第79話:そして、朝は訪れる
「……あー、しっかり飛べるまでもうちょっとかかるかな……」
「そうですね」
朝日が昇り始めた森の中、ライラナとの戦いの影響ですっかりと静かになってしまったそこで私とユフィは倒れた木に腰掛けて身体を休めていた。
流石に長い夜だった。キメラの相手もしたし、ライラナなんていう規格外の相手もした私とユフィはすっかりと魔力切れになっていた。飛んで戻ろうにも魔力が心許ないということでこうして休みを挟んでいる。
早く帰らないと皆が心配するとはわかってる。だけど、急いで帰ろうにも魔力が足りない。こういう時は急がば回れの精神でしっかりと身体を休めるべきだと思う。
「アニス、聞いてもいいですか?」
「何?」
「……あのアニスが顕現させたドラゴンについてです」
ユフィの顔は真剣だった。私もその表情を見て姿勢を正した。互いに肩を並べるように座っていたけれど、少し半身になって互いに向き合うような格好となる。
「あれは一体……」
「んー……私もはっきりわかってる訳じゃないけれど、あれが私の魔法の属性みたいなものと言えばいいのかな」
「……あれが、ですか?」
「あれが。あくまで例えだから、属性って言うのも正しくないけどね。やっぱり私は魂の髄から魔法が使えないみたい。だから、あれは私以外の人の魔法も使えなくするみたいな代物だよ」
「やはり……そうでしたか」
ライラナの魔法を無に還した魔法を見て、ユフィは危機感を覚えたのかもしれない。実際、あれはライラナとは似て非なる魔法の天敵と言っても差し支えない。
魔法の効果を無くしてしまうなんて、あれが自在に使えれば私は魔法使い相手に圧倒的優位に立つことも出来ると思うでしょう? ただ、そんなに便利な代物ではないんだよ、アレ。
「精霊石を通してしまえば私の魔法を無力化する適性は消えちゃうし、そもそも使い勝手が最悪なんだよ」
「そうなのですか?」
「私の魔力の性質はそういうものみたい。何にも染まったりすることがない代わりに、どこに混ぜても共生出来る。魔力そのものは染められないけど、他の属性の魔力に混ぜるのは問題ないというか……」
「ですが、それではあのドラゴンは一体……?」
「あれはユフィの魔力がないと成立しないから。私だけの魔力だと、あれは使えない」
「成立しない?」
ユフィが訝しげな表情を浮かべる。私はそんなユフィに頷きながら説明を続けた。
「私の魔力と同じ量だけの魔力が存在した上で、その魔力を私の魔力として上書きして特性に置き換える必要があるから私単体の魔力で顕現は出来ないの。こう言ったらいいのかな? 私以外の魔力が砂粒だったとしたら、私の魔力の粒はもっと細かいんだ。だから形として固めるのに向かなくて、他の人の魔力で型を使って依代にしないと成立しない」
例を出すと、十の魔力がある魔法を上書きする必要があるとして、必要になるのが私の特性の魔力が十。そして私の魔力が形になるための魔力が十必要になる。私の魔力は他の魔力を足しても十にしかならず、増える訳じゃない。
つまり十の魔力を無効化するのに、私の魔力も含めて倍の魔力が求められる。こんなの非効率の極みでしかない。今回のライラナみたいに魔法そのものを無効化しなきゃいけないような状況にならないと使い道がない。
「……それは不便ですね」
「しっかり研究すれば何か活用方法が見えてくるかもしれないけれど……そこまで熱心になるつもりはないかなぁ。それは私が欲しい力じゃないし」
魔法を打ち消すための魔法。そんなの別に欲しいとは思わない。普通に魔道具を使う分には影響はないんだし、私の特性を研究したり、魔道具に応用したり、なんて意欲は沸かない。
「今回のは本当に特例だよ。ライラナはどうしても滅ぼさないといけなかった。そしてライラナは普通の魔法使いでは倒すことが出来なかった。そして、たまたま私が上手く嵌まった。こんな奇跡的な状況がそう何度も起きるなんて思えないよ」
