第30話:誰が為の王(前編)
アニスフィア・ウィン・パレッティア王女を王族失格だと言う者は多い。
王族らしくない振る舞いに、魔法の才能を持たない。そして不可思議な発明に没頭していて離宮に引き籠もる。
しかし、それでもアニスフィア・ウィン・パレッティアを評価する者も多い。それは魔学という新概念を認める者や彼女の本質を見定める者。
一面を見れば相応しくなく、しかしそれを補う程の功績を立てている。だからこそ出る杭は打たれるかのように語られるのがアニスフィアなのかもしれない。
さて、ここまでの評価の話は貴族から見てのアニスフィアが多い。
では、この国に住まう国民達はアニスフィアの事をどう見ているのだろうか?
その実態を追う事になるのは数奇な運命を辿る公爵令嬢、ユフィリア・マゼンタ。
彼女から見たアニスフィア・ウィン・パレッティアは、一体どのように映るのだろうか。
* * *
私はユフィリア・マゼンタ。パレッティア王国に忠誠を誓うマゼンタ公爵家の公爵令嬢。それが私の身分を言い表すのに一番わかりやすいでしょうか。
私は今、普段身に纏っているドレスのような煌びやかな格好ではなく、平民達が着るような質素な服に身を包んで城下町を歩いています。その隣にはこの国の王女であるアニス様も一緒におります。
王族によく現れる白金色の髪は帽子の中に仕舞われていて目立つ事なく、アニス様は慣れた足取りで城下町を進んでいきます。
「こっちだよ、ユフィ」
「あ、はい。アニス様……ではなく、アニス……」
「お忍びなんだから様付け禁止―」
楽しげに笑うアニス様に頬の熱が上がりそうになりながら私は下を向いてしまいます。
そう。今日はお忍びで私達は城下町へと降りてきているのです。
事の始まりは、先日のアルガルド様のご乱心。その最中に折れてしまった私のアルカンシェルの修復が切っ掛けです。鍛冶に関しては城下町の鍛冶師に頼んでいるという事で私の手を離れていたのですが。
あれから私達は慌ただしくも忙しい日々を送っていました。といっても、主に忙しかったのはアニス様なのですが。何せ、アルガルド様が廃嫡となって僻地へと送られてしまったのですから。
これでアニス様は王位継承権の第一位となりました。それからというもの、アニス様のご機嫌を伺ったり、アルガルド様の廃嫡の真意や事情を探ろうとした者達の面会が相次ぎ、身動きが取れなくなっていました。
そして今日、ようやく空いた時間でアニス様が私を誘ってアルカンシェルの受け取りにお忍びで城下町に降りる事を提案して来たのでした。
護衛を、とも考えたのですが、お忍びの時に護衛を連れていきたくはないとアニス様が案の定ごねました。勝手に付いて来るから好きにさせれば良いと、あれよこれよという間に私は城下町へと連れ出されていたのでした。
決してお忍びが嫌な訳ではないのです。ただ、今はもう王位に近い身なのですから、自分の危険に関心を持って欲しいのですが……。
「ユフィは城下町にはよく来る?」
「いえ、あまり……」
「視察とかは?」
「お父様についてならありますが……」
公爵令嬢という身分であればどうあっても平民を萎縮させてしまうので、私はあまり好みませんでした。それでも視察となれば民の生活を目にして多くのものを感じなければならないと。そんな風に思っていたのが少し懐かしいです。
今はどうなのでしょうか。今、私の立場は宙に浮いているようにも感じます。アニス様の魔学の助手という事ではありますが、最近はアニス様も政務に関わりだしたので魔学の研究そのものの手が止まっているように思います。
かといって私に政務の話はアニス様は振りません。……気を使って頂いているのだと思います。助手としてアニス様の元に身を寄せている私ですが、ゆっくりして良いと言われると何もする事がありません。
かつては次期王妃として相応しくあろうとしてきましたが、今はそのような重圧はありません。それがアニス様に守られているのだと感じるので、少々心苦しくはあるのですが……。
「ここだよ、ユフィ」
思考に気を取られている間に目的地に着いたようで、私は下げていた視線を上げます。
何の変哲もない町工房。規模はこの城下町の中では小規模と言えるでしょう。店の規模から見て、大量生産向けではなく個人の客に向けての工房と見えます。
この違いは工房主、或いは工房主を雇っている商人によって対応が異なるので気をつけなければなりません。大きな工房ほど有力な商人がついている事もあり、商談のネタには鼻が利きます。
一方で工房主が単独で工房を開いているような小規模な店は職人気質が多く、その分こだわりも強く感じる傾向があります。一括りに工房といっても扱う商品や周囲を取り巻く環境で対応は変わってくる、とお父様が教えてくださいました。
