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大きな空とモアイと  孤独な公務員の奮闘記  作者: MAHITO


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3/11

職員寮で若者たちに飲み会に誘われる

御背寮で飲み会に誘われるも、そこは若者の会。ひとり思い出にふけるのもいい……

        3 


 御背(おぜ)に赴任してからは、職員寮である御背寮に入居している。

 その日も、仕事を終えて寮に帰り、食堂で寮母さんがつくってくれた夕食を食べた。寮の共同風呂で温まって、あとは自分の部屋でくつろぐだけだ。

 畳の部屋で寝転んで、テレビのバラエティ番組を観ていると、扉をノックする音がした。

「山田主幹」

 部屋の外で大空を呼ぶ声がする。

 特徴のある少しくぐもった声。誰か、すぐにわかった。水口という男性職員だ。他部所で水質試験の技師をしている。

 その用件もわかった。

 扉を開けると、細面で長い髪をした水口が、恭しく頭をさげてきた。髭が濃いので、いつも無精ひげをのばしているように見える。

 水口は県職員に採用されて二年目だ。大空のほうも、御背に異動して二年目だから、同時期にこの御背寮に入った。

 確か、初対面の挨拶で、採用されたばかりだが、年齢はすでに二十七歳だといっていた。

 少々歳をとっているが、採用されて間がないために、寮の習わしで雑用係をやらされている。

 噂では、文系の学科で大学に入ったのだが、大学内で試験を受けて、途中で理系に変わったという。それで卒業が遅れて、就職するのも人より遅くなったと聞く。

「山田主幹。少しよろしいでしょうか?」

 馬鹿丁寧な態度をとらなくてもよいと思うのだが、若い職員からしたら、大空のような四十過ぎの中間管理職は、かなり上の存在なのだろう。

「いいよ。なんだい?」

 用件はわかっているけど、聞いた。 

「急な話なのですが……、本日、九時から寮内の有志が集まって、飲み会を予定しています……ので、ぜひ、ご参加いただきたいのですが」

 水口の歯切れが悪い。

 すでに時計の針は八時を回っていた。飲み会を開くのは二、三日前には決まっていたに違いない。大空にだけ、連絡するのが遅れて、間際になって、水口が走らされたといった感じだ。

 この寮にいるのは、二十代か三十代前半の独身の男がほとんどだ。若い連中のノリで、しばしば飲み会が開かれる。

 大空も参加したことがあったが、たいていの話題が、音楽だったり、車だったり、ガールフレンドだったりと、四十過ぎの大空では世代間のギャップを感じてしまう。ひとりだけ蚊帳の外で、話すこともなく、チビリチビリと麦酒を飲んでいた。

 大空のほうも気乗りしないし、飲み会のメンバーも形だけで誘っている。寮の全員が参加するわけでもないし、自分がいないほうが、周りの職員も気兼ねすることがない。

 誘う役の、水口も気が重いだろう。彼になるべく嫌な思いをさせないようにと丁重に断った。

 部屋でテレビを観ながら、ひとりで麦酒を飲んでいるほうが精神衛生上よい。

 水口が去ったあと、部屋のすみにある小型冷蔵庫から、缶麦酒を取り出した。

 大空が昨年の四月一日に御背に赴任して、寮でひとり住まいする前は、老齢の両親と大空の三人で桜が丘の実家に住んでいた。老親が住む桜が丘は、愛田県の北部に位置するため、御背からは高速道路を利用しても三時間以上かかる。

 こちらに大空が赴任する前は、実家に住む七十代の親は二人とも元気だった。ところが、七か月前に父がこの世を去って状況が変わった。七十七歳になる老齢の母を一人実家に残すことになった。

 そこで、母一人では心もとないので、週末の土日にはこまめに実家に帰ることにしている。

 麦酒を飲みながら部屋で寝転がっていると、携帯電話が鳴った。父がいなくなって、母がひとりになってからの、恒例の行事みたいなものだ。決まって母のほうから、週に一度、電話がかかってくる。

