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大きな空とモアイと  孤独な公務員の奮闘記  作者: MAHITO


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8/11

母を車椅子にのせてアーケード街へゆく

大空は母の世話と仕事とで手が回らなくなり、とうとう母を介護施設に入れることになる。ある日、アーケード街に連れていってくれと頼まれた。母にはどうしても行かなかればならない理由があった。

8 


 四月からは、桜が丘海林事務所に勤務するようになった。桜が丘の自宅から毎朝出て、残業がない限り、夕方の六時過ぎに帰る。

 母のために自宅に戻ってきたのに、その母は脚の骨を折って入院している。早く退院して、戻ってくれればと願う。

 三月の末日に、御背(おぜ)寮のほうを引き払ったのだが、心残りだったのは水口のことだ。若者ばかりの御背寮に二年間いて、少しだが、心を許したのが、ひとり、彼だった。

 荷物整理が終わり、いよいよ寮を出るとき、水口の部屋を覗いた。すると、タイミングよく、ボサボサの髪のまま顔を見せてくれた。仕事で休みがとりやすい時期だったので、有給休暇をとって、寮でゴロゴロしていたという。

 彼にだけささやかな贈り物をした。ウィスキーの小瓶だ。パチンコでとった景品だといったら、笑って、受け取ってくれた。

「山田主幹。ありがたく、ちょうだいいたします。この先もお元気でいてください。また、お会いすることがあるでしょうが、そのときはよろしくお願いします」

 そう手向け(たむけ)の言葉をくれた。

 水口は水質試験の技師だから、大空のような事務職員と比べると、勤務地が限定される。この先、仕事関係で顔を合わせることはなかなかないだろう。


 市民病院の窓からは、四月だというのに、夏を思わせる強い日差しが差し込んでいた。病院の窓は、太陽の光を目いっぱい取り込むようにできているのだろうか。

 母が退院したのはGW前のことだ。

 病院のベッドで一か月近く寝たきりだったため、悲しいことに認知症が進んでいた。自分がどこにいるのかがわからなくなることも度々あった。

 しかも、理学療法士のいうことも理解しようとせず、脚のリハビリを嫌がったために、歩けないまま、車椅子で家に帰ることになった。

 そして母との二人暮らし。

 いざ、家に母を迎えてみると、認知症のうえ、車椅子生活のため、食事、排便、入浴を大空が手助けしなければならない。

 大空のほうも仕事があり、介護と仕事とで、すぐに生活はゆきづまった。

唯一、母に関して相談できる美香とも話した。美香にとって、母は幼いころより、隣のおばさんであり、近しい間柄であった。

 そのとき美香は、

「うちの母のときは、自分とお父さんで看られたけど、だい君のところは仕事をしながらでは大変よ。どこかの施設で、あずかってもらうのもしかたがないと思う」

 と悲しそうな顔をでいった。

 結果、大空は自分の力のなさを嘆きながら、母を有料老人ホームへ入居させることにした。

公的な老人ホームは、順番待ちで一年も二年も待たなければならないので、とてもじゃないが、入居まで待っていられなかった。

 母をお願いする、有料老人ホームは『夢の里』というところに決めた。同じ桜が丘市内でも、隣の市に隣接する地域にあって、大空の自宅からは車で四十分ほどかかる。

 母が認知症でなかったら、夢の里の入居費用に関してはきっとこんなことをいっただろう。

「こんなにお金がかかるのならもったいないわ。死んだ父さんが働いてくれたお金なのに、申し訳なくて使えないわよ」

 という金額であるが、父母の蓄えから出させてもらった。

 ちなみに、母が父さんと呼ぶのは大空の父のことだ。

 こうして母が入居してからは、顔を見るために、仕事帰りに夢の里に立ち寄るのが日課となった。

 自家用車で通勤しているから、マーチで回り道するだけのことだ。毎日、母の顔を見にいっても、たいした負担にならなかった。

   

 ある日、いつものように仕事帰りに夢の里にゆくと、母は部屋で、車椅子にポツンとすわっていた。テレビの画面のほうを観ているのだが、ボンヤリしていて、映像を目で追っていないようだ。

 窓際の花瓶には、ピンクや黄色のみずみずしい花が飾られていた。花が新しいものに変わっているときは、午前中に、美香が母の顔を見にきてくれた日だ。週に一度は立ち寄ってくれる。

