Another Story:狼少女の王国散歩(6)
「え、えーと……ごめんなさい?」
「いや、謝る必要はないよ。しかし、君は本当に素直だな、アクリルさん」
オルファンスさんが穏やかな表情を浮かべながらそう言った。手で顔を押さえていたシルフィーヌさんも姿勢を正す。
「貴方の素直さはパレッティア王国の人がなくしてしまったものかもしれないわね」
「そう、なんでしょうか?」
「私たちは立場がある。だから素直なことが必ずしも美徳になる訳ではない。この国で君ほどの素直さを持っている人は僅かだろう」
……褒められてるんだよね? うーん、これも住む場所が違えば人が違うってことなのかな。
「貴方がそこまで大事に思ってくれてるから、アルガルドも変わることが出来たのだと思うわ。アクリルさん、改めて御礼を言わせて頂戴。私の息子を救ってくれて本当にありがとう」
「いえ、私もアルに助けられた身ですし……」
「……私たちはね、アルを多くのしがらみの犠牲にしてしまったの。謝っても謝りきれない、あの子の罪の多くは私たちが背負わせてしまった罪だわ」
シルフィーヌさんの表情は憂いと後悔に満ちた表情へと変わる。オルファンスさんも何も言わず、似たような表情で黙りこくってしまった。
しがらみ、か。それが多分、私が一番、この国で合わないことだと思う。何度聞いたって釈然としない。
でも、それを捨てることが出来ないのもパレッティア王国に生まれてしまったからだと思う。
「だからって、そのしがらみは捨てられるものでもないんですよね?」
「……えぇ、そうよ。捨てられるものではないわ」
「そこが私にはわかりません。わからないけれど、大事なことなんだと理屈は理解してます。でも共感は出来ません。だって、その理屈はアルを見捨てたから」
私の言葉にシルフィーヌさんが顔を上げて私を見た。その表情は痛みを堪えるようなもので、だけど言葉が出ずに口だけが何度か呼吸を啄むように震える。
「でも、アルを見捨てなかったらもっとたくさんの人が見捨てられていた。そういうことだったんですよね?」
「……えぇ」
「難しいですね。リカントのように考えろ、なんてパレッティア王国の人には言えませんし」
「リカントの君だったら……どうしていたかね?」
黙っていたオルファンスさんが問いかけて来る。その視線は私を真っ直ぐに見つめていた。私は背筋を伸ばしてオルファンスさんに向き直る。
「リカントは森と共に生きます。森は生きていくには過酷で、どんなに力を尽くしても森に飲まれる人はいます。だから私たちはそういうものだと受け入れています」
「……そういうもの?」
「人は死にます。どんなに頑張っても、どんなに力を尽くしても。その原因は油断かもしれませんし、純粋に生き延びられる力がなかったからかもしれません。私たちにとって死は身近で、守ろうとしても守れないこともあります。でも私たちは必要以上に悲しまない」
胸に手を当てて、私はかつての記憶に思いを馳せる。遠く離れた故郷でも、その生命の息吹はいつだって感じていた。思い出すことは容易で、今も私の中に息づいている。
「私たちは森と共に生きて、森に生かされている。そして森の中で生命を還す。森は私たちの死すらも呑み込むけど、その生命は森の別の生命を満たす。私たちは森という世界の中で循環している。別れは悲しいけど、死は悲しむものじゃない。死はその人だけのものだから。だから後悔を残さないために私たちは力を尽くして生きるしかない。でないと幸せになれないから」
「……死は悲しむものじゃない、か」
「悲しいのは別れる時に後悔を残すこと。だから私は死を遠ざけて、生きるために誰かを犠牲にしなきゃいけないのは理解出来ない。だからと言って理不尽に殺されることを認めろって訳じゃないけど……」
パレッティア王国の歴史に触れたことで、私も自分の考え方に疑問を覚えた。
それでも今更染み付いた考え方を譲ることは出来ないし、理解した上で適切な距離感を見つけないといけない。
「私たちには森があった。パレッティア王国には王があった。その違いなんだと思う」
「アクリルさんにとっては、森が王だと……?」
「私にとって森は命を預けて、還すための標。私たちに教え、導くもの」
だからパレッティア王国の人にリカントの考えを押し付けるのは違うと思う。だって、人は自然に生きるものであって、自然そのものであるべきじゃない。
人に人の死を背負わせるのは辛く苦しいことだ。でも背負わなければいけないのが王だと言うなら、それはなんて悲しい存在なんだろうと思ってしまう。
「……成る程な。確かにリカントの生き方は私たちには無理だろうな」
私の言葉を受けたオルファンスさんは苦笑を浮かべて、でも穏やかな声で言った。
「きっと君には無為なことでも私はそこに価値があると思っている。人が自分以外の命の責任を背負えば重みで潰れてしまうのだろう。それを堪えながらも生きようとする姿は、君にはさぞ不自由に見えることだろう」
「……そうですね。否定しないです」
「だが君はその在り方を拒絶しないでいてくれる、私にはそれで十分だ。そしてそんな君だからこそ、アルガルドの傍にいてあげて欲しい。本当は私からアルガルドに言ってやるべきだったんだろう。責任など辛いなら投げ捨ててしまえば良い、と。だが、私には許されない言葉だ。私はアルガルドの人生だけを許してあげることは出来ない」
