非日常が始まる時
時刻は8時15分。朝のHRの開始を告げるチャイムが鳴り響く。
「はい! 皆さん揃ってますね!」
それを待っていたかのようなタイミングで城田先生が扉を開けた。いつものように笑顔を浮かべて。
「では、お願いします! 金田一さん!」
そう言って教室を見渡すが、目的の人物を見つけることは出来なかったのか、首を傾げる。
「えー、あれ?」
後ろのほうに明智はいるのだが、それは目に入っていないのか。
「……先輩なら、今日は来ませんよ」
待つのをやめて、明智が静かに立ち上がった。先生は目をぱちくりさせている。
本気で気づいていなかったらしい。
「ど、どういうことですか」
「先輩は殺されました。恐らく、このクラスにいる魔術師にな」
睨みつけるように生徒を見渡しながら、明智は進む。犯人はこの中にいると確信しているような瞳だ。
本当に死んだのかはわからないが、表情を見る限り嘘だとは思えない。
となると本当に……。
「…………」
「このクラスにいる全生徒の履歴書は見せてもらった。家族構成から友人、恋人などパーソナルデータまで、徹底的にな」
最前列まで来たところで振り返り、悪鬼の形相を浮かべる。仲間の死は、それほどまでに許し難いことだったらしい。
「俺は、この中に魔術師がいると確信した。協会に盾突いたことを後悔させてやる」
先生を押しのけるようにして教壇へと登ると、白い手袋を乱暴に外して、教卓に叩きつける。
「さあ、魔女裁判を始めるぞ」
獰猛な笑みを浮かべ、取り出したのは白紙の紙切れ。どこから出したのかが全くわからない手品のように素早い動きだった。
「今からこのカードを配る。各人それに自分の名前を書け」
そう言いながら、明智はカードを空中にばらまく。そのカードは不自然な軌道を描きながら、全員の机の上に落下した。
「なんでこんなことするんすか?」
疑問を呈したのは大橋護。長身痩躯の男子生徒だ。いかにも勉強が出来そうな黒縁眼鏡をかけているが、バリバリの体育会系であり、学業成績は芳しくない。
ちなみに彼女持ちだ。
「たしかに。説明が欲しいですね」
隣の席の智季が、眼鏡を指で押し上げながら続く。体の線が細く、華奢と表現しても違和感のない男子生徒だ。ユニセックスな服を好んで着るし、漫画風に表現するなら、クラスにおける男の娘枠だろう。見た目だけだが。
ちなみに彼女持ちだ。
ざわざわとあちらこちらから声が上がり、クラスが静かな雑音に包まれる。内容まではしっかりと聞き取れないが、動きや表情から察するに、素直に従うべきかを悩んでいるといったところか。
このままでは話が進まないと思ったのか、明智はため息をついてから口を開いた。ただし、それは説明のためにではない。
「黙って書け。殺すぞ」
なんの誇張でもなく、この復讐に燃える羅刹は従わない生徒を殺すだろう。そう思わせるほど冷たく、殺意の宿った瞳だった。
「オレァそんな脅しには乗らねぇぞ」
1番前の中央。最も近い席に座るメンディーが立ち上がった。
メンディーとは言っても外国人じゃない。蘭雅のようなハーフでもなく、ただのあだ名だ。天パのかかった茶髪と呂律のまわりきっていない独特な話し方以外は、至って平凡な男子生徒である。
ちなみに俺と同じで彼女はいない。
「脅しだと思うか?」
明智は鞘に手をかけ、メンディーを睨みつけた。
「……はぃ」
意気消沈としてメンディーは席に座る。何のために立ち上がったんだか。
とはいえ、これでもう誰も逆らうことは出来ないだろう。
俺は与えられた紙に自分の名前を書いた。
「なぁ、あの刀本物かな?」
隣の席から声がかけられる。ちらっと横目で確認すると、敦も名前を書き終えていた。
「わからないな」
現状において本物と断言する根拠がないので、そう答えておく。
「いや、まぁな」
敦は困ったような苦笑い。
純粋にどう思ったかを聞きたかっただけか。
「でもまあ――」
「あれは、本物だな」
俺の言葉を遮るように答えたのは、敦の向こう隣に座る猿渡だ。幽霊部員とはいえ剣道部に所属していたはずだが、何か根拠があるのだろうか。
「だよな」
敦は椅子を後ろに引いて、笑った。細かい理屈はいらないらしい。
「確かに、本物っぽいな」
「だろ?」
同調しておくと、猿渡は得意げな笑みを浮かべる。本人にその気はないのだろうが、笑顔はなんとなく悪役っぽい。
「それに、あいつは相当な使い手だと思うぜ」
