修羅場のある日常
「2人ともやめなよ。真が困ってるでしょ」
颯爽と現れ、不毛な争いを止める澄んだ声。
「わ、悪い」
博人は冷静さを取り戻したのか、俺の肩から手を離して、姿勢を正した。
「わかればよろしい」
満足そうに頷く鈴のような声。この声の主は顔を見なくとも声だけで判断することが出来る。というか、この場に介入してくるような女子は1人しかいない。
「ありがとう、石田さん」
「礼には及ばないわ」
顔を見上げてお礼を言うが、その反応は素気なく、いつも通りの涼し気な顔で俺を見下ろしている。つか、近くね?
お礼は言ったし、余計なことに巻き込まれる前に離脱したいのだが、彼女が進行方向に立っているため下手に動くことが出来ない。後ろは窓で、左は机、右は博人が行く手を遮っていた。
なにこれ、四面楚歌?
「今日もクールだね。まな板ヒーロー」
そんな中、蘭雅が余分な茶々を入れる。
「誰の胸がまな板じゃ、こらぁ!」
澄まし顔はどこへやら。少女は鬼の形相を浮かべる。こいつはそうなるのをわかっていてやっているからタチが悪い。
最初は勘違いだったのに、言われて怒る彼女の様子をあのあだ名大好きマンが気に入ってしまったのだ。
「待てこら、おい」
そそくさと逃げていく蘭雅を追いかけて、石田が走り去った。
道が開ける。
今のうちに教室を出ようと立ち上がるが、目の前に2人の男子生徒が立ち塞がった。
1人は中性的な顔立ちで覇気のない瞳が特徴の青年で、もう1人はちゃらちゃらとした雰囲気で目尻の下がった瞳が印象的な少年だ。
砂月と吉備津。現れるのは予想の範囲内の2人だが、同時に来るのは今までになかったパターンだ。
状況が好転する訳ではないが。
「ちょっといいか?」
直訳――待て。
疑問符で聞いているが、どう考えても拒否権はない。というか、砂月の顔が怖い。笑顔なのに怖い。
「まあ、座って話そうぜ?」
直訳――座れ。
俺は大人しく座り直した。
見下ろす吉備津は座ろうとしないが、そこを追及しても仕方ないだろう。
「おれの姫と何を話してたんだ?」
砂月が単刀直入に訊いてきた。吉備津がいるからか、いつもより直接な言い方だが、予想通りの質問だ。
どう返事をしようかと考えていると、吉備津が、砂月に食ってかかる。
「姫はお前のものじゃない。訂正しろ」
大事なのはそこか。
「うるさいな。そんなこと言ってる場合じゃないだろ?」
「どんな場合だろうと関係ない。オレの姫だ」
「はぁ? お前こそふさげるな。おれの姫だ」
「いやいや、フツーにオレの姫だから」
「姫との仲の良さはおれのほうが上だ」
ちなみに、姫とはあだ名でなく本名だ。
そんな可愛らしい名前なのだが、蘭雅のつけたあだ名はまな板ヒーロー。余談だが、まな板の部分の由来は、家庭科の授業の時の華麗な包丁さばきだ。さらに余談だが、俺のあだ名がヒロインになったそもそもの理由は彼女だったりする。
まあ、今日みたいなやり取りから連想されたら、その関係図は否定しづらい。断じて、彼女に恋愛感情などないが。
……それはそれで言ってて悲しくなるな。
「ほー、なにか根拠があんのか?」
「おれはお互いの誕生日を知ってる」
「それくらい当然だな。オレはお互いの血液型も知ってる」
「それも当然だ。おれなんか、家に来たもらったことがある」
「それくらいオレだってあるぞ」
「その時は、ご飯も一緒に食べたな」
「ちっ……」
「それに、休日に2人だけで買い物に出掛けたことだってある」
あ、それは俺もあるわ。
「はっ、買い物くらいで偉そうに。オレは一緒に映画を見たぞ」
「くっ……」
「休日に映画館とか、どう考えても脈アリだろ」
「くっ……」
「返す言葉もないか? なら、姫はオレの姫ということだな」
言い争いが激化していくので、その隙に離脱しようとすると、
「「待て」」
2人は同時に俺を睨みつけてくる。無駄に息ぴったりだ。
「で、オレの勝ちなわけだけど」
「はぁ? まだあるっての」
諦めて椅子に座ると、2人の口論が再開された。こっちは無視ですか。
「なら、言ってみろよ」
「おれと姫は席が隣同士だ」
「そんなの運じゃねーか」
「運も実力の内だ。それに、おまえは遠いじゃないか」
「ちっ……」
「言い返せないか? 決着はついたな」
「バカ言ってんじゃねーよ」
「馬鹿だと?」
「あーバカだ。運ならオレだって負けてないんだよ」
「言ってみろよ」
「オレの方が出席番号が近い」
「くっ……」
「それに、苗字が変わったときの響きもオレの方が勝ってるな」
「はぁ? それはないだろ。響きならおれのほうが上だ」
吉備津姫と砂月姫か。少し考えてみたが、どっちも響きがいいという感じはしなかった。砂の月じゃなくて海の月だったら、勝ってたかもしれないが。
