After Days:運命の日を重ねて、次の明日へ
書籍第一巻発売から一周年記念の短編です。
この日、パレッティア国立貴族学院では卒業生を祝うパーティーが開かれていた。
生徒たちが今日この日までの努力を称え合い、卒業していく先輩や残される後輩、皆が思い思いに過ごす。間もなく、この学び舎で共に学ぶ時間が終わることを知っているからこそ。
「はぁ……」
誰もが浮かれて飲み食い、そして会話を楽しんでいる。思い思いに皆が楽しむ中、そんな空気に馴染めないように壁の華になっている者もいた。
壁の華となっている少女は、この日のために用意したドレスに身を包みながら溜息が堪えきれなかった。
パレッティア国立貴族学院、その名の通りこの学院の生徒は貴族の子息が多くを占めている。
例外として、特別枠として将来性がある平民が入学出来る仕組みが存在している。今、溜息を吐いている少女はそんな特別枠の中の一人だ。
学院は身分の差に拘らず、勉学を励む友として切磋琢磨しようというお題目を掲げてはいるものの、それでも身分の壁というのは存在する。
少女は特別枠として学院に入学することが出来たものの、社交性に関しては在学中で磨かれることはなかった。
今のパレッティア王国は変革の時にある。歴代初の女王として即位したユフィリア・フェズ・パレッティアの施政によって、古い価値観や風習を変化させようとする気運が高まっている。
しかし、幾ら女王が率先して国を変えようとしても全体にまで行き渡るのには時間がかかる。
貴族学院もまた、そんな国の情勢を縮小図のようにした状況にあった。
そもそもの発端は現女王であるユフィリアが卒業する際、この学院で政治的に大きな事件が勃発したことにある。
当時は王太子であったアルガルド王子によって、この時は公爵令嬢であったユフィリアへと突きつけた婚約破棄騒動。
そこから歴史的な事件が続き、ユフィリアが女王として即位する事となった。
しかし、終わりが良ければそれで良しという話にはならない。王太子による婚約破棄騒動という事件を起こしてしまった貴族学院は体制を大きく見直す必要があった。
その変革の影響を受け、貴族学院は大きく分けて二つの勢力に二分された。
ユフィリア女王が先導する革命に賛同し、旧来の学院を変えようとする革新派。
ユフィリア女王の施策には反発するまではいかずとも、旧来の体制を変えきれない保守派。
この二つの派閥の争いは大きな争いにこそ発展はしていないものの、水面下では牽制し合っている。時には派閥同士でぶつかり、息が詰まるような場面もある。
(それも卒業してしまえば終わりよ……)
壁の華となっている特別枠の少女は、どっちの派閥にも乗れず争いに辟易していた。
特別枠とは言えど、後ろ盾もなにもない平民だと言うのは自分が一番よくわかっている。その意味において言えば、革新派の方が自分によくしてくれるという目算はある。
しかし、はっきりと革新派に属していると知られれば保守派からの当たりは強くなる。下手に目をつけられれば何を言われるのかわからない。相手は貴族なのだから、学院を出た後のことまで考えると目をつけられるのは避けたい所だ。
勢力としては革新派の方が強く、保守派も目立った動きはしていないが、だからこそ互いの派閥は冷戦のようにピリピリとしていた。
それを少女はくだらないと思っていた。しかし、そう思っても自分に何も変えるような力はない。だから自分に出来ることは目立たないようにすることだった。
息を殺し、無難に卒業して職に就く。それがこの学院に入れた意味だと思っている。だからこそ楽しむなんて二の次で、ただこの宴が過ぎていく願いながら壁の華をすることに専念していた。
「――やぁ、壁の華さん。楽しんでる?」
「ひゃっ」
そこに突然、声をかけられた。
誰だ、と内心で面倒に思いながらと少女は振り返って息を呑んだ。
思わず悲鳴を上げかけて、その唇に指を添えられて塞がれる。
「ごめんね、ビックリさせたかな?」
「あ、あに……! お、おう……!」
呂律が回らず、目の前の人の名前を呼べない。〝彼女〟が来賓として来ていることは知っていたけれども、まさか自分に声をかけてくるなどとは思ってもいなかったからだ。
