After Days:アニスフィアの生誕祭 07
忙しい時間は駆け足のように過ぎていき、気が付けば私の生誕祭の当日になっていた。
城下町ではもう民達がお祭り騒ぎだった。出店が立ち並び、活気に満ちた人々が食えや飲めやと祭に興じている。
そんな人々の活気を掻き分けるように王族のパレードが進んで行く。私はこの日の為の特注のドレスに身を包み、ユフィの隣に座りながら手を振っている。王族のパレードをひと目見ようと駆けつけた民達は笑顔で私達に手を振っている。
「相変わらず凄い活気ですね」
「国が豊かである証だと思えば良い事だけど、この後が上手く行けば文句なしだね」
「そうですね」
こっそりとパレードの合間にユフィと言葉を交わす。このお祭り騒ぎを見れば、とりあえず民達の方には問題は無さそうだ。
見回りしている騎士達には悪いとは思うけど、この光景を守る事が誉れだと思って頑張って欲しい。
後は、この後、夜に控えた貴族の披露会、私の生誕を祝う夜会が上手くいけば文句なしだけど……。
(ラング、結局うまくいったのかな……)
期待と不安が半々な気持ちで、私は民に手を振る仕事に集中する事にした。
* * *
パレードが終わった後、小休憩を取ってから披露会に備えてお色直しをする。
すっかり日が沈み、夜が訪れている。王城の祝宴用のホールでは披露会に参加した貴族達が思い思いに会話をしている。
大分見慣れてきた光景に私は息を整えながら、ユフィと一緒に一礼をしながら会場へと入場した。
「ユフィリア女王陛下、アニスフィア王姉殿下のご入場です!」
私達の入場が告げられ、私達が会場へと足を踏み入れれば視線が集まってくる。まず真っ先に寄ってきたのはハルフィスとマリオンの新アンティ伯爵夫妻だ。
「ユフィリア様、アニスフィア様、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、ハルフィス」
「ご機嫌よう。アンティ伯爵夫人って呼んだ方が良い?」
「もうっ! からかわないでください!」
からかいの気持ちを込めて伯爵夫人と呼ぶと、ハルフィスは少しだけ頬を赤らめて目を細めてしまった。ハルフィスと腕を組んでいたマリオンもちょっと気恥ずかしそうだ。初々しいなぁ、この二人は。
「ごほん。……アニスフィア王姉殿下。改めて生誕おめでとうございます」
「ありがとう。本来の期日はすっかり過ぎてるけどね」
パレッティア王国は前世の日本のようにハッキリとした四季は存在しない。気候は安定していて一定だし、変化があるといっても雨が続く雨期があるぐらいだ。
パレッティア王国の一年は精霊にちなんだ分け方にされていて、始原と四大精霊にちなんで光、火、土、水、風、闇を各二ヶ月ずつで合計十二ヶ月となる。
この各二ヶ月は上下で分けられて、光の上月、光の下月を過ごすと火の上月になるという流れだ。日付は一週間は七日で分けられ、こちらは月分けにも使われている精霊の属性が当てられ、祝日として無の曜日が充てられている。
日付で例えを出すと、光の上月、第二週の火の日という表記になる訳だ。一年は光と闇が交わり、一つになる事で一巡りして、再び季節が巡るという事で光と闇がそれぞれ始まりと終わりを司っている。
尚、私は火の下月生まれで、前世で言う所の春、四月に相当する月の生まれだね。
「いや、こうして祝って貰うのなんて久しぶりだから落ち着かないなぁ」
もう十年以上、誕生日を祝う会なんて開いて貰う事がなかった。まだ気が楽なドレスだからいいけど、それでも肩は凝りそうだ。
「そのお陰で精霊省が良い機会に恵まれたと言えますが」
「うん……上手くいくと良いんだけどね」
「そうですね」
挨拶もそこそこに、ハルフィスとマリオンは人混みに消えていった。アンティ伯爵家を継いだばかりの二人だし、挨拶をしないといけない人はまだまだいるんだろう。
ハルフィスとマリオンが去ってからも代わる代わる挨拶に人がやって来る。こうして社交会で挨拶をされるようになっても、大分顔が引き攣らなくなってきた。人は慣れる生き物なんだなぁ。