「おれのほうが一緒に出掛けた回数は多い」
「それは勘違いだな。オレのほうが一緒に出掛けてる」
「はぁ? おまえのほうこそ勘違いだろ」
「なら言ってやろうか? 今月だけで6回だ」
「ろっ……、おれは7回だ。おれの方が多いだろ」
「今盛っただろ? ホントは1回も行ってないんじゃないか?」
「はぁ? 行ってないわけないだろ? 6回だよ、6回。同じじゃ勝負つかないから盛ったんだよ」
「はっ、苦し紛れの嘘だな。なら、休日に一緒に出掛けた回数は?」
「3回だ。出掛けたうちの半分が休日だ」
「……オレは4回。おまえより多いんだよ」
「嘘だな。いま答えるまでに間があったろ? 嘘に決まってる」
「あー、うっさいな。はいはい、嘘吐きました。ホントは3回です」
「嘘ついたあとの発言は信用ならないな」
砂月さん。それ、盛大にブーメランしてます。というか、2人合わせて休日に6回も出掛けてるって、多過ぎませんかお姫様。
「なら、内容で決着をつけようか」
「おれは食事が3回、銭湯が2回、買い物が1回だ」
「はっ。オレは食事が4回に映画と買い物が1回ずつだ」
「おれの勝ちだな」
「いやいや、オレの勝ちだろ」
「はぁ? おれの勝ちだって」
「いや、オレの勝ちだから」
「お前は銭湯行ってないだろ?」
「お前こそ映画行ってないだろ?」
「そうだな。でも、その回数が違うだろ?」
「映画なんて何度も行くものじゃないからだろ。第一、銭湯だとバラバラじゃんか」
「中はバラバラだな。でも、同じ店にはいるんだよ」
「ちっ……」
「むしろ、映画とか見てる最中は話も出来ないからマイナスだろ」
「そんなことはないさ。肘掛けとか、肘掛けとか。うへっ」
「妄想かよ、キモイな」
「現実だし。まあ、行ってないお前には想像出来ないだろうけどな」
「なんだと?」
「あぁ、それから。オレはお互いに名前で呼びあってるぞ」
「くっ……」
「お前は未だに苗字呼びだよな」
全くもって不毛な議論だ。そして、この論争を聞くのも飽きてきた。
「あのー、発言しても大丈夫ですか?」
このままではいつ終わるのかわからないので、手を挙げて存在をアピール。2人は口論をやめて、俺のほうを睨みつけてくる。睨まなくても良くない?
「特になくてですね。助けてもらっただけなので」
それでも怯まずに事実を述べる。
「本当にそれだけか?」
砂月が向けてくるのは疑惑の目。紛うことなき真実であっても信じてもらえないとは、悲しい現実だ。
「それだけです」
両手を挙げて降伏の意を示す。
じろじろと睨みをきかせる2人だったが、わざとらしく深いため息をついた。嘘ではないと判断されたのだろうか。
「背後には気をつけときな」
「足元にもな」
物騒な忠告を残して、2人は別々の方向へと去っていく。
「はぁ」
疲れた。
「おつかれさん」
ひょっこりと博人が現れた。いつの間にか逃げていたらしい。まあ、逃げ足だけは早いやつだからなぁ。
「お前さ――」
「それより、これからどうすんだ?」
文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、話題を変える気らしい。まあ、追及しても虚しいだけだしな。
「普通に次のバスで帰るつもりだが?」
この学校は町外れにあり、市街地へ向かうバスが約1時間おきに出ているのだ。あと2、3分もすれば、3時30分発の便が来るだろう。
「そっか。ならいいや」
博人はそれだけ言って、いなくなる。なんだったんだろうか。……まあいいや。
そろそろ帰る準備をするとしよう。
「…………」
ふと窓の外を見ると、金田一が車に寄りかかって、紫煙をくぐらせていた。あの白いミニバンは彼の車だろうか。
「まあ、どっちでもいいが」
――非常に気に食わない。
俺はその様子を写真に収めた。男は何故か教室を見上げたため、顔がしっかりと写っている。これなら問題は無いだろう。
俺は事務室へと足を向けた。
事務室で用事を済ませ、急いでバス停に向かう。が、そこには誰もいなかった。早くついたーーなんてことはない。やるべき事をやっているうちに時間を過ぎてしまったのだ。
次の便までは、1時間ほど時間がある。
「……ヒトカラでも行くか」
町外れとはいっても辺鄙な田舎というわけではない。10分も歩けば、ちょっとしたカフェやカラオケボックスくらいはある。
ここで暇を持て余すよりはよっぽど有意義だろう。
なお、道中のカフェで明智御一行を見かけたが、そこには加わらなかった。教室では集まっていなかった颯大や敬博がいたから、参加は自由なのだろう。
それでも、俺は参加しなかった。
……別に寂しくはない。