「……女王としては備えておきたい、という気持ちはありますが」
「……あー、ティルティに研究させようかな。ティルティなら嬉々として調べそう」
「アニスの健康管理もありますし、打診を考えておきましょうか」
……そこまで話した所で、不意に会話が途切れてしまった。別に何か思うことがあった訳ではない。けれど、会話が丁度一区切りしてしまった為に間のようなものが生まれてしまった。
そこで私は改めてユフィの顔を見た。良く見ればユフィの目は少し赤い。徹夜だったし、今回はユフィをたくさん泣かせてしまった。
そんな事を思っていると手が自然と伸びていて、ユフィの目元を指でなぞった。ユフィは私が触れても身動ぎせず、目を細めるだけで抵抗はしなかった。
「……目、赤いよ」
「たくさん泣きましたから」
「ごめんね、心配させちゃって」
「いえ……今回、私も流石に肝が冷えました。まさか魔法が通じない相手がいるとは夢にも思っていなかったので」
「あれは流石に予測は不可能だよ。でも、ユフィの言うようにどんな状況が起きても対処出来るように備えることは必要なのかもね」
「……だからアニスも、自分のその特性を調べるのには協力してくださいね? 乗り気にならないのはわかりますけど」
「……はいはい」
やだなぁ、絶対ティルティがやかましくなる未来しか見えない。
「……アニスこそ、大丈夫なのですか?」
「何が?」
「魔石が出来て、何か影響は?」
「んー………」
魔石が出来た影響かぁ。ないとは言わないんだけど……。
そう思っていると、私のお腹がぐぅぅ、と大きく鳴いた。するとユフィが目を丸くして私を見る。
「……凄くお腹が空く」
「お腹がですか?」
「一応、私の身体に合わせて変質してくれてはいるんだろうけど、それでも燃費が馬鹿みたいに悪い。それを補うようにヴァンパイアの性質の一部も取り込んでくれたみたいだけど、吸血衝動があるって訳じゃないから血を吸っても効率的に補給は出来ないと思う。だからよく食べて、よく寝る必要があるかな。魔石持ちの魔物がスタンピードを起こす気持ちがちょっとわかったかもしれない……」
そう言うと、ユフィはキョトンとした後にクスクスと笑い出した。ホッとしたと言うように肩の力を抜いて、胸を撫で下ろしている。
「……それなら良かったです。戻ったらお食事をして、たくさん寝てくださいね」
「そうだね。アルくんにお願いしないと……あ、そうだ。ユフィ、私の魔力の味が変わってたりしないかな? それが私には心配だったんだけど」
私がそう問いかけると、ユフィが私に手を伸ばしてきた。私の頬に触れて、互いに触れ合うように口付けを交わす。
そのまま二度、三度、ユフィが私の唇を啄むようにキスをする。それから身を離して、ぺろりと舌で自分の唇を舐め取るユフィ。
「……そうですね。そんなに変わってないと思いますよ」
「それなら良かった……もうユフィにいらない、って言われたらどうしようって思ってたよ」
「それは有り得ませんが……でも、それは私も嫌なのでアニスはアニスのままでいてくれて良かったです」
そう言って微笑むユフィ。……そんなユフィを見て、ふつふつと沸き上がるように私の中から一つの思いが生まれる。
ユフィの肩に手を伸ばして、自分から距離を詰めながら手を回す。距離を詰めてきた私にユフィは不思議そうに首を傾げている。
「アニス?」
「……一つ、思ったんだけど。このまま二人で魔力の回復を待ってても効率が悪いと思うんだよね」
「……はい?」
「それから、私は凄くお腹が空いてる」
「……いや、あの、アニス?」
私の邪な感情に気付いたのか、ユフィが身を引こうとする。その前に肩に回していた手を腰に移してユフィを捕まえる。
