第73話:しあわせなおひめさま
本日三回目の更新です。お見逃しのないようにどうぞ。
「――いつまで寝てんのよ。起きろ、この馬鹿!」
「ふぎゃっ」
いったっ!? 誰よ、人の鼻を摘まんでくる奴は! お陰で目が覚めたじゃない!
顔を上げれば、それがティルティだったことに気付く。ティルティは不機嫌そうな顔を浮かべたまま、私を見下ろしてる。
「まったく、アンタはいつまで経っても冴えない奴ね」
「失敬な……いたた、鼻が痛い……」
あれ、私なんで寝てたんだっけ……なんか記憶がボヤけて思い出せない……。
「何呆けてんのよ」
「……ここどこだっけ?」
「……は?」
ティルティは何を言ってるんだ、って顔で私を見てくる。そして深々と溜息を吐いてから私をジト目で見た。
「我等が王女様はどうやら寝ている間に記憶まで落としてきてしまったようですね。大変お悔やみ申し上げます」
「ちょっとー。寝てたのは悪かったけどさー、そこまで言う必要なくない?」
「どうかしたのか?」
私とティルティがじゃれていると後ろから声が聞こえてきた。その声に振り返れば、そこにはアルくんがいた。そしてアルくんの隣にはユフィも一緒だった。
「寝ぼけすぎてとぼけたことを言い出したのよ」
「……姉上はすぐに作業を煮詰めるからな。イリアとレイニにしっかりと寝かしつけるように伝えておく」
「ふふ、あまり無茶をしちゃダメですよ?」
「ちぇーっ、アルくんもユフィもなんなのさ! ……で、なんで私は寝てたんだっけ?」
「……本当に大丈夫か? 姉上」
アルくんが私の傍によって顔を覗き込む。そのまま額に手を当てて、自分の額の温度と比べている。いや、風邪じゃないし。
「熱はなさそうだな。……疲れか?」
「それはいけません。王族としてもっとしっかりと体調管理しないと。貴方はもうこの国には欠かせない人なんですからね」
「う、うん……?」
そんなに心配される程かなぁ? なんて首を傾げていると三人に揃って溜息を吐かれてしまった。な、なんだよぅ……。
「姉上の仕事は山ほどあるんだからな。貴方頼みの計画なんだ、しっかりしてくれないと俺たちが困る」
「計画……ってなんだっけ?」
「……本気で疲れてる?」
流石に冗談ではないと思い始めて来たのか、ティルティが目を細めながら問いかけてくる。それに私は慌てて顔の前で手を左右に振った。
「いや、疲れてはないけど……ど忘れしたみたいな?」
「貴方の記憶にある便利な道具を魔法で再現する計画です。陛下から認可が下りて始まったんですよ? 仕事に熱中しすぎて忘れてしまいましたか?」
ユフィが苦笑しながら伝えてくれた内容で、なんとなくぼんやりと思い出せたような気がする。あぁ、そうだ。私は魔法で、記憶の中にある便利な道具を再現したかったんだ……。
例えば、そう。飛行機とか。魔法があれば空を飛べると思ったから、だから、私は……。
「姉上、また呆けているぞ?」
「えっ、あ、うん。ごめん……」
「あまり無理をするな。貴方は替えの利かない人なんだからな。この国の王女として、もっと弁えてくれ」
「う、うん……なんかアルくんが優しいと調子が狂うね……」
「姉上が俺に迷惑をかけなければもっと優しくする。支えてくれる人の苦労ももっと思いやって欲しいものだがな」
そう言ってアルくんは私の頭を撫でてくれた。このぅ、弟のくせに生意気なぁ……!
「片付けは俺達がやっておくから、姉上は休んでくれ」
「え、でも、悪いよ」
「惚けてど忘れされた方が迷惑よ。いいから帰りなさいよ。なんだったら飛行機でも見学してくれば?」
「…………飛行機?」
……飛行機って、あの飛行機?
「……本当に大丈夫? アンタが提案して作ったものじゃない」
「……そうだっけ?」
「そうですよ。この前、ルークハイム皇帝からも直々に讃えられたじゃないですか。帝国と王国を結ぶ新たな架け橋ってことで」
「あぁ、あの時の嫁に来い騒動で記憶でも飛んだのかしら?」
「嫁……? あぁ、なんか、そんな事を言われた記憶が……」
そっか、飛行機かぁ。……あれ? じゃあ、私って今、何を計画して、何を作ろうとしてたんだっけ……?