「だいちゃん。元気にしているぅ?」

 だいちゃんとは、母が大空を呼ぶときの呼び名だ。

 電話の母の声はいつもと変わらない。

 だが、二日前の、突然の美香からの電話で、母のことで気にかかることがあった。

 美香というのは、桜が丘の実家の隣に住む、幼馴染のことである。家が隣ということもあり、ひとりぼっちの大空が、現在でも唯一気安く話せる相手だ。

 何の因果か、幼稚園から高校まで同じ学校に通った。もっとも、男と女であるから、幼いころは別として、中学、高校になると、いっしょに行動することはなくなっていった。

 たまに顔を合わすと、気安く話をする程度だ。

 彼女も大空と同じひとりっ子だった。

 一度家を出ていったが、七、八年前に離婚して、今はこちらに戻ってきている。母親を亡くしていて、お父さんとの二人暮らしである。

 美香のお父さんは隣に住んでいるから、もの心つくころから知っている。幼児言葉のころから、大空はおじちゃんと呼んでいた。

 大空のほうも母との二人暮らしだから、お隣さんで性別の組み合わせの違いがあっても、親一人と、子ども一人で、家族構成は同じだった。


 その美香から、二日前の火曜日の仕事中に、大空の携帯に電話があった。いきなりの電話で驚いた。仕事中に、なんで美香が電話をしてくるの? と。

 長年の知己であるが、仕事中に電話をもらうほどの親密な関係ではない。

「わたし、美香よ。だい君? ごめんさないね。仕事中だよね。でも、急いで話したいことがあって……」

 大空のことを、幼いころから、美香はだい君と呼ぶ。

 普段、冷静な美香なのに、いつになく口調が切迫していた。

 これまでも彼女からは、数度電話をもらったことがあったが、それは祝祭日の夜で、多くの人がゆっくりしている時間帯であった。それも、中学か高校のときの同窓会の話であった。

 話しぶりから今回は違う。

「だい君のお母さんのことなのよ」

 電話の内容は、つい一時間ほど前に、大空の母と妙な会いかたをしたというものだった。

 美香が、桜が(さくらがおか)駅東側のアーケード街を歩いているとき、母を見かけた。その桜が丘駅とは、大空の自宅のある駅からは三区間離れている。母は歩いて十五分かけてもよりの駅にゆき、そこからわざわざ電車に乗って出向いたことになる。

 母は、アーケード街にある、メイン通りの呉服屋の角にポツンと立ち、そこから、曲がって奥に繋がる路地を見上げていた。目線の先にあるのは、二階建ての居酒屋や料理店が入る、新しくできた建物だ。

美香も足を止めて、しばらく母の様子を見ていた。

 母はどこかの店に入るのでもなく、魂を抜かれたように肩を落として立ちすくんでいた。

 ただ事ではないと、美香は駆け寄って、声をかける。

「山田さん。だい君のお母さん」

 呼びかけても気がつかないので、肩をたたいた。すると、ようやく母は美香に気がついた。

 振り返った母の顔は、悲しい夢でも見ていたかのようにふぬけだった。

 母はこういった。

「あら、美香ちゃん。よかった。今、わたし、どうしたらよいかわからなくなってしまっていたの。どこに来ているのかもわからないのよ」

 美香は母のほうけた様子にただならぬものを感じたが、平静を装って接した。

 母にこれからどうするのかと聞いた。

 何も予定はないとこたえたので、市営駐車場に止めてあった美香の車に乗せて、家まで送り届けた。

 美香は、自分の実の母親も、今回の大空の母親と似たようなことを経験していたという。高齢になってから徘徊するようになったのだ。大空の母が認知症になったかもしれないという。

 職場で電話をもらったこともあり、美香には礼をいって、しばらく様子を見ようと先送りにした。大空には、何をどうしたらよいかがわからなかった、


 この日の晩にかかってきた、母の電話は、美香からアーケード街の件を聞いて、二日たったのちだ。

 電話口の母は、大空の心配をよそに、いつもと変わらず気楽なものだった。

「変わりないかい? 元気にしているぅ?」

 から始まって、矢継ぎ早に話しかけてくる。

「ご飯食べた? きちんと食べなきゃあかんよ。この前みたいに、寮の夕食に間に合わないからといっ て、カップ麺ですますなんてことしていたら、身体に悪いからあかんよ」

 母の話は続く。食事から始まって、たまった洗濯物を帰省する日には持ってこいなど……。

 いろいろと話してくるのだが、アーケード街での美香との一件は出てこない。すでに母の記憶には、自分が迷ったことなど残っていないのかもしれない。

それならば、あえてこちらからは触れないでおこうと思う。

 大空のほうもいつも通り相手をする。

「そうだよな。そりゃ、母さんのいう通りだ。大変だよな」

 母の話題は、近所の小さなスーパーマーケットが、大手におされて潰れてしまった話題に移っていた。

 母は車に乗らないから、これからは、遠くのスーパーマーケットまで二十五分歩いて、買い物にいかなければならない。周りでおきる出来事は、ことごとく年寄りのことを考えていないと、不満をもらす。

 大空は長くなった電話に相槌をうちながら、部屋の隅に置かれた棚に手をのばした。ホームセンターで購入した、三段の小さなカラーボックスを本棚代わりにしている。

 モアイの写真が載る、世界遺産の図鑑の横に一冊の本が立てかけてある。それを、手にとる。昔ながらの、厚紙のハードカバーの書籍だ。三か月前に家に戻ったさい、父の遺品のなかにあった一冊を持ってきた。父は生前、よく本を読んでいた。

 本をめくると、ツーンとした、埃の匂いが鼻をついた。長年に渡って閉じられたままなのだろう。

 中島敦の本で、そのなかの『山月記』という短編を開いた。高校の教科書に載っていたと記憶している。

 優秀な官吏が、このまま役人として働くことが嫌で、詩人で名を上げようと仕事を辞めてしまう。しかし、主人公の思惑ははずれて、詩人として名声を得ることがかなわない。すべてを失くした主人公は、自分の過去のプライド、詩人の才能がないことへの劣等感など、もろもろの感情に押しつぶされて、人食い虎になってしまう。

