Another Story:狼少女の王国散歩(2)
フードつきのローブを貸して貰って耳と尻尾を隠して、ミゲルと一緒に王城を出て城下町に向かった。
城下町では幼い子供たちが元気よく駆け抜けていって、大人たちが忙しなく行き交っていたり、商店の前で客引きをする人がいる。
森にいた頃とは違うような建物を建てているような人たちも多くて、リカントの里と比べれば人は多いし、賑わいも凄い。
アルの屋敷にいた頃、近くの村には行ったことがある。そっちはまだリカントの里と比べても空気が近かったからか、まだ受け入れられた。
でも、この王都は私には馴染みにくいみたいだ。どうにも人の気配と人を含めた様々な匂いが煩雑すぎて酔ってしまいそうだ。
「大丈夫か? 随分と眉を寄せているみたいだけど」
「別に。元々住んでた所と空気が違い過ぎて慣れないだけ」
「リカントってのは森暮らしだったんだっけか? そりゃ都会は慣れないだろうな」
「……慣れないだけで嫌いではないよ」
好きとも言い切れないけど、と言葉は濁す。ミゲルはさっきから細かなことをいちいち聞いてくるので、少し鬱陶しい。
ミゲルを無視して街並を見つめる。パレッティア王国の王都、サーラテリアは賑わっている。華やかという言葉が似合うんだと思うし、私も凄いと思っている。
王都で生きている人たちも生き生きとしている。きっと多くの人が力強く生きている。それは幸せなことなのだと思う。
でも、やっぱり私はここに居る人たちに心を重ねられないのかもしれない。そんな漠然とした予感めいたものを感じる。
「嫌いなだけではないって感想か? その心を聞かせてくれても?」
「……随分と質問が多いね」
「折角、亜人とお近づきになれたんだ。色んな考えを聞いてみたいと思うのは自然だとは思わないかい?」
「変わった人。……ここにある幸せは、私の見て来た幸せと全然違うから飲み込みきれないだけ」
「それはアクリルから見たこの王都は幸せそうには見えないと?」
「違う。幸せだけど、幸せの質が違うって言いたいの」
「質?」
釈然としなさそうなミゲルが首を傾げながら問いかけて来る。私は一つ、溜息を吐いて答える。
「この国は自由でしょ?」
「……自由?」
「大人にしても、子供にしても、好きな仕事を選んで、好きに生きてるように見える。それは私たちリカントからすると……変に見える」
「自由であることが変だと?」
「うん。多分……この国は群れじゃないんだね」
「……深いな。もっと話を聞いても良いか?」
「えぇ……?」
面倒臭い、という思いが正直沸き上がる。というか、ミゲルは私の案内人として来ている筈なのにさっきから私と喋ってばっかでやかましいんだけど。
案内はしてくれているから仕事はしているんだろうけど。何とも釈然としない、と思っているとミゲルは私を呼び止める。
「お、アクリル。あれがパレッティア王国名物、水瓜の果実水だ。うまいぞ、俺が奢ってやろう」
「貰えるならありがたく頂くけど」
「喉を潤したら少しぐらい喋ろうって気になるだろ?」
「……お礼は言わない」
喉が渇いていたのは認めるけど、なんかお礼を言う気はまったくなくなった。
ミゲルは本当に眉が寄るくらいに人の状態を見ているし、その上でこっちの気持ちを推し量らない奴だな、って思う。
あの姉を名乗る奴のような無遠慮な馬鹿も好きじゃないけど、全部わかってて推し量らない奴も癪に触る。
「ほい、水瓜の果実水。冷えてるからうまいぞ」
「……」
ミゲルから器を受けとって匂いを嗅ぐ。確かに仄かな甘そうな匂いがする。でも口をつけて少し眉を寄せてしまった。……私にはこれ、冷たすぎる。
「お気に召さなかったか?」
「味は良いけど、冷たい」
「そうか? 冷たい飲み物ってのは俺たちにとっても貴重だって言われる位なんだけどなぁ」
「私には冷たすぎる。飲み過ぎるとお腹を冷やしそう」
確かに飲んだ時は美味しいのかもしれない。でも、飲み続けていると余計に熱が奪われそうで少し眉が寄ってしまう。
「ふーん? 面白い意見だな。今度、王姉殿下に伝えておくか」
「……この冷やした飲み物、アイツの仕業なの?」
「仕業っていうか、あの人が国民に喜んで貰えるようにって作らせたもののお陰?」
「……アイツがこの国の人間だっていうのは凄くよくわかる」
「それってどういう意味だ?」
器を傾けて果実水を飲んでいるミゲルが興味深そうに聞いてくる。
そのせいで脳裏に、あの姉を名乗る姉らしき者――アニスフィアの顔が浮かぶ。
「アイツはリカントの里だったら生きていけない。この国だからあの在り方が許されてる。でも、この国の在り方の本当に自由な所だけで生きてる。鳥みたいな奴」
「……鳥ねぇ、言い得て妙だな。王姉殿下はあちこち元気に飛び回ってるような人だからな」
「……その在り方はこの果実水とよく似てるよ」
「この果実水と?」