「……ちょっと、また呆けてるわよ」
「え、あ、うん……」
「いいから早く研究室から出て、部屋にでも戻って休んで来なさい。今すぐよ! はい、動く! 動かなかったらぶっ飛ばすわよ!」
「いたたたっ、もう手が出てるから! ティルティの馬鹿! 意地悪! 引き籠もり!」
「これ以上、痛い思いをしたくなかったらさっさと行く!」
ティルティに追い立てられるように私は部屋を出て行こうとする。その様子を呆れたように見ているアルくんと、微笑ましそうに見ているユフィが視界に入った。
「ユフィ! 今度の休日、お忍びデートでも行こうね!」
「ふふ……わかりました。楽しみにしておきますね。ゆっくり休んでくださいね」
ユフィがヒラヒラと手を振って見送ってくれた。それを見てから、私は研究所を出た。
研究所を出れば、ここが王城だってことに気付いた。ここは魔法省に割り当てられた区画だったけど、今は私の研究棟になってたんだっけ。
そんな事を思いながら王城を歩いていると、行き交う人たちが皆、笑顔で挨拶をしてくれる。
「あら、王女殿下。もう今日はお休みですか?」
「え、うん。ちょっと働きすぎって言われて」
「そりゃ日々毎日あんな不思議な発明してたら疲れちゃいますよ。たまにはゆっくり休んでくださいね!」
「ありがとう」
王城の侍女のおば様が朗らかに話しかけてくれる。いつも忙しそうにしているのは貴方たちもだと思うので、しっかり休んでと伝えると勿体ないお言葉だと返された。
「おっ、王女殿下。今日はお休みですか? 普段引き籠もってるのに研究棟から出てくるなんて珍しいじゃないですか」
「あれ、ガッくん。今日は稽古?」
「えぇ、ナヴル様との手合わせを頼まれまして。さっきまでアルガルド様もいたんですけどね。自分はやっぱり剣術は向かないってユフィリア様を見かけたら一緒に研究棟に行っちゃいました。擦れ違いませんでしたか?」
「あぁ、うん。さっき研究棟で顔を合わせたよ。なんか疲れてるみたいだから休めって」
「疲れてるなら無理したら駄目ですよ。王女殿下は代わりがいないんですから。なんかまた面白そうな魔道具を作ったら騎士団に持ち込んでくださいね」
行く先々で、顔見知りの人に声をかけられる。誰もが明るく笑顔で私の身体を気遣って、私の発明を楽しみにしてくれている。
なんだかくすぐったいな、と。そんな事を思いながら部屋に戻ろうとしたけれど、なんとなく気が乗らなかった。
(……散歩にでも行って来よう)
アルくんに怒られるかな、と思いながらも足は城下町に向いてしまう。
城下町の人たちは今日も明るく商いに勤しんでいる。その中で特に目を引いた商品が私が作った魔道具だった。
記憶の中にある風景と少し近づいた世界を見ると、なんだか無性に安心してしまう。それを求めてくれる人がいると実感すると、この世界で生きているという気になってくる。
(……受け入れて貰えてるんだなぁ)
私は、物心ついた時から奇妙だと言える記憶があって。
その記憶で垣間見た景色が本当に不思議で心を奪われてしまった。
でも、その記憶のせいで他の人から見ればやっぱり変な子でしかなくて。
だから色んな発明品を作った。色んな魔法を追い求めた。誰かの役に立てれば、私がここで生きていていい実感が持てたから。
普通じゃない子でも、王女として胸を張ってられたから。だから、今ここにある景色が私が望んだものだ。私が受け入れて欲しいと望んだ先にあるもの――。
「あっ、王女様だ!」
「王女様ー!」
「おぉ、元気だね。ちびっ子たち」
思考に耽っていると城下町の子供たちが私に向かって元気よく駆けてきた。これじゃあお忍びの意味がないなぁ、と思いながら抱っこをせがむ子供を抱き上げる。
「ねぇねぇ、王女様! 魔道具の発明品見せてよー!」
「ごめんねー、今、手持ちがないんだ」
「だったら魔法を見せてよー!」
「え? 魔法を?」
「そうだよ、王女様の魔法見せてよ! 王女様も飛行機みたいに空をびゅーんって飛べるんだろ!」
――――そう、だっけ。
私は、そっか。魔法使いだったっけ。でも、空を飛ぶのは、危ないからなぁ。
「……それは、また今度ね。それじゃあ、私は忙しいから」
「えーっ、遊んでくれないのー?」
「あはは、ごめんね。また、今度ね」
抱き上げていた子供を下ろして、私は足早にその場を離れた。
城下町の朗らかで明るい声がどこか遠くに聞こえる。私は今、地面をしっかり踏みしめて歩けているんだろうか?
あぁ、いっそ子供たちに言われた通りに空を飛んで帰れば良いかもしれない。だってそんなのいつもの事だって言われてたじゃない。
でも、今は気分が悪くて、目の前がグルグルして、吐き気がする。熱が自分の身体の中を這い回っているような不快感に倒れそうになる。
「――そこの貴方、落とし物だよ」
ふと、後ろから声をかけられた。その声は嫌でもはっきりと聞こえて、ついつい振り返ってしまう。
そこには見覚えがあるのに、まったく見覚えのない少女がいた。白金色の髪に薄緑色の瞳、どこか育ちの良いお嬢様みたいな格好をしている少女は薄ら笑いを浮かべて私を見ている。
……知っているようで、知らない誰か。頭の奧が疼くように響いた。ぐらぐらと視界が揺れる。このまま倒れてしまいそうだけど、私の身体は半ば私の意志を無視して動く。
「あぁ、ごめんなさい……えっと」
「……受け取らないの?」
「……は? いや、だって、貴方何も持ってないじゃない」
そう、その少女は何も手に持っていなかった。私に向かって差し出した訳でもない。
……馬鹿にしてるのかな? 腹の立つ子だな。なんでだろう、とにかく気持ち悪い……いっそこのまま意識を失えたら楽なのに。
「そう、貴方が要らないなら別にいいけど」
「……あの、貴方……誰?」
何故だろう。私の口から、そんな問いが零れた。すると、少女は薄笑いを更に深めて不敵に笑った。
「――アニスフィア」
彼女は、そう名乗った。