Another Story:悩める吸血鬼少女 01
外伝の更新となります。今回の外伝の主役はレイニとなります。
私――レイニ・シアンの人生は波瀾万丈だ。
最初は平民で、母親を亡くしてからは孤児生活。かと思えば男爵令嬢として養子に引き取られて、今では女王陛下付の専属侍女へと出世を重ねた。
人から見れば華々しい出世街道かもしれないけれど、私が望んだ出世じゃない。自分が選べる中で自分が選んだ結果が出世する事だったに過ぎない。恩のある方々へ恩返しがしたいと思ったから、私はこの仕事に就いている。
それに私は人に言えない秘密を抱えている。私の正体はヴァンパイア。人の生命を啜る怪物、人の狂気が生み出した執念の果てに生まれた者。
そんな秘密を抱える私が生きていける場所は少ない。そして恩返しをしたい相手がいるという意味でも、私の居場所はアニス様やユフィリア様がいらっしゃる離宮しかない。
だけど、最近ではその憩いの場でも溜息を吐きたくなるような事になってしまっている。それが酷く私を憂鬱にさせた。
「……はぁ」
口から出るのは重たい溜息だ。憂鬱の原因は、私の目の前に積み重ねられた手紙の束。
私がユフィリア様の侍女として王城に上がる機会が増えた事で着々と増えた手紙はもう山を築きそうだ。
「また、随分な数になりましたね」
「あ、イリア様。おはようございます」
私が手紙の山の前で唸っていると離宮での同僚であり、侍女の先輩で先生でもあるイリア様がやってきた。相変わらずの無表情だけど、慣れてしまえば優しい人だという事はよく知っている。なんだかんだでお茶目な所もあるし。
「これだけの数となると返信も大変ですね……」
「そう、ですね。直接誘われる事もあるんですよ、その度に断ってるんですけどねぇ」
私はがっくりと肩を落としてしまう。私に宛てて届いたこの手紙の山は、全部私を婚約者にしたいと申し出ている男性からの手紙だ。
私は普段、離宮で寝泊まりをしているので私宛の手紙は離宮に届くようにしてある。前は実家であるシアン男爵家の屋敷に届いてたんだけど、ある日、お父様から相談を受けたのを切っ掛けに私宛の手紙は離宮に回される事になった。
お父様の相談というのは私に大量の婚約の打診があったからだ。しかも中には普通の男爵令嬢では打診が来るなんて考えられない上位貴族からの婚約の申し出もあるものだから、すっかりお父様が困り果ててしまった。
貴族の中でも男爵の地位は低い。その中でもお父様は魔学の普及に積極的に関わってくれてるし、私という存在があってアニス様からの覚えも良く。今は魔学省に魔道具のテスターとして呼ばれる事も増えて、出世への基盤を整えつつある。
そこで問題になったのが私の存在。私はユフィリア様やアニス様に非常に近い立場でかつ身分がそう高くない。そんな私に目をつけて婚約を迫る男性が増えてきた。断ろうにも相手が身分の高い上位貴族だとお父様では分が悪い。断るのも一苦労だと。
それを聞いた離宮の主であるアニス様が離宮に届くようにして、ユフィリア様と一緒にお断りの返信を書いてくれる。迷惑をかけているような気持ちになって、正直ちょっと申し訳ない。
「ハルフィス様がご結婚された頃から一気に増えだしましたからね……」
「それ、ハルフィス様に粉をかけようとした人達が私に来てるって事ですよね?」
「そうとも言います」
私の婚約の打診が増えたのはハルフィス様の結婚の影響も大きいんだと思う。
今はアンティ伯爵夫人として、その開花した才能を遺憾なく発揮して魔学省で活躍しているハルフィス様。アニス様とユフィリア様の弟子という肩書きには価値がある訳で。
大きく国の在り方が変わろうという中でユフィリア様やアニス様とお近づきになりたい人は多い。だけどお二人は深い絆で結ばれていて、付け入る隙がない。
そうなると年齢も手頃で身分も低い私は格好の的になってしまう。皆、アルガルド様達が揉めた事は忘れたのかって首を傾げてしまう。私はもうあの事件の二の舞になるのはご免なんですけど……。
「イリア様にはないんですか?」