きっぱりとオルファンスさんは言った。薄情な言葉にも思えるけれど、そこには温もりがある。これもまたしがらみからの言葉なんだろう、と思う。
「誰が許さなくても良い。私はアルが生きたいように支えるだけ」
「あぁ……それで良い、それで良いんだ。だからこそアクリルさん、アルガルドを頼む。私たちはもうアルガルドには何も背負わせない。アルガルドが望んで背負うことも咎めはしない。その全てを投げ捨てたって構わない。アルガルドの人生に何かしてやれることは少ないだろう。だからせめて、その自由だけは私は認めてやりたいと思う」
……あぁ、やっぱりパレッティア王国は自由のための国だ。でも、その自由であるために誰かが責任を背負わなきゃいけない。それが貴族であり、その貴族の上に立つのが王族なのだと実感してしまった。
アルも、そしてオルファンスさんもシルフィーヌさんも、きっとアニスフィアだって苦しんだんだろう。王族であるということ、その自由と責任の挟間で。
その苦しみを私は理解してあげることは出来ないし、きっと救って上げる事も出来ない。それは彼等が抱えてしまったものだから、自分でしか己を救えない。……救おうとすることが出来ない。
そうだとしても、私がしたいと思うことを止める理由にはならない。
「今からでも良いんじゃないですか?」
「ん……?」
「もうオルファンスさんは王様じゃないんですよね? だったら……アルに言ってあげて良いんじゃないんですか? もう良いんだって」
「……それは、今更ではないか?」
「後悔し続けるぐらいなら言った方がいいと思います。いつか、安らかに眠るその日のために」
人は死ぬ。人の時間は永遠じゃない。刹那の間に全てが失われることだってある。
だから後悔して欲しくない。しがらみも、立場も、そんなの私は知ったことじゃない。なのに言えって言うのは無責任かもしれない。
だけど、それでも悲しいと思う。伝えたい想いを伝えられないのはあまりにも苦しすぎるから。だから私は二人に伝える。
「私たちは家族になれるのに、互いに想い合っているのに離れていくしかないのは何か違うと思います」
「……家族、か」
オルファンスさんが目を伏せて、重々しく噛みしめるように呟いた。シルフィーヌさんも俯いて、何かを思い馳せるように唇を一文字に結んでしまっている。
「……あぁ、そうだな。その努力を惜しんだと後悔していたのに、していた筈なのにな」
「向き合えば、今度こそ何かが終わってしまう気がして言えなかったのね。私たちは」
「オルファンスさん、シルフィーヌさん……」
向き合うのは怖いことだ。私たちは生きて、死んでいく。その中で後悔を残さないように生きるのは難しい。
自分がどれだけ頑張っても、それが必ず報われる訳じゃない。死の間際に努力が足りなかったと思ってしまうのはやっぱり悲しいし、苦しい。
世界は時に理不尽だ。それでも歩みは止められない。止める訳にはいかない。
「だったら私が何度でも一緒に言葉を伝えます。アルの言葉も、二人の言葉も。お互いに繋がろうと思ったなら、何度だって、どんなに離れても貴方たちの間を駆け抜けてみせるから」
どちらかが縁を絶つしかないと、そうして諦める日までは私が繋ごう。それは私のワガママで、私が望んだ自由だ。皆が家族という形で繋がっていられるように。
私が出来ることはそれぐらいしかない。私には世界を変える力も、世界を守れる力もない。それでも皆を繋ぐための言葉を、その思いを伝えることは出来る。
「……アクリルさん」
シルフィーヌさんが顔を上げて私を見る。私は背筋を伸ばしてシルフィーヌさんと視線を合わせる。すると、シルフィーヌさんは柔らかく微笑んだ。
「ありがとう。母親として本当に情けない私だけど、それでも母親であることを捨てたいとは思わないの。本当に大事な子なの。大事なのに、大事にしてあげられなかった。でも、だからって辞められるものでもない。あの子がまだ私を母だと思ってくれるなら母親でいたいの。だから貴方が力を貸してくれるなら心強いわ」
「シルフィーヌさん……」
「貴方さえ良ければ、私のことを母と呼んで欲しいの。私たち、家族になるのでしょう?」
「……はい、お義母さん」
私が応じるようにそう呼べば、シルフィーヌさん……お義母さんは嬉しそうに微笑んでくれた。
「じゃあ、オルファンスはお義父さんね」
「むぅ……そうなるか」
「そうなります、お義父さん」
「…………こんな真っ当で素直な娘さんに父と呼ばれるのはこんなにも感慨深いものだったのか……!」
「あなた……」
何故かお義父さんが口元を抑えて号泣を始めてしまった。一瞬、ギョッとしてしまったけど脳裏にアニスフィアの顔が浮かんで酷く納得してしまった。
「……これは一体、どういう状況だ?」
「あ、アル」
「間に合ったのね、アルガルド」
「母上、遅れて申し訳ありません。……それで、父上は一体何が……?」
「んー……なんでだろうね?」
私は遅れてやってきたアルに困ったように微笑むことしか出来なかった。
「むむむむっ!? 何か、今凄く馬鹿にされたような気配が!?」
「はいはい、手が止まってますよ王姉殿下。次はこちらに署名を」
「にゃーっ!?」