確かに魔学の発明品を手がけるならばこういった小規模の、技術を見込んで腕の良い職人の工房を選ぶのは当然の事でしょう。
出ている看板に書かれている工房の名前は、“ガナ武具工房”と言うようです。アニス様はノックも無しに工房の扉を開いて中に入っていってしまいました。
「トマス! 入るよ!」
「あ、アニスさ……アニス!」
慌てて追いかけて中に入れば、まさに絵に描いたような光景が私を出迎えてくれました。
そこには目を惹く好青年が立っていました。如何にもざっくりとした髪型の薄い茶髪に、私のお父様にも劣らぬ鋭い赤茶色の瞳。作業の途中で汚れなどがついていますが、それでも細身ながら逞しく引き絞られた姿は騎士にも劣らないのではないかと思う程です。
欠点と言えば、その顔に表情らしい表情が浮かんでいない事ですが……。
「……アニス様か。随分と遅かったな」
「や、頼んでたもの出来てる?」
「ふん。持って行け」
思わず目をぎょっとさせてしまいました。お忍びとはいえ、このトマスという職人はアニス様が王女だと知っている筈。それでもこの態度は、世俗に興味はない方なのかと観察して見てしまいます。
すると視線が私にも向けられました。どこか訝しげな視線を送った後、トマスはアニス様に向き直ります。
「誰だ?」
「私の助手」
「……あぁ、あれの使い手か」
「連れてくるって言ったでしょ?」
「……ふん。ここはお嬢様が来るような綺麗な所じゃねぇぞ」
忌々しそうに舌打ちをしそうな程にトマスは呟きます。そういえば以前、アニス様が貴族嫌いだと言っていたような……。
ここは畏まった挨拶よりは、自然体で挨拶をした方がよろしいでしょうか。
「ユフィと申します。家名は問わずに頂けると」
「……知ってるよ。噂で持ちきりだからな、アニス様がアルガルド様から婚約者を分捕ったってな」
「分捕ってないよ? まぁ、そこは複雑な理由があるから言いたいように言ってれば良いけど」
「貴族様達の争いは貴族様達でやってくれ。俺は関わりたくない」
げんなりとした表情でトマスは言います。顔は整った顔立ちなのに浮かべる顔は仏頂面や険しい表情ばかりです。どうにも気難しい方という印象を受けます。
「トマス・ガナだ。……です」
「いえ、畏まらなくても良いです。ここにいるのはユフィですので」
「……そうかい。そりゃ助かる」
敬う必要はないと伝えると少しだけ態度を柔らかくして頂けました。畏まるのは苦手なのでしょう、悪い人ではなさそうですが。
「それで? アルカンシェルは?」
「もう直した」
「見せて貰える?」
アニス様に促されてトマスは手を拭って清めてから、安置されるように置かれていたアルカンシェルを手に取って戻ってきます。
鞘に収められたままのアルカンシェルを抜けば、そこには折れる前となんら変わらない姿がそこにありました。
「……確かめてくれ」
「あ、はい」
アニス様ではなく、私に。手に取ったアルカンシェルの感触は手を離れていたとは思えないほどに自然なものです。何度構えても違和感はない。魔力を通して見ても問題はなさそうなので、思わず息を吐いてしまいました。
ここまで完璧に修復して貰えるとありがたいです。すっかりとこれがないと落ち着かなくなってしまいました。イリアが言っていた、魔道具の便利さを知ると前の生活には戻れないとはよく言ったものです。
「素晴らしい出来です。違和感もありません」
「……」
「……何か?」
アルカンシェルを鞘に収めて伝えると、トマスが真剣な目で私を見つめていました。
その視線に訝しげな顔を浮かべると、トマスが少し慌てたように気を取り戻して頭を掻きます。
「いや。……ちゃんと使ってくれてるのが、今のでわかってな。アニス様からの勧めだから信じられるとは思っていたが、実際に目にするまでは半信半疑でな……」
「あぁ、なるほど。……今はもうこれがないと落ち着かない程ですよ」
「……そうか」
何か考え込むようにトマスは目を細めました。そして何を思ったのか、工房のものを適当に見て回っていたアニス様へと視線を向けています。何やってるんですか、アニス様……自由過ぎます……。
「アニス様、お小遣いやるから屋台で適当に何か買って来てくれ」
「え、良いの!?」
「ま、待ってください!?」
思わずツッコんでしまいましたけれど、私は間違ってませんよね!? 王族ですよ、お忍びで来ているとはいえ王族ですよ!? そんな子供みたいに扱って良い訳がありますか! あとアニス様も嬉しそうにしないでください! お忍びとはいえ、王族が! お小遣い貰って喜ばないでください!
