第七話 身の上話
レティは暗い牢獄の中にいた。空気は冷たくよどみ、腐臭が漂っている。横には粘液にまみれた名状しがたい肉塊めいた何かが居て、その隣の寝床とはとても呼べないような石の上にレティは寝かされていた。
カツン、カツンと遠くから響く足音にレティは身をすくませた。足音は牢獄の前で止まり、赤黒く輝く目が鉄格子越しに彼女を覗き込む。
「キャアア!?」
レティは悲鳴を上げて飛び起きた。荒く息をつき目だけを動かして周囲を見渡す。そこは暗く冷たい牢獄ではなく、また体を横たえているのも冷たい石ではなくスプリングの効いたベッドである。
「お目覚めですか」
部屋の中にはレティ以外の人物もいた。おろしたてのようにきれいなメイド服に、長い黒髪をきっちりとまとめた女性、ハーキだ。
「ハーキ、さん?」
「おや、存外に記憶力が良いのですね。改めまして、ガンダフ家のお屋敷を任されている屋敷妖精のハーキと申します」
「あ、あの。ごすじんさまはどこですか?」
「ブレン様であれば、庭で鍛錬をなさっています。あなたはもう少し眠っていなさい」
レティを寝かしつけようとするハーキだったが、レティはベッドから飛び降りると部屋を出ていった。ブレンの家はそう広くはなく、彼が鍛錬している庭に、レティはすぐにたどり着くことができた。
明け方、太陽が昇る朝焼けの中でブレンは剣を振っていた。ただ振るのではない、舞うようなそれは剣舞であり、実践のためというよりも視界や手に剣を持っている感覚を忘れさせないようにするためのものである。
だが、そんなことを知らないレティはただブレンの剣舞に見とれていた。
「わぁ……」
我知らず、感嘆の声が漏れる。剣をふるうブレンの表情は、昨夜レティが見た優しい表情や絶句する表情とは違う、真剣そのものの顔だ。まなざしも、剣の先を貫くように鋭い。
「ふぅ……。おはよう、レティ」
やがて剣舞が終わると、ブレンはそう声をかけながらレティの方に視線を向けた。
「もう起きても大丈夫なのか?」
「だ、大丈夫です! あ、あの、勝手に見てごめんなさい……」
「別にいいよ。減るもんじゃないし。ハーキ、朝飯の支度をしてくれ」
「かしこまりました」
どこからともなく現れたハーキがあらわれ、また消える。それを見ると、ブレンはレティを伴って家の中へと戻っていった。
「朝ご飯を食べよう、レティ。お前もこっちに来て一緒に座れ」
「え、あの、いいのですか?」
「かまわないさ。ほら、座れ」
朝食の支度が整い、ブレンが遠慮がちなレティを誘う。しばらく断ろうとしていたレティだったが、どうしても折れないブレンに観念したのかようやく席に着いた。
「あの、ごすじんさま。ハーキさんはいいのですか?」
「ハーキは妖精だからな。たまに人間の食い物を食べる時もあるけど、普段はもっと違うものを食べているらしいぞ」
パンをちぎって食べながらブレンが答える。レティもそれを真似してパンを食べると、目を見開いた。
「お、おいしい! やわらくて、香ばしくて、ふかふか……!」
「……なあレティ。昨日から気になっていたんだけど、レティは今までどこで暮らしていたんだ?」
その疑問に、レティはしばし食事の手を止めた。まずいことを聞いてしまったかもしれないと後悔したブレンだったが、レティは手にしたパンを眺めながら語りだした。
「レティ、前のごすじんに仕えていた時はずっと檻の中にいたのです」
「檻?」
「はい。檻の中で、気持ち悪い生き物と一緒にされていました。だから、どこで暮らしていたのかはわからないです」
レティが何か作り話をしている様子はない。そう考えたブレンはそのままレティに話の続きを促した。
「気持ち悪い生き物っていうのはなんだ? 別に、辛かったら答えなくてもいいんだが……」
「わからないです。なんだかこう、ネバネバしていて、大きな緑色のソーセージみたいでした」
ネバネバ、という単語にブレンは引っ掛かりを覚える。そういえば、彼女の身体も正体不明の粘液に覆われていた。
「そうか……なあレティ。その傷は、やっぱり前の主人に?」
レティがビクリと身を震わせる。当たり前だろう。体の傷跡は、彼女のつらい記憶に直結するものだ。
聞かなければよかった。そう後悔したブレンだったが、レティは根が気丈なのか、それともブレンの命令だからかポツポツと語りだした。
「これは、何かあると前のごすじんさまにつけられたものです。レティは奴隷だけどお仕事はあんまりさせてもらえなくて。『けっかんひん』だから、お仕置きされて……」
「お仕置き?」
バカな。とブレンは呟いた。折檻にしては明らかに度を越している。あの傷跡は、明らかに虐待されていた痕跡。それも、怒りに任せてではなく執拗に全身をくまなく痛めつけるものだ。欠陥品という話も、適当にこじつけたのだろうとブレンは判断した。
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