After Days:女王陛下の食事事情 01
それは私が国防省で監査役としての仕事を終えた帰り道に見かけた光景だった。
王城の廊下で顔見知りを見かける。それはレイニだった。レイニの向かい側には男が立っていて、お互いに困ったように顔を見合わせていた。
「レイニ?」
「あ、アニス様」
「これは王姉殿下」
声をかけられたレイニは軽く一礼をして、その対面に立っていた男の人は深々と礼をする。レイニは侍女服で、男の格好は……料理人?
また珍しい組み合わせで見かけたな、と思いながら私は声をかける。
「なんか困ったような様子だったけど、何かあったの?」
「いえ、別に大事では無いのですが……レイニ様にもご意見を伺いたいと思ってお時間を頂いていたのです」
料理人の男性は何と言ったら良いのやら、と困ったように頭を掻く。長身でひょろりとしていて肉付きは痩せ気味といった所。邪魔にならない為にか、髪は後ろへと引っ張って尻尾のように結んでいる。
アメジスト色の瞳は所在なさげに左右に揺れていて、僅かな緊張の色も感じ取れる。けれど怖じ気付いたような印象は受けないから、単に王族の私に対して気を張ってるんだと思う。
「ネールさん。この際、アニス様にもご意見を伺ってみましょう」
「えぇ? 良いんですか、恐れ多い気もしますが……」
レイニが私を巻き込もうとした。すると料理人の男、ネールと呼ばれた彼は不安げに肩を揺らしている。ちらちらと私を見る視線はとても困っているように見えた。
「大事ではないけど、レイニは解決した方が良いと思う問題?」
「……そうですね。ネールさんの職場環境を聞くとちょっとどうにかした方が良いかなって」
「ふぅん。立ち話もなんだからどこか席につければと思うんだけど。ネールだっけ? 貴方、王宮勤めの料理人だよね。休憩室とか控え室とかどこか空いてないかな?」
「王姉殿下をお招きするには……」
「いいよ、気にしないで。いきなりサロンなんかに連れて行かれても困るでしょ?」
「……そうですね」
サロンと口にすれば、ネールは苦笑を浮かべながら首を左右に振ってみせた。見るからに貴族って感じの立ち振る舞いではないからなぁ。サロンになんか連れて行かれても困るよね。
ちょっと気後れしているみたいだったけど、ネールの案内で私達は料理人達の控え室へと通された。他にも休憩を取っている人達がいて、私の姿を見るなりギョッとした視線を向けてくる。
「あぁ、席を立たなくてもいいよ。礼もいらない。ちょっとお邪魔するね」
「し、しかし……おい、ネール! お前、何したんだ!」
「い、いや、例の一件でレイニ様に相談してたら、王姉殿下にも意見を聞くべきだって……」
「いや、そりゃ、そうかもしれんが……でも、だからって王族をこんな控え室に呼ぶなんて」
「私は気にしないよ。……まぁ、周りにはうまく説明しておくから、貴方達に何のお咎めもないよ」
説明しなくてもまーた私か、で済まされると思うけど。それに説明役としてレイニがいる訳だし、そこはレイニに何とかして貰おう。
「それで? ネールはレイニにどんな相談をしてたの?」
「それは私から説明しますね。ネールさんは補足をお願いします」
「は、はい」
「アニス様、見ての通りネールさんは王宮の厨房を預かっているんですが、最近料理人達に共通の悩みがあって解決の目処が立ってないんですよ。私も心当たりがあるので、何とか力になれないかと思ってるんですが」
「ふーむ? でも大事って訳ではないんだよね?」
「えぇ。ただ料理人達にとっては結構大きな問題だとは思います」
「その問題って?」
「ユフィリア様のお食事に関してです」
「ユフィの食事?」
まさか問題の中心がユフィだとは思わなかった私は目を丸くしてしまった。え? あのユフィが食事に関して何か問題を起こしている印象がないんだけど。
ちょっと困惑した私の気配を悟ったのか、レイニは苦笑を浮かべて頬を掻いた。
「別にそれでユフィリア様が癇癪を起こしてたり、食事を残してたりする訳じゃないですよ。むしろ出された分はきっちり残さずに食べてますから」
「じゃあ何が問題なの?」
「……何をお出ししても反応が変わらないんですよ、女王陛下は」
がっくりと肩を落としてネールが呻く。思いっきり落ち込んでいるネールに続くようにして、私達の話に聞き耳を立てていた他の人達も肩を落としている。
んん? ユフィにどんな料理を出しても反応が変わらないって? それがレイニに相談するほど深刻な問題になってると?