貴族学院が変化した点に外部からの人を招くことが増えたことが挙げられる。以前までの貴族学院は閉鎖的であり、学院の外から影響を及ぼすのが難しかった。
その状況を正すため、定期的に外部の者が訪れることが多くなった。それは監査の意味もあったが、同時に変化していく国の状況に合わせて有能な人材を引き抜きたいという思いがあったからだ。
特にこの学院の卒業生であり、今や劣等生から評価を覆して時の人となっているハルフィス・アンティ伯爵夫人などは今から生徒に目をつけては熱心に勧誘していたりする。
最先端の魔法技術の研究を主導する魔学省への勧誘は生徒にとって憧れでもあった。同時に魔学省が人手が足りず、まるで戦場のような騒ぎにもなっていると噂も聞くが……。
ともあれ、外部からの客を招くことが増えた貴族学院は今日の卒業パーティーにも来賓を招いていた。
〝彼女〟もそんな来賓の一人だ。それも、とびっきりの大物で。
「折角のパーティーなのに壁の華なんて勿体ないと思って」
「そ、そんな……わ、私はただの特別枠で入った平民ですから」
「特別枠で入れるってことは優秀だって認められた証だよ? 卑屈に思うことなんてないよ。あぁ、それで人付き合いが苦手とか?」
「え、えぇ……」
「まだまだ平民と貴族の溝も深いからね。気持ちはわからなくもないよ」
気さくに話しかけてくれる〝彼女〟に少女は恐縮しっぱなしだ。はっきり言ってこのような場でもなければ自分が言葉を交わせるような人とは思えない。
一体、何を思ってこの人は話しかけてきたんだろうと混乱してしまう程だった。
「あの、その、なんで、私になんて声を……」
「ん? いや、単純に壁の華にさせてるのは勿体ないなって思っただけだよ。それにもう少しでダンスの時間が始まるでしょう?」
茶目っ気があり、同時に悪戯を企むような笑みを浮かべて〝彼女〟は少女に手を差し出す。
「一曲踊っていただけますか、お嬢さん? 踊りながら君の論文についてお話させて貰いたいんだ。魔学都市総責任者として、将来の同僚である君とね?」
〝彼女〟――アニスフィア・ウィン・パレッティア王姉殿下に少女は呆気取られながらも、その手を取った。
卒業論文。自分の将来の進路、ずっと胸に秘めていた夢を記したもの。それを天上の人とも言える人に見て貰えた。ましてや声をかけて貰えるなんて思ってもいなかった。
ユフィリア女王と共に国に大きな変化をもたらした変革の先導者、それがアニスフィアだった。
彼女がもたらした魔道具によって平民の生活は大きく変わった。貴族の特権だった魔法を平民にも使えるようにした道具の数々に少女は憧れを抱いていた。
その憧れを胸に貴族学院の特別枠で入学した後、魔学を研究する最先端の都市として〝魔学都市アニスフィア〟の建設が始まった。
いつか自分も、その都市で。そんなささやかな夢を抱いていた。自分たちの生活を大きく変えた技術を、今度は自分たちが作る側に回っていきたいと。
その切っ掛けを作ってくれた人が自分をダンスに誘ってくれている。それが少女にとっては夢の中のような出来事としか思えなかった。
授業では習っていたけれど、元々ダンスを嗜むことが多い貴族たちの中では浮いていた自分。だからダンスには苦手意識があった。
足を踏んでしまうんじゃないかと恐縮していると、リードするようにアニスフィアが手を引いてくれる。
それがまるで大丈夫だと言っているようで、少女は委ねるようにしてアニスフィアに合わせて踊る。
「上手、上手。ふふ、壁の華でいる必要なんてないんじゃない?」
「そ、そんな……私なんて……」
「まだそう思えるようになるのは難しいかな。それも仕方ないけど、いつか解決しないと。こればかりは時間がかかるけどね」
少し悩ましげにアニスフィアはぽつりと零す。緊張は大分解れてはきたものの、実感がないままふわふわと少女は踊らされるしかない。
「でも、君みたいな人が頭角を表していけば続く人が現れると思うんだよね」
「は……ぃ……」
「期待してるよ」
ぞくり、と背筋が震えて膝の力が抜けそうになる。眩しい笑顔と共に言われた言葉は自分の心を撃ち抜くには十分すぎた。
