Another Story:廃嫡王子と狼少女 09
「ダーレン、すまないな。来て貰って」
「いいですよ、王子。で? 突然俺を呼んで何の御用で?」
ダーレンはアルガルドが屋敷で使っている執務室に呼び出されていた。
執務室といっても、事後報告や研究の成果をアルガルドが確認する為の部屋となっているので、報告書や資料の保管室となっているのが現状である。
執務机に肘をつきながらアルガルドはダーレンへと視線を送る。そこでダーレンは、おや、と僅かに眉を上げた。
ダーレンの知るアルガルドは、いつも無表情だった。意図して感情を表に出さないように、慎ましいと言うよりは陰気さを感じさせる男だった。
それがどうした事か。その瞳にははっきりとした意志の灯った光が見え、僅かに表情も柔らかく見えるではないか。この変化は何を意味するのか、とダーレンは注意深くアルガルドを見つめた。
「ダーレン。実際の所、どうだ? この地の開拓は上手く行きそうか?」
「一体、どんな風の吹き回しで? 今までそんな事、気にしてなかったじゃないですか」
「まぁ、な。それは後で。で、どうだ?」
「どうもこうも、間引きで手一杯でさ。人手が足りないし、増える訳でもない。旨みがある事は“黒の森”みたいな前例がある事から無駄ではないんでしょうがねぇ。立地と条件が良くねぇですさ」
黒の森はまだ開拓が進み、騎士団の逗留が可能であるからこそ資源採掘地として活用出来ている。
しかし辺境のこの地では騎士団の役割は資源の採掘の他に防衛の任務もある。採掘にまで戦力を回せないのが実情なのだ。そこをアルガルド達が細々と間引きを率先して行っているだけで状況を大きく好転させる事は出来ない。
「では、戦力さえ揃えれば見返りは見込めると見て良いか?」
「それは、まぁ。まだまだここは未採掘ですからねぇ」
「そうか。……なぁ、ダーレン。実は私に即戦力になりそうな者に一人、心当たりがある」
「ほう?」
「実力は、そうだな。あの姉上に一歩劣るが、広範囲に対応する戦力としては姉上以上と言えるだろうな」
「……へぇ?」
ダーレンはアルガルドの言葉に面白そうに唇の端を釣り上げて見せた。
「そんな奴が戦力として加わってくれるなら、採掘にまで手を伸ばせる希望も見えて来ますな」
「そうか」
「でも、どこのどいつなんです? そいつは」
「お前の身近な人物だよ」
「ご冗談を」
くくくっ、と喉を鳴らすようにダーレンは今度こそ笑い声を零してしまった。
アルガルドもまた不敵な表情を浮かべている事がダーレンの笑いを誘ってしまっている。
「どんな心変わりですか? 引きこもりは止めるので?」
「あぁ。なに、そろそろ実地での研究も進めるべきかと思っていた頃だ。体が鈍っては折角の価値も下がるというものだろう? それで、どうだ。お前の見立てで戦力になると思うか?」
「それこそご冗談を。あの“マローダー”と真正面からガチンコしに行こうなんて奴が戦力にならん筈がないでしょうが」
「なら、問題はないな」
「……良いんですか?」
ダーレンが念押しをするように問いかける。その表情には笑みはなく、真剣に引き締めたものでアルガルドを真っ直ぐに射貫いている。
ダーレンの視線を受けながらもアルガルドは執務机に手をついて立ち上がる。自分の手を見て、拳を握りしめてからアルガルドは告げる。
「思い出したのさ」
「は? 何をですかい?」
「私は、お姉ちゃん子だったという事をさ」
「……ぶっ、あっはっはっはっ!! ひぃー、ひっひっひっ!! お、俺を笑い殺すつもりですか!?」
ダーレンは今度こそ耐えられないと言うように腹を抱えて大声で笑い出した。
涙が浮かぶまでダーレンが笑っていても、アルガルドは気分を害した様子もない。むしろ得意げに腕を組んで見せる程だ。
「何開き直ってんすか!」
「悪いか?」
「さぁ? そいつは俺にはわかりませんや。それでお姉ちゃん子の王子様は何がお望みで?」
「これから姉上の治政には精霊石が欠かせないだろう。まずは手始めにそれから始めようと思う」
「それが王子の決めた覚悟ですか?」
「あぁ。……それと、だな」
