魔術師がいる教室
午後1時。五月晴れの空からは暖かな光が降り注ぎ、教室は陽気に包まれる。それだけでも眠くなるというのに、次の授業は公民だ。ただただ先生の話を聞き続けるだけの50分は、退屈でしかない。
机に伏せっていると、授業開始を告げるチャイムの音が耳に届いた。と同時に、扉を引き開ける音が鳴る。
俺はゆっくりと頭を上げた。
「時間ピッタリですね! こんにちは!」
教壇に立って、ニコニコと笑うのは初老の男。いや、56歳は初老じゃないか。……まあいいや。
「皆さん元気そうで、よかったです!」
先生は皆さんというが、厳密には1人だけ来ていない。
まあ、朝から居なかったし、1週間も続けば他の生徒だって気にしなくなる。廊下側の最後列なんて、視界に入りにくい席でもあるし。
「陽気なお天気ですが、寝ないでいきましょう!」
髪の毛は白みがかっているがふさふさとしており、顔の皺は少ない。常にニコニコとしていて、ハキハキと歯切れよく話す。
「えー、はい! そうですね!」
行事ごとに聞かされる校長先生の長話。それよりもさらに長い話を、授業の前置きとして繰り返す。
それが公民の教科担当であり、このクラスの担任でもある城田先生だ。
「今日は皆さんにお話したいことがあります!」
と、お決まりの台詞から長話は始まる。これもある意味ルーティンというやつだろうか。まあどちらでもいいことだが。
窓際の最後列を手に入れている俺は、早々に狸寝入りを決め込んだ。
「実は先生。小さな頃に不思議な体験をしましてね!」
視界を塞いでも響いてくる声は、思考に意識を集中することで遮断する。
今日の昼ご飯は何を買おうか。
今日の晩ご飯は何が出るだろうか。
明日は休みだから、親にでも任せるか。
明後日も休みだし、親任せでいいだろうか。
卒業したら昼ご飯はどうしようか。実家通いなら朝夜は親に頼もうか。昼は……食堂とかどこでもあるものなのだろうか。
そんなどうでもいい――主にご飯の――ことを考えていたのだが、先生の発した単語に耳が勝手に反応した。
「皆さんは魔法使いという存在を信じますか!」
魔法、か。
そんなの便利なものは、フィクションの中だけの存在だ。
「信じる人は手を挙げてください!」
先生は楽しそうな声で呼びかけるが、園児じゃあるまいし誰も手は挙げないだろう。そう思いつつも、1人くらいはいるのかもしれないと思い顔を上げてみると、
「まじかよ……」
俺以外の全員が手を挙げていた。
むしろ1人だけ挙げていないと浮いてしまいそうなので、何食わぬ顔で手を挙げておく。
「全員ですかね! よかったです!」
先生は嬉しそうに笑った。
しかし、この先生は一体何を話したのだろうか。
サンタを信じているような純粋な人なら、魔法使いを信じていてもおかしくないが、この人数は普通じゃない。
話の信憑性が高かったとしてもこんなことがありえるのか? むしろ全員が魔法使いを信じて手を挙げたのだとすれば、それこそ魔法だろう。
今日は珍しく先生の話を聞かなったことを後悔しそうだった。しそうな、だけだが。
「では! お客様を紹介しますね!」
その言葉に合わせて、扉がゆっくりと開かれた。
「やぁ、こんにちは」
優男が顔を覗かせる。
「俺は金田一渉。これから数日間お世話になるよ」
ポロシャツの上に黒いベストを着て、茶色のトレンチコートを羽織った長身の男。どことなく探偵を思わせるような風体だ。年齢は、20代後半から30代前半といったところか。
金田一は教壇に登り、教室を一望する。柔和な笑みを浮かべながらも、その眼光は生徒を一人ひとり値踏みするように鋭い。
「うん。いいクラスだね」
値踏みしていたことをごまかすためか、金田一は穏やかな瞳で笑う。いや、値踏みしているというのが考え過ぎだった可能性もないとはいえないか。
