Another Story:廃嫡王子と狼少女 05
「アクリル、今日は顔合わせをしたい者がいるんだが……構わないか?」
「え? う、うん」
アクリルが部屋を出てしまった次の日、アクリルの部屋へとやってきたアルガルドはそのように話を切り出した。
アルガルドの申し出にアクリルは目を白黒とさせたものの、断る事もないと了承して見せる。
アクリルの同意を得たのを確認してから、アルガルドは扉の向こうへと声をかけた。
「入ってくれ、クライヴ」
「失礼致します」
中に入ってきたのはクライヴだ。老年の執事を目にしたアクリルは恐縮した様子で居住まいを正す。
「お初にお目にかかります。私はクライヴ、この館の管理、アルガルド様の従者を務めております」
「あ、アクリル、です」
「この短い期間でパレッティア王国の言葉に慣れて頂き、驚くばかりでございます。何卒、よろしくお願い致します」
クライヴが僅かに微笑を浮かべて一礼をする。アクリルは緊張しきった様子で無言で何度も首を上下に頷かせる。
「それで、あの……なんで顔合わせを……?」
「先日、アルガルド様がアクリル嬢に不便をさせていると思い至ったそうで。それで幾つか、この館での貴方の振るまいについてご相談をさせて頂こうかと」
「はぁ……あ、でも、昨日、部屋を出たの、私が悪いので……」
「えぇ。貴方に悪意があっての事とは思っておりません。しかし我等にも立場や事情というものがありましてですな。今後の貴方の身の振り方も決めるには私が話をつけるのが都合が良いかと、そういう事になりましてですな」
アクリルはクライヴの話を聞いて納得したように頷いて見せる。今後の身の振り方と聞けば話を聞かないという選択肢はアクリルの中から消えた。
アクリルが話を聞く姿勢を取った事を悟ったようにクライヴが頷いて見せる。そのまま話し始めるかと思ったが、クライヴはお茶の用意を始めるのであった。
「長話になるでしょう、まずはこちらをどうぞ」
「あ、ありがとう……」
クライヴが入れてくれた紅茶はアクリルの鼻を擽り、心地良い香りを届けてくれた。ホッと一息吐きたくなる味にリラックスした所で、さて、とクライヴが話を切り出し始める。
「アクリル嬢には、まず何から説明したものかと思いまして。まずは私どもについて知って頂ければと思います」
「は、はい」
「私共はこの国の王より、この地の守護を任された者です。ここは魔物の生息域であり、パレッティア王国でも端の辺境の開拓地でもあります」
「開拓地って事は、住む場所を広げる為……」
「はい。その通りです。同時にこの国では必要不可欠な資源を集める為でもございます」
「資源?」
「はい。それが精霊石でございます。精霊石についてはご存知で?」
精霊石。その名前にアクリルはぴくり、と眉を上げて見せた。
「精霊石……精霊の力を秘めた石よね?」
「はい。我が国では精霊石は生活から様々な道具に活用されているのです」
「それで魔物の生息圏でわざわざ間引きを……。うん、理解した」
「はい。それでなのですが、今のアクリル嬢はアルガルド様のお客様という事でお招きしておりますが、そういった事情もありましてこの館は人手不足なのでございます」
「人手不足?」
「はい。この地は先程も申した通り、辺境の地です。更には魔物が蔓延る危険な地。働ける人というのは、それはもう足りていないのです」
確かに危険と隣り合わせの地であれば望んで住み着こうとする人はいないのかもしれない、とアクリルは考える。
リカントであるアクリルにとって、里の世界が全てであったのとは違い、パレッティア王国にはもっと穏やかに住む事が出来る地があるというのなら尚更である。
だから働き手が少ない、というのは納得がいく話だった。
「それで、アクリル嬢」
「は、はい」
「良ければ、この館で働く気はございませんか?」
「私が?」
クライヴからの提案にアクリルはきょとんとした顔を浮かべる。
「はい。先程も言った通り、この館は人手不足。仕事はあれども人が足りず、手が回らない事も多いのです」
「それで私を?」
「はい。お仕事の内容につきましては掃除や洗濯を手伝って頂ければ。あとは基本的にアルガルド様の身の回りのお世話でしょうか」
「……アルガルド様って、アルの事、だよね?」
