第77話:黎明の蒼穹に虹をかけて(3)
本日二回目の更新となります。
ライラナの顕現させた多頭の巨蛇――ヨルムンガンド。その首が私へと牙を向ける。セレスティアルを展開して頭の一つを斬り飛ばす。ぱっくりと闇のモヤが溢れるように割れるも、それが元通りに戻ってしまった。
「貴方は強い。真正面から戦えば私の敗北は揺るがないでしょう。ですが――それならば貴方のその力をひたすら削り落としましょう」
ヨルムンガンドの頭の一つの牙が私の肌を掠める。そこからずるりと引き抜かれるような虚脱感に私は勢い良く飛び退いた。かすった所から魔力を抜き取られたみたいだ。
「闇属性……!」
「正解です。始原の精霊にして、停滞と眠りを司りしもの。故に私が一番、この属性に適性があるのは当然の理なのでしょう。さぁ……朽ちて、尽きて、眠りに落ちて――!」
無数の蛇の頭が私へと殺到する。当たってもダメ、捕まってもダメ、かするのもダメ、あぁもう! 前世でこんなゲームがあったような気がする!
ただ私だってやられっぱなしじゃない。大きく息を吸い、私は腹に力を込める。私を覆うように魔力が吹き出し、膜のように包み込む。
その膜を纏ったまま迫った蛇の頭を〝殴り飛ばす〟。蛇は霧散するように砕けて飛んで行く。そこから魔力を抜き取られたような感覚はない。
「出来た……! 父上、出来ちゃったよ! マナ・ブレイド、マナ・シールドの鎧版!」
鎧と言うには、もっと詳しく言えば違うんだけど。これは全身の肌に貼り付けるように無数の小さなマナ・シールドを張り巡らしたもの、イメージは全身を覆う鱗だ。
鱗のように細かく展開するからこそ、動きを阻害するようなことはない。普通の魔法では再現と制御が難しいだろう魔法。私だけのオリジナル魔法と言うべきもの。名付けるなら〝マナ・スケイル〟といった所かな。
まぁ、元の元を辿ればドラゴンの特性なんだけどね! 私が倒したドラゴンは全身に魔力を巡らせて防御力を高めるとかいうインチキな生き物だったから! それを思い出して私も再現した訳だ。
「これで魔力は抜き取られない!」
「ですが、その〝鱗〟はかなりの魔力を消費するようですね」
淡々とライラナは私のマナ・スケイルを分析して、その弱点に気付く。ライラナの言う通り、このマナ・スケイルはめちゃくちゃ燃費が悪い。
魔石を得た私の魔力の生産量は以前にも増して増えているような実感はあるけれど、それでもマナ・スケイルを展開し続けていればいずれは力尽きてしまう。
それに攻撃に当たれば当たるだけ鱗も剥がれてしまうので、その再生にも魔力が必要になってしまう。結局の所、防げてもジリ貧なのは変わらない。
「でもゴリ押しは出来るようになったッ!」
「くっ!」
ヨルムンガンドに守られるように後方にいたライラナに向けてセレスティアルの魔力刃を解き放ち、斬撃を飛ばす。
咄嗟に身を捩って回避したライラナだけど、掠めたように腕の先が吹き飛ぶ。回避がお留守なんだよ、ライラナッ!