 昔、読んだときには、小難しい書き方をして、つまらない話だと思ったが、この歳になって妙に心惹かれた。

 電話口の母が、

「ほかにいっておくことなかったかしら?」

 いつもの言葉を口にした。長々と続いた母の電話が終わろうとしていた。

「だいちゃん。それじゃあね。しっかりと寝て、規則正しい生活するんだよ」

 大空が、「わかった」とこたえると、ガチャンと大きな音を立てて電話が切れた。

 ガサツなところは普段通りで、かえって安心した。

 中島敦の本の頁をめくりながら、小型冷蔵庫からもう一本、缶麦酒を取り出した。

 部屋の薄壁を通して、食堂からは、若い連中の宴会で盛り上がる声が聞こえてくる。

 またもや大空の尻のすわりが悪くなってきた。落ち着かなくなってきた。若い連中と一緒に飲むのを断ったことが気になっている。

 自問自答する。

 みんなの心証を害してしまったか? 

 いいや、そんなことはない。大空は首を横に振る。

 彼らは若手だけで盛り上がったほうが楽しいはずだ。

 気にしないでおけばいいのに、周りとのズレや、自分がここにいることの違和感で尻のすわりが悪くなる。そんなときモアイが寄って来て、自分の隣にすわっている。そう感じる。


 もともと、大空にとって愛田県の職員という職業は、巡り巡って、最後にたどり着いた仕事であった。

 大学時代の就活のことを思い出す。当時は、第一次オイルショックのあとで不況だった。求人数も少なく、優秀な学生だけがすんなりと就職を決めて、就職が決まらず、落ちこぼれる学生が多数いた。

 大空が通う東都の大学は二流であったが、それでも周りの学生たちは何だかんだ、就職を決めていった。それなのに大空だけが、やはりといおうか、ひとりだけが、どこの会社からも相手にされなかった。

 東都での会社面接で思い知らされたのは、信念もなく、学力もなく、痩せて(大学当時はやせっぽちだった。現在は十五キロ体重が増えている)、馬力もない、二流大学の学生は、社会から弾き飛ばされるという現実だ。面接にいくたびに、いや、応募しても門前払いのほうが多かった……、そのたびに打ちひしがれた。

 大学受験でも、両手の指近くの大学からはねられたが、就職のほうでは、その倍ほどの会社から門前払いされた。

 働き先がなく途方に暮れて、結局は無職のまま大学を卒業して、故郷の桜が丘に、面汚しのように帰ってきた。

 近所の人たちの目を気にしながら、父と母との居心地の悪い生活がはじまった。

 そのとき、ちょうど家の前で会った、隣の家のおじちゃんこと、美香の父親にやさしく声をかけられた。

「元気で家族のもとに戻ってきて、なによりだよ。地元でも仕事先はあるから、ゆっくり探したらいい」

 優しいおじちゃんの言葉だった。

 家のなかで肩身の狭い思いをしながら、地元で仕事を探すいっぽうで、公務員採用試験の勉強をした。すると、あれほど大学受験、民間の就職採用試験では落ちていたのに、幸運なことに愛田県職員採用試験では合格することができた。

 就職が決まったときの気持ちは、周りより一年遅れでも、社会人になれることで、飛び上がりたいほどうれしかった。大学に入る前に一年浪人しているから、二年遅れともいう。

 県職員の初仕事のときは、柄にもなくはしゃいでいたように思う。

 だが、職場で働きだしてしばらくすると、同じことの繰り返しだった。モアイがむくむく頭をもたげてきた。

 同期で入った連中が、先輩職員に混じって、活き活きとした職場生活を送るのに対して、大空は職場のなかにいて、相も変わらずひとりだと感じるようになっていった。

 仕事についたまではよかった。でも、これまで幼いころから、どこにいても居心地が悪いと感じていたような男は、社会人になっても同じことの繰り返しだった。尻のすわりの悪さを感じ、職場でモアイが隣にいると思うようなる。それが自然であった。


 御背寮の、食堂での宴会は盛り上がっていた。若い連中の笑い声が、地鳴りのように部屋の薄壁を震わす。

 大空のほうも麦酒で酔いがまわってきた。

 本の頁をめくると、『山月記』のなかの虎になった官吏が泣いているシーンだ。

 御背産の干物をつまみながら、缶麦酒を一本、また一本とあけていった。空になった缶麦酒が、胡坐をかく大空の足元に転がる。もう一本と、立て続けに三本飲んだ。

 そのうちすわりの悪い尻のことは忘れてゆき、モアイもどこかへ出かけていった。ウトウトと眠くなり、本を閉じて万年床にもぐりこんだ。


     ( 続く )


また、桜が丘市にひとり残してきた母親の様子を見に行かなければ……

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