「〝度が過ぎる〟ってことだよ。アレはこの国の在り方の良さの中で生きてる。だけど、だから同じ生き方が出来ない人には冷たすぎる」
冷たい水を好む人だっている。けれど、それは腹が冷えることに耐えられる人か、それとも何か対策をしているかしている人だけだ。
「それが悪いってことじゃないし、それを無視してる訳でもない。でも根本的には相容れない」
「……この国の良い所とは水は合うけれど、悪い所とは合わないと?」
「合わないというか、言葉が難しいな……。えと、水は同じなの。ただ、それが冷たいか温いかの違いだけ。無理に混ぜようとしたらどっちの温度もなくなっちゃう。それにアイツは冷たすぎる。だから少し温くなっても、温さの方が消えちゃう」
なんとか伝えようと言葉を考えてみたけれど、そのせいで少し頭が痛くなった。その痛くなった頭には冷えた果実水は少しだけ心地良かった。
「……へぇ、アクリルは聡明な子なんだな」
果実水で感じていた寒気とは別種の寒気が背筋に上っていく。咄嗟に身構えようとしかけたけれど、それがミゲルからの熱のない視線だと気付いてゆっくり身体の力を抜く。
「……いきなり、何?」
「感心してただけだよ。リカントっていうのは俺たちとは在り方が全然違うって言うからな。いや、だからこそなのかな。きっとアクリルの言うことは的を射てるのさ。だからこそ、アクリルに聞いてみたい。君から見た、この国の在り方と、その価値をね」
そんな壮大な話をしていたつもりはないんだけど、答えないとミゲルは煩そうだ。溜息の数ももう数えるのも馬鹿らしくなってしまった。
「私たちリカントは群れであることを尊ぶ。大人も子供も決められた役割をこなす。そこに自分で仕事を選ぶなんてことはない。皆で一体になって、自然と共に生きて、自然の恵みに感謝しながら生を全うするの」
そこにパレッティア王国にあるような自由はない。だけど、私は思う。私にとってはそれが何よりの幸せだった。
だからこそパレッティア王国が齎す幸せというのは、やはり自分にはきっと馴染みづらいものなんだろう、と。
「パレッティア王国は群れであることを止めた自由の国よ。群れという纏まりである必要がないから、自分が望む生き方で生きていける。……でも、私にはその生き方が寂しく思える時がある」
「……寂しい?」
「私たちリカントは助けられる命を見捨てない。自然と共に生きている以上、命を奪われることはある。その時、私たちは森に還る。でも、私たちは森と共に生きてる。だから寂しくはない。いつでも一緒だし、季節が巡ればまた私たちは巡り会えるかもしれない。ただ生きているのか、死んでいるのかだけの違い。……でも、この国はもうそうじゃない。その在り方は選べない」
この国の自由は命の繋がりを隔ててしまっている。隣人との距離は離れ、向いている方向だって一致している訳じゃない。
だから誰かが悲しんでも、その悲しみに寄り添おうとすることは絶対じゃない。誰かが泣いていても、この国はその泣いている誰かに気付けなくても進んで行く。
「自由であることは素晴らしいし、そこに幸せはあるんだと思う。でも、その幸せは一人一人だけのものでしかない。そこに繋がりはあるのかな? だから、私は寂しいんだと思う」
……だって、その中にアルはいられなかった。誰にも見向きもされず、望みを言うことも出来ず、自由の幸せの前に追い出されるしかなかった。
だから私はパレッティア王国の幸せの形を認められても、呑み込むことは出来ないのかもしれない。だって、この国はアルを幸せにすることはなかったんだから。
「……皆が同じぐらいの熱で、同じ方向を見てって言うなら王姉殿下ほどの我が強い奴は確かにリカントの里では生きてはいけないだろうなぁ」
「うん。アイツは……癪だけど、一人で生きていけるだけの力があるから」
「でも人は一人じゃ生きていけない。アクリルは自由だから人と人の距離が離れたって言っていたが、それは好きな人だけと繋がれるって利点もあると思うぜ?」
「それが争いの種になるんでしょ?」
「それを言われると堂々巡りだな」
ミゲルはそう言って苦笑を浮かべた。果実水を飲み乾して、遠くを眺めるように視線をずらす。
「……自由の国な。民はそうなんだろうな」
「民は?」
「貴族は責任を背負ってるからな。だから自由とは言えないだろ?」
「……違う、かな」
「違う?」
「責任を背負うのは不自由だけど、その不自由であることを選べるのが貴族だと私は思うよ。だから結局、それは自由なんだよ」
私の言葉にミゲルは目を大きく見開いて、そして大きく笑い声を上げた。
通行人が何事かという目で私たちを見て来たので、私は思いっきりミゲルの足を踏みつけた。
「いでぇっ!?」
「突然煩い」
「悪い、悪い……あぁ、外からそう見えるんだなってな。いやぁ、これは一本取られたぜ」
くくく、と笑いながら何がおかしいのかミゲルは笑い続けた。通行人の目線は減ったけれど、私は深々と溜息を吐くしかなかった。




