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大きな空とモアイと  孤独な公務員の奮闘記  作者: MAHITO


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9/11

母を車椅子で連れて夜空を見に行く

天気がよくなったので、大空は母を連れて夜空を見に行くことにしました。そこで、母から大空の名前のことが語られます。そして母が信じること……

9 


 昼から夕方にかけて、小雨混じりの黒い空だったのが、一転して、嘘のように晴れ渡っていた。夜の空は、雲のかけらさえ、彼方へ押しやり、突き抜けた空間には星だけがわが物顔に煌めいていた。

 桜が丘のアーケード街で、泣いてしまった母を、この日は夢の里に返すことができなくて、家で泊まらせることにした。

 夕ご飯のあと、大空は母とともに散歩することにした。夜の住宅街を、カラカラと音をたてて、車椅子を押した。二人の進路を、両脇から家々の明かりが照らす。

 散歩をしている人や、仕事帰りのサラリーマンとすれ違う。

「こんばんは。雨があがってよかったですねぇ」

 などと、笑顔で挨拶をくれる。

 その度に、母は負けまいと、はじける笑顔をつくる。

「こんばんはぁ! 天気が持ち直してよかったわねぇ!」

 近所に響き渡るような、大きな声だ。

 アーケード街での失意は、すっかり頭から消えてしまったようで、今の母は上機嫌だ。こんなにウキウキした母を見るのは久しぶりだ。夢の里では、一度も見たことがなかった。

 車椅子を押して向かう先は、昔、父と母と小さな大空との三人で、星を見にいったという丘だ。住宅地の西側にある。

 母が散歩をしたいといったとき、すぐに、大空の頭に浮かんだのがその丘だ。

 大空は二歳と幼かったため、当時のことを覚えていないが、昔、父と母との三人でいったことがあるという。小学校高学年のとき、たままた母と丘の前を歩くことがあり、そのとき教えてもらった。

 幼い大空が、少し歩いてはしゃがんでしまう状態だったので、丘に上るときも、星を見るときも、父の背中におんぶされていたそうだ。

 家の並びが途切れると、低い丘に向かって、七、八メートルほどの長さで小径が昇っている。砂利道で草が両脇に生えている。

 骨と皮だけの軽い母だが、車椅子に乗せて上るとなると大変だ。大空は息をきらした。

 雑木林を背にして、丘に立った。もちろん、母は車椅子に乗って。

 母と大空の足元には、無数の窓の明かりが敷きつめられた。すいぶん遠くまで続く! 普段気にも留めない、家の照明がこんなに美しいとは知らなかった。

 そして、空からは、星たちが二人をいざなう。

母が夜空を見上げる。

 ポツン、ポツンと星が瞬いている。視力が弱ってはっきり見えないのか、失くしたものを探し求めるかのように、首を伸ばしてあちらこちらと見回す。何度もくり返す。

 時間がたっていく。母は見上げたままだ。

 大空は聞いてみた。

「母さん。夜空はどう?」

「きれいだよ」

 そうはいうが、目が衰えている母にはどのように映っているのか?

「だいちゃんや」

 母が名前を呼んだ。

「なんだい?」

「だいちゃんの、名前のことで隠していたことがあるの。大空という名前、父さんと母さんで考えたといっていたけど、母さんは読みにくいから、やめたほうがいいといったんだよ。でも、父さんがどうしてもというから、最後には、母さんが折れたかたちで、大空になったのよ」

 初めて聞く話だ。これまで、両親が相談して決めたとしか聞いていなかった。父がいいはったから、だとは……。

「父さんは戦争にいったりして、満足な青春時代を過ごせなかったからね。せめて、自分の息子の大空には、大きな空を、自由に羽ばたいてほしかったんだろうね」

 そうだったのか。父が……。

 父の時代は戦争があって、若いころ、死ぬか生きるかの時間を生きた。自由なんて、贅沢なものとは無縁だった。気の毒な青春時代だった。

「へぇー、父さんが。でも、ぼくには荷が重すぎたよ。大きな空に舞い上がるどころか、ずっと低空飛行だよ。いや、低空飛行というより、地を這いずり回っている」

 冗談めかして。子どものころから抱いた気持ちを述べた。

「大空という名前、子どものときはいやだったろう?」

「うん。そうだね。周りの人が、ぼくの名前を話題に出すたびに、その場から逃げ出したかった」

「そのたびに、母さんはがんばって、父さんの代わりに名前にこめられた意味を説明したわ……。幼いわが子に名前で負担をかけたくなかったから。父さんの考えいやだったんだけどね……。わたしも大変だった」