思わず足を縺れさせそうになった所をアニスフィアが支えるように抱きかかえてくれた。ふわりと感じる品の良い香りが緊張とは別の意味で鼓動を早くさせていく。
「おっと、大丈夫?」
「は、はぃ……」
「ふふ、緊張しちゃったかな。じゃあ、壁の華にお返ししようかな。少し休んでくると良いよ。私もお迎えが来ちゃった」
「え?」
「――失礼」
背後から聞こえてきた声、同時にアニスフィアの手を取った人は今、この国で最も貴き人であった。
自然と背筋が伸びて、全身が硬直したように少女の身体が固まってしまう。そんな少女を横目で一瞥してから、その人はアニスフィアの腰に手を回した。
「それじゃ、今度は魔学都市で会おうね」
その言葉を最後にアニスフィアは迎えに来た人――ユフィリア女王と共に去って行った。
ユフィリアは目だけで礼をしてから、次のダンスの場へとアニスフィアと共に戻っていく。
少女はただ呆然と立ち尽くして、その後ろ姿を眺めることしか出来なかった。
* * *
「ちょっと早すぎるんじゃないの?」
次の曲が始まって、私を連れ出すように手を取ったユフィに私は言ってしまう。
さっきまで卒業生で目にかけていた子と踊っていたのに、思ったよりも迎えに来るのが早いユフィにちょっと思う所はある。
けれどユフィは涼しげな表情をしてどこ吹く風といった様子だった。
「……一曲終わったから丁度良いかと思いまして」
「もう一曲ぐらい、他の人と踊っても良いんじゃないの?」
「声をかけるだけなら別に踊る必要はないと思いませんか?」
「これも学院の意識改革のためだよ」
「アニスがそこまで抱える必要はないと思います」
「あぁ言えばこう言う!」
「……そんなにアニスは他の子と踊りたいんですか?」
すっ、と目を細めてユフィが些か温度の下がった声で問いかけてきた。背筋に冷たい何かが走り抜けていくけれど、私は目を細めてユフィを見返す。
「……ちょっと勿体ないな、って思っただけじゃん」
「別に構わないんですよ? アニスがそう思うのは。ただ私の心も思ったより狭かったことをどうか覚えておいてくださいね」
「女王陛下がそれで良いの?」
「ダメだと思うなら、アニスはどうすれば良いと思いますか?」
ユフィがステップの合間に距離を詰めて、互いの吐息がかかる。その目は笑っているようで笑ってないように見えた。
「……仕方ない人だね、ユフィは。仕方ない人だから、今日のダンスは全部ユフィと踊ることにするよ」
「それはありがたいですね。私も女王としての面目が保てそうです」
「嫉妬したの?」
「しないと思いましたか?」
「はいはい」
思わず雑な返答をしてしまう。すると、ユフィが強めに腕を引いた。
バランスを崩しかけた私の唇を奪うように触れてきたユフィの唇。わざと音を立てるように触れてきたユフィを私は睨み付ける。
「こらっ」
「アニスが悪いんですよ」
「悪い子なのはどっちさ?」
「さて……?」
誤魔化すように微笑むユフィを軽く睨み付けながら唇を舐める。
今の光景を見られていないと良いんだけど……。
「……この日、私たちの運命が大きく変わったとも言えるんですよね」
「……そうだね」
「たった数年前の話なのに、もうずっと前のことのように思えます」
「私が魔女箒の夜間飛行のテストでここに突っ込んで来て」
「私がアルガルドに婚約破棄を突きつけられて、貴方に連れ出されて」
そして、私たちの運命はあの日を境に大きく変わった。
アルくんが突きつけた婚約破棄騒動から様々な事件が起きて、その果てに私たちは今の関係に落ち着いた。
変わったのは私たちだけじゃない。パレッティア王国も変わっていく。今はその大いなる変革の最中で。
「アニス」
「なに? ユフィ」
「私は幸せですよ」
「……私もだよ」
大変なことは多い。解決しなきゃいけないことだってたくさんある。
だけど一つずつ積み上げて、出来上がってきた成果を確かめられることは幸福だ。
今、これだけ幸福ならきっと。この先にはもっとたくさんの幸せが待っている。
そんな風に信じられる未来がある。今、手を繋いでいるこの人がいれば。
「今年もよろしくお願いしますね、アニス」
「こちらこそ。どこまでも付いて来てよね、ユフィ」
――今日という運命の日を重ねて、私たちは一緒に未来に向かって歩いて行く。




