Another Story:廃嫡王子と狼少女 04
アルガルドは泣き疲れて眠ってしまったアクリルをベッドに寝かしつけ、そっと音を立てないようにドアを閉めた。
吐き出した吐息は重く、肩まで下がってしまいそうなのを堪える。そのままアクリルの部屋から離れようとした時だった。
「おやおや、お手つきはなさらないんですか? 王子」
廊下の向こう側から音も無く現れた男にアルガルドは足を止めた。
燃えるような赤髪が特徴の男だ。年の頃は三十歳半ば頃だろうか。その体は大きく、よく鍛えられているのがわかる。明らかに戦士の体つきだ。
そんな彼の赤茶色の目が楽しげに弧を描いてアルガルドを映している。明らかにからかうような目付きで自分を見てくる赤髪の男にアルガルドは目を細めた。
「ダーレン」
「おぉ、怖い怖い。いいじゃねぇですかい。こんな辺境じゃ女を味わう機会なんてないんですからねぇ」
ダーレンと呼ばれた男はからからと笑いながら肩を竦めた。アルガルドは大袈裟に溜息を吐いて見せる。
「……生憎、お前のように恋多き男ではいられないものでね」
「皮肉ですか? まぁ、遊びが過ぎて勘当されたのは事実ですがね! はははっ!」
「私が言えた事ではないが、最低だな」
アルガルドは疲れたようにダーレンに悪態を吐いて見せる。
ダーレン・コチニールはコチニール子爵家の令息だった。元々兄がいた身、家督は兄が継ぐからとダーレンは家を出て冒険者として活動していた。魔法の才があるのを生かす為に彼が生業として冒険者を選んだのは自然の成り行きだった。
彼はそうして浮名を流した。当然、実家からも怒りを買い、勘当されたのだ。そんな彼がここにいるのは、アルガルドの護衛として選ばれたからだ。
人格に多少問題はあっても腕の立つ者。そして……辺境の地で息絶えても問題ないとされた者。ダーレンはその一人だった。辺境の地へ、従者もなく向かえる人材としてダーレンは申し分なかったのだ。
「近くの村娘は口説いてるんですがねぇ。いやはや、村の男の視線が厳しい」
「程々にしておいてくれ。彼等も、私達には表立って逆らおうとはしないだろうが、度が過ぎれば快く思ってくれないだろう」
表向き、アルガルドは辺境に追放されたのは廃嫡にされたからだ。本来の追放の目的はアルガルドを王位から遠ざけ、アルガルドがヴァンパイアとなった事でその研究を人知れずに行う為だ。
しかし、当然の事ながら表沙汰には出来ない。なのでアルガルド達は表向き、辺境の開拓の助力を仕事としている。ここは魔物の勢力圏を開拓して出来た地で、かつてスタンピードで勢力圏が盛り返された事も記憶に新しい。
それでも人は富となる資源を求めて魔物に挑む。ここは最前線の地なのだ。
「まぁ、冒険者も物好きでもなければ寄りつきませんからね。貴族も冒険者も横暴に振る舞えばまとめて嫌われますわな」
「彼等は私達の生命線だ。決して粗雑には扱うなよ?」
「わかってますよ。十全に戦うには糧や潤いが必要なのは重々承知してますからね」
そう言ってダーレンは好戦的に笑った。彼がこの辺境の地に向かうのに選ばれた理由は素行の悪さだけではない。端的に言ってしまえば、彼に戦闘狂の一面があるからだ。
ここは魔物の襲撃も多い。それだけでなく開拓や資源の回収には魔物との遭遇も避けられない。日常的に行われている魔物の間引きはダーレンにとっては趣味の延長線上に存在している。
それがアルガルドの屋敷で人手が足りないと言われている由縁でもあるのだが、追加で人を雇うような資金も、そのつもりもないので自分の事は基本的に自分で行うのがこの屋敷のルールとなっている。
「……それで、手はつけないんで?」
「……どうしてもその話に持っていきたいのか」
「だって心配なんですよ。この薄気味悪い館に一日中篭もって、研究者の連中ならまだしも王子なんて若い身なんですから、折角ならぱーっと遊べばいいんですよ」
「……私にそのような資格はないし、そのように望む事もない。話はそれでお終いだ」
拒絶するように背を向けて歩き出したアルガルド。遠ざかっていく背中を見て、ダーレンは頭を掻きながらそっと溜息を吐いた。
「拗らせた弟ってのは面倒くせぇもんですな、アニス様……」
* * *
(……アルって何者なんだろう?)