「あくまで料理人側からの懸念なんで、女王陛下には非なんて一切ないんですが……」
「お食事は残さず食べて貰えてますし……」
「ちゃんと美味しかったって言って頂けますし、労ってもくれるんですが……」
「いまいち、女王陛下の好みってのがわからないんですよ」
「ユフィの食の好み?」
一人が口にし始めたら、周囲も便乗するかのようにぼそぼそと悩みを口にしていく。その内容に私は目をきょとんとさせてしまった。
「えぇ……だから、その、私共も献立に凄い気を張っちゃって……しまいには何人か配属を変えて欲しいって近衛騎士団の食堂に異動したりと、そういう細々とした問題が……」
「ネールさんも元々、騎士団の食堂で勤めてたんですが、配置交換という事でユフィリア様のお食事を担当する事になったんです」
「成る程? えーと、つまり料理人達の悩みとしてはユフィの食事の好みもわからないし、何を出せば良いかわからず、ユフィもまったく文句も言わないから逆にそれがプレッシャーに感じられて職場環境が良くないって事?」
「お恥ずかしながら……」
ネールが不甲斐ないといった面持ちで後頭部を掻いている。ネールだけではなく、他の料理人も同じような面持ちだった。
しかし、ユフィの食事かぁ……。これは私でもちょっと首を傾げてしまう。
「……やっぱり精霊契約者になった影響かなぁ」
ユフィは精霊契約者だ。その感性は人のものよりも精霊に近い。元々精霊に近い感性を持っていたユフィだから恙なく日常生活を送っていると思ったけど、こういう細かな歪みは出てきちゃうのか。
元々、ユフィも自分の好き嫌いを規準に行動しない性格だ。食べられるならそれで良いとか思ってそうだなぁ。出されたからには食べるし、嫌いだからこれは食べないとかやらないと思う。
でも、それだと料理を提供する側からすると不満というか、不安か。それも一国の王が口をつけるもの。責任の重大さは誰よりも彼等が自覚している筈だ。
「料理人達から直接聞く訳にもいかないですし、私もちょっと気になってはいたんですよね……」
「イリアはそういうの気にしないもんなぁ」
レイニも薄々、ユフィの食への関心が薄いのは気になっていたと。
これはちょっと、なんとかした方が良いかな? だけど無理して食べろって言うのも違うし……。
「こういう時に相談出来るのって言ったらあの人しかいないか」
* * *
「リュミ、丁度良かった!」
父上が管理している庭園の一角。お茶会用の広場まで出向けば、気怠げにだらしなく椅子に座っているリュミの姿を見つけた。
リュミは黒の森から私達に同行してから客分として滞在している。とは言っても部屋を一室用意しただけで、普段は自由気ままに姿を消していて何をしているのかわからない。
父上の手がけている庭園の一角はリュミがよく出没するスポットの一つで、ダメ元で訪ねて見たら探していた本人がいた。
「あら、アニス。相変わらず喧しいぐらい元気ね?」
「元気が取り柄だから。それでちょっと聞きたい事があるんだけど?」
「聞きたい事?」
「精霊契約者の食事事情について聞きたいんだけど」
リュミの対面の席に腰を下ろしながら私はリュミに問う。リュミは少しだけ目を見張ったように開いて、そして訝しげに目を細めてから私を見据える。
「どういう風の吹き回し? 別に吝かではないけれど……ようやく積極的にでもなるつもり?」
「はぁ?」
「んん?」
「……私は精霊契約者って、食事の好みとか、食欲についてとか、そういう話が聞きたかったんだけど」
「あら、女王様との恋の秘め事の話ではなくて?」
「ちちちちちちちち、ちっがーう! よ、余計な世話を焼かないで!」
そっちの意味の“食事”じゃない! いや、ユフィにとって私の魔力を食べるのが何よりの栄養というか、満たされるものだというのは知ってるけど、そうじゃない、そうじゃないんだって……!
一気に真っ赤になった自覚がある頬を押えて息を整える。視線を前に戻せばリュミが猫を思わせるような笑みを浮かべていた。本当にこのご先祖様、性格が悪い!
