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大空が復活した   最終回

ふさぎこむ大空にいきなり美香が声をかける。いい話ではなかった美香のおとうさんが病気で寝込んだというのだ。

11


 十一月も末になると、定時に自宅に帰っても、日暮れが早く周囲は暗い。

 八年目になる愛車マーチから降りると、カーテンが閉められた照明の灯らない家が待つ。両親がいなくなった家には、大空が帰ってくるのを、心待ちにしているようすなど微塵もない。

 玄関口に立って、扉の錠を開けようとしたとき、いきなり隣の家から美香が飛び出してきた。

「だい君。だい君!」

 めずらしく慌てている。何が起きたのだろう?

「どうしたんだ? 美香」

 美香に、問題があったことを喜んではいけないが、声をかけられた大空は、どこか救われた気がした。

「助けてよ! 家のお父さん、風邪で寝込んでいるの」

 八十歳に手が届こうという、美香の父親は体力的に衰えがきていた。病気となれば心配だ。

「医者には、先ほど診てもらってきたけど、かなり苦しそうなの。わたしは今から、学習塾のほうで、どうしてもはずせない仕事があるから、家を空けなきゃならないの。それで、わたしが出ている間、そばにいてくれないかしら」

 うろたえている。そんな美香に頼られたことで、大空の背筋がのびた。

「わかった。まかせとけ!」

 自分のものではないような、力強い声を出していた。

 あれこれと、美香は、留守中のことを慌てて注文する。それに応対して、久々に迅速、的確に身体が動いた。

 大空は、美香の家へ飛び込むと、濡れタオルを用意して、おろし器を使って林檎まですりおろした。

 病人が、ベッドのうえで上半身を起こそうとする。その背中を支える。

「悪いね。だいちゃん。世話をかけてしまって」

 美香の父親は、大空からしたら隣のおじちゃんだ。おじちゃんが咳き込みながら、お礼をいってくれる。

「おじちゃん。美香が仕事でいない間、ぼくがいるから心配いらないよ」

 おじちゃんの目じりにうっすらと涙が溜る。

 今、看病しているのは、大空がもの心つくころから隣にいたおじちゃんだ。顔を合わせるたびに、

「だいちゃん。だいちゃん」

 と死んだ母と同じように、大空の名前を呼んでくれた。今でも玄関先で会うと、同じ呼び方をしてくれる、愛しい隣のおじちゃんだ。

 もう、一年も前のことになるだろうか。母がアーケード街で迷って、警察のお世話になったりしていたころ、美香と話をした。

 どちらも年老いた親を、一人息子、もしくは一人娘が面倒をみなければならない。仕事をもっているかぎり、この先、年老いていく親をみるのが、負担になっていくのに決まっている。お互いが助け合うのが大切よ、などと。

 大空が、母に手が回らないときは、美香が力を貸し、美香が父に手が回らないときは、大空が力を貸す。

 おじちゃんがリンゴを誤嚥しかけたのか、激しくむせた。

「おじちゃん。大丈夫?」

 大空はその背中をさすった。細く曲がった背骨の凹凸を感じながら、自分の死んだ父のことを思い出した。

 ……そして、先日、死んだ母のことも。

 人からみたら、隣の老人の世話など、面倒なことを――と思うかもしれない。

 だが、今、大空は、おじちゃんを看病できることの幸せを感じていた。なぜ、こんなに幸せに感じるのか? それは、きっと美香のお父さんだからだろう。

 夜の十一時を回った。

 目の前のおじちゃんは、医者からもらった薬が効いてきたのか、スヤスヤと寝息を立てている。

 美香が仕事を終えて、帰ってくるのを待つ時間を、長いとは感じなかった。おじちゃんの額にのせた濡れタオルを変えようとしたとき、玄関の扉が開く音がした。美香が帰ってきた。