「レイニほどではないですが細々と届いてますよ。読みもせずに焼却してますが」
「えぇ……? いいんですか? それ」
「私は受ける気もありませんし、実家から何を言われようとも、実家がどのような被害を被ろうとも関係ありませんから」
しれっと言うイリア様に私は苦笑してしまう。それが出来たらどんなに楽かと私は溜息を零す。私はイリア様と違って実家が大事だ。だから揉め事にはしたくない。
そうなるとやっぱり手紙に目を通してお断りの返事をしなきゃいけないんだけど、そうなるとアニス様達に頼まないといけない。それが本当に申し訳なかった。
* * *
「やぁ、レイニ嬢! ご機嫌よう、こんな所で奇遇ですね!」
「これはマロウ伯爵子息様。ご機嫌よう」
うげ、と私は表に出かけた表情を隠して笑顔の仮面を貼り付ける。王城を歩いていると恰幅の良い男性が声をかけてきた。
マロウ伯爵子息、この方は王城勤めの貴族だ。ご自分の父親の補佐として一緒に城へ上がり、その仕事を助けているらしい。
らしい、というのはあくまで人伝に聞いただけで実際にマロウ伯爵子息とはあまり面識がない。侍女仲間から“お手つき”を狙ってるんじゃないかと、そういう噂を聞いた事がある。
そして、私に婚約の申し出を送ってきた一人でもある。
「他人行儀な呼び方はやめておくれよ。気軽にポーレットと呼んでくれて構わないんだよ?」
「お戯れを。あくまで私は侍女ですので」
私としては関わり合いになりたくないんですけど、と内心で呟きながら笑顔が崩れないようにする。
私の内心にはまったく気付いていない様子で、マロウ伯爵子息様は上機嫌に頬の肉を揺らした。思わず苦手な人は苦手だろうな、と私は内心で苦笑してしまう。
「奥ゆかしいな、君は! そういえば先日の手紙の件だが……」
「……手紙? 失礼ですが、何の事でしょうか?」
「君は内容を確認していないのかい? 返信がアニスフィア王姉殿下の名前で届いていたから、もしかしたらと思っていたのだが……君は王姉殿下にとても気に入られているようだね」
どうしてそこで諦めてくれないんですか! と内心、悲鳴を上げながら私は曖昧に笑ったままの表情を維持する。
婚約に関しての申し出はアニス様とユフィリア様でこうしたお断りの返事を出していれば諦める人がほとんどだけど、たまにこういうしつこい人も出てきてしまうのが頭の痛い問題だ。
「王姉殿下が君を気に入るのもよくわかる。器量良し、容姿良し、どこに出しても恥ずかしくないお嬢さんだ。しかし、レイニ嬢も結婚を考えた方が良い時期なのではないかい?」
粘着質に思える視線が私に絡みつく。お腹が重さを増したような不快感が込み上がってきて、私の笑顔が崩れそうになる。
「私はあくまで養子です。親からは家を継ぐ必要もないと言われていますので、結婚はまだ考えておりません。私はこのまま女王陛下と王姉殿下のお側でお仕えしたく思っています」
「立派な心がけだと思うが、それはそれで二人を心配させてしまうのではないかね? 幸せの一つを諦める事だからね」
「幸せ、ですか」
結婚が幸せ、か。私は正直、そんな風には思えない。お父様を困らせない為に私の存在を隠して別れたお母さんの事が頭を過る。そしてアルガルド様を始めとした学園で私が人生を狂わせてしまった人達を思う。
私には、それが幸せだなんてとても思えない。私はやっぱり根が平民で、貴族の義務だとかにはとことん縁が無いんだな、と。自分の事だけど苦笑してしまう。
「お気遣い頂き、嬉しく思います。ですが、今、私はどうしようもない程に幸せなのです。仕えるべき方達がいるこの場所で働ける事が。ですから、結婚だとかはちょっと……」
「それは勿体ない話だ! 君は男泣かせだね、レイニ嬢!」
……えぇ、本当にそうですね。
あぁ、早く離れないと。そろそろ笑顔を保つのも限界だ。
「申し訳ありません、マロウ伯爵子息様。私は仕事の途中ですので戻らせて頂きます」
「あっ、レイニ嬢!」
離れようとして一歩引いた私にマロウ伯爵子息様が手を伸ばしてくる。腕を掴まれる、と思った瞬間、誰かが私とマロウ伯爵子息様の間に割って入った。