「貴方は絶対者だった。だから自分が攻撃を受けても平然としていた。じゃあ、私の攻撃がいつまで防げるかな?」
「貴方の守りか、私の再生か。どちらが尽きるかの勝負という事ですか。……ふふっ」
「……何がおかしいのさ」
「ここまで魔法の勝負に頭を使って、真剣になった事がなかったので、つい」
……あぁ、本当に。やめてよね、なんで笑ってそんな事を言うのさ。
きっとライラナは才能に溢れていたんだろう。だから誰もがライラナを讃えた。ライラナが他人を見失って、ただ救わなければならないと、それしかないと思い込んだ背景が透けて見えてくる。
ライラナはずっと一人ぼっちだった。これからもずっと一人だ。彼女は誰かと共にある事を選ばなかった。その可能性の芽を摘み取って、今私と向き合っている。
魔法の才能に〝優れすぎていた〟からこそ、彼女はこれからもずっと一人だ。まったく正反対の癖して、魔法の才能に〝恵まれなかった〟私と同じなんだ。
互いに真逆の異端の癖して、でも魔法の才能に恵まれていたユフィとは似ない、私にこそ近くて遠い他人。それが私から見たライラナだった。
「手を緩めてくれていいんですよ? 私はそれを許します」
「……冗談言わないでよ。私の前で魔法が使えて当たり前で悩んだことがありませんなんて顔されて黙ってられると思う?」
「……いいえ。私のように持たなかったからこそ、貴方は強かなのでしょうね。それが欠片のような可能性だとしても信じることが出来る」
「可能性は欠片なんかじゃない。明日に育てていくための種だ。だから種のまま眠っていろなんて、無理でしょう?」
「それが喜びの花を咲かせるとは限らない」
「咲かせるよ、何度だって種が枯れても。最後の種が尽きてしまうその日まで」
「無駄な徒労です」
「無駄なものなんか――ないッ!」
私の突撃に遭わせて無数のヨルムンガンドの頭が迫る。それを斬って、殴って、蹴って、強引に押し破るようにしてライラナとの距離を詰めて行く。
私の纏った光を呑み込もうとする、ライラナの闇。それを一歩、また一歩と着実に距離を詰めて行く。私を迎撃する為にか、ライラナもその手にマナ・ブレイドを生み出す。
けれど、そのマナ・ブレイドは光ではなく、光を呑み込むような漆黒の色をしていた。距離感が狂いそうになる闇の刃をセレスティアルで受け止める。
「無駄がないと言うのなら、悲しみにも、怒りにも、憎しみにも! その感情に意味があると貴方は言えるのですか!」
「ッ……!」
「滅ぼしたい、見下したい、支配したい! 欠けているから、足りないから! 他人を羨み、妬み、憎み合って! 傷つけ合って! その痛みに貴方は! どんな価値があると言うのですか!」
はっきり言ってライラナの振り回している闇の剣は怖くない。当たれば脅威だけど、振り回してる彼女が素人で真っ向からやれば私が勝てる。
それを邪魔しているのはライラナの周囲を旋回しながら私を囲っているヨルムンガンドの頭だ。どんなに研鑽されていなくても、単純な数の暴力は厄介だ。
「私たちの祖は多くのものを恐れ、私たちに数多の知識を受け継がせました。ただ無念を晴らせと! 永遠を掴み取れと! 朽ちず、過たず、正しき完全なるもの! その時にこそ、真理は閃く! 私たちは――救われると!」
「その救いが、人を終わらせること!?」
「それ以外に人が救われる道など――」
「――あるッ!」
強引にライラナの包囲網を私はぶち破る。鱗は削られ、マラソンをずっと続けているような倦怠感が襲いかかって来る。それでも、ライラナの思い込みを、彼女の抱えた妄執を、その絶望を断ち切るために私はセレスティアルを振り抜く。
ライラナの肩から脇にかけて袈裟斬りするような一撃が入る。その一撃を入れる一瞬の隙間、ライラナの身体に刃がもっと深く食い込んだ瞬間を狙って魔力刃を炸裂させる。
普通の魔物であれば爆発四散してもおかしくない一撃は、ライラナの腹部を抉り取るに留まった。けれど、今夜一番ライラナにダメージを与えた大きな一撃に違いなかった。
「か、は……ッ!」
「確かに! 今は! まだ! ないかもしれない!」
魔力刃を再展開する時間も惜しいと言うように私はライラナに殴りかかる。腹部を再生させていた途中のライラナの頬に私の拳が突き刺さり、彼女の身体が吹き飛ぶ。
「貴方が望めるだけの救いも! 幸せも! 未来も! 今はないかもしれない! でも明日にはわからない! 人はそうやって前に進んで行くことが出来る! そうやって受け継いで、繰り返して、一歩一歩進んでいく! ――それが、私が人に望む永遠だ!」
