金田一という大人
放課後。例のクラスの担任をしている城田に連れてこられたのは、生徒指導室。
城田はスーツの胸ポケットから小さな鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。ガタガタと扉を揺らしながらなんとか鍵を回し、扉を開ける。
部屋の中には扉の状態から予想した通りの光景が広がっていた。掃除をしなければ埃が溜まっていてもおかしくない棚の上や部屋の隅だけでなく、椅子や机、普通に生活していれば埃が溜まることなどないはずの場所にすら薄らと埃が積もっている。窓から差し込む黄色がかった太陽光は、扉を開けた時に舞った埃を照らし、いかんとも言い難い情景を作り出していた。
相談したいことがあると言っていたが、もう少しまとも部屋はなかったのだろうか。
待遇に不満を抱きつつも、金田一は笑顔を崩さなかった。椅子に溜まった埃を払い落として、腰を下ろす。
城田はその向かい側に遠慮がちに座った。すぐにでも話を始めるかと思ったが、とってつけたような笑顔を浮かべるだけで、全く要件を切り出してこない。
「それで要件は?」
痺れを切らした金田一が、会話の口火を切る。
「……今回の結果は、どうでしたかね?」
「ダメですね」
少し間がありつつも、城田は前のめりになって尋ねた。一方で、金田一は背もたれによしかかったまま即答する。
「あなたに付与した魔術による囮にも引っかかりませんでしたし、授業を監視しても全く手掛かりが掴めませんでした。一般人に紛れるという意味では、優れた魔術師ですよ」
年代物の煙管を取り出し、口に咥え、指を鳴らして、火をつける。息を吸い込み、肺に取り入れた空気を、ゆっくりと時間をかけて吐き出した。
「あの、本校は禁――」
「魔術師というのはですね」
城田が何かを言いかけるが、被せるように声を出す。偶然ではなく、わざとだ。
案の定、彼は強く出ることが出来なかった。
金田一は勝利の笑みを出さないようにして、話を続ける。
「魔術師はね。魔術を使っていなくても独特の雰囲気を持っていますからね。気づけるんですよ、普通は」
魔術師は煙管を弄びながら、天井を見上げた。
「先生が魔術を使ったり、魔術師を名乗る人間が現れれば動揺して尻尾を出すかと思ったんですけどね。何か魔力を抑える魔具でも……いや、野良が持ってるわけはないか」
「あの、魔具とは……?」
城田が恐る恐る訊ねる。
金田一は考えるように視線を上に向け、下に向かって鋭く息を吐き出した。そして、煙管を真っ直ぐに突き出す。
「これも魔具です。魔術師のための道具とでも思ってください。さっき言いかけたのはこっち。捕らえた魔術師を無力化するための魔具です」
金田一は空いている手で懐から手錠を取り出した。ぶつかるたびにカチャカチャと音を立て、2つの輪っかはおもちゃではないと静かに主張する。
「拘束具としても使えますし、円形のほうがより高い効果が得られるんですよ」
「な、なるほど」
日常から離れた話題ばかりだったせいか、城田の眉は垂れ下がっていた。
「まあ、役に立つこともないので忘れてください」
金田一は、ふーっと煙を吐き出し、立ち上がる。
「しかし、まぁ。冗談半分で数日なんていいましたけど、ほんとに数日はかかるかもしれませんね……」
白いため息をつきながら、金田一はスマホを取り出した。何度か画面を操作して、そこに打ち込んだ文章を城田に向ける。
【明日は休日ですが、例のクラスの生徒を登校させてもらえますか?】
無言の問いかけに対して、城田は黙って頷くことしか出来なかった。その反応を見て、金田一は満足げに笑う。
「まぁ、相手がどんなに優れた魔術師であれ、早々に見つけてあげますよ」
金田一は得意げに、煙管を掲げた。窓から差し込む光を受けて、煙管がギラりと鈍色に輝く。
「《魔煙》の名にかけて、ね」
小さな声で付け足して、服についた埃を払い落とし、金田一は生徒指導室を後にした。
◇
城田との面談を終えて教室に戻ってくると、孝明の周りに男女10人ほどの人集りが出来ていた。微笑ましいと思うと同時に、少しだけ近づくことを躊躇ってしまったが、気にする事はない。
優しげな笑顔を浮かべながら、声をかける。
「人気者だね」
ざっと、人集りが割れた。
「……俺はモーセかよ」
金田一は誰にも聞こえないように呟くと、小さく息を吐いた。柔和な笑みを浮かべ直し、人集りを通り抜ける。
生徒達は怯えるように道を開けたが、努めて気にしないようにした。
「お疲れ様です。先輩」
孝明は立ち上がり、深々と頭を垂れる。
「帰れるかい?」
金田一は端的に尋ねた。人集り――魔術師がいるかもしれない――に長居したくないとの判断だ。
「いえ、実はカフェに誘われてまして」
