二十一世紀間近 大空は憂さ晴らしに来たパチンコ屋で思いにふける
大空は仕事で苦情を受けて、仕事帰りに気分転換にパチンコ屋に出かける。そこで懐かしいキャンディーズの歌がかかっており、モアイとして生きてきた若き日の自分をふりかえる。また奇遇なことに、同じ職員寮に入る水口という若い職員もパチンコ屋に来ていた。彼は大学に入学して思うところがあって進路を変えたという。
6
年が明けて、一九九九年(平成十一年)となった。いよいよ新世紀まで残すところ、一年。
大空が勤めている、御背は黒潮が流れる海域に面しており、冬は暖かく、自宅のある桜が丘ほど朝の寒さを感じることはない。
二月のその日、大空は仕事中、たまたま手があいていた。
尻のすわりの悪さを感じ、またモアイがぴったりくっついていると思いながら、周りの職員を見回した。すべての職員が忙しそうに働いている。机の上のパソコンを操作したり、電話をとったり、カウンターで来客の応対をしたり……。
大空が職場代表で出席していた『二十一世紀対策委員会』は、事務所周りの年号を変えるだけで、あとは愛田県庁が持つホストコンピューターに任せようという安易な結論になった。
この結論のために、一回二時間、回数にして五回もの会議をもったことは、がっかりとしかいいようがない。
母のほうは、定期的に神経内科で診てもらうことになり、薬が効いているのか、今のところ、昨年のように、ひとりで桜が丘の街まで出ていって、自分がどこにいるのかわからなくなるというようなこともない。
目の前の電話が鳴った。電話をとると、いきなり怒鳴り声が鼓膜を襲った。
「わりゃーごーわくんにゃ」
すぐに相手が誰だかわかった。月に一度、岸壁の耐震化が遅いと、怒鳴りつけてくるオヤジだ。長い電話に耐えなければならない。
予算がつくまで待ってください、と電話口で一時間以上謝り続けた。
ほんの少し前までは、今日は仕事で余裕があると、職場を見回していたのが、一転して苦情処理になってしまった。ついていない。
この日のように、仕事でいやなことがあると、御背寮の夕食を断り、気晴らしのために、仕事帰りにパチンコ店へ直行することがある。パチンコが好きなわけではないが、他にゆき場所がないからそこにいくのだ。
御背というのは、電力会社の発電所を除けば、漁業と林業が盛んなぐらいで、めだった産業がない。そのため、娯楽産業も少ない。
海岸沿いだから、海釣りは出来る。だが、大空は手のひらを鱗でベタベタにしながら、釣り糸をたらすなんてことが好きになれなかった。他に、遊興施設となると、パチンコ店が二件あるだけだ。
ジャラジャラと、銀色の玉がパチンコ台のなかを飛び跳ねる。
無数のパチンコ台が騒音を発し、店内のスピーカーからは、その音に負けまいと大音量で音楽が流れる。田舎のパチンコ屋ではおじさん、おばさんの年配者が多いから新曲など流さない。
懐かしいことに、大空の青春時代のキャンディーズの『春一番』が流れていた。
すぐさま、三人娘がミニスカートで、今どきの歌手では考えられない、小さなフリの踊りで舞台に立つ姿が浮かんだ。三人娘の愛称もいえる。ランちゃん、ミキちゃん、スーちゃんだ。三人のなかで、スーちゃんだけが、少しポッチャリと見えた。数少ない、大空の心を温かくする記憶だ。
昔を思い出すとき、人間は二種類に分かれる。
古きよき時代を懐かしみ、幸せに浸れる人間と、不本意な過去の辛い思いに、後悔し、嘆く人間とに。
後悔し、嘆く人間は『山月記』の官吏のようなものだ。
思い通りにならぬ人生にもだえ苦しみ、過去の自分の失敗を呪い、失敗したのも自分のせいだとは思えず、人のせいにしたりする。
小説のように、虎とまではいかないものの、時にはノイローゼになるものも出てくる。悪くすれば、人生をはかなんで自殺するものも出てくる。
大空の場合は、官吏のように優れた能力を持ち合わせていなかったから、そこまでの強い失望感はなかった。だが、モアイ像という、やっかいな奴につきまとわれ、それ以降、尻のすわりが悪く、落ち着かない感覚が人生について回った。
モアイという表現を使わず、別のいいかたをすると、たぶん、こうなる。自分の能力に自信を持てないこともあって、集団のなかに放り込まれても、立ち位置がわからない。そんな状態のまま幼いころから、今まで生きてきた。いつも、半分、腰を浮かせ、集団から離れたい、などと考えている。
大音量のキャンディーズの音楽に負けまいと、パチンコ台のなかで、銀色の玉が、縦に横に斜めにと飛び跳ねる。暴れる玉と、パチンコ台との衝突音がはぜる。周囲のパチンコ客の雑談も吹き飛ばし、ジャズセッションのようにキャンディーズとパチンコ台が競い合う。