まぁ、隣で堂々と社交してるユフィには劣るんだけどね。まるで水が流れるように会話を続けてるよ。私はまだまだ笑って誤魔化す事が多い。
「アニスフィア王姉殿下、ユフィリア女王陛下。間もなく精霊省による祭事が始まります。壇上の席へ移動をお願い致します」
「もうそんな時間? えぇ、わかったわ」
「参りましょうか、アニス」
挨拶も程々に、私は執事からの案内を受けて、ユフィと一緒に壇上の王族席へと向かう。
従来の儀式では、ここで祝いの言葉を贈ってから精霊石を大量に消費して一年を祝うという方法だったんだけど、今回は精霊省主導で楽器に魔道具の加工技術を施した余興に変わるんだと思う。
それがどんな反応を受けるのか。出来れば反感がなく、受け入れられて欲しいと思うんだけど……。
「む、来たか。アニス、ユフィ」
「父上、母上、ご機嫌麗しゅうございます」
壇上の王族席には既に父上と母上が座っていた。残った空席にユフィと並ぶように座る。
「アニス、ちゃんと社交出来ましたか?」
「えぇ、まぁ」
「……ユフィ?」
「義母上、アニスもまだ不慣れではありますが回数をこなせば大丈夫ですよ」
「……ユフィがそう言うなら、そういう事にしておきましょう」
母上がちょっとゾッとするような問いかけをしてきたけど、事なきを得た。いや、こんな祝いの席までプレッシャーをかけないでよぉ、やだなぁ、もう。
じっとりとした母上からの視線から必死に目を逸らしていると、壇上に上がってきたのはラングだった。壇上に上がったラングは会場に集まった参加者達を見渡す。
「参加者の皆様方、どうか静粛に。改めまして、これよりアニスフィア王姉殿下の生誕を祝う祭事を執り行わせて頂きます。司会はこの私、ラング・ヴォルテールが務めます」
ラングが一礼をしてから、会場に呼びかける。すると談笑をしていた参加者の視線がラングへと集まっていく。ラングに向けられる視線は様々なものだ。
ラングはぴくりとも表情を動かさない無表情を貫いている。そして、改めて私とユフィが座る席へと視線を向ける。
「改めまして、アニスフィア王姉殿下。本来の生誕の日から遅れてしまいましたが、このように大々的に私共、精霊省に生誕祭の仕切り役を託してくださった事に御礼申し上げます」
「……これまで王族の務めを蔑ろにしてきた私には過分な言葉です。今後は王族としての誇りと自覚を再認識し、務めを果たして行きたいと思っています。今回、精霊省の提案がなくばこの機会は来年まで持ち越されていた事でしょう」
「ご期待に添えるよう、こちらも総力を挙げて本日の生誕祭に挑む覚悟です。さて、今までは祝辞の言葉を捧げさせていただき、精霊石による祝福を戴く事で生誕を祝うというのが従来の生誕祭の仕来りでございました。しかし、ユフィリア女王陛下による目覚ましい改革によって精霊石の需要が高まりました」
ラングの言葉は、私達に向けたものであるのと同時に会場の参加者にも向けた言葉だった。静まり返った会場内に緊張の色が増えたように思える。
「アニスフィア王姉殿下が提唱し、ユフィリア女王陛下が成し遂げた魔道具の普及にて様々な面で期待と希望に満ちた今、精霊石を大量に消費する従来の儀式の見直しを行いました。精霊省は文化と伝統を受け継ぎ、語り継ぐ使命を改めて国より賜りました。私達は今まで築き上げてきた文化を、今の時代に即した変化に対応していかなければならないと考えております。しかし、変化とは伝統の断絶を意味するものであってはなりません。過去を受け継いでこそ、今があるのです」
ラングの演説は続く。息を整えるようにラングが間を空ける。
「此度の精霊省による催しが過去と今を繋ぐ新たな伝統となる事を願って。始原の光と闇、四大の火、土、水、風、この世に遍く全ての精霊の加護をここに。この祝辞を以てアニスフィア王姉殿下の生誕を祝い、精霊への祈りを捧げます。そして、これが精霊省からアニスフィア王姉殿下に贈る祝福でございます。――楽団、前へ!」