「話がしたい」
「……ふーん? なに、流石に口説くには難易度高いと思うけど?」
「そういう話じゃねぇ。行くのか? 行かないのか?」
「トマスは口下手だから心配なんだけどなぁ。まぁ、私が行った方がいいんでしょ?」
「あぁ。特に、アニスフィア王女様には聞かせられないような話だからな」
「……わかった。じゃ、行ってくる。ユフィの分もいいよね?」
「好きにしろ」
そう言ってトマスはお金を取り出してアニス様に渡し、アニス様は平然と出て行ってしまいました。
思わず引き留めようとしたけれども、先程のトマスの言葉が気になって。アニス様に聞かせたくない話というのは言葉通りに受け止めればわかるけれども。
……二人はどういう距離感なのでしょうか。アニス様は気安そうでしたし、トマスも自然体ですし。それだけお互いに気を許して、身分の差を意識してないような……。
「……すまねぇな。いきなり二人にしちまって」
「いえ。……この工房は他に人は?」
「いねぇよ。自分が偏屈だという自覚はある。一人で仕事して、自分の満足のいく仕事をするのが性に合ってるからな。……立ち話もなんだ、来客用の椅子がある」
そう言ってトマスは椅子を持ってきてくれたので、甘える事にしました。トマスも同じように椅子を持ってきて、私達は対面に向き直ります。
「……アニス様を変わってると思うか?」
「それは……もう、常識という言葉があるのか疑う程には」
「そうか。でも、良い人だと思っている」
「はい、それはもう」
でなければ私はここにいなかったでしょう。アニス様がいなければ今頃どうなっていたか。自分の存在意義を見失って、心を壊していたかもしれません。それどころか国が別物に変わり果てていた可能性もあります。
今があるのはアニス様が動いてくださったお陰で。そこに私は何が出来たのだろうかと思うと唇を噛みそうになります。守られているのはわかるのです。ですが、守られているだけで私は何か出来ているのでしょうか……?
「……なぁ、ユフィ様。はっきり聞いて良いか?」
「何でしょうか?」
「次の王様は、アニス様なのか?」
その問いを口にするトマスさんはただ真剣で、私も自然と姿勢を正してしまいます。
「……現在、王位継承権の第一位を持っているのはアニス様です。アルガルド様が廃嫡にされたという話は既に流れていらっしゃるのですよね?」
「あぁ。だから確認したいんだ。次の王様はアニス様なのか?」
「はい。そうなるかと思います」
「……そうか」
重々しくトマスは溜息を吐きます。明らかに喜ばしくない、という表情で。
アニス様は、やはり王族として相応しいとは思われていないのでしょうか。だから席を外して欲しいと? ……であれば、何故私に?
「ユフィ様、それは確定なのか?」
「……そんなに不安ですか?」
「……多分、ユフィ様が心配しているような不安はない。あの人が王になれば喜ぶ人は多い。あの人はいつだって俺達平民の生活を思ってくれているからな」
トマスの表情が一転して、優しいものに変わります。それもどこか誇らしげで、何かを自慢するように。
「アニス様が王様に意見してくれた事で、改善した事だって少なくない。あの人は俺達の目線に立って、何が必要で、何をすべきなのか動いてくれた。……本人は当たり前の事だって言うんだ。けれど、そうじゃないだろ? 貴族なんて、俺達がどう生活してるのか目の当たりにした事はないだろ?」
「……それは、そうですね。でも、そういうものだと思っています。貴族は貴族であり、平民は平民です」
「俺もそれは否定しねぇさ。アンタ等は富と地位の代わりに責任を背負っている。この国を守るっていう大きな責任を。アニス様がそう言っていた。……だから、俺は尚更貴族が嫌いだ。正確には〝貴族〟という特権を振りかざして平民を虐げるような奴がな」
過去に何かあったのか、憎悪すら滲む声色でトマスが告げます。その言葉に私は目を細めて視線を落とす事しか出来ません。
事実、貴族である責任を忘れ振る舞う者が少なくない事には私も思う所があります。貴族とはその地位に見合った責任があるものです。それを忘れて横暴に振る舞う事など、あるべき貴族の姿ではないとは私も思っております。
ですが、それが平民である彼に伝わるかと言われれば難しい話です。だから貴族と平民という括りで分かたれてしまう。それは互いに隔てる為の言葉でも地位でもない筈なのに。
「俺等のように生活しろ、って話じゃねぇ。俺も貴族がどういう生活をしているか知れば少しは納得も出来る。……大変なんだろ?」
「楽とは……言えませんね」