そのままユフィの顎に手を添えて、口付ける。自分の唇を重ねて、舌でユフィの唇をなぞるように触れる。驚きに身を震わせて逃げようとするユフィをしっかりと捕まえながら口付けをして、ユフィの魔力を奪い取るように吸い取る。
最初は藻掻くように抵抗していたユフィだけど、何度か吸い上げる内にかすれたような声を漏らして抵抗の力が緩んだ。
それを確認してから唇を離すと、頬が上気したように真っ赤になっているユフィの表情が見れた。
「なに、を……!」
「これが〝魔力が美味しい〟って感覚かぁ……うん、私もユフィの魔力、大好きだよ?」
「そ、それは嬉しいですけど……いや、だから、あの、どこ、触って……! アニスッ!?」
「お腹が空いたし、ユフィから魔力を貰ったら私が抱えて飛べば良いよね?」
「そ、それは、そうかも、しれませんが……! ま、待ってください! 場所を考えて……!」
ごめん、ちょっと我慢出来そうにない。ユフィの言葉を塞ぐように、私は深く口付けた。
* * *
「……絶ッ……対に……! 許しませんからね……ッ!」
「そんなに溜めて言う……? いたた、ごめんなさい。囓らないで」
それから少し経った後、私はユフィを抱きかかえて空を飛んでいた。お姫様抱っこで抱き上げたユフィは私の首に手を回しながら、時折不満を訴えるように私の首元に噛みついてくる。
あれからユフィの魔力を強引に吸い上げて、私が一方的に腹を満たして空を飛べるぐらい回復した。ユフィはご覧の有様になってしまったのでご機嫌斜めだ。
今も軽く甘噛みしたかと思えば魔力を吸い上げてくる。流石にアルくんたちの所に戻るまでは我慢して貰いたい所なんだけど……。
「まぁ、いつもユフィに好きにさせてたから、これでお相子ってことで、ね?」
「……やです」
「なんで」
「……やだからです」
「やだ、って子供じゃないんだから」
「やです」
唇を尖らせて、頬を赤らめながら睨んでくるユフィが可愛い。
でも、偶にしておかないとユフィも怒るか。私はまだ食事とか睡眠で回復出来るけれど、ユフィにとっての食事は私の魔力なのだから私がユフィの魔力を美味しいからと言って吸い上げてたらユフィが干からびる。
いやいや? それなら食べた分だけ、私の魔力ごと渡せばユフィも怒らないんじゃ……?
「……何不埒なことを考えてるんですか」
「いったっ」
「……覚えておいてくださいね」
ここまで怒るなんて思ってなかったんです。はい、ごめんなさい。
これは状況が落ち着いたらユフィのご機嫌取りに勤しまないとダメかな……? あぁ、本当に終わっても仕事は山積みになる未来しか見えないし、生きていくのは苦労の連続だ。
それでも、私たちは生きていく。行きたい場所が、辿り着きたい場所が、帰りたい場所があるから。
そして、段々と見慣れた景色が広がってきた。アルくんの屋敷は被害を免れていたようで、その外では傷の手当てをしている騎士たちの姿が見えてきた。
その中にはガッくんたちの姿も見える。そして、空を見上げていたのか私たちの姿を真っ先に見つけたレイニが大きく手を振っている。
その隣にはアルくんと、あの狼耳の少女がいた。レイニが気付いたことで皆の視線も私たちに集まってくる。そして喜びの合唱が朝日に照らされた森の中に響き渡っていく。
私はユフィを見る。拗ねていたユフィだけど、その光景を見ればいつもの澄ました状態のユフィに早戻りだ。私は笑みを深めた後、皆の方に向かって飛びながら声を上げた。
「――皆、ただいまッ!」
これで第二部六章は終わりとなります。次章にて綴られるエピローグで転天二部は完結となります。少しお休みしてから、第七章を上げていきたいと思います。
ここまでお付き合いしてくれた方、本当にありがとうございます。ブックマークや評価ポイントの付与もよろしくお願いします。
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