「はいはい。それで食事について? なんでまたそんな事を?」
「実は……」
私はリュミにユフィの現状と、料理人達の懸念をリュミに内容を噛み砕きながら説明する。気怠げに座ったまま気のない相槌を返していたリュミだけど、話が終わる頃には姿勢を正していた。
「成る程、事情はわかったわ」
「やっぱり精霊契約者になったら食欲とかに影響する?」
「するわよ、魂の中身が精霊だもの。器である肉体を維持する程度の食欲はあるだろうけど、あれを食べたい、これを食べたいって気持ちは嗜好品程度になるわね。私もそうだし」
「そっか……」
やっぱり普通の人とは感覚の差異が出ちゃうのか。食欲はあっても、精霊の糧として摂取するのは魔力だ。食べ物はあくまで器、肉体を維持する為の栄養摂取でしかない。
「肉体を維持しようって思えてるならまだ大丈夫でしょう。肉体を維持するのも億劫になって、肉体を捨てれば晴れて大精霊の仲間入りね」
「リュミはどうなの?」
「私、結構堕落してるもの。好きよ? 人間の食べ物。美食からゲテモノまで何でもね」
「でも、あくまで嗜好品として、って事だよね」
「そうよ。……ただ私は真っ当な人間として育った事がないからユフィとは受け取り方、感じ方が違うかもしれないけれど。あの子も似たようなものだけど、それでも私よりもマシでしょう。ただ精霊にとって糧となるのは魔力だと言う事実は揺るがない。それは精霊契約者であっても例外ではない。私達は魔力があれば満足してしまう。普通の食事はただの栄養摂取か嗜好品よ」
むぅ……やっぱりか。じゃあユフィに好みの料理を食べさせる、というのは難しいのかもしれない。
精霊契約者にとって普通の食事は肉体の維持以上に必要としない。精霊は本来、肉体を持たない存在だから欲求としても薄くなる。魔力さえあれば肉体を維持する程度の栄養があれば気にもかけなくなる。
そういうものだとしても、ユフィは女王だ。食事をいきなり質素にするだとか、凝った物にしないというのは料理人にとっては複雑な事だ。そして女王が率先して食事を控えめにすると、それが周囲にも影響を及ぼさないとも言えない。
大袈裟だけど、ユフィが料理に頓着しないから料理という文化が廃れる発端ともなりかねない。食欲は人の三大欲求なので廃れる事はないと思うから、あくまで切っ掛けになり得る程度だけど。
とにかく余計な追求がされるような面は伏せたい。ユフィの治政が安定してきているのにユフィの異常性を広めかねないこの一件は放置し難い。
「別に嗜好品として楽しんでるなら良いじゃない。どの道、肉体の維持には必要になるのだし」
「うーん、それとなくユフィに聞いてみる。また相談に乗って貰うかもしれないけど、その時はお願いね、リュミ」
「はいはい。お礼は魔力でいいわよ」
ぺろり、と舌を出して、まるで何かを誘うように唇を撫でて見せるリュミ。それが何を意味しているのか悟った私はあっかんべーをして背を向けた。ご先祖でしょうが、冗談なのかもしれないけど自重して!
* * *
「ユフィってさ、好きな食べ物とかある?」
「はい?」
女王の政務を終えて離宮へと戻ってきて、一息を吐いているユフィに思い切って私は聞いてみる事にした。ぴくり、とレイニが反応を見せて聞き耳を立てているのが視界の端で見えた。
私の問いかけにユフィはきょとんと目を瞬きさせていたけど、何か思い悩むように口元に手を添える。
「特に、これといって」
「……肉とか、魚とか、ほら、何かあるでしょ? こういう味が好きー、とか、逆に嫌いとかさ」
「食事の好みですか……あまり庶民の口にするものは口に合いませんでしたね。お忍びの屋台で出された料理とか。新鮮ではありましたので、単純に好き嫌いというよりは食べ慣れていないだけなのでしょうけど」
「あぁ、そんな事もあったね……え、じゃあ普段からこれ美味しいな~、って思って食べたりしないの?」
「……あまり意識してなかったですね。食べてしまえば皆、同じだと思っていましたし。ですが味を品評するのに必要ですから、味わって食べてないという訳ではないですよ」
違う、いや、間違ってないのかもしれないけれど違う。ユフィって天然でズレてる所があったけど、こういう所でもそういう天然さんを発揮しちゃう!?
「食事って楽しむものだよね?」
「……アニスの魔力なら――」
「ふ・つ・う! 普通の食事!」
精霊契約者はこれだから、もう!
「……どうにも食事は気を張ってしまうんですよ。立場上、毒の可能性は捨てきれませんし」
どこか困ったような返事をするユフィに私の唇がへにょりと曲がる。こ、これは思ったよりも問題かもしれない?
でも別に食材を無駄にしている訳じゃないし、味の品評とかを出来るようにって言ってたから味がどうでも良い訳じゃないみたいだし。
単純に食事に対する喜びを感じていないって事? なんか、凄い義務だから食べてます、みたいな空気をヒシヒシと感じるんだけど。これって絶対、精霊契約者だからってだけの理由じゃないよねぇ……。
うーーーむむ、どうしようかな、これ!