「そりゃ俺だってそうだ。だからお互い責任を果たせばそれで良い。……いや、そういう話をしたいんじゃねぇな。そう、アニス様だ。あの人なら、そういう意味では凄く信頼出来る。俺以外にも思う奴は多いだろうさ」
「……ですが、貴方は喜ばしいと思わないのですね」
「……気付くか。まぁ、そうだな」
困ったように頭を掻いてトマスが表情を曇らせます。
「あの人は王様は出来るだろうけど、王様には向いてないだろう」
「……向いてない、ですか。確かに破天荒な方ではありますが……」
「いや、破天荒とかそういう意味で向いていない、じゃなくてな……あの人、背負いすぎるだろ」
「背負いすぎる、ですか?」
トマスの言葉に私は首を傾げてしまった。確かに、口ではなんだかんだいいながらも責任感はある人だとは思っています。アルガルド様への態度からも責任感があると感じ取る事が出来ましたし、私やレイニへの対応からも伝わってきます。
「それは王として、上に立つ者として良き才能だと思いますが。背負いすぎるならば家臣である私達が助ければ……」
「王様にはなれる。なれるけど、もっと別の事をやらせてた方があの人には向いてるだろ」
「っ、それは……」
それは否定出来ない事実です。私はアニス様に王様としての資質があると思っています。けれど心の底からアニス様が王位を望んでいる訳ではない事も承知です。あの方が本当に人生を捧げたいのは魔学の研究です。それもわかっています。
ですが王位継承権を持つ王家の血統を受け継ぐのはアニス様なのです。本人が望もうとも、望まずとも。それが……王族というものなのです。
「出来る資質があるのと、だからやらされるのは話が別だろう」
「……ですが責任があるのです。貴族には、王族には」
「だが女王なんて前例もないだろ。……それ、本当にアニス様が背負わなきゃダメなのか? 王様になっても魔学の研究を続けられるなら良いが、そうでもないだろう? 本来だったらアンタの剣をもっと早くに取りに来ててもおかしくない」
確かに、ここ最近のアニス様は日々の忙しさに追われて魔学の研究に手を付けていません。今後、王になる為の心構えや知識、政務に追われる事を考えると研究をしている暇はあるのでしょうか?
アニス様が魔学の研究を止めた場合、それを誰かが引き継ぐ事は出来るのでしょうか。……既存の魔道具を世に広める事は叶うかもしれません。ですが、新しい発想は生まれるのでしょうか?
そう考えれば魔学にとってアニス様は唯一無二の存在です。そして、今となっては王族としても。この大きな二つの事を両立させる方法は……私には思い付きません。もし為そうとするならば途方もない労力がかかる事でしょう。
「あの人が王様になったら……自由じゃなくなるんだろう。それはあの人の魅力を殺してしまいそうだ。自分が王様だって定めたら、もうあの人はここには来ない。少なくとも〝アニス様〟としてはな」
「……アニス様をよくご存知なのですね」
「ちっちゃな頃から変わらないからな、あの人も。……あぁ、だからなのかもな。だから余計にアニス様が変わってしまいそうなのが不安なのかもしれない。魔学の話をするアニス様はいつだって輝いてた。魔法を使えない俺達には共感する事も多かった。俺たちは皆、アニス様に期待してたのさ。俺達の話を聞いて、夢を語ってくれる人だってな」
「……きっと、それは王になっても変わらないですよ」
「本人はな。でも、周りが許さないんじゃないのか?」
周りが許さない。それを言われると何も否定できません。
アニス様が王になれば、周りは許さないことを増やすでしょう。私とてそうします。王は王として振るまい、民を導かなければならない。その責務があるのですから。
そうすればアニス様は自由を失っていく、と言われればそれも否定出来ません。その為に心を殺していき、王らしくなっていくアニス様の想像も容易い。
あの人はそれが出来てしまうから。お父様はそれを見越してアニス様の王位継承権を復権させたように思えてきました。
もうアニス様が王になるという流れはどのような観点から見ても避けようがないのかもしれません。でも――。
「王様になって、それでアニス様は幸せになれるのかよ?」
……トマスから問われた言葉に、脳裏にある言葉が思い出される。
――『揃いも揃って、心の底から望んだ幸せは得られそうにありませんね。私達は』
それはアルガルド様に向けてアニス様が零した言葉だった。
それが酷く胸に突き刺さるように残ってしまいました。
王になれ、という言葉は。きっとアニス様から幸せを奪う呪いの言葉なんだと。
改めて強く、深く、私に刻まれたのです。