どうやら真央が到着する前に伸されていたらしい。
男は軽装に似合わぬ銃剣らしきものを震える手に引っ提げている。まるで誘われるような足取りで真央たちの方へと一歩踏み出した。
真央と対峙していた玲はそちらに意識を移すと、地面から徐にこぶし大の石を拾い上げた。
手本のようなフォームで振りかぶり、男に向かって投擲。
男が石に気を取られた隙をつき、勢いよく地面を蹴って大太刀で男に切りかかった。
突如間の前で繰り広げられる、非日常を絵に描いたような光景。真央は思わず息を呑む。
「うわあああ」
男が喚くような声を上げながら銃剣を振り回す。
刃の先端がかすっただけの竹がスパンと両断された。
「……ウソだろ」
「あれが『見えざる手』よ」
いつの間にか真央の隣にやってきたコユキが言葉を落とす。
「うわ!来てくれたの。てか、あれ一体なんなの?」
真央がコユキに問えば、先ほどのルパンの説明に補足するように目の前の事象を説明してくれる。
『魔法』の正体は、指先からさらに1メートルほどある見えざる手。
人間の目には見えないが、手の延長のように自由自在に操れる。武器なんかに纏わせれば常識外の強度や速度を出すこともできる。
ただし、人体に触れるとその瞬間に消滅する。つまり人間に直接危害を加えることはない。
「とはいえ、アイツみたいに刀に纏わせて使えば鎧を貫通するところまでは魔法は有効。人体に到達した後は刃そのものが仕事をするから殺傷力は跳ね上がるわけだけど」
それを聞いた真央は、戦局全体を眺めていた視線を玲の刀に集中させる。
木の幹をも一瞬で切り倒す剣戟は、男の銃剣と鍔迫り合いを繰り広げている。魔法同士のぶつけ合いといった所か。
同じ方向を見たまま、コユキが説明を続ける。
曰く、人体に触れた瞬間の消滅は生存本能といった高尚なものではない。すべての石――魔法を使うための媒体――に搭載が義務付けられている『機能制限』。
それが効力を失い、魔法使いが人を傷つける事象がこの町で相次いでいる。そして。
「『魔法』が暴走した魔術師は、やがて錯乱して自分を攻撃する……」
コユキが険しい顔で告げる。
「は?いや、諸々なんなんだよ」
「アンタだからね、私に『街の案内』頼んだの。先にちゃんと聞かないからよ」
言いながら、真央の袖を摘んで半歩下がるコユキ。魔法に慣れているとはいえ、どうやら戦闘ができるわけではないらしい。
玲と数回切り結んだ男が、何かに怯えた様子で銃を構える。
タンタンタン。
ロクに狙いをつけたとも思えない体勢で、玲に向かって連射した。
玲は、まるで重力を感じさせない動きで大太刀を振るう。舞うように3発の銃弾を弾くと、そのまま肉薄して切りかかった。
そして、まさに刀が届かんとした瞬間。男が突然、空気を掻き毟るように腕を振る。
突如、玲の右腕から赤が噴き出した。
「え……?」
真央が目を見開く横で、コユキが茫然と声を落とす。
「……嘘でしょ?見えざる手が単体で人体を傷つけるなんてありえない」
腕を切り裂かれた玲は一瞬苦い顔をしたが、そのまま男に斬りかかる。
瞬間、玲の纏う空気がガラリと変わる。殺気を隠さないびりびりとした感覚に、真央は思わずその背を凝視する。
玲の耳に嵌められた黒いピアスがギラリと光る。
力負けして吹き飛ばされ、ドサリと尻もちをつく男。追撃と言わんばかりの重そうな峰内に、あっさりと男が伸びた。
「……終わった……のか?」
真央がそろりと玲に近づく。
オオォ……
突然、低いような高いような、何かの遠吠えのような不思議な音が周囲に響く。
「……!?」
「伏せろ!」
叫んだ玲が男に刀を振り下ろすが、見えない何かに阻まれる。
真央は反射的に言葉に従い、コユキを抱え込むようにして身を伏せる。
直後、男を中心に巨大なエネルギーが霧散するような風が起きた。想定外の威力に、真央は思わず腕で目元を庇う。どこからか飛んできた鉄パイプが隣の壁に突き刺さるのに顔が引き攣った。
「ぐぅ……!」
男に刀を突き付けていた玲が突然、左腕を押さえてうずくまった。
「おい!」
真央が慌てて声をかける。
収まる気配のない暴風。
「とにかくアレをなんとかするしかないよね」
宙に舞い上がったすべてを払い落とすべく真央は魔力を”集める”。
「…あれ!?」
想定外に大量の魔力を得た感覚。違和感に目を見開くも、旋風と化した暴走男の魔力の奔流をかき消すことを優先する。
真央はすっと目を閉じ、右手に意識を集める。
瞬間、全ての音が知覚から消えた。
ぱちりと目を開く。
ざ。
真央が手を翳すと、力が男の魔力ごと空間を蹂躙する。呼吸を忘れるような一瞬の後、ぴたりと空気が凪いだ。
――。
居合わせた全員が呆気にとられたような沈黙。
「ふー…」
ゆっくりと息を吐きだす音に、真央は玲を見る。
「大丈夫?」
「うるせえ黙れ」
間髪入れずに返ってきた言葉に思わずカチンと来るが、痛みを逃がすようにゆっくりと呼吸する玲の様子に口をつぐむ。
ふと違和感を感じ、真央が倒れた男に近づく。男の手首を持ち上げて素早くその袖をまくり上げた。
「……?おっ、ビンゴ」
玲が押さえたのと同じ位置。赤い光を放つミミズ腫れのようなものを凝視する。
ピクリ。目覚めかけているのか、男の瞼が震える。
