第三十二話 普通の幸せ
「レティさん。私には、あなたがどのような人生を歩んできたのかは断片的にしかわかりません。でも昼間に見せていただいたあの傷からするに、まっとうな当たり前の幸せはなかったのでしょう」
「フィアレさん……でもあれは、傷じゃないって」
「でも、あなたはつらい思いをした。そんなあなたをブレンさんは助けようとしてくれている」
今度はフィアレがレティの頭を撫でた。それは歪んでしまった彼女をいたわるような手つきで、決して責め立てるものではない。
「贈り物を断ることは美徳とは言えません。まして彼は命を懸けてもいいといった。レティさんは、それに甘えていいんですよ」
「フィアレ……」
ブレンはフィアレに感謝した。邪神の復活を懸念し、それをどんな手を使ってでも阻止しなければいけないはずの彼女が、その信条を曲げてまでレティの心を救いたいという自分に賛同してくれたのだ。
「…………」
しばし、レティは黙っていた。そしてゆっくりと顔を上げ、二人の顔を見つめながら口を開いた。
「わたし……幸せになってもいいの?」
「レティ?」
不思議とその時、レティは自分の事を「わたし」と呼んだことがブレンの心に引っかかった。そのように自分の事を呼ぶ彼女の姿が、どこか今までとは違うものに見えたのだ。
「ああ。幸せになっちゃいけない人間なんて、この世にはいない」
ブレンは断言した。どのような人間であっても、理不尽に殺されたり不幸になってしまっていい理屈などこの世にはない。
他人の幸せや安寧を脅かすものには容赦のないブレンだが、基本的に彼の行動理念とはそれに集約されるものだった。
「―――はい……はい!!」
花が咲くような笑顔。レティはまるで見ている景色が切り替わったかのような感動と喜びをその幼い顔いっぱいに浮かべていた。
「さて……それじゃあ、大神殿には私からうまく報告しておきます」
「すまないフィアレ。お前に、女神アシィナを裏切らせることになるかもしれなくって」
ブレンはそういうと、深くフィアレに頭を下げた。邪神復活の可能性を見過ごすというのは普段の彼女からしてみれば重大な問題である。
それだけではない。アシィナに限らず神は全てを見ているというのが信徒たちの常識だ。もしかするとこの行いによって、フィアレは女神の神罰を受けてしまう可能性もある。
だが、フィアレは晴れやかに笑っていた。
「いいんだよ。国の安全とか人々の命とか、そういう大きい物ばかりを見ていると、人の心っていう小さくても大切な物を見落としちゃうもん。それに、私はこのことで神罰を受けても後悔はないよ」
「フィアレ……」
「フィアレさん……」
二人には感謝しかなかった。そんな彼らにフィアレは、再び口調を仕事用のそれに戻して尋ねる。感謝されるのはいいが、これからの方針を定めなくてはならないからだ。
「それで、お二人はこれからどうされるのですか? ひとまず、王都にいるのは危険です。邪神が眠っているジャーシ湖は近いですし、王都は広いうえに入り組んでいる。あちらからすれば闇討ちがしやすいでしょう」
「そうだな。レティを見つけたのも王都のスラムだから、もしかすると連中の拠点も王都にあるのかもしれないな」
「そうなると、王都から離れていてある程度生活に便利なところ……農村に住むっていうのは?」
王都シィルデッドの周辺には、いくつもの穀倉地帯が広がっている。その中の一つに潜伏すれば、敵の目を欺ききることはできなくとも時間稼ぎはできるはずだ。何より、農村はそれ自体で一つの社会を形成しているため、よそ者が来ればすぐに目立つ。ブレンたちが先に潜伏先の村へとなじんでいれば、相手が探しに来た時に見つけやすいという利点があった。
「でも、俺たちが来ればそれはそれで目立つ。どうすれば……」
「ブレンさん、グールアパート事件のことは覚えていますか?」
「え? 覚えているけど……なんだよ。藪から棒に」
いぶかしがるブレンに、フィアレは指を立ててその策を伝えた。
「あの事件の後、王都に住むことに不安を覚えて王都の外へ移住する人が増えたのです。そうした人の流れに紛れ込めれば」
「なるほど……それならあまり目立たずに動けるな」
「はい。ブレンさんはレティさんとともに潜伏してください。その隙に我々が敵の情報を収集し、信徒撲滅に向けて動きます。もしも我々では対処しきれない敵が現れた場合には、ブレンさんに対処していただきたいです」
「了解。あー、でも先に路銀を稼がないと……潜伏どころか辻馬車にも金が必要だし……」
ここにきて初めて、ブレンは軽率に駐屯騎士団をやめるんじゃなかったと後悔した。退職ならともかく彼の場合は懲戒免職だ。退職金など一銭もない。
そんな彼を見かねて、フィアレは「しょうがないなぁ」と口の中で呟きながら部屋の本棚に近づく。
「フィアレさん? どうしたんですか?」
「今から見るものは、他言無用でお願いしますね」
そういうとフィアレは本棚の一部を押した。すると押された部分がそのまま引っ込み、両側に分かれると中から黒光りする頑丈そうな金庫が現れたのだ。
「これを使ってください」
そういいながらフィアレは金庫を開ける。中にはいくつかの書類と、小さな袋が入っており、フィアレは袋を取り出すとブレンに手渡した。
固い感触がする。まさかと思ったブレンが袋を開けると、そこには王国で流通している銅貨と銀貨と金貨が袋いっぱいになって入っていたのだ。
「だ、ダメだ! 受け取れないぞフィアレ」
「必要だから渡すのです。この子を飢え死にさせるわけにはいかないでしょう?」
「フィアレさん……」
もはやブレンとレティには感謝の言葉もなかった。彼女がへそくりを持っていたというのは驚きだったが、基本的に彼女の仕事は実入りが少ないのだ。それなのに苦労してためたであろうお金をくれた彼女に対して、二人は深く感謝していた。
「約束する。この金は必ず返す」
「うん。気長に待っているね」
これで二人の準備は整った。後は荷造りをして、王都を立つのみである。そうなった時、レティは何気なくブレンにこう尋ねた。
「ごすじんさま。これから行くところでは、どんな風に暮らすのですか?」
「そうだな……」
ブレンはそこで、今までの人生を振り返った。幼いころから人々を守るための仕事をし、訓練に励んできた。最終的に駐屯騎士団を解雇されてしまったものの、それまでの自分は誰かのために激しい戦いを続けていた。
しかし、これからは違う。いつか邪神の信徒たちを全滅させるのが最終目標であるものの、今はレティの心を癒すためにも、危険な事は避けなくてはならない。
「のんびり生きよう。少なくとも、俺はレティに幸せになっていいって言ったからな。これからその“普通の幸せ”を教えてやらなくちゃいけない」
「“普通の幸せ”?」
繰り返したレティにブレンは力強くうなずく。こうして騎士団をクビになったブレンと元奴隷のレティによる、“普通の幸せ”を目指す道が始まるのだった。
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これにて第一章、スローライフ立志編は完結です! ここまでお付き合いいただいた方々も、この話を最初に見たというかたもありがとうございました!
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