ダーレンに開き直ったという表情を歪め、照れくさそうに鼻の頭を掻きながらアルガルドは続ける。
「……少しは格好をつけなければ、見栄も張れん」
「おやおや。“手は出さない”んじゃなかったんですか?」
「過去の事に囚われるのは、止める事にしたよ」
からかうようなダーレンの問いかけに、少しだけ苦みの混じった笑みを浮かべてアルガルドは言う。
それは先日ダーレンが問いかけた言葉であり、そして他にも意味を含むからこその言葉なのだろうと。ダーレンは思わず目を細めてしまう。
あのアルガルドから、その言葉を聞ける日が来るとは思わなかった、と。
「……そうですかい」
「あぁ。恐らく、そう難しい事でもなかったんだ。ただ理屈じゃないのさ。きっと、な」
「……ふっ。それじゃあ歓迎しますよ、王子」
「あぁ、お前からの口添えも頼むぞ」
「皆、否は言わないんじゃねぇすかねぇ。なにせ猫の手も借りたい程だ」
「そっちについても心当たりがある」
「ほう? ……あぁ、だから見栄を張りたい訳ですか」
「そういう事だ」
アルガルドの言葉が何を意味するのか悟って、ダーレンは肩を竦めて見せた。
青いねぇ、と。そう心の中で呟きながら。
* * *
「アル!」
ダーレンと話し合いを終え、アルガルドは屋敷の庭へと出ていた。そこではアクリルが待っていた。
アクリルはアルガルドの姿を見つければ、そのまま飛ぶように駆け寄ってくる。勢いがついたアクリルがそのまま飛び跳ね、アルガルドへと向かって来る。
少し目を見開いてからアルガルドはアクリルを受け止める。一歩、足を引いてしまったが無事に受け止める事が出来た。安堵の息を零しながらも、抱きついてきたアクリルを抱きかかえる。
「まったく……元気が余っているようだな」
「うん! だってこっちが本分だし!」
「期待している。こちらも上手く話はつけた」
「そっか。じゃあ、ここからだね」
「……あぁ、そうだな」
抱きついていたアクリルを下ろして、アルガルドはその頭を撫でた。狼耳の手触りに目を細めていると、アクリルも心地よさそうに目を閉じていた。
暫くそうしていた二人だったが、ふとアルガルドがアクリルの頭を撫でていた手を離した。
「……一度決めてしまえば、こんな簡単な事だったのかと驚くな」
「アル?」
「やりたい事はずっと、あったんだ。そう思いたくないだけで、それが許されないと知っていたから。でも、俺はずっとこうしたかったんだ。今、自然と笑えるような気がするんだ」
アルガルドはアクリルの手を取る。そのまま手の甲に口付けを落とす。
アクリルはきょとん、とした顔で己の手に口付けたアルガルドを見つめている。アクリルの表情に気付いて、アルガルドは困ったように眉を寄せて笑う。
「手の甲への口付けは、敬愛を示すんだ」
「あぁ、そっか。そういう意味があるんだね」
「その内、貴族の作法も教えよう。アクリルには教えたい事がまだまだある」
「うん。いっぱい教えてね、勉強の事も、アルの事も」
「あぁ。俺も、もっと君が知りたいよ。アクリル」
楽しげに微笑むアクリルの表情に、アルガルドも釣られるように満面の笑みを浮かべる。
互いに微笑みあっていた二人だが、ふとアルガルドがアクリルの頬に手を伸ばした。そのまま指で頬をなぞり、顎を伝って先へと指が滑る。
見上げさせるようにアクリルの顎を持ち上げると、アクリルは一瞬だけ身を固くして、しかし目を閉じてアルガルドに身を預けた。
目を閉じたアクリルの唇を啄むようにアルガルドが己の唇を寄せる。互いの熱を触れ合わせるだけの、短い口付け。
「……口になら、どういう意味なの?」
「それは、教えるまでもない事だな」
「教えてくれないの?」
歯を見せるように茶目っ気たっぷりに笑うアクリルにアルガルドの眉が歪む。そのまま固く目を閉じて、暫し動きを止めてからゆっくりと息を吐き出した。
「……君が好きだ」
「うん。……へへ、恥ずかしい、な」
「言わせておいてよく言う」
「だって、ガキに興味はないんでしょ?」
「っ、それは……!」
「だから、私を見てよね。これからも、ずっと」
アクリルが手を伸ばし、アルガルドの頬を両手を添えるように掴んで背伸びをするように口付ける。
