第23話:姉と弟の昔話
「アルくんと決定的に不仲になったのいつだったかな。ただユフィと婚約が決まる前だった。というか、私のせいでユフィとの婚約が決まったと言っても良いのかもしれない」
「え? そうなんですか?」
きょとんとした顔でユフィが私の顔を見つめた。その辺りの事情はユフィは知らなかったのね。
「結果的にだけどね。当時、ユフィが優秀だったから選ばれたのも理由だけど、婚約者選びを母上に決意させたのは間違いなく私のせいだよ」
「どうしてアニスフィア王女が原因になるのですか?」
「んー……私はそのつもりはなかったんだけど、ねぇ」
レイニの疑問は当然のことだ。本当になんでそんな事になったのかと言われると、結果的にとしか言いようがないんだけど。
「私、アルくんに命を狙ってるって思われたのよね」
「……は?」
「事実、ちょっと殺しかけたというか……死なせかけたというか……」
「どうしてそんな事になるんです!?」
私の告げた事実に呆気を取られていたユフィ。だけど、すぐに気を取り直してツッコミを入れてくる。そんな反応も尤もだと思う。いや、本当に。私ですらそう思う。
「私には一切そんなつもりはなかったよ。ただ、あの頃の私は馬鹿だったんだ。弟を喜ばせたいってお姉ちゃんぶって、旅先でアルくんを連れて抜け出したんだ」
「あぁ、その頃から逃亡癖が……」
「当時からもう有名でしたよ。まだ幼いから力尽くも難しくて、本当に駆けずり回されました」
イリアが当時の事を思い出したのか、苦々しい声で呟く。いや、その節は本当に申し訳なく……。
「それで私はアルくんを連れて森に向かったんだ。私は精霊石を自分で手に入れたくて、アルくんには見た事のない知識を、私が楽しいと思うように抜け出す悪い遊びを教えてやろうって軽い気持ちだったんだ。今考えればあまりにも子供すぎて笑えないんだけどね」
「……その頃から魔学の研究をしてたんですか?」
「うん、思い付いた事は実行せずにはいられなくてね。だから昔はよくアルくんを巻き込んだよ。たくさん泣かせたし、たくさん一緒に笑った。だから勘違いしてたんだ」
「……勘違い、ですか?」
「勘違い……いや、違うね。私は無知だったんだ。王族としての責任も、周囲の目もちゃんと考えてなかった。私が馬鹿だからあんな事になったんだ」
目を閉じれば、今でもあの時のことは鮮明に思い出せる。まだ私がアルくんと姉と弟として付き合っていられた最後の時間だったから。
どこか気弱で、私が手を差し出せば躊躇いながらも付いて来てくれたアルくん。そう、あの日もいつも通りだった。何も変わらない、ちょっとした冒険のつもりだった。
「森に入って、精霊石を手に入れようとした私達は魔物と遭遇したんだ」
「……え」
レイニが私の告げた言葉に絶句したように息を呑む。幼い頃に護衛も無しに魔物と遭遇したと言えば、当然の話だけど息を呑むよね。
「王族の子供が二人揃って抜け出して魔物に襲われたの。本当、馬鹿やったよね」
「よく無事でしたね……」
絶句したまま呟くレイニに、私は首を左右に振った。レイニの言葉を否定するようにだ。
「私は無事だったよ」
「……アルガルド様に何かあったんですか?」
「私は当時から無鉄砲で、アルくんの姉だって自覚はあったからね。それに連れ出したのは私の責任。私はその魔物を自分で相手にして、アルくんに逃げろって言った。アルくんは私に逆らわずに逃げたよ」
自分の責任だからと、あれ程自分の軽率な行動を呪った事はない。抜け出すにしても自分一人で抜け出すべきだったと、そう後悔した。
だからアルくんを守らないといけないと思った。魔法が使えない事なんて気にならなかった。精霊石を集めていたのも幸いした。なんとか四苦八苦して、精霊石を駆使して魔物を相手に生き残る事が出来た。
「騒ぎを聞きつけて駆けつけた騎士に私はすぐ保護された。でも、アルくんは見つからなかった」
「……別の魔物に襲われたのですか?」
「いや、そういう訳じゃない。単純に身を隠す為に隠れてたら発見が遅れちゃっただけ。私は自分で探すって聞かなくて森を駆けずり回った。で、アルくんを見つけたのも私」
「それが不仲の原因……ですか?」