ラングが祝辞を読み上げた後に力強く宣言をする。同時に私達の壇上と別に配置されていた壇上に裏から入場してくるのは楽器を携えた楽士達だ。
楽士達の持つ楽器は、どれも弦楽器だった。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。そして目を引くのは楽器の色だった。楽器には白、赤、茶、青、緑、黒と各精霊を表したかのような色分けがされていた。
「本来の儀式に代わり、本日は魔道具にも使用されている加工技術を以て特注した楽器による演奏を以てしてアニスフィア王姉殿下の生誕を祝う曲を捧げ、精霊の加護を願います。それでは皆様、暫しご静聴を――」
ラングが一礼をし、顔を上げて楽士達の前に立った指揮者に目配せをした。ラングの目線の指示を受けた指揮者がやや緊張に強張った表情で頷く。
会場の光量も落とされ、薄暗くなった所で指揮者が指揮棒を持ち上げ、――そして演奏が開始される。
演奏された曲目はパレッティア王国ではありふれた生誕の日を祝う曲だ。人と精霊が共に歩み寄り、手を取り合って生きて来た。だからこの国で生まれたこの子にもどうか加護と祝福を与えて欲しいとの願いと祈りを込めた曲だ。
楽士の技量も申し分ない。耳に心地良い演奏が奏でられ続ける。すると、隣に座っていたユフィが一瞬肩を跳ねさせた事に気付いた。
「――アニス」
「え? 何?」
ユフィが少し上擦った声で私の名を呼んだ。演奏中にユフィが声を出すなんて珍しいな、って思ってると視界の端に何かが横切った。
光量を落とした会場にゆらゆらと光が揺らめいていた。私はその光に似たものを見た覚えがある。それは精霊契約の真実を探る為にリュミを訪ねた、あの黒の森の奥地での光景だ。
ふわりと六色の淡い光が演奏に合わせて明滅しながら漂っている。それは黒の森でリュミによって従えられた精霊に比べれば形も曖昧で、光の強さも存在も何もかも希薄だ。
「ユフィ、これって……」
思わず息を飲みながらユフィに問いかけると、ユフィは目を細めて柔らかく微笑していた。ユフィは精霊契約者だ。だからこそ何か感じ入るものがあるのか、どこか昂揚した様子で納得したように息を吐く。
「……あぁ、そうですか。詠唱とは、祈り、願いを込めたものを精霊に届けるものなら、音楽もまた詠唱を含むものと言えます」
「じゃあ、魔道具の加工を施した楽器で演奏すると……」
「精霊を招き、形を与えられるのでしょう。ただ、それは魔法ほど明確なものでも、実用的なものでもありません」
ふわりと、空中に漂っていた六色の光の尾を引くように飛び回っていた精霊達が私の傍に集まり始める。そして、零れ落ちる光が鱗粉のように落ちていく。まるで私に光の鱗粉を振りまくように。
とても幻想的な光景に私は息を止めて、その鱗粉に手を掬うように伸ばす。すると次々と光を纏った精霊が私に触れるようにして近づいてきて、はしゃぎ回るように会場中へと飛び回っていく。
「精霊石は、精霊からの贈り物。精霊は世界の欠片であり、人の意志を映し出す鏡。願いを込めて演奏をすれば、精霊は祈りに応じて形を取る。……これは、紛れもない祝福ですよ。アニス」
「……凄い、綺麗だね」
感嘆の息を思わず零してしまう。それは参加者の皆も同じだったのか、誰もが会場を飛び回る光を目で追いかけているのが暗がりでもわかった。
演奏も佳境に入り、楽士達の演奏にも熱が篭もっていく。そして、終わりは余韻を噛みしめるように訪れる。ゆっくりと音が途切れていき、演奏の終わりと共にふっと精霊の光が消え去っていく。
やがて――誰かが思い出したように拍手を始めたのを切っ掛けに、会場は一気に拍手の音に包まれた。私も我を忘れて拍手を楽士達に贈る。
やりきった顔で楽士達が額に汗を浮かべながらも一礼をする。すると、楽士達に注目している内にラングが王族席の傍まで来ている事に気付いた。
「アニスフィア王姉殿下」
「ラング」
「……ご生誕、心よりお祝い申し上げます。貴方に精霊の加護と祝福があらん事を!」
ラングが跪き、一礼をする。もう一度、拍手と歓声が会場から沸き上がる。