アクリルが自分の身の上を話してからまた日を重ねた。この頃にはアクリルもパレッティア王国の公用語で軽くなら会話出来るようになった。余裕が出来たアクリルはふとアルガルドの事を思った。
あれからアルガルドはアクリルの部屋に通い詰めてくれた。少しずつパレッティア王国の言葉で話せるようになるとアルガルドは穏やかに笑って頭を撫でてくれた。その温もりが嬉しくも、どこか気恥ずかしくなってしまう微妙な感情をアクリルは持て余していた。
そんな持て余した感情から目を逸らす為に横道に逸れた思考が考えるのは、アルは一体どんな人なのか、という疑問だった。
(所作とかが凄く綺麗で、お屋敷に住んでるから……身分がある人、なのかな?)
文字の勉強がある程度、進んでくれば常識の勉強も少しずつ混ざってきた。それがアクリルが思考を広げる要因にもなったのだろう。
里の長のように上にいる人が王様で、王様に仕える身分の高い人が貴族、身分を持たないのが平民。ざっくりではあるが、アクリルは王国というものをそのように認識した。
アルガルドは平民という気配がしない。だとしたら貴族だとは思う。でも、アルガルドがアクリルに自分の身分を話した事はない。
(……聞けば答えてくれるかな?)
そんな思いが過って見たものの、ドアがノックされる気配がない。つい気になってしまってドアにちらちらと視線を向けてしまう。
(何かあったのかな……?)
今更な話だが、アクリルはここの事を知らない。この屋敷に住んでいるアルガルドは何者で、他にどんな人がいるのか。
もし身分がある人だという想像が本当だとしたら、アルガルドはこの屋敷に何故住んでいるのだろうか。
一度気になってしまえば頭から疑問が離れない。勉強する気にもなれず、気が散ってアクリルはベッドに体を預けた。
「……アル」
ここにいていいと彼は言ってくれたけど、自分はこれからどうしたいんだろう。
パレッティア王国では、多分自分のような獣の耳や尻尾を持つ者はいないのだと思っている。
なら、ここしか本当に行く場所がないんじゃないか。そこまで考えてアクリルは目元に手を添えて視界を隠す。
「……考えてもどうしようもない」
ここから出て行きたい訳じゃない。でも、アルが来てくれるまで待つのは苦痛で、怖くて、苦しくて。今すぐこの扉を開いて、アルに会いに行きたい。
待っても、待っても、ドアがノックされる気配がない。自分の体を抱き締めながらアクリルは歯を噛みしめる。
「……ここを出たら、命の保証はしない」
それがアルとの約束だ。でも、それでも。
アクリルは体を起こして、そっと扉に手をかけた。ばくばくと心臓が嫌な程に高鳴っている。
ここを出たらどうなるのか、正直わからない。アルに会えても、アルは怒るかもしれない。アルじゃない誰かに出会えば殺されてしまうかもしれない。
きっと、ここで大人しくしているのが正解だ。賢い選択だ。そうした方が良いと頭の中で冷静な自分が囁いている。
「でも、ジッとしてるのも……怖いんだよ」
震えそうな手に力を込め直して、意を決してアクリルは扉をゆっくりと開いた。
覗き込むように廊下を見る。人の気配も、物音もしない。それを確認してからアクリルは静かに息を吐き出して、自らの気配を消していく。
里での生活は狩りが主であった。故に、気配を断つ術は子供の頃から習うのだ。アクリルは心を平静に保ちつつ、物音を立てぬように慎重に廊下を進んでいく。
屋敷の人の気配は驚く程に少ない。手入れも最低限なのか、外で見た屋敷の外観に違わない不気味な空気が満ちている。
怯えそうになる気持ちを叱咤しながらアクリルは音を立てないように廊下を進んでいく。廊下の影に隠れ、進む先の気配を探りながら一歩、一歩と進んで行く。
「……?」
すると、人の声が聞こえてきた。同時にアクリルの鼻を擽る匂いを感じた。
その匂いは嗅ぎ慣れた匂いで、その匂いが何かを認識した時、アクリルに緊張が走った。
「血の、匂い……?」