『魔術師を炙り出す手がかりを掴めるかも知れません。自由行動の許可をお願いします』
口で最低限のことを説明し、念話魔術により詳細を付け加え、許可を求めてくる。
この念話自体も炙り出すための作戦か。
「ふっ」
金田一は思わず吹き出した。
誘ってきた人――おそらく女子は、どう考えても、孝明と遊びたいだけだ。そんなことで魔術師の手がかりが掴めるはずはない。
「あぁ、構わないよ。行っておいで」
それでも金田一は止めなかった。
それは下手に拒んで、女子から恨まれないようにというのがひとつ。魔女狩り執行官には魔術師以外から恨みを買ってる暇などないし、そもそも人から恨まれたいと思う方が稀有だろう。
そして、普通の高校生活を送ってこなかった彼への親心からというのがもうひとつの理由だった。
「ありがとうございます」
『……念話魔術に反応した生徒は見受けられません』
『みたいだな』
魔術師が念話に反応すれば儲けものと思ったが、そんな下手を打つ敵ではないらしい。
『頑張れよ』
何をとはあえて言わなかった。
◇
片手で扉を閉めながら、白煙を吐き出す。
「探索魔術」
小さな声で呟き、魔術を発動。口腔内に残っていた僅かな白煙では魔術師かどうかを判断することは出来ないが、教室の中の動きは把握するくらいは可能だ。
閉めた扉に寄りかかり、金田一は意識を集中させる。
ゆっくりと頭を上げる明智。小さくガッツポーズをする女子生徒。楽しそうに会話を弾ませる生徒達。その様子を遠巻きに見ている野次馬生徒。羨望とも嫉妬ともとれそうな目を向ける男子生徒達。我関せずと会話に興じる生徒達。帰り支度を整えて、教室を出ようする生徒。
っと。
扉に近づいてくる生徒の気配を感知して、金田一は扉から離れる。だが、少しばかり動くのが遅かったらしい。
「あ……」
教室から出た生徒に見つかってしまった。
女子生徒は後ろ手で扉を閉め、戸惑ったような表情を浮かべながら金田一に近づいていく。その行動は怖いもの見たさか、それとも……
「まだ、居たんですね?」
今更ごまかす必要はないと判断し、金田一は少女と向かい合う。
「そうだよ。君は萌島君だったかな?」
少女は無言で首を縦に振った。
少し探りを入れてみるか。金田一はそう考え、人の良い笑顔を浮かべた。
「実は孝明のことが心配でさ。あいつは、その、あれだからな。人付き合いが苦手なんだよ。出身もこの辺だし、歳も近いけど、知り合いもいなそうだしさ」
「そう、なんですか」
萌島はたどたどしく答える。
「まぁ、長い付き合いになるかはわからないけど、君も仲良くしてあげてよ。今日とか、カフェに行くみたいだしさ?」
少し眉をさげ、困ったような笑顔を浮かべる萌島。その表情の意図がどこにあるのかと、金田一は目を細めた。
「ごめんなさい!」
「え?」
萌島は勢いよく頭を下げる。
突然の行動に金田一は目を丸くした。
「無理なんです! ごめんなさい!」
1人で叫んで、萌島は走り去る。
金田一はその後ろ姿呆然とを眺めていた。少女が階段に消えてから、大きくため息をつく。
「なんか、フラれたみたいになってるんだが……」
誰もいない廊下で寂しく呟くその姿は、まさに告白して玉砕した男の姿だった。金田一は誰にも見られていないことを確認し、安堵の息を漏らす。
「……っ!」
不意に、トレンチコートに入っている携帯が震えた。金田一はポケットの上から携帯を押さえる。
教室の中にいる生徒達が気づいた気配はない。
静かにそれでいて素早く、金田一は教室から離れた。
学校を出て、駐車場に停めてある愛車の元へ。車に寄りかかって、金田一は携帯を取り出した。振動は既に止まっていたので、リダイヤルのボタンを押す。
「すみません。取り込んでいて、遅くなりました」
誰からなのかは気にしない。配給された携帯にかかってくるのだから、関係者に間違いないのだ。
『構わないさ』
電話口に聞こえてきたのは、重量感のある落ち着いた声。金田一は思わず居住まいを正した。
「理事長でしたか」
『あぁ。それで、手応えは?』
理事長は端的に結論だけを求めてくる。
「本日は発見には至ることが出来ませんでした。明日は魔術を行使してでも、発見出来るように努めたいと思います」
今日もすでに使用しているとは言わない。彼の基準では、ノーカウントだ。
『そうか。期待しているぞ』
「ありがとうございます」
金田一が言い終わるとすぐに、電話は切れた。魔術師に場所を探られることを警戒したのかもしれない。
「はぁ……」
金田一は肩の力を抜いて、車に寄り掛かると、袖口から年代物の煙管取り出して、口に咥えた。
魔術を発動するわけではない。ただの息抜きだ。
金田一は空を見上げて、白く深いため息をこぼした。