「ほら、お前も入ってこいよ」
金田一は開いたままになっている扉に向かって声をかけた。
どうやら、来客は1人ではないらしい。
「……わかりました」
静かに入ってきた青年を見て、生徒達が色めき立つ。
黒い燕尾服に白い手袋という、どことなく執事を思わせる服装と端正な顔立ちに理知的さを感じさせる眼鏡が印象的だ。年の頃は俺達と同じか、少し上といったところだろうか。
そんな容姿以上に目を引くのは、腰に携えた細身の鞘だ。刀身が隠されているとはいえ、中身の想像は容易につく。
色めきだった原因はその剣だ。
「マジやばくない?」
「やばいやばい」
「わたし、狙っちゃおうかな」
「あんたじゃ無理でしょ」
「えー、ひどーい」
訂正。1部の女子は剣ではなく容姿に魅了されていたらしい。物騒なものを携えて現れても、女子にモテるとは……イケメンずるい。
「ほら、自己紹介しろって」
イケメンは促されるまま教壇に立つと、
「明智です」
苗字だけを言って、降りた。
「マジ、クールなんですけど」
「やばいやばい」
まじか。あれでも好感度下がんないのかよ。イケメン補正強過ぎだろ。
「えーと、彼は明智孝明君。口数は少ないけど真面目な子だから、大目に見てくれるかな。歳は君達とさほど変わらないし、気兼ねする必要は無いよ」
「何か質問はあるかな?」
「はい!」
女子生徒が勢いよく手を上げる。明智に対して狙っちゃおう宣言していた円だ。
「どうぞ」
「明智君は彼女いるんですか!」
立ち上がった勢いのまま放たれた直球な質問に、クラスがドっと沸いた。さすがに円も恥ずかしくなったのか、答えを聞く前に座り直す。
「えー、と。どうなのかな、孝明君?」
「……いませんけど」
明智が答えた瞬間、円は小さくガッツポーズ。本気で狙うつもりなのか。
「他にあるかな?」
金田一は咳払いをしてから改めて質問を募集。円のおかげで緊張もほぐれたのか、何人かの生徒が手を挙げて、2人の来訪者はほぼ全ての質問に答えていった。
金田一渉。35歳。彼女なし。収入は公務員並み。趣味は執筆活動。
明智孝明。20歳。彼女なし。収入は金田一と同じくらい。趣味はゲーム。好きな食べ物はあんみつ。好きなタイプは強い女性。
わかったことはそれくらい。わかったところ意味があるとは思えない話だが。
「さて、質問はこれくらいでいいかな?」
金田一は質問の終了を笑顔で確認。
「ここからが本題だよ」
新たな話題を切り出した瞬間、顔から笑みが消えた。どこか闇を感じさせるくらいに、暗い真顔だ。
「俺の仕事は、魔女狩り執行官。さっき城田さんは魔法使いと言っていたが、厳密には魔術師。そう呼ばれる存在がこの世界には存在しているんだ」
金田一は1人ひとりの生徒の様子を観察する。
「そして、このクラスにはその魔術師が潜んでいる。神津君が来てないだろう? 彼はこのクラスの中にいる魔術師に殺されたのさ」
金田一の発言に誰も言葉を発せなかった。あまりに突然のこと過ぎて反応が追いついていないのだ。
「俺達は、魔術師を殺すために協会から派遣されてきた魔術師だ」
魔術師だとか、魔女狩り執行官だとか、殺されたとか、殺すとか、どれも普通の人生を送ってきた高校3年生には無縁の言葉だ。フィクションでは耳にする単語もあるかもしれないが、現実はノンフィクション。とくに、「殺す」の重みはまるで違う。
誰も、事情をある程度知っていたであろう先生すら何も言えない。
「これから数日間お世話になるよ」
最初の自己紹介でも言った台詞だが、今度のそれは多くのクラスメイトにとって怖いものに感じられただろう。
金田一は数日で魔術師を見つけ出し、殺すと宣言したのだ。