ちらりとアクリルはアルガルドに視線を向けて見る。クライヴに説明を任せていたアルガルドは、少しだけ眉を寄せてから咳払いをする。
「あぁ、私の名前は正確にはアルガルドと言う」
「……アルって偉い人なの?」
「この館の長とも言える方ですな」
「クライヴ」
咎めるようにアルガルドが言うものの、クライヴは意に介した様子もなく肩を竦めて見せるばかり。
アルガルドがこの館の一番上に立つ者だと知っても、アクリルには驚きは少なかった。むしろそれが自然だと思えた程だ。
「本来、アルガルド様であれば専属の従者を控えさせても良いものなのですが、この辺境の地では人手が足りずにおりました。そこで貴方なのです、アクリル嬢」
「……でも、私この国の作法とかまだよくわからない。それでも良いの?」
「えぇ、えぇ。出来る事を増やして頂く必要はあるかもしれませんが、最初はアルガルド様のお話相手をして頂くだけでも良いのです。それから身の回りの世話や、ちょっとした雑用から入って頂けるだけでも私としてはありがたい事なのです」
クライヴは机の上で手を握り合わせながらアクリルへと微笑んで告げる。
アクリルは戸惑うようにアルガルドへと視線を向ける。アルガルドは少しだけ悩むように間を置いてから、溜息交じりに告げた。
「勿論、給金は出す。勉強も継続して私が付き合おう。ここでの生活が嫌になれば、一応紹介先がないでもない。だが、その紹介をするにしてもアクリルに信用と保証が無ければこちらも難しい」
「その為に、って事で良いのかな……?」
「お前が嫌だと言うなら無理強いはしない。また立場を客人に戻しても構わないと思っている。それに働いて欲しいというのはこちらの要求であって、アクリルが必ずしも応じなければならない訳では……」
「いいよ、私」
アルガルドの言葉を遮るようにアクリルが頷いて見せた。アクリルの返事にアルガルドは眉を寄せてしまう。その一方で、クライヴは満面の笑みを浮かべている。
クライヴは席を立ち上がり、アクリルの傍まで来るとその両手でアクリルの両手を握りしめた。
「ご快諾頂けて嬉しく思います」
「え、えっと、こちらこそ……?」
「アクリル嬢には今後、アルガルド様と行動を共にして頂ければと思います。何かお使いなど頼まれる場合は離れる事もあるかと思いますが。よろしいですね? アルガルド様」
「あぁ、後は私が話をする。クライヴは下がって良いぞ」
「それでは、お召し物の準備などもございますので私はこれで。これからは仲間として、よろしくお願い致します。アクリル嬢」
「仲間……」
アクリルが仲間という言葉を繰り返す。その言葉の意味を噛みしめている間にも、クライヴは一礼をして部屋から退出してしまう。
クライヴが出て行った後、アクリルとアルガルドの間には奇妙な沈黙が広がってしまった。
「……本当に良かったのか?」
「え?」
「今回の事はクライヴが言い出した事だ。私は別に働いて欲しいとは思ってはいなかったが……この館が人手不足なのは事実だ。都合が良いのは私も認める。だが、アクリルが嫌だと思えば無理強いはしないつもりだ」
「ねぇ、アル」
会話の流れを断ち切るようにアクリルはアルガルドの目を真っ直ぐ見ながら、アルガルドへと呼びかける。
アクリルに呼びかけられたアルガルドは言葉を途中で止めて、真っ直ぐなアクリルの視線を受け止めるように視線を合わせる。
「アルは、本当はアルガルドって名前なんだ」
「……あぁ、そうだ」
「この館で一番偉い人?」
「それはクライヴが勝手に言っている事だ」
「でも、偉い人なんでしょ?」
「……否定はしない」
「そっか。はっきり言わないのは、ここにいなきゃいけない理由とも関係してるのかな」
アクリルの問いかけに、今度こそアルガルドは沈黙してしまった。まるで言葉を選ぼうとしているかのように眉を寄せ、口元を隠すように手を添える。
そんなアルガルドを真っ直ぐに見つめたまま、アクリルはそっと息を吐いた。
「良いの、無理に答えさせたい訳じゃないの」
「……アクリル?」
「アルは、私の事を知りたいと言ったよね? じゃあ、私もアルの事を知りたいって思ってもいいよね?」
自然とアクリルの顔には微笑が浮かんでいた。そんなアクリルの表情にアルガルドは呆気に取られたように目を瞬きさせる。
