第十九話 手づまり
「できないって、どういうことだ?」
「そのまんまの意味だよぶーちゃん。この子は治療できない」
ブレンが尋ね返しても、フィアレの返答は変わらない。しかしブレンが感じたのは怒りではなく困惑だった。彼女が一見するとよくわからないことを落ち着き払って告げる時は、たいていの場合ただありのままの事実を告げているだけであることをブレンは知っていたからだ。
「厳密にいうなら、この子には治療魔術は効かないんだよ」
「どうしてだ」
「この子は……怪我をしていないから」
レティはどこも怪我をしていない。なるほど、確かに治癒魔術は人間の体の不調な部分を魔術で元の状態に治すものだ。健常な人間に効果がないことは明白である。
しかし、ブレンは納得などできなかった。それどころか、見るからに傷だらけあざだらけの彼女が、どこにも怪我をしていないとはどういうことなのかとますます戸惑った。
「あ、あのフィアレさん。でもレティは、本当に虐待を―――」
「わかっています。そのために正直薬で質問をしたんですから」
「おいフィアレ、行っていることがめちゃくちゃだぞ? レティに虐待を受けていたことを確認したのに、どうしてレティは怪我をしていないっていう結論になる?」
フィアレを問い詰めるブレン。しかし彼女もまた、困惑した様子で「わからない」と口にした。
「こんなこと初めてだよ。身体はいたって健康。どこにも怪我はおろか病気一つしていない。にもかかわらず本人は虐待を受けたって言っていて、しかもそれは本当の事。何がどうなっているのか……」
「じゃ、じゃああの傷跡は? アザは? あれが怪我じゃなかったら何だっていうんだよ」
レティの体中に生々しく刻まれたそれらは、彼女が虐待を受けていた証明であるはずだ。目に見えるだけでも内出血を起こしていると思しき青あざや日の光を浴びれば水膨れになりそうな火傷あともある。
「信じてもらえないと思うけど……これ、ホクロみたいなものだよ」
「ホクロ!? こんなデカいホクロがあるか!! まじめにやってくれよフィアレ!」
思わず怒鳴ってしまってから、しまったとブレンはレティを見た。これでは神殿の前で暴れていたロジェルト男爵と同じだ。
大きく深呼吸をする。ブレンは一度自分を冷静な状態にした。そしてフィアレが子供のころから治癒魔術の名手であり、今まで診察して判断を誤ったことなどないことを思い出した。
「怒鳴って悪かった……でもフィアレ、この傷跡がホクロだっていうのはどうしても納得できないんだが」
「うん。ホクロは、体に浮かび上がった黒い点だよね? それと同じで、レティさんのこれは体に浮き出た模様みたいなものなんだよ」
「模様……なあレティ、ちょっと腕を触ってもいいか? 痛かったらすぐにやめるから」
「はい。どうぞ……」
おずおずとレティが腕を差し出す。ブレンはそれを手に取ると、内出血を起こしている青あざ……のように見える部分を優しく指圧した。
「痛むか?」
「ちょっとだけ……」
レティの様子に嘘はない。だが、これが本当にただの模様だというのなら痛みなど感じないはずである。首をかしげるブレンだったが、フィアレも同様に首をかしげていた。
「正直薬を飲ませた上で虐待があったって言ったっていう事は、本当に虐待されていた……はずだよな?」
「うん……ごめんね。わからないことだらけで……」
しょげかえるフィアレ。しかしブレンもそろそろあきらめがついていた。ブレンの知る限り最も腕の立つ治癒術師であるフィアレができないと言っているのだ。ブレンに治癒魔術が出来るわけもなく、レティを治療する手立てはもうない。
しかし、それではレティがかわいそうだという思いもまたブレンの中からぬぐい切れずにいた。レティは女の子だ。あんな醜い傷を抱えたまま生きていくなど、あんまりではないか。
「フィアレ、他にレティの身体の事を調べられそうな人はいないのか? なんなら外国でも―――」
「ぶーちゃん、それはダメだよ」
すがるようなブレンに対して、フィアレがたしなめるように言った。レティの身体を調べるのではなく、ブレンが外国へ行くことの方を否定するような口ぶりだ。
「そうか……すまないレティ。治してやるって言ったのに、どうも無理そうだ……」
ブレンの言葉からはもはや力も覇気も消え失せていた。そんな彼に対して慌ててフォローしようと口を開きかけたレティだったが、あまりの消沈ぶりに言葉が見当たらず、三人の間に気まずい沈黙が流れた。
その時だった。神殿の一階から、けたたましく鳴り響く鐘の音が鳴り響いてきたのは。
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