「でも、この歳になれば、なんてこともない。それも子どものときの懐かしい思い出だよ」

「よかった……」

 母はそういうと、皺だらけの顔を、クシャっとつぶして笑った。

 でも、その笑顔は、さきほど通行人と挨拶を交わしていたときの活きのよさはない。

 大空は話を変えた。この場所に以前、父と三人で来たことを、覚えているかを聞いた。

「父さんと母さんと幼いぼくの三人で、この丘に来たことを、以前、母さんに聞いたことがあるんだけど、覚えている?」

 大空の言葉に、母はきょとんとした顔をした。どうやら忘れているようだ。

 母と共有する懐かしい思い出だと思って、話してみたが、覚えていない。ちょっとだけ、決まりが悪くなった。

 しばらくして、母は指先を夜空に向けた。

 老人の指先は、震えて、方向が定まらない。

「あの、ひとつ光っている星……」

 大空の目からは数個の星が見えたが、たぶん、視力が弱い母がいうのは、一番大きく光を放っている星だろう。

「うん。あの星きれいだね」

「あれ、父さんだよ」

「……。父さん?」

「そうだよ。父さんは死んで、あの星になったんだよ」

 母がいうように、死んだ父が星になっていたらよいと思った。そうであれば、夜空を見るたびに会える。

 夜空の星は、まるで形を変えるように、大きくなったり小さくなったりと煌めく。怒ったり笑ったり、表情を変えているようだ。星に姿を変えた父さんは笑っているのだろうか?

「ああ、そうだね。あの星は父さんだよ」

「でも、その横に、並ぶ星がいないんだよ」

 母の目には見えないようだが、実際のところは、光の弱い星が数個並んでいる。

「そうだね……」

 話を合わせた。

「わたしも、父さんの星と、並ぶことになる」

「そりゃ、先のことだろう」

 笑い飛ばした。

 母は夜空に顔を向けたまま、表情を曇らせて、そして低い声でうなった。

「再来月だね。一九九九年の七の月に、恐怖の大魔王が降りてきて、人類が滅亡するのは。わたしは見届けたあとに、父さんの星に並ぶんだよ」

 またノストラダムスか……、と内心思った。

 母はさらに、

「地球が滅亡して、わたしが死んでも、父さんと並ぶ星になるからいいわ」

と、納得したように呟いた。

 父と母が二つの星になる……。何気ない母の言葉であった。

 それが大空の胸に、いきなり重くのしかかった。

 たぶん、母が逝くのは遠くないだろう。母の死を考えたくないために、真正面から向き合うことを避けていた。

 本来、ロマンチックであるはずの星空のもとで、大空の心は、皮肉にも、黒雲でおおわれた。

 これまでも、母がいなくなってからの、ひとりの日常生活を想像したことはある。母を夢の里にあずけて、自宅でひとり暮らしをしているから、その生活の延長であり、さほど変わらないだろうと、安易に考えた。

 だが、この日、星空のもとで、母の一言をもって、大空は打ちひしがれた。

 大人になって、自分でひとり立ちしていると思っていても、これまでは母とつながれて、孤独ではなかった。自炊して『ひとり暮らし』をしていることと、ほんとうの『ひとり』とは違いがあるのだ。


 この先、母がノストラダムスの予言を見届けて、この世を去ったのちは、父母も兄弟もなく、大空はほんとうの、ひとりになってしまう。誰からも見守られることもない、天涯孤独だ。

 大空は、車椅子の小さな母の背中を見ながら、あたかもひとりで、嵐の山小屋に閉じ込められたような孤独感にさいなまれた。

 ――ひとりだ。強風と豪雨が襲いかかり、雷鳴がとどろく。守ってくれる、人も、モノもない。心細く、不安で、怖い。すぐにも吹き飛ばされそうだ。

 心穏やかならぬ大空に、母はこんなこともいいそえた。

「わたしは、ノストラダムスがいうように、空から大魔王が降ってきたら、そのとき死ぬよ。それでも、だいちゃんは生き残るんだね。そうしたら、隣の美香ちゃんにプロポーズをするんだよ」

 天涯孤独になることで、落ちこんでいるときに、いきなりなんてことをいうのだ。母の、突拍子のない話の展開に、返事ができない。 

 彼女は面倒見がよく、人柄もよく、申し分ない。でも、大空にとっては優秀過ぎる。母のことがあって、今はこうして気にかけてくれているけど、大空のことなどなんとも思っていない。どうして美香なんだよ? 母さんのいっていることは、老人の戯言だよ。


 夜空を見上げながら、母が逝ったあとも、星たちは同じように瞬いているのだと思うと、やるせなくなった。

 星と星との間隔は縮まったりせず、一定の間隔をたもったまま、永劫不変に変わらない。母が逝ったら、そのうちのひとつになり、夜空のほんの小さな一点になる。夜空は、人間の死を無情に吸い込んでいく広大な墓場だ。

 父と母の二人が夜空に浮かんだのちには、大空だけが、地上に残される。大空には家族がなく、周りには誰もいない――。

 その晩、母がいつまでも星を見上げているので、大空のほうから家に帰ろうといった。


        ( 続く )



大空はほんとうの『ひとり』を感じ不安になります。そういえば、このところ大空のもとにモアイが訪れていないようです。

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