「何をしているのですか?」
「あ……イ、イリア様」
間に入ったのはイリア様だった。間に入って、そっと私を押しやるようにして距離を取らせてくれる。
私との間に入ったイリア様を見て、マロウ伯爵子息様はひゅっ、と息を呑んで途端に怯えたような視線をイリア様に向けている。
「仕事の最中に殿方とのお喋りに夢中ですか? 随分と出世したものですね、レイニ・シアン」
「……申し訳ございません」
「王城務めの、それも女王陛下のお付きの侍女としてもっと意識を高める事ですね。マロウ伯爵子息様、申し訳ございませんが彼女をお引き取りしても?」
「あ、あぁ。そ、それでは私はこれで……」
足早に去っていくマロウ伯爵子息様。ちらりと振り返って私を見たけれど、すぐにその恰幅の良い背中は見えなくなってしまいました。
残されたのは私とイリア様だけになった所で、私は思わず力が抜けてしまいそうになる。
「た、助かりました。イリア様……」
「偶然です。運が良かったですね、大丈夫ですか?」
「……ちょっと息が詰まりそうです」
「何度追い払ってもしつこい殿方というのは尽きないものですね」
ふぅ、と息を吐くイリア様はその仕草がとてもよく似合っていました。その瞳には冷えた色が見えて、少しだけ背筋がゾクゾクします。ちょっと機嫌が悪そう。
「私も上手くあしらえれば良いんですけど、どうも苦手で……」
「レイニは人に辛辣に当たるのが無理そうですからね。こればかりは向き不向きです」
行きますよ、とイリア様が促してくれた事で根が付いていたように固まっていた足がようやく動かせるようになる。
イリア様と並んで王城の廊下を進む。この廊下を通る人の姿はまばらで、誰も私達に注目するような人はいない。互いに会釈をする程度だ。
「イリア様は何故王城に? 何か御用でしたか?」
「えぇ、そろそろ離宮に人員を追加しようかという話が上がっていまして。それで王城の侍女長と打ち合わせを」
「え? 離宮にですか?」
「えぇ、侍女の他にも色々と人を出入りさせようかと言う話も上がってます。例えば、料理人などですね。ユフィリア様の食事事情の根本的な解決はなりませんでしたから、いっそ王城で取る食事を貴族達との会食制にしたらどうかという話が上げられたのです。ユフィリア様が食べたい食事は離宮で専属の料理人が作るのはどうかという提案ですね」
「なるほど……」
「それに今はまだ視察などで遠出する事はないですが、いずれそういった機会も増えるでしょう。その時に専属が私とレイニだけは些か手が足りません。元々、離宮に人手がないのはアニスフィア様が人とあまり接触しないように、魔学の研究成果を秘匿する為にしていただけで、私達だけで離宮の全てに手が回っている訳ではありません。離宮に住まわせるとまではいかなくても、人の出入りは増えるかもしれませんね」
「魔学省も出来ましたし、魔学の研究成果を離宮だけで管理しなくて良くなったからですね」
「えぇ。何はともあれ、離宮の事情はこれから少しずつ変わっていくでしょう」
イリア様のお言葉に、私は納得しながらも滲み出すような不安を覚えてしまう。
人が増えればまた新しい人間関係を築かないといけない。だけど私は他人が怖いと思うようになってる。元々、人付き合いが得意な方ではなかったけど自分の正体を知ってからそれが顕著になったと思う。
うまくやっていけるかな、と言う不安が表に出ていたのか。イリア様が心配そうな目で私を覗き込む。
「……レイニ」
「え、あ、はい! なんですか!」
「疲れが顔に出ています、暫くユフィリア様の専属は私が代わりましょう。王城に上がる必要も増えましたからね。暫くはアニスフィア様の専属でゆっくりしなさい」
「……申し訳ありません」
いけない、と。そう思っても心が付いて来ない。婚約を仄めかした会話を振られるのは思ったよりも負担になっていたのかもしれない。
結局、私の仕事をイリア様に引き継いで貰う事に。ユフィリア様にはイリア様から説明されるとの事で、私は少しだけ重い足取りで離宮へと向かいました。