何故? とアクリルは疑問に思いながらも、飛び跳ねそうな心臓を押さえながら血の匂いがする方へ、廊下の影に隠れるように覗いて見た。
そこはエントランスで、数人の人が集まっているようだった。その中にはアルガルドと思わしき白金色の髪が見えた。
「アルッ!」
思わず血の匂いに動転して、声を出して身を乗り出してしまった。
エントランスにいた人達の視線が一気にアクリルへと集まる。その中にはやはりアルガルドがいて、驚いたようにアクリルへと視線を向けた。
アクリルは自分の迂闊さに顔が真っ赤になってしまいそうだったが、出てしまったものは仕様が無い、とアルガルドへと視線を向けた。
アルガルドの体に外傷は見えなかった。血の匂いはアルガルドからではなく、アルガルドとエントランスで会話していた者達から香るのだと気づき、アクリルは体から力が抜けてしまった。そのままぺたり、と座り込むとアルガルドが素早く近寄ってきて、膝をついた。
「アクリル? 何故部屋の外に出ている?」
「ご、ごめんなさい……アルが、今日は来ないから、不安になって……」
「……あぁ、そうか。すまない。配慮が足りなかった」
小声で申し訳なさそうに頭を下げながら言うアクリルに、アルガルドは頭を掻きながら苦虫を噛み潰したような表情で返事をする。
「あー、アルガルド様。その子が、例の?」
すると、アルガルドとアクリルの様子を窺っていた男達が気まずげに声をかけてきた。
彼等はどうやら戦装束らしく、戦いの後のような汚れなどがついている。血の匂いも本人達の怪我もあるが、何よりも返り血のようだった。
アルが怪我をしたかもしれない、と飛び出してきた自分があまりにも間抜けに思えてアクリルは耳をぺたり、と下げてしまった。
「……はぁ、お前達。今日はもう下がれ。アクリルの事は他言無用だ」
「えぇ、それはわかってますよ。……ただ、アルガルド様が心配するような事にはならなさそうで何よりで」
「……いいから下がれ。いや、いい。私はアクリルを部屋に戻してくる。後で報告書を提出するように」
言い捨てるようにアルガルドは告げて、座り込んでいたアクリルの体を抱き上げた。
ひゃっ、と短く悲鳴を上げたアクリルの視界にアルガルドの顔が至近距離に近づく。アルガルドの腕の中に収まり、抱き上げられているという事を理解してアクリルの顔が一気に真っ赤に染まる。
うるさくて痛い程に跳ねる心臓の音を意識しないように意識を飛ばす。何が起きているのかわかっているが、それを認識したくないというアクリルの抵抗だった。
アクリルを抱いたまま、アルガルドはアクリルが来た道を戻るように歩いて行く。
ようやく今の自分の状態が飲み込めてきたのか、アクリルは申し訳なさそうに耳と視線を下げた。
「……ごめんなさい」
「何を謝る?」
「勝手に部屋を出て……」
「……気にするな。私こそ、アクリルへの配慮を忘れていた。今日は仕事が入っていたからな」
「仕事?」
「私達は魔物の間引きが仕事だ。今日はなかなか大がかりでな。私も待機していた為、アクリルに会いに行く事が出来なかった」
魔物の間引き。なるほど、だからあんなに血の匂いが香るほどに返り血を浴びていたのか、とアクリルは納得した。
「……アルも魔物と戦うの?」
「……いや、私は。この屋敷から出ないからな」
「? そう、なの?」
「……あぁ。私はここにいなければならないんだ」
そうしてアルガルドが浮かべた笑みは笑みなのに笑っているとはちっとも思えなくて、透明で何も感じさせない表情だった。
まるで底の見えない穴を覗き込んだような感覚にアクリルは陥った。その表情があまりにも綺麗で、でも言い知れぬ不安を掻き立てられてアクリルは思わず拳を握ってしまった。
「……アル?」
「何だ?」
本人は気付いているのか、それとも気付いていてとぼけているのか。自分がどんな表情を浮かべているのか。
それを聞くのが怖くて、アクリルは口を閉ざしてしまった。自分を抱き締めるアルガルドの手の熱が、彼がここにいるのだと実感させてくれるのだった。