「それもだけど、多分その後が問題だったんだと思う。私はその時、怪我も負わずにピンピンしてたから、アルくんが見つかったのが単純に嬉しくて浮かれてたんだ」
「……一体何をしたんですか?」
「私は何もしてないよ」
ユフィの疑うような質問に私は苦笑を浮かべてしまう。私が何かしたんじゃないかと疑われるのは、私を知っていればそう考えてしまうものなのかな。否定はしないけど。
でも、あの日は本当に。ただ本当に、アルくんが無事で良かったって喜んでただけなんだ。
「ぴんぴんしてたからかな。多少怪我でもしてれば弁明出来たかもしれないんだけど。誰かがね、言い出したんだ。アニスフィア様がアルガルド様を暗殺しようとしたんじゃないか、ってね」
私が告げた言葉にユフィとレイニが息を呑んだ。私は二人の様子を気にせずに話を淡々と続ける。
「私はぴんぴんしてたし、騎士に発見されたのも私が先だった。だから私が仕組んだんじゃないかって誰かが言い出した。私は違うって言ったけど、一度広がった認識を拭うのは簡単じゃない。それに私には動機があった」
「動機ですか?」
「私が当時から魔法に執着していたのは皆知ってた。だから魔法が使えたアルくんを妬んで殺そうとしたんじゃないかって」
火の無い所に煙は立たない。つまり、相応しい動機があると私は見られた訳だ。魔法が使えず、魔法に執着していた私が魔法を使えるアルくんを妬んで殺そうとしたんじゃないかって。
私が違うって言っても周りがそう思うかは別だ。ただでさえ変わり者だった自覚があったから尚更だった。気狂いとさえ思われていたんだから、私が言う事が本当なのか疑う者も当然いた。
「そこで私は自分が王位継承権を持つ子供だって自覚した。私がいるだけでアルくんの足を引っ張るかもしれないって。だから徹底的にアルくんの政敵になる要因を潰しにかかった」
「……それが婚約しないと宣言するのに繋がるのですか」
「王位欲しさとか、アルくんへの妬みから殺そうとしたと思われるのを払拭するのに必死だったんだ。周りから気狂いだと思われるのだって、むしろ好都合だった。アルくんが可愛いのもあったけど、そんな面倒な事に巻き込まれて研究出来なくなるのはご免だってね」
「あぁ、そこはもういつものアニスフィア王女だったんですね……」
まぁ、それが私だから。私の魔法の執着は私が私になった日から私の根幹に置かれている願いだから。
だから魔法を手にしたかった。ただそれだけだった。アルくんが王になるのを邪魔したかった訳でもないし、アルくんが死んで欲しいなんて思いもしてなかった。
「上手くはいったよ。無茶はやったけど望み通りになった。これで私を王に、或いは王配になんて望むなんて人はいなくなった。だからアルくんにもう心配いらないよって言いに行ったんだ。疑いが晴れるまで近づかない方が良いと思ってて、これでようやく謝れるってね」
「……謝れたんですか?」
「謝ったよ。でも、聞く耳を持ってくれなかった。遅かったというか、もう取り返しがつかなかったんだろうね。だから何やっても無駄になってたと思う」
あの日、アルくんを森に連れ出した時点で私達の仲違いは決定づけられたんだと思う。
「アルくんは私を疑ってた訳じゃないんだよ。そこじゃないんだ。私とアルくんの不仲の原因は」
「だったらアルガルド様は、何故アニスフィア様と仲違いを?」
「私がやり過ぎたんだ。私はあまりにも父上と母上を、周囲を黙らせすぎた。その為に出来る事もやるだけやった。当時、数少ない魔学の成果を叩き付けてでも自分の自由を勝ち取った。子供が大人顔負けの成果を叩き出したんだ。それをどう思う?」
「……異常、ですよね」
「そう、異常だよ。アルくんから見れば私は狂人だった。そして大人顔負けの頭と行動力があった。アルくんこう言ったよ。姉上が望むとも望まずとも、周囲が僕を殺そうとするって。姉上が良いって言う人がいたって。僕は不出来だって言われたって。……巫山戯るなって話だよね」
はは、と。虚しく零れた笑い声は思ったよりも力がなかった。
あの時、アルくんが浮かべていた恐怖と絶望に歪んだ表情を、私は忘れる事は出来ない。