しかし、小さく歯がぶつかった音を立ててアクリルが不服そうに眉を寄せた。それを見たアルガルドは、堪えられないように笑い声を零した。
「……まだまだ子供だな」
「っ、うるさい!」
「じっくり育てても良いが、確か自由に出来ると思わない方が良かったか?」
「……アルなら、いい」
ぺたりと、耳を伏せて視線を逸らしながらアクリルが言う。その頬が朱色に染まっているのを見て、咄嗟にアルガルドは目を伏せて堪えるように眉間に力を込めた。
僅かに身を震わせたアルガルドに、アクリルは笑われたのかと視線を戻して睨み付けようとする。しかし、その視界はアルガルドに抱き寄せられる事で彼で一杯になる。
「俺も、アクリルが良い」
「……う、ん」
「自分でも、驚く。……俺は、こんなにも人を愛しく想う事が出来るのかと」
「うん」
掻き抱くように力を込めるアルガルドに、アクリルは目を閉じてそっと身を預ける。
柔らかな風が庭へと吹いていった。穏やかに、二人をそっと撫でるように。
* * *
かつ、かつ、と。ペン先が机を叩く音が静かな執務室に響く。
溜息と共にペンをペン立てへと戻すのは、パレッティア王国の若き新女王であるユフィリアだ。彼女は疲れからか、眉間に寄っていた皺を揉むように指を添える。
「……頭が痛いですね。精霊石の価格高騰……影響が出るのはやむを得ないのですが、ここで民に悪感情を抱かせるのも。かといって騎士団の魔道具配備を遅らせる訳には……」
今日は補佐である先王オルファンスも休みを取っている為、執務室にはユフィリア一人だけである。悩み多き彼女は、ついつい口に出して吐露してしまう。
魔学の普及によって精霊石の需要が高まり、その影響で価格高騰が続く精霊石の影響がじわじわと表に出始めた事にユフィリアは懸念を抱いていた。
その需要の勢いを止めたくはないが、無い袖は振れないというものだ。獲得出来る資源に限りがある以上、無理は出来ないのだから。
「失礼致します、女王陛下」
「はい? 入って構いません」
ふと、悩ましげに溜息を吐いていたユフィリアの耳にドアがノックされる音が響いた。
入室の許可を出せば、そこには近衛騎士団長であるマシューが立っていた。一礼をしてから入室したマシューはユフィリアへと歩み寄る。
「スプラウト騎士団長。何かありましたか?」
「政務の途中に申し訳ありません。ですが、是非こちらを女王陛下にお見せしたく」
そう言いながら、マシューがユフィリアに差し出したのは一枚の書状だ。差し出された書状にユフィリアは怪訝そうに目を瞬かせる。
「こちらは?」
「辺境騎士団を経由して、近衛騎士団に届けられた書状です」
「辺境から……? どちらのですか?」
「お目を通して頂ければおわかりになるかと」
どこか笑いを含んだマシューの言葉にユフィリアは首を傾げながらも、差し出された書状を受けとって目を通した。
そして、ユフィリアの表情が多彩に変化した。最初は驚きに目をいっぱいに開き、そして信じられないと言うように吐息を零し、そして何とも言えない表情で視線を落とした。
「これは……」
「贈り物、と言うべきでしょうかね」
どんな表情を浮かべればいいのかわからない、と言うような表情を浮かべたユフィリアにマシューは穏やかな声で告げる。
ユフィリアはそっと、書状の内容を確かめるように指でなぞる。そこには精霊石の新たな採掘地として確立し、例年に比べて倍にもなろうかという程の精霊石の献上が可能だと言う内容を知らせる内容だ。
そしてユフィリアは目を細めて、最後の一文をなぞるように触れる。
『 親愛なる姉上達へ 』
その言葉が何を意味するのか。ユフィリアは表情の選択に困り、表現しがたい顔になりながらも呟いた。
「……アニスに、見せなければいけませんね」
あの人は、どんな顔をするだろうか。そう呟くユフィリアの口元は、笑みを浮かべていた。
これにて外伝「廃嫡王子と狼少女」は終わりとなります。
アルガルドとアクリルについては書きたい内容はまだありますが、それはまたいつか別の外伝などで書ければと思います。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。