「なるほど」
「確かに」
幽霊部員だが、剣道部の人間がそういうと説得力がある。俺と敦は思わず頷いていた。
「勘だけどな」
猿渡は悪役風の笑みを浮かべる。
「書き終わったら前に回せ!」
ふいに明智が声を荒らげた。俺達と同じように雑談をしていた生徒が、慌てて姿勢を正す。
俺も前を向き直し、名前を書いた紙を前の人に渡した。彼女は、自分が書いた紙を重ねて、さらに前へと渡す。
次は何を始めるのか。
そんなことを考えていると、前の人――御子柴が振り向いた。
「どうなるんだろうね?」
不安そうな表情のクラスメイトが大多数を占める中、御子柴は楽しそうな笑みを浮かべている。この状況を楽しんでいるなら、きもの据わった少女と認識を改めなくてはならないな。
「さあな」
質問については、俺は明確な回答をしなかった。下手な予想でも、当たっていたらあとで面倒くさくなりそうだからだ。
「うちはさ。カードを飛ばして、1つだけの正解を射抜くんだと思うんだけど」
「なるほど」
俺は納得したように頷いておく。納得してはいないけど。マジックじゃないからそんな事じゃわからないと思ってるけど。
「ありかもな」
隣の席の敦は鼻で笑った。本気だとは思ってないな。完全に面白がって言ってるだけだ。
「でしょー」
にも関わらず、御子柴は得意げだ。
どうしてこうなった……
「寝てるのか?」
怒りを帯びた明智の声。俺は声のしたほうへと視線を向ける。
廊下側の最前列。俺とは対極に当たる場所でいつも寝ている根村が、いつものように寝ていた。こんな状況で寝られるとは図太いというか、なんというか。
「なんかおかしくない?」
それに疑問をもったのは、御子柴だ。
「どういうことだ」
普段の授業の時にもある光景。そんなに気になるところはないと思うのだが。
「よくわかんないけど」
「そうか」
要するに女の勘というやつか。
で、根村のほうだが、後ろの萌島や横の敬博が必死に揺り起こそうとするが、ピクリともしない。厳密には揺すられて揺れているのだが、それだけなのだ。
「おい。起きろ」
我慢しきれなくなったのか、明智が鞘に手をかける。
「殺すぞ」
脅しではなく本気。修羅の如き瞳が、それを雄弁に物語っていた。
「待てよぉ」
今にも抜刀しそうな鬼を止める声。明智はゆっくりと振り返り、怒気をはらんだ声で返した。
「貴様。なんのつもりだ?」
声、瞳、仕草から、突き刺すような怒りと憎しみが伝わってくる。仲間を殺されたことへの、憤り。あるいは、肉親の仇を見るような表情だ。
「殺すこたぁないと思ってな」
メンディーは睨まれても怯むことなく進んでいく。さっきはすぐに諦めたが、クラスメイト――いや、仲間のためならば、強く出られるのか。
俺の中でメンディー、いや、妻鳥の評価が少し上がった。
1歩、また1歩。近づいていくごとにクラス全体の緊張感が高まっていく。
さらに、1歩――
「きゃぁぁぁ!」
最初にわかったのは、誰かが悲鳴をあげたということだ。
少し遅れて、妻鳥の体に矢が突き刺さっていることに気がついた。
やったのは明智――ではない。
どこからか放たれた矢は、妻鳥を背中から貫いていた。もし彼が動いていなければ、射抜かれていたのは明智だっただろう。
つまりあれは、誰かが魔女狩り執行官である彼を殺すために用意したものだ。
「魔術師!」
同じ結論に至ったのか、明智は怒り狂った表情で剣を引き抜く。純白の刀身が煌めく、美しい剣。
だが、その判断は間違っていた。
生徒達はパニックに陥り、悲鳴をあげ、立ち上がり、教室から出ていこうと走り出す。
「戻れ!」
声を荒らげる明智に向かって、天井から黒い何かが飛び出した。それも1つではなく、1度でもなく、数えきれないほどの数の黒い何かだ。
「邪魔だァ!」
明智は怒鳴りながらも冷静な剣捌きで、黒い何かを切り捨てる。床に落ちて動かなくなったそれは、蝙蝠か? 体は丸く羽は小さくて歪だが、そう呼ぶのが1番近いだろう。
被弾数はゼロ。
しかし、約半分の生徒が教室の外へと出ていくことは止められなかった。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
明智は近くにあった椅子や机を、手当り次第に蹴り飛ばす。射たれた妻鳥と未だ動く気配のない根村は心配だが、いま動けば斬られかねない。
俺は明智が落ち着くまで、静観することを決めた。