いつの間にか近づいていた玲が、すっと男の首元に手を伸ばした。
バチ。緑色の光が瞬き、男の意識が完全に飛んだ。
やがて男の石からも光が消えると、玲は無感情に言う。
「……その石とは相性が悪いんだ」
「へえ…って、殺しちゃ不味いんじゃなかったの!」
「問題ない、ちょっとしたスタンガンみたいなもんだ。こんなんじゃクジラは死なない」
何事もなかったかのように両手をパーカーのポケットに突っ込んで立っている玲。
ちょっとしたスタンガンと称した棒切れのような物体を掲げつつ真央の方を向く。
軽い言葉とともに物騒なものを手渡され、真央の顔が引きつる。何となく受け取って観察するも、馴染みがなさすぎて反応に困る。
「おーい!大丈夫?」
真央が呆然と地面に座ったままのコユキに声をかける。
近づいて手を差し出すと、勢いよく弾かれた。
「アンタ、今の…!」
コユキが真央を睨み付ける。
「え?いや、え?」
「で?おいお前ら、なぜここに来た?」
やりとりに割り込んだ玲が、探るような目で問う。
「玲君こそ。なんでこんなところでこんなことしてんのよ」
「あれ。あんたら知り合いなの?」
「クラスメイトよ」
真央が問えば、コユキが不機嫌な返事を寄越す。非日常を詰め込んだかのような一部始終の後に聞くにはあまりに普通の答え。
だが、どうやらこの二人、仲が良い方ではないらしい。
玲はあからさまな舌打ちを零すと、真央に再度向き直る。
「それより真央。お前、魔術師じゃねえな。俺の魔力使いやがっただろ。誰の指金だ」
玲が真央の方を向く。絶対零度の澄んだ瞳を向けられ、一瞬たじろぐ。
「さっきルパンに会ったのよ」
またもやコユキが助け船を出してくれる。いや、助けるというよりはまるで真央と玲を会話させたくないかのような。
だが、ルパンとは一体誰だ。
「ルパン……?」
「さっきの帽子の男よ」
「ルパ……流半か!」
RPGのお兄さんもとい武器商人という男を思い出す。まさかそんなアレなあだ名で呼ばれているとは。
真央の動揺も玲の存在も無視したコユキが、ざっくりと説明をしてくれる。
「ルパンも言ってたでしょ?『使える奴は使えるし、使えない奴は使えない』って。使える奴、つまり魔術師は自分の体内に魔力を生む機能を持ってるのよ。でも、真央。アンタにはそれがない。ルパンに渡されたその石、周囲から魔力を拝借できるスペシャル機能でも付いてるんじゃない?」
「お前、知ってたならもうちょっと早めに……」
「うっさい!」
どうやら先ほど真央が感じた違和感は、玲から膨大な魔力を吸い取ってしまったことに起因するらしい。
とはいえ、不信感を隠さない玲の表情から察するに、信憑性にかけるほどスペシャルな機能らしい。
「ま、そんなわけだから俺にも詳しいことはわからないんだよね。あのルパンって人に聞いてよ」
真央は「誰の差し金か」との玲の問いに答えつつ、彼を改めて観察する。
真央と同じくらいの身長、少し外はねの「セットしています」感のある黒髪、ぱっちり二重。にこりと笑った典型的な「王子顔」の彼は、先ほどのクラスメイト発言から察するに高校生だろうか。というか、コユキのクラスメイトならば真央とも同い年のはずだ。
「てか、えっと。ごめん、どこかで会ったことあった?」
最初に目が合った瞬間の反応といい、やはりそこが一番気になる。真央の記憶にこの顔はない。だが彼は先ほど確かに真央のことを名前で呼んだ。若干眉を潜めて問いを返す。
「初対面だ」
一瞬表情を失くした気がしたが、すぐに凛とした声で返される。堂々とシラを切った玲が続ける。
「俺はレイ。望月玲だ」
「ルパンが言ってた天才魔術師様、かよ」
「天才、ねえ?どいつもこいつも適当なこと言いやがって。まあ、なんにせよ、こんな誰が聞き耳立ててるとも知れない街中で話すことじゃねえ。場所を変えるぞ」
言うが早いか、玲が手刀でコユキを昏倒させた。
「は?お前…!」
「大丈夫だ」
一瞬の出来事に真央が目を剥く。玲は何が大丈夫なのかまったく分からない返答を寄越しながら、コユキを背負おうとする。その時。
ばたばたと近づいてくる足跡。先陣切って近づいてくるのは制服の男。どうやら騒ぎを聞きつけた警察がやってきたらしい。
だが、それにしては様子が変だ。
パン。
突然の発砲。無表情を崩さない玲の顔のすぐ横を銃弾かすめる。
「……え?」
思わず引き攣った表情になる真央。
「退くわよ!」
突如聞こえた女の声。警察を追い抜いた別の影が広場に躍り出る。キックボードからタイヤを取ったような謎の乗り物を操る、セーラー服を身にまとった小柄な少女。金髪がかったツインテールを風になびかせながらこちらに向かってくる。途中、暴走した男が持っていた銃を蹴り上げて拾う。
ザザザ。
少女は広場の中ほどで大きくターンしながら、真央の腕を引き同乗を促す。
玲が呼幸をひょいと担ぐと、少女がどこからともなく差し出したサイドカーに飛び乗る。
「え、ちょ、なんか色々逆じゃない?」
「うっさい!飛ばすわよ。つかまってて」
乗り込んだ瞬間。エンジンのスタート音もないまま、バイクさながらに急発進した。
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