私は忘我した状態でラングの姿を見ていた、するとユフィが私の手を握ってくれた。視線がラングから外れて、ユフィの方へと向けられる。
その勢いで私の頬を伝うものがあった。それが涙だと気付いたのは一瞬遅れてからで、涙を流しているのだと気付くと一気に涙腺が刺激された。
どうしてこんなにも泣いてしまうんだろうって、疑問に思っているとユフィが私の手を握りながら小さく頷いているのが見えた。
ユフィの表情は優しい微笑で、まるで幼子を見るような目で私を見続けている。そのユフィの視線が私の浮かんだ疑問に答えを導いてくれた。
「私は、この世界に祝福されたんだね。この国で生きる人達に、寄りそう精霊に」
「はい。今まで異端である事を良しとして、貴方は祝福される事を望みませんでした。けれどこの祝福は、貴方がいなければ生まれる事のなかった祝福です。アニス」
ユフィが手を伸ばして、私の涙を拭う。
「貴方は、今、この世界に祝福されて生きています。その生を尊ばれているんです。だから笑ってください」
「……うん」
涙は止まらない。でも、止めなくて良いや。
ゆっくりと席を立ち上がって、私は涙を流したままラングと向き直った。
「ラング・ヴォルテール。期待以上でした、この成果は私も驚嘆に値します。この日の為に尽力してくれた精霊省に、関わった全ての人達に尽きない感謝を。――ありがとう、私を祝ってくれて」
「――勿体ないお言葉です。どうか、健やかに年をお過ごしください。そして、また来年に、本来の生誕の日で祝福を捧げられる事をお待ちしております」
膝を突いたまま、ラングが私に微笑を浮かべてそう言ってくれた。
また来年。精霊の加護と祝福を、この世界に生まれた子らに。
これなら誰もが認める成果だろう。私はただ、ただ満足げに微笑む事しか出来なかった。
* * *
「ラング」
「……ミゲルか」
「おう。お疲れ」
アニスフィア王姉殿下に捧ぐ祭事を終え、披露会は再び社交の場へと戻る。誰もが今宵の感動を語り合っているのか、饒舌に語り合っている。
その片隅、隠れるような影で壁に背を預けていたラングは音もなく忍び寄ってきた顔なじみの名を鼻息交じりに呼んだ。
名を呼ばれたミゲルはいつものように飄々としながらラングの隣に背を預けるようにして立つ。その手にはワイングラスが握られている。
「あのアニスフィア王姉殿下から心からの賞賛が貰えて、胸を撫で下ろしたって所か?」
「……ふん」
「おいおい、褒めてるんだぜ? 良かったじゃねぇか。これで精霊省の面目も保てただろ?」
「さてな。この興奮が一度限りでない事を祈りたい所だ」
「お前も素直じゃないねぇ」
ミゲルがつっけんどんな反応をするラングに肩を竦める。
「まだ魔道具と同じ加工を施した楽器の調査は十分ではない。何度か試したが、楽士の技量によっては精霊を発現させる事は叶わなかった場合もあった。また、同じ楽士でも必ず精霊を呼び出せるかと言われればそうでもない。まだまだ不安定な技術だ」
「短期間でこれだけ出来れば十分だろうよ」
「それも王姉殿下の積み上げた研究があってこそだ。……別に私の手柄ではない。これも巡り廻って王姉殿下が齎した結果というだけだ」
「本当に素直じゃないな、お前!」
呆れたようにラングに向かって振り返ったミゲルは、そのまま目を丸くした。
ラングの視線の先には、ユフィリアと語り合っているアニスフィアの姿がある。彼は二人の姿を見て、僅かに口元を緩めて微笑を浮かべていた。
「――もしかしたら、簡単な事だったのかもしれんな」
「何がだ?」
「礼に礼を以て返していれば、或いは違った未来もあったのかもな、と。……そう思っただけだ。もう二度とあり得ない話だがな」
「……かもしれんな」
ミゲルが片手に持っていたワイングラスを軽く持ち上げる。腕を組むようにして壁に背を預けていたラングの手にもまたワイングラスがある。
ミゲルは楽しげに笑いながら、ラングは溜息を吐きながらワイングスラスを互いに同じ位置に持ち上げる。
――乾杯、と。静かにワイングラスを打ち交わす音が奏でられた。