「誰も彼も私とアルくんを比べた。私がどんなに継承権を捨てた所で、受けとって欲しいように受けとってくれなかった。アルくんには私が化物に映っていた。存在するだけで自分の居場所も、価値も、何もかも奪う怪物になっていた。だって私が捨てた王位継承権は、自分が受け継ぐのが当然だと思っていたもので、私がそれを脅かすものだと認識されたんだ。私がどんなにアルくんが王になるんだよって言ってもね」
私は笑えているだろうか。この話をしていると笑えているつもりなんだけど、そう見られない事が多い。事実笑いきれないのだから、自然と顔に出るのかもしれないけど。
「どんなに私がアルくんの未来を願っても手を出す事は出来なくなっていた。私が望めば王位を奪えると。魔法さえ使えれば自分には価値がないと。ただ男に生まれただけ、魔法を使えただけ。私には劣ると。私が王になるべきだと。私は、敵なのだと」
私は良かれと思ってアルくんと距離を取ってしまった。それが周囲がアルくんに要らぬ事を吹き込むには十分な時間を与えた。
そして残ったのは私達は名目上の姉弟になったという結果だけ。私は魔学の探究への道に進み、アルくんは王へと至る道を歩まされる事になった。
「私がやりすぎたせいで、アルくんは多くを望まれるようになった。魔学に代わる功績を、私が持たぬ魔法の才を伸ばす事を、王族としての資質を、国を導くに足る優れた王妃を。私はアルくんの為だと言いながら身を引いたけど、もう面倒だから好きにしろって思った。だから私も好きにするって。王になるのも邪魔しない、する気もないって。もう関わり合いにならないって」
「……それで不仲に?」
「理由は色々あったけど、引き籠もって王族としての責務を果たさなければ私を王になんて考える者はいなくなると思ってね。実際、いなくなったよ。私にはもうどうでも良くなってたけどね。この国から出る事も考えてたし」
実際、父上と母上がいなかったら国を出ていたと思う。父上と母上が自由を尊重してくれた上で私を繋ぎ止めてくれた。私だけの住まいを、私だけの信頼のおける従者であるイリアを、冒険者をやっても怒りはしても咎めはしない。予算だって出してくれる。
真っ当な家族関係ではなかったけれど、上司と部下のような繋がりが途切れそうだった関係を繋いでいた。それから私も大人になった。子供の頃に比べれば分別だってつけられるようになった。
「まぁ、重たく言ったけどね。今だから重いのか。ちょっと前まで、ここまであっても“お互い苦手だし、色々あったから仕方ないよね”ぐらいに考えてたし」
「……あぁ、だからあんなに真剣味がないというか、軽い態度を取ってたのですね」
「ポーズの意味もあったけどね。アルくんには苦手に思われてるだろうし、関わると面倒だ、って思ってたから」
「思い詰めてるのか、そうじゃないのかちょっとわからなくなりそうです……」
いや、どっちも正解なんだと思う。それを踏まえた上で悩まないって事を選んだだけ。
私にはアルくんが王になりたいと言っても手助けするつもりはないし、勝手になるものだと思ってた。周りが何と言おうとも父上と母上がなんとかするだろうと。
まぁ、それもご破算になってしまったのだけど。うん? これは笑えないのか。いや、笑えないな。アルくん、ここから巻き返せるんだろうか本当に。
「……なんか、生まれてきてごめんなさい……」
「ちょっ、レイニ!? お姉さんそこまで責めてないというか、本当に間が悪かっただけなんだよ!?」
確かにここまで整えた状況をぶち壊しにしたのはレイニだけどね!? 死んだ目で遠くを見てないでこっちを見て、レイニ!
「でも、私がいなければ……」
「そうかもしれないけど、だからってアルくんがやった事は認められないんだ。ユフィとの婚約破棄を正式な手順を踏んでしなかった時点で。レイニだって不可抗力なんだし」
「……はい」
「そもそも、そんな状況に追い込んだのは私が悪いかもしれないんだ。私にはアルくんがわからない。もうわかってあげられないから」
それが少しだけ、いや、もの凄く私に罪悪感を抱かせる。
もし、幼い頃のようにアルくんと手を取り合えていたら。皆が笑っていられる未来があったのかもしれない。
そうなる事は凄く難しくて、もう取り返せない後悔なんだけど。それでも思わずにはいられない。
表情に出ないようにしながらも思い詰める私を、ユフィがずっと見つめていた事に私は気付く事はなかった。




