明智という魔術師
教室から出た生徒達を追いかけて、明智は廊下に飛び出した。地図は任務開始の前に記憶しているし、実際の利用状況は昨日のうちにカフェで確認済みだ。
右側にあるのは音楽室で、通り抜ければ外階段があるが、直接外には繋がっていない。左側にはいくつか教室が並んでおり、教室を1つ越えれば中央階段、廊下の先には非常階段がついている。ただし、非常階段はかなり老朽化しているため、普段から利用する生徒はいない。
持ちうる情報を吟味し、立ち止まったのは一瞬だけ。明智は迷うことなく音楽室の扉に手をかける。
ギィっと鈍い音を立てながら扉が開き、カチャリと何かが動く音がした。
部屋の奥には黒いグランドピアノが鎮座しているが、人の気配は全くない。
「外したか」
ひと目で状況を判断して引き返そうとすると、ガラガラと何かが転がるような音がした。明智は警戒しながら振り返る。
眼前に直径2メートルはありそうな鉄球が迫っていた。真上から落ちてくるのではなく、斜め上からの攻撃だ。
「ぐっ」
明智はとっさに鞘で受け止めた。
魔術ではない。だが、魔術師が仕掛けた罠だろう。ただの人間が作るには無理のある大きさだ。
「原始的な罠なら引っかかるとでも思ったかっ!」
明智は激昂と共に鉄球を押し返した。
遠ざかって行く鉄球。それは天井から太い鎖によって吊るされていた。まるで、振り子のように。
一旦動きを止めた鉄球は、加速しながら戻ってくる。
「ナメるなよ?」
明智は再び鞘で受け止めた。
ゆっくりと力を溜め、全身の筋肉を使って、鉄球を押し返す。遠ざかって行く鉄球。明智は鞘から剣を引き抜き、力任せに薙ぎ払った。
「魔術斬攻」
鉄球と天井を繋ぐ鎖が2つに割ける。剣を振ることで斬撃を放ち、鎖を断ち切ったのだ。
鉄球は上がっていく勢いそのままに、奥へと飛んでいき、グランドピアノの上に落下した。不協和音の悲鳴をあげて、ピアノが潰れる。なおも勢いの収まらない鉄球は床まで到達。メリメリと、ベキベキと、床に亀裂を走らせた。
動きが止まったことを確認して、明智は鉄球から目を離す。半円状になっている部屋を見渡して、人の気配がないことを再確認。
「いないか……」
罠があったが、隠れているわけではないらしい。教室のボウガンと同じように昨夜のうちに仕掛けられたものであるのは間違いないが、自らの侵入すら拒むような罠だった理由は謎だ。
だが、考え込むだけの時間的余裕はない。
剣を収めて、明智は音楽室を後にした。
音楽室の扉を閉めて、例の教室の前を通り過ぎる。横目で中を確認したが、中の生徒達は大人しくしているようだった。
無人の教室の前を通り過ぎ、廊下を曲がる。
「こいつは……」
階段の前に、背中に針が突き刺さった男子生徒が立ち塞がっていた。誰かを庇っているような姿勢にも見えるが、腕の中に人影はない。
「大橋護か」
長身であることと服装から、顔を見ずとも名前はすぐに思い出せた。
教室で名前を書かせたときに反発した生徒の1人であり、魔術師の可能性があるとにらんだ生徒だったからだ。
「死んでるな」
明智は首に手を当て、大橋が死んでいることを確認。視線を階段の下に向ける。
コの字型の踊り場に、生徒が倒れていた。服装からして女子だろう。体型はぽっちゃりとしており、髪はショートボブ。大橋が誰かを庇っているような姿勢であることを考えると、
「佐倉衣美か」
瞬時に正体を推測し、答えを確かめるために階段を飛び降りる。少女が動く気配はない。
明智はそっと首に手を当てた。
どくんと、力強い脈動が指先に伝わってくる。
「生きてたか」
階段を転がり落ちたことで気を失っているようだが、死んではいなかった。出血はしているが、打ちどころが良かったのか、それとも……
「調べてみるか」
目を閉じ、視覚を一時的に遮断。指先に神経を集中させることにより、聴覚、嗅覚、味覚を限界まで抑え込み、魔術を発動させる。
「探索魔術」
対象にかけられた魔術を探るためではなく、対象が魔術師であるかどうかを探るための魔術だ。師である金田一が得意とする魔術で、明智自身は苦手とする魔術だったが、今は彼がやるしかなかった。
指先から魔力が流れ出し、対象の情報を集めて、戻ってくる。
「……違ったか」
結果は白。佐倉は魔術師ではなかった。
大橋があの針から身を呈して彼女だけは守ったのだろう。落ちることまでは防げなかったようだが、それでも生きている。命をかけた意味はあったということだ。
ついでに言うなら、佐倉は魔術師を見ているかもしれない。明智が追ってきたため、トドメを刺されなかったと考えられるからだ。
貴重な生き証人。
だが、目覚めるのを悠長に待っている暇はない。治癒の魔術は使えないし、無理に起こそうとすれば、出血が悪化して死に至る可能性もある。