 大空のかたわらに寄ってくると、美香は寝入る父親を起こすまいと、小さな声で礼をいった。

「ありがとう。だい君」

 その表情から、安堵と喜びの気持ちを感じ取れた。役にたったことがうれしかった。

 美香は耳元で続けた。

「ほんとうにありがとう。だい君。今日の塾での仕事、問題の生徒がいて、けっこう骨折ったんだ。でも、こうして力貸してくれると、わたし、がんばれる」

 大空の胸は喜びで熱くなった。

 このとき、大空は変わっていく自分に気がついた。

 死んだ母のこと――。母は夜空の星になるとき、父の隣へと飛び立った。それだけじゃなかった。大空にとって、腐れ縁の相棒であったモアイも一緒に、母は連れていった。母とともに、モアイは大空のまえから姿を消して、今ではどこにいったのかわからない。

 モアイすらいなくなったあと、大空は暗闇のトンネルのなかで、やり場のない生活に陥った。

 どこまでも続く、長いトンネルだと思っていた。

 それが、そのトンネルから抜け出そうとしていた。

 美香がいてくれたからだ。

 美香がいて、おじちゃんがいる。

 母は痴呆になっていた。多くのことが見当はずれだった。でも、大空の未来だけは、いい当てた。

 おじちゃんは一週間後には健康を取り戻した。大空はおじちゃんが元気になる、その日を待っていた。

 長い間生きてきて、一度たりとも実行に移したことのないことをやろうとしていた。人からは馬鹿にされるかもしれない。いい歳して初めてなの? などと。

 決心したものの、実行に移すことが怖くてしかたがなかった。おじちゃんの回復が遅くなればよい、とさえ思ったことがあった。

 でも、もう自分の人生から逃げることはよそうと思った。

 四十四歳にして、初めて、女性へ思いを打ち明ける。そう決心した。

 空気がピリリと冷たく、眠っていた心も、身体も覚醒させる。

 そんな、爽やかな日曜の朝、大空は隣の家の音に耳をそばだてた。

 家から美香が、玄関扉を開けて外へ出た。今だ!

 大空も遅れまいと飛び出した。

「おはよう」「おはよう」

 二人とも同じ言葉だ。

 目があった二人は歩み寄った。

 家の前の通りだった。人はこんな場所で……、というかもしれない。でも、大空は昨日から決めていた。

「美香。こんな場所でなんだけど……。もう、自分の気持ちをごまかすのはよそうと思う。ずぅっと、美香のことが………、たぶん、赤ん坊のころ、お互いの母親に抱っこされて、挨拶をしたときから……、好きだったんだ。美香のこと。け、結婚、結婚してください」

 結婚の申し込みをした。

 美香は驚いて、頬を赤らめて、目を丸くした。でも、すぐに顔を引き締めた。

「赤ん坊のころから……、それにしては遅い……」とつぶやいた。

 ひと呼吸おいて、美香は、はっきりと意思表示をした。

 結果は、青春ドラマのようだった。

 海に向かって、大声で叫びたかった。

 大空は、人生で初めて空まで駆け上った。両親が考えて、考えてつけてくれた名前の通り、大きな空を高く飛んだ。

 おじちゃんこと、美香のお父さんとも仲良くやっていける。この先の人生すべてが、大空のためにあるのだと思えた。

 車椅子で星を見にいった、あの日の母の言葉のとおり、大空は美香に結婚を申し込んだ。そして母の予言したとおりに結ばれた。

 占い好きの母のいうことは当たっていた。そしてもうひとつ、大空の重大問題であった、まといつくモアイのこと。

 人から見れば、モアイなんぞ、なんてことのない存在だったかもしれない。だが、大空にとっては長年の腐れ縁だ。そのモアイも、母が星に召されるときに連れ去っていった。

 今、大空のかたわらには、モアイに代わって、美香という最高のパートナーがいる。

 子どものころから、いつも隣にいてくれた。大切だったのを、近くにいたから、気づかなかった。

「この人を大切にしなさい」

 と、母は最期に美香と大空を結びつけてくれた。



         (完)


長かった大空のもやもやした生活。きっとこの先は違ったものになるのでしょう。

では、幸せを祈って、さようなら。

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