 母は大空の姿に気がつくと、いつもと同じ言葉で迎えてくれた。

「だいちゃん。仕事終ったんやね。ごくろうさんだったね」

 認知症の具合によっては、次のようなやり取りになる。その日がそうだった。

「洗濯ためて、母さんのところに持っておいで、だいちゃんが週明けの仕事にいくまでに、洗っておいてあげるよ」

 母は今でも、自宅にいて、大空は御背の寮に入っているものだと思っている。母には、勤務場所が変わって、自宅から通っていることを何度も伝えたのに。

 いっぽうで、活動的になって、外の空気が吸いたいときは、時々ホームから外に出させてくれという。そんなときには許可をもらって、母と大空との二人で、近くの公園に出かけたり、家にも帰ったりすることがある。

 家に帰ったとき一度だけだが、もう夢の里に戻りたくない、と駄々をこねて、説得するのに苦労したことがあった。


 五月末の土曜日、その日はどんよりした曇り空であった。仕事が休みのため、大空は朝から夢の里を訪ねた。

 すると、母はいきなり、

「だいちゃん。おはよう。今日はね、少し出かけたいんだよ。桜が丘の街中にいきたいよ」

 と車で連れ出してくれといってきた。

 あのことだな、と思った。

 夢の里に入る前、まだ脚を痛めていなかったとき。母は二度、桜が丘駅東側のアーケード街で迷って、美香の手をわずらわしたことがあった。きっと母は同じ場所にいきたいのだ。

 大空には今だ、母が何のためにその場所にいっていたのか、理由がわかっていなかった。

 夢の里に許可を得て、マーチに母を乗せて、桜が丘の中心街へと向かった。

 最近できた大きな地下駐車場にマーチをとめると、車椅子に母を乗せて、スロープを昇った。地上に出ると、国道1号線が目の前を通っていて、自動車のはなつ熱気と埃に包まれた。久々に街に出たことで、母は、顔をしかめて、息苦しそうにした。

だが、すぐに気を取り直して、背筋を伸ばした。車椅子のひじ掛けを強く握ると、

「桜が丘駅東側のアーケード街に入ってくれない。呉服屋があるから、そこの路地を、北側に曲がってほしいの」

 と大空に指示した。

 いわれる通り、国道沿いの舗道からアーケード街に入った。通行する人はまばらだ。最近では、再開発で駅の西側に大きなショッピングビルが建てられて、こちらの東側のアーケード街は客足が少なくなっている。

 母を乗せた車椅子を押していると、国道沿いでは車の音に紛れて気にならなかったが、前輪の音がカラカラと響き渡る。

大きな音を立てて進んでいくのに、母は音のことなど気にするようすを見せない。強い眼差しで前を向く。

 呉服屋のある場所に近づいてきた。

 ところが、母はここに来て、それまで唇を真一文字に閉じて、張りつめていたが、緊張感を維持する体力がなくなったのか、崩れるように肩を落としてうなだれた。

「どうかした?」

 大空が母の耳元で聞いた。

 小さく首を横に振ると、母はポツリ、ポツリとか細い声で話しはじめた。

「だいちゃん……。ごめんね。わたし馬鹿だから……、騙されたんだわ」

 いきなり大空に謝ってきた。

 鼻声になっていた。感情が高ぶってきたようで、目頭に指を当てた。

「わたし、取り返さなければならない」

「何のこと……?」

 大空はたずねながらも、母はここに、何か、忘れ物をしているのだと思った。

 その忘れ物は、母にとっては、年月を経て、年老いてからでも重要なもので、ここへ来なければならないと、矢も楯もたまらないほどの気持ちを起こさせるものなのだ。だからここに来て、二度までも迷った。

 母を突き動かせるものはなんだろう? 疑問を抱くとともに、大空は悔いた。もっと早く、母がここに来る理由を、知っていなければならなかった。

 涙声になりながら、母は途切れ、途切れに告白した。

 このアーケード街に来て、美香や警察の世話にならなければならなかった理由を――。

 それは腹立たしく、忌むべき内容だった。

 大空は、生前の父からこっそりと聞いた覚えがあった。母にとって、生涯における、最大の汚点なのだ。


 年齢をあらわす言葉に、三十路というのがある。若者にとって気持ちのよい響きではない。では次の世代の四十路はどうか? それは、とっくの昔に若者ではなくなった、中年のための響きである。

 大空にも四十路が迫っていた。当時、父は七十歳半ばでまだ元気だった。

 そのころ、自宅から通勤していた大空は、残業を終えて夜十時過ぎに家に帰った。遅くなった大空を、珍しいことに父が迎えてくれた。帰宅のさいに顔を見せるのはいつも母であった。