「ま、頑張って生きるんだな」
明智は立ち上がり、階段を駆け下りた。が、すぐに足を止めることになる。
2階のフロアから1階に続くコの字型の踊り場まで、まるで砂地獄が出来たかのように、階段の1部が崩れていた。
考えるまでもなく、魔術師の仕業だ。
「これがさっき感じた魔術の正体か……?」
来た時には崩れていなかったし、教室で待機している時に反応は感じていない。直前の魔術反応と結びつけて考えるのは、自然の流れだ。
「2階にいるのか……」
そのタイミングならば、生徒達が下へ降りられないようにするためだと考えるのも、至極当然の流れだろう。
明智は2階の廊下に出た。
左側には美術室。ピアノ室の真下にあたる位置で、通り抜ければ外階段がある。外には繋がっていないが、1階には降りられるため、行く生徒がいないとは断言出来ないだろう。
右側には教室が幾つか並んでおり、廊下を抜けた先には非常階段がある。――そこに誰かがいた。
「魔術師っ!」
人影は非常階段の柵に寄りかかったまま動かない。明智は鞘に手を掛けながら、駆け出した。
「魔術斬攻!」
剣を引き抜き、斬撃を放つ。
魔術により生み出された極薄の刃は、人影のすぐ脇、非常階段の手すりを斬り裂いた。威嚇の意味を込めた一撃だ。それを受けても人影は微動だにしない。
「気に入らねぇ……」
明智は剣を納刀し、加速する。
人影へと近づいていき、その姿が見て取れるようになった。茶色がかった黒髪が特徴で、白を基調としたワンピースには、桃色の装飾品が数多くあしらわれている。いかにも、いまどき女子といった風貌だ。
記憶を巡り、生徒の名前を導き出す。
「萌島っ!」
その声に答えるようにして、萌島の腹部に魔法陣が浮かび上がった。同時に、明智を取り囲むように薄紫色の結界が現れる。
「くそっ、罠かっ!」
明智は剣を振り抜き斬撃を放つ。斬撃は結界を斬り裂くことなく霧散した。
明智は立ち止まり、目を閉じる。
発動しているのは、典型的な結界魔術だ。この手の魔術には内側と外側に起点となる何かが存在すると、今は亡き師から習ったことがある。
実戦で見るのは初めてだが問題はない。
意識を集中させ、内側にあるであろう起点を探す。
探索魔術は苦手な明智だが、魔力の感知に関しては、そこまで不得手とはしていなかった。
自分の近くから、遠くまで。少しずつ範囲を広げながら、確実に。
「見つけた」
明智は目を閉じたまま、剣を抜いた。ゆっくりと狙いをつけ、動く《標的》に向けて、斬撃を放つ。
「ピニィ」
歪な鳴き声を伴って標的が消滅。結界はその形を維持することが出来なくなり、霞のように霧散した。
「また、生物か」
教室で攻撃を仕掛けてきた蝙蝠の群れといい、生物を操る魔術は協会の中でも出来る魔術師の限られた高等技術だ。
虫や鳥といった小動物であったとしても、それを成し遂げる魔術師の技量は驚異的だと判断せざるを得ないだろう。
明智はゆっくりと目を開け、歩き出――せなかった。地面に縫いつけられたかのように、足が持ち上がらない。
「くっ、いつの間に……」
足元には蜘蛛の巣のような模様。考えるまでもなく、魔術だ。手や顔は動かすことが出来るから、おそらく足を止めるだけの魔術ということだろう。
それも、結界の破壊が発動のきっかけの……いや、違う。
「起点か……!」
起点の破壊された際に生まれるエネルギーを使い下等な、けれど足だけは止めることの出来る魔術が発動する。
その目的は少しでも長く足止めすること。
「ちぃ……」
明智は意識を集中させるために、目を閉じた。
探すのは結界を張っていた場所より外側。壁に動く気配を察知。斬撃を放つ。
「ピニィ」
小さな虫――罠から考えるなら蜘蛛――を両断。結界が消えていたことにより、壁さえも紙切れのように斬り裂いた。細い線だが、亀裂は亀裂。修繕を手配する時に伝えておく必要があるだろう。
気を取り直して、明智は萌島の救出に向かう。
魔術の紋様が腹部だけでなく全身に広がっていること、足止めに魔術を用いていながら逃げなかったことから、彼女は撒き餌として利用されただけだと理解したのだ。
おそらくは、結界の発動と同時に彼女の体に仕掛けた魔術が発動するようになっていたのだろう。
明智は剣を収めて、全力で駆ける。
だが、間に合わない。
全身に刻まれた幾何学模様が怪しく光り、萌島の体が爆発した。肉体は木端微塵に砕け散る。遺体どころか遺骨さえ残らないだろう。
そして、老朽化した非常階段はその爆発で完全に崩壊した。
「くそっ!」
明智は壁を殴りつけ、踵を返す。
魔力で身体強化が可能とはいえ、足元が崩れた階段という状況で、2階から飛び降りようとは考えなかった。