キャンティーズとパチンコ台のふたつの大音量は、大空の頭を、お椀のなかの納豆のようにグチャグチャにかき回す。
かき回されて、かき回されて、ストレスなど吹っ飛んでしまえと思っているのに、大空の頭のなかには、子どものころからの、自分をモアイにたとえた記憶ばかりが蘇ってくる。気分が落ちこんだときはいつもそう。
右手で握るパチンコのハンドル調整が乱れる。
子どものころ、同級生と一緒にいるのがいやだった。当時から大空はモアイだった。幼いときに、うまく集団に溶け込めなかったから、年齢を重ねても、そのまま、
「ぼくは、ぼく。自分流でいいのだ」
などと、集団に溶け込む努力など放棄して、意地をはって、開き直って生きてきた。
集団のなかにいて、周りといっしょの方向を見て、同じことを学ぶ。それが、いやだった。
そして、モアイは授業を聞かないし、自分からも勉強しないようになっていった。それは高校になっても続いた。
今にして思えば、人生の最大のしくじりは、授業を聞かなかったことだ。
中学まではいいかげんにしていても、授業の内容は頭に入った。
だが、高校からはそうはいかなかった。しかるべくして、成績は悪かった。
そのくせ、若者の驕りで、やればできるんだ(ただ、やってないからできないだけだ)というおかしな自信があった。
よく、年長者が人の家の子どもを慰めるとき、
「〇〇ちゃんは、やればできる子なんだから、心配いらないよ」
などと、励ますことがあるだろう。まるっと、大空に当てはまった。
集団行動が嫌いだから、当然のことながら、クラブ活動もやらず、ほとんどの時間はひとりで過ごした。
そんなモアイにも、友人はいないわけではなかった。高校になると似たような帰宅部の同級生もいて、家の方向が同じだと一緒に帰ったりすることもあった。当時の友人の、心のうちまでは定かではないが、もしかして同じモアイだったのかもしれない。
ところが、どうしたことか、高校三年になると、モアイも漠然とした夢を抱くようになった。
マスコミや映画の世界に憧れるようになり、それには、東都の一流大学に入ることが第一歩だと考えた。
なぜ、これまで隅っこでひっそりしていたモアイが、華やかな世界などにゆこうとしたのか、そのあたりの心理状態ははっきりとしない。多分、驕りからきたものなのだろう。
やればなんだってできるのさ。ただ、これまではやろうとしなかっただけ――。
モアイは心に誓った。
合格して、東都に出る。東都に出れば始まる。
それまで、何を目標に生きてよいかわからなかったモアイが、たいした青写真も描かずに、漠然と将来の夢を見た。
遅ればせながら、高校生活も残すところ一年となって、勉強を始めた。
それでも、授業を聞くことはなかった。
高校一年、二年と授業を軽視してきた人間が、いきなり聞けるかよといったところだ。
いつまでも、授業中は尻のすわりが悪く、勉強をするのなら、ひとりのときであった。モアイにとっては独学だけが勉強であった。
「あーぁー、かいだりきってくよー」
隣の白髪頭の爺ちゃんが、ため息をついて立ち上がった。御背弁でひどく疲れたという意味だ。
「くそったれ! 一万円負けたぁ」
負けたことに腹を立て、パチンコ台を手で叩きそうになる。しかし、思いとどまると、台を睨みつけるだけで立ち上がった。
最近の客は怒っても、パチンコ台を殴りつけることはしないようだ。殴ったりすれば、係員が駆けつけてきて、そこでもめたりしたら警察沙汰になるのだろう。
大空は去っていく姿を、チラリと横目で追った。
すると、白髪頭の爺ちゃんがいた席の向こう隣りに、同じ寮の水口がすわっていた。相手のほうもこちらに気がついた。
「こんばんは」
照れたような顔をして、水口が頭を下げた。
大空も同じように、小さく頭を下げた。
ひとつ席を置いているといっても、隣に同僚がいると思うと、ますます調子が悪くなってきた。ジャラジャラと最後の呻きをあげ、ひとつ残らず、玉は盤の穴のなかへ吸い込まれていった。持ち玉もなくなって、帰ろうと立ち上がると、同じように水口も玉がなくなったようで立ち上がった。
顔を見合わせると、二人で苦笑いをした。
水口には、御背寮に入居したのが同時期であったことで、他の入寮者よりは親近感を抱いていた。
パチンコ屋を出ると、建物がまばらで街灯も少ない夜道を、寮まで二十分余り、ふたりで肩を並べて歩いた。
その間に、水口に聞いてみた。
「水口君は、大学を最初、文系で入ったと聞いたんだけど、どうして途中で学部編入したんだ?」