 その父が、浮かない顔をしていた。

 いっぽうの母は……。

 襖で仕切られた両親用の部屋から、すすり泣きが聞こえていた。まぎれもなく母のものだ。大空はこの歳になるまで、母が泣くのを見たことがなかった。

 父は大空を母に会わせないようにと、二階の部屋へと引っぱった。

「大空。今から話すことは、ここだけの話にしてくれ。母さんの前では決して口には出さないでくれ」

沈痛な面持ちで、そう前置きした。

 父がここだけの話だといって、大空に話したのは、後にも先にもこのときだけだった。

 半年ほど前から、和室の床の間に置かれている壺のことだった。

 母はそれを『お壺さん』と呼んでいた。大切にしていて、朝から専用の布で磨いては、壺に向かってお参りをしていた。

「お壺さま。お壺さま。どうか家族全員が無事でありますように」

 毎日、必ず壺に向かって、頭を下げていた。

 渋い顔をした父は、その壺は騙されて、高く買わされたものであったと教えてくれた。

 父がいうには、母は、子どものことだけを考えて生きているそうだ。母の人生にとって一番大切なものは子どもである、と。

 子どもというと、山田家には大空しかいない。

 自分の遊びや趣味で楽しむことはなく、子どもだけが生きがい、それが母だというのだ。

いわれてみれば、母は、いつまでも大空を子ども扱いして、世話をやこうとしている。父のいう通りだと、納得した。

 大空には、生後間もなく死んだ兄がいたそうだ。この話は以前、母からも聞いたことがある。生きていたら大空の二歳年上になる。

 母はいつまでも、当時、自分の体調管理が悪くなければ、元気に産まれ、立派に育っていたのに、と後悔していたという。兄を身ごもったとき、食事がうまくとれなかったのだ。

 最初の子どもを亡くしていた母は、大空が産まれると、健康に育ってくれるようにと自分のすべてをかけた。馬鹿可愛がりともいえるほどに。

 そのこともあってか、母は、大空がいくつになっても心配でならないそうだ。大学受験のさい、大空が浪人したときは、眠っている母がうなされているのを、何度も、父は見ていたそうだ。

 それから四年たって、今度は、大空の就職が決まらないために、同じ状態になったらしい。

 大学も卒業し、何とか就職も決まって、ひと安心かと思ったところ、今度は大空の結婚が問題になってきた。母は大空が三十歳を過ぎてからは結婚のことばかりを苦にした。

 どうして周りの子たちは、みんな結婚するのに、大空だけはひとり者なのだろう、と悩んだ。大空と同年代の人間は母にとって、すべて周りの子だった。

 三十五歳を過ぎたあたりからは、大空の結婚は、母にとっては心が病むほどの深刻な問題となっていた。やはり就寝中うなされたりすることがあったそうだ。

 当時は、三十歳を過ぎた独身の女が、偏見の目で見られるとどうように、三十五歳を過ぎた独身男は、世間から厳しい視線を浴びた。その歳まで独身でいるのは、本人に何らかの原因があるのだろう、と。

 世間の見方は、大きくふたつにわけられた。ひとつは男として問題があり、夫婦生活ができないのだろう。だから結婚しない。もうひとつは、遊びまわって、家庭におさまるような男ではない、という見方だ。

 このままだと、息子が通常の成人ではないと見られてしまう。母にとっては、息子の結婚問題は深刻だ。

 そんなときに、知人の女性から電話がかかってきた。

 母は昔スーパーの生鮮食品売り場でアルバイトをしていた。そのとき知り合った、母より五、六歳若い女性だ。

 いきなり家に電話をかけてきて、十年ぶりに母のことを思い出して懐かしくてしかたがない、一度会いたいといってきた。

 近くの喫茶店で、母とその知人とで話をするうちに、一人息子の大空が、いつまでも独身のままでいることが悩みだという話になった。

 それならば、と知人は、家族の悩みの相談にのってくれる占い師がいるから、一緒にいかないかと誘ってきたのだ。

 連れられていった先が、桜が丘市内の知人のアパートの一室だった。二人で待っていると、還暦過ぎで着物姿の婦人が現れた。母より少し若いぐらいだ。知人は占い師といっていたが、婦人は自らを霊媒師と称していた。