「――それが、永遠……?」
「今を思うこの刹那の一瞬を次の一瞬に繋げていく! 次に、次にって何度も形を変えても、潰えぬように! 幸せを! 未来を! 求めていく事を! その思いを! 私は永遠にしてみせる!」
私の感情が弾けるのと合わせてセレスティアルの魔力刃が展開される。最初から全力、刃といっても最早ただの魔力の塊としか言えない荒々しさ。でも、それで十分だった。
ヨルムンガンドがライラナを守ろうとするように一つに集束していき、私を呑み込む闇となって向かって来る。その闇に向けて、私は光を解き放つ。
ヨルムンガンドの内部から突き破るようにして光が破裂した。霧散していくように散っていくヨルムンガンドを見届けて、私はライラナと向き合う。
「……ライラナ。私は終わらない永遠を形にするんじゃなくて、終わらせないために思い続けることを永遠にしていく方が素敵だと思うよ」
再生が終わっても、ライラナは俯いていた。ヨルムンガンド、それは彼女にとって私に対しての切り札だった筈。二度目を出した所で、私はまだ余裕がある。その前にライラナを弱らせることだって出来る。
……彼女が投降してくれるなら、そんな思いがしぶとく息を吹き返す。そしてライラナはゆっくりと顔を上げた。そこに浮かぶのは、やはり聖女のような笑みだった。
「……素敵ですね、きっとそれは」
「ライラナ、投降して! 自由は、そんなに与えられないかもしれない! 貴方は許されないかもしれない! それでも!」
「――えぇ、素敵です。この一瞬の思いを永遠にしていく。それが永遠の形だと、貴方はやはり私に答えをくれる」
私の声に応えず、ライラナは祈り願うように自分の胸の前で手を組み合わせた。
「見ててください、アニス。私が望む永遠を。私は、その為に全てをかけましょう。その結末を私は見届けることは叶いませんが――」
「ライラナ……!」
「終わらない永遠ならば、私が結末を見届ける必要はなかったんです。なら、もう何も恐ろしくはありません。――祖よ! 偉大なる我等が祖よ! この命、この魂は今、真理を悟りました! ここに永遠を体現しましょう! 全てを呑み込み、安寧と幸福の眠りへと沈める為に! その刹那を想い続けることを永遠に繰り返すことを! それが我等のあるべき回帰です!!」
「ライラナァッ!!」
ライラナに近づこうとした瞬間、接近を阻むような圧力が私を弾き飛ばした。空中で姿勢を正した時には、ライラナの身体が解けていくのを目にした。
満足げな笑みを浮かべて、ライラナは目を閉じながら祈っている。足先から解けた身体が昏く濃縮された闇へと変わっていく。
それは先程のヨルムンガンドとよく似て、けれど違う。――魔石を与えた魔法を編み出すのではなく、〝自分〟という存在を〝魔法〟へと改竄していく。器を捨て、個を捨て、永遠を望む〝魔法〟へと至ろうとする。
「巫山戯ないで! こんな魔法なんて、そんな永遠なんて、私は認めない!」
「……」
「それは精霊契約と何が違うって言うの!? 最後には精霊に、世界へと還る精霊契約と、一体何が! 何が違うって言うのよぉっ!!」
「――夢を見れます。人が、幸せになれる夢を。……あぁ、貴方の言う通りです。私はこれをただの夢とするべきだったのかもしれない……」
ライラナはもう腕も闇に溶けて、上半身しか残っていない。それでもライラナの笑みは揺るがない。開いた瞳は私を慈しみと感謝をもって見つめている。
「――それでも私は今、幸せです。答えは出ました。夢を現に、不可能を可能に。人々に祝福あれ。私の永遠で全てを呑み込みましょう。私こそが幸せのための揺り籠になりましょう。世界をも喰らい、全てを夢幻の果てに沈めるために」
「ライラナッ!」
「それでは、ご機嫌よう。貴方とは永遠の果てで、また出会えたら、その時は――――」
言葉は最後まで形にならず、ライラナは闇に解けるようにして消えた。
その瞬間、闇が明確な輪郭を取って姿を表す。それはヨルムンガンドとよく似て、けれど異なっている。確かに身体は蛇だ。けれど、その顔立ちはまるで――。
「――龍……」
美しき角に、穏やかな赤色の瞳。そして風に靡く白い鬣がライラナという存在が変じたという事実を嫌でも突きつけてくる。
前世の記憶を蘇らせるような造形の闇色の龍。その背の翼を大きく広げ、耳に心地良い澄んだ声で産声を上げた。