人づてに水口の経歴を聞いていたから、そのあたりの事情を、一度、本人からも聞いてみたいと思っていた。
水口は、額にかかる長い髪を、指先でかき分けながら、
「ははは……、そこんところですか……」
と照れたように笑った。
「この理由は、大学受験までさかのぼります。当時は周囲から、法学部や経済学部を卒業して、企業に勤めるのがいいなんてことがいわれていましてね。つい流されて、大学受験しちゃったんですよ。ところが、性格上の問題があって……、もとから魚介類や海が好きなオタク系なので、地道に一人でコツコツと積み上げることが好きだったんですよ。それで、将来営業職につくより、調査やデーターをとったりして働いたほうが、自分に合っているかなと思って」
「でも、いきなり、途中で学部を変えるのって、けっこう勇気がいったのじゃないか?」
その問いには、
「迷いもあったんですが、もともと、人と協力して、大きな仕事をするのには向いていない性格だから……。それがわかっていたから、自分の好きな道へ進もうと思いきることができたんですよ。今の仕事、自分には合っていると思ってんですよ」
「それはいいことだ」
大空は感心して、ひとつ大きく息を吐いた。
「地味な、水質の調査をしているだけですよ」
「好きなことに向かって進んだことはすばらしいよ」
仕事が好きで、埃を持っている、水口の姿勢にいささか負い目を感じた。
大空は、彼より長く生きてきて、チャンスもあったであろうに、一度たりとも、自分の進むべき道に、舵をとりなおしたことがなかった……。
たぶん、水口も大空と同じようにモアイに分類されるだろう。多くの人のなかにいて、決してその中心になれない、なりたくない。自分から、好んで隅っこにいたいと思う。
そんな大空と同じ感覚を抱いて、生きてきただろう。でも、彼の場合は、大空ほどモアイべったりではなかった。自分が思った道に進むだけの、エネルギーを持ち合わせていた。
寮の玄関をくぐり、水口とは別れて、お互いの部屋へと入った。
部屋に寝転がると天井が目に入った。古くなった蛍光灯のプラスチックのカバーが黄ばんでいる。
水口のことをまだ考えていた。
彼は、同じモアイでも、横並びになって動こうとしないボンクラではなかった。一歩を踏み出す足があった。踏み出す足があったら、それは、もうモアイではないのかもしれない。
パチンコ屋では、周りの大音量に気持ちを持っていかれていたが、静かな部屋にいると、若いころの、苦い日々の思い出が噴き出してきた。
高校時代――。
つけやきばの受験勉強では歯が立たず、大学をいくつか受けたがどれも受からなかった。受験は失敗した。
浪人が決まって、親からは戸摩戸の大手予備校で勉強するように勧められたが、勉強は教えられるものではなく、自分でするものだという、独りよがりの考え方は変わらなかった。大空は予備校という、受験に特化した学習機関も信用しなかった。
そして浪人後の受験。
ひとりで、図書館などにこもって勉強したが、成績は現役のころより下がってしまった。結局、第一志望の大学から滑り止めまで、受験した七校すべてに失敗した。予備校にゆかなくても、大学受験に成功するものはいる。結局、大空は頭が悪かったのだろうと、思う。
この先どうするか? 二浪するか? 専門学校にいくか?
ところが、入学するあてのない受験生を拾ってくれる大学があった。東都の某私立大学が二期募集として、三月に受験をおこなっていた。
大空は、唯一拾ってくれたその大学へ、ふてくされながらも入学した。二浪、三浪する覚悟を持てなかったのだ。
高校生のときに抱いた、東都への憧れも、薄っぺらなもので、すべてがうまくいかなかった浪人時代を経て、萎んでいた。
何の志を持たず、現実と向き合わない大空にとって、東都という街は、ただ、ただ、でかかった。
舗装された渇いた道を歩くたびに、ビルがゆく手を塞いだ。網の目のように、張り巡らされた電車に乗るたびに、人に押され、もみくちゃにされた。都会で、心身ともに疲れ果て、ボロ雑巾のようになり、汚いアパートの一室のゴミ溜りのなか、小さくうずくまった。
将来の目的を持てない大空は、巨大なコンクリートジャングルという、密林のなかで遭難した。
行く手を阻まれて、怯えたモアイである大空は、田舎者は動かないほうがよいと悟った。
二十歳のころの、尻のすわりの悪さは、最高潮に達していた。
委縮して、身動きもできず、視点の定まらない虚ろな目で、ひとり固まって遠くを見ていた。
( 続く )
モアイとして、生きてきた大空に笑顔は似合わない……。そう簡単にいいきってしまっては可哀そうだよ。輝ける未来とまではいわないが……。