 相手の思惑通りに、母は、大空がいつまでも結婚できないことの悩みを相談した。

 霊視の結果は、先祖を供養していないから、家系が祟られている。それが障害となって、息子もなかなか良縁に恵まれない、とのことであった。

 のんびりしている暇はない。急いで運気をよくしなければ、家が滅びてしまう。それには先祖の霊におすがりして、悪縁を断ち切るしかない。霊力のある壺を買うことだ。

 不安を駆り立てられた母は、先祖のため、大空のためにと高価な壺を買った。

 そして、壺を床の間に置いて一生懸命祈り続けた。家族がよくなるように、大空が良縁に恵まれますようにと――。

 そのうちに、マスコミが霊感商法を暴き立てた。霊感によって不安を煽り、高価な壺や印鑑、水晶などを買わせる詐欺のことだ。

 母は騙されたと知り、霊媒師を紹介した知人が住んでいたアパートにいった。しかし、母が連れられていった、古いアパートは空き家となり、知人は姿をくらましていた。

 しばらくしてアパートは取り壊され、居酒屋の建物に改築されたという。

 母は、   

「騙した奴らが憎らしい!」

 と呪い、自分の馬鹿さ加減を悔いるばかりだった。

 父は、時には涙を浮かべながら、母が騙された壺のことを、大空に話してくれた。


 アーケード街を車椅子で進む母は、以前、父から聞いた話をそっくりそのまま聞かせてくれた。

「わたしは馬鹿だよ。大馬鹿者だ。ご先祖さまを供養してくれる『お壺さん』といわれ、大金を騙し盗られてしまった。騙した相手から取り返さなければならない!」

 車椅子にすわる母の背中は、怒りで震えるごとに、小さくなっていった。大空にはそう見えた。

「大切な貯金を騙し盗られてしまった……」

 大空も、霊感商法に関しては多少の知識がある。騙された金を取り戻すには相手を見つけ出し、訴訟をおこすことが必要で、大変な時間と労力を要するようだ。ほとんどが泣き寝入りとのことだ。

「七十万円盗られた……」涙声だった。

 大空は母の背中を撫ぜた。

「母さん。もう終わったことだよ。気にしなくていいよ」

 気休めではなく、心の底から、騙されたことは忘れたほうがよいと思った。もう、何年も前に終わったことだから、これ以上、母が苦しむことはない。

 大空にとっては、壺事件の原因が、自分の結婚問題だということが、何とも気まずかった。それに金額……。

 以前、父から聞いたときは、少しまとまった金を壺で騙し盗られた、とだけしか聞いていなかった。

 車椅子を押す左手首のオメガの腕時計に視線がいった。七十万円。壺と同じ金額だ。

 壺と時計が同じ金額だと聞いた、大空の心理的ダメージは大きかった。腕時計がまるで鉛のように重く感じられた。

 手首から先の血管の流れが悪くなり、冷え冷えとしてきた。母がこれほどまでに苦しむ金額で、大空は腕時計を買っていた。

 結婚なんて、他人事だと思っていた――。

 だが、母からしたら、本人の大空以上に気に病む問題だった。母の気持ちも考えず、自分のことで精いっぱいな息子はつくづく親不孝だと思う。

 少しでもペナルティを取り戻したくて、母の前に腕時計を差し出した。

「母さん。壺といったって、この時計と同じ七十万円だよ。時計なんてものは、五千円の安物でも機能は変わらないのを、こうして高い金を出すものもいるんだよ。いってみれば、金ピカに光っているように見えているからと、騙されて、高価な時計を買ったようなもんだ。母さんが、壺を買ったのと同じだ。そこまで気に病まなくていいよ」

 母は大空の時計をしばらく見ると、首を横にふった。

「これは、だいちゃんが一生懸命働いて、買ったものよ。わたしが騙し盗られたのは、父さんが一生懸命働いたお金だよ。父さんが毎日、毎日、定年まで一所懸命働いて、貯めたお金なんだよ」

 ウェーンと子どものように泣き出した。

 大空は、肩をひくつかせる母を車椅子に乗せて、アーケード街をグルグル回った。

 母がいう、騙した知人が住んでいたであろうアパート。

 その建物は、桜が丘駅東側のアーケード街の路地を入ったところにあったはずだ。それが、今は影も形もなく、その跡地と思しき場所には、新しい居酒屋が並んでいる。

 同じところを繰り返し、繰り返し、行き来した。しだいに、母はうなだれて目を閉じ、何も話さなくなった。

 大空は車椅子を押して、萎れた母とともに、もと来た駐車場へと引き返した。まるでトンネルのなかにいるかのように、前輪の音がカラカラと耳の奥まで響き渡った。

アーケード街から出ると、額に冷たいものがあたった。

         

      ( 続く )


母と大空の生活は続きます

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