しかし、その表情はすぐに困惑を示したようなものへと変わる。まるで何かから逃れるように視線がアクリルから逸らされる。
「……私は、興味を持たれるような事などないさ」
「それを決めるのはアルじゃないよ? 私だよ。知りたい事なんていっぱいあるよ。アルだから知りたいって思うんだ」
「それは、私がアクリルを助けたからだろう?」
首を左右に振り、皮肉げに笑みを浮かべながらアルガルドは吐き捨てるように言った。
「そうだね。アルが助けてくれたから、私はアルが知りたい」
その吐き捨てたアルガルドの言葉をアクリルは否定しない。その上で、だからこそ知りたいのだと口にした。
「アルは嫌?」
「……あぁ。私は興味を持たれても、ただ失望させるだけだ。アクリルは誤解していると思うのだが、私はここでは何もしていない。敬われるだけの事など、していないんだ」
「でも、アルは私を助けてくれたよ? 私にはそれで十分だ」
「助けようと思えば、誰だって出来る事だ。たまたま私だっただけだ。興味を持たれるような事ではない」
「それは違う」
拒絶するように言葉を重ねるアルガルドに、アクリルははっきりと今度は否定の言葉を口にした。
アルガルドの逸らしがちだった視線が再びアクリルへと向けられる。アクリルは一度もアルガルドから視線は逸らしていない。再び、視線が絡み合う。
「確かにアルのやった事は特別な事じゃないかもしれない。誰にだって出来た事かもしれない。でも、私に食事を恵んでくれて知識を授けてくれたのはアルなんだ。貴方は自分の事を価値がないみたいに言うけど、貴方が私が凄く苦しい時に出会って、助けてくれた。それは貴方にだけある価値だ。誰でも出来るかもしれない事でも、それをしてくれたのはアルだけなんだ」
あぁ、そういえば。ふと、アクリルの脳裏に過るものがあった。
私はちゃんと言葉にして伝えた事があっただろうか、と。
「アル、助けてくれてありがとう。貴方に出会えて、本当に良かった」
「――――」
「貴方にとって価値がない事でも、私にとってはかけがえのないものなんだよ。貴方と出会えた事は、私の人生でとても幸福な事なんだ」
アルガルドが目を見開いて、呆気に取られたままアクリルを見つめる。そんなアルガルドにアクリルはただ微笑むだけだ。
確かに誰でも出来る事だったかもしれない。それでも、あの瞬間にアクリルに手を差し伸べたのはアルガルドなのだ。
だからこそ、アクリルはアルガルドにこそ感謝するのだ。例え、それが誰もが出来た事だとしても、その手を差し出してくれたのは貴方なのだから、と。
「……たったそれだけの事でそこまで感謝される事もない」
「アルにとっては、私にしてくれた事はたったそれだけの事なんだね。アルは、それが誰にでも出来る事だと思ってる。アルはいい人なんだね」
「……私は、そんな評価をされるような者ではない」
頑なに首を振り、受け入れようとしないアルガルドに段々とアクリルの眉が寄ってきた。
思わず席を立ってアルガルドの傍まで歩み寄って行くアクリル。アルガルドの顔を覗き込むように距離を詰めれば、アルガルドの真紅の瞳が困惑に揺れたのが一瞬見えた。
「アルがどう思っても良い。でも、私はそれでもアルに助けられたから、何度でもありがとうって言うからね! 誰でも出来る事でも、その誰かになってくれた貴方に!」
「…………強情だな、君は」
「アルに言われたくないよ」
「ふふっ、ははは……! そうか……私には言われたくないか。そうだな」
アクリルの返しにアルガルドは前髪を掻き上げるように片手で髪を上げ、その掌で視線を隠してしまう。その口元には、可笑しさを隠しきれない笑みが浮かべられている。
「……誰でも出来る事でも、手を差し伸べたのは私だから、か」
そっと何かを噛みしめるようにアルガルドは呟いた。その言葉を吐くアルガルドの心情はアクリルには読み取る事は出来なかった。
だからこそ、知りたいという思いは強くなっていく。けど、問いかける時はきっと今ではない。
顔を隠す片手とは逆の手の裾を摘まむようにアクリルは手を伸ばした。とても細い、些細な繋がりだ。
アルガルドはそんなアクリルの手を、振り払う事はなかった。
 




