第72話:長い夜が来たる(9)
本日二回目の更新です。
ライラナとキメラとの戦いは、もう泥沼としか言えなかった。何度殺しても蘇ってくるキメラ。強さはバラバラの癖して、しぶとさだけは一致している。なんとか数を減らしてもライラナが自分を千切っては数を補充させてくる。
なら本体であるライラナを抑えようとしても、幾ら斬っても止まる気配がない。まさにジリ貧という状況に追い込まれつつある。
「まだ諦めないんですか?」
哀れむようにライラナが私にそう問いかけて来る。思わず頭に血が上りそうになるけれど、息を吐き出して怒気を散らしながらライラナの腕を斬り飛ばす。
宙を舞った腕はやはり新しいキメラとなって奇っ怪な叫びを上げる。まったく、どういう仕組みになってるのか逆に気になってきたよ!
「どうして諦めないんですか?」
訝しげにライラナが私に問いかけて来る。私は無言でライラナを今度は正面から魔力刃で突き刺す。腹に刺さった魔力刃を振り抜けば、腹を抉るように血が噴き出す。
それもまた、逆再生をかけたように巻き戻ってしまう。既に私との戦いでライラナの身に纏っているドレスは無惨なものになっている。それでも、その白い肌は傷一つ、穢れだって残っていない。
「どうして?」
「諦める理由がないから!」
流石に鬱陶しくなってきたのか、ライラナの手が異形の爪を纏い、セレスティアルを掴んで防ごうとする。それを無理矢理引き裂くように振るって腕ごと叩き斬る。
キメラが増える一方だけど、こいつを自由にしたらいけない。横目で見ればユフィが精霊顕現で繰り出した精霊でキメラを片付けている。
それを支えているのはアルくんと、狼耳の少女だ。その三人が中心になって戦線を支えて、他の騎士や冒険者たちが村人が避難しているのだろう避難所の扉を守っている。
誰もまだ諦めていない。だから、私も諦める理由がない。
「それに! これで終わりだと思わないでよね!」
不敵に私は笑みを浮かべて見せた。ライラナが不思議そうに首を傾げていたけれども、突然その顔色を変えた。
そして、鳴り響いたのは雷鳴だった。低く唸るような雷鳴が風を切るような音と共に巨体のキメラに向かっていき、雷光と共に弾けた。
半身を吹き飛ばされたキメラは痙攣するように身を震わせながらゆっくりと崩れ落ちていく。
「王姉殿下! お待たせしました!」
「シャルネ!」
避難所の後方、ナヴルが操縦するエアバイクの後ろに乗っていたシャルネがケラヴノスの一撃を放ったんだろう。そのままナヴルがエアバイクを避難所の傍に着地させる。
それに続くようにして私が置き去りにしてしまった騎士たちが次々と姿を現す。そして、その中で真っ先に飛び出す影がある。
「フラムゼーレ!」
それはガッくんだ。紅蓮の炎と熱気を纏いながらガッくんはキメラへと突撃する。迫ってきたキメラの頭を両断し、引き裂かんと迫った爪を焼き斬る。自分よりも巨体のキメラの懐へと入り、フラムゼーレを突き刺して内部から燃やし尽くす。
そんなガッくんを援護するようにケラヴノスの雷の矢が放たれ、次々とキメラの動きを止めていく。
「各位! ガークとシャルネの援護に入れ! 対キメラにおいて、火力はあの二人が要だ! 負傷者を下がらせ、前線を抑えろ!」
そしてナヴルが引き連れていた騎士たちの指揮を取る。それに少し遅れるようにして避難民を避難させていた騎士たちも戻って来て、一気にこちらの数が増える。
「援軍が来たぞ! 炎の騎士と雷の弓使いの攻撃はどうやら有効だ! 彼等を援護しつつ、負傷者は下がって、傷の手当てを! そして、ここからの指示は……ナヴル!」
状況を判断しかねていた戻って来た騎士たちに声を上げたのはアルくんだった。アルくんはナヴルの指揮に合わせるように指示したあと、ナヴルへと声をかけた。
アルくんに声をかけられたナヴルは驚いたように目を見張り、少しだけ動揺を滲ませながらもアルくんへと視線を返す。アルくんは真っ直ぐとナヴルへと視線を向けて頷く。
「ナヴル、指揮を頼めるか?」
「ア、アルガルド様!?」
「あの二人をよく知るのはお前だろう。お前に指揮を取って欲しい」
いきなりのアルくんの指示に当然ながらナヴルは困惑したように立ち竦んでいた。そんなナヴルにアルくんは続けて声をかける。
「――力を貸してくれ、ナヴル」
アルくんのその一言にナヴルは目を大きく見開き、一度固く目を瞑った後に意を決して目を開く。
「この場の指揮は私が、近衛騎士団及び魔巧局所属、ナヴル・スプラウトが取る!」
「私はナヴル・スプラウトに指揮権を委譲する! ダーレンはナヴルの補佐を頼む! 諸君、反撃の狼煙を上げるぞ!!」
ナヴルの返事を確認した後、アルくんは自分の流した血を杖に練り集めて、血で象られた槍を生み出す。そして、そのまま前線へと躍り出た。
アルくんがキメラに飛びかかるようにして槍を突き立てに行くのに合わせて狼耳の少女も駆け出すのが見えた。二人の連携でキメラの首が両断されるのが見えた。
「どうやら、通常の魔法でなければ効果は大きいらしいな!」
「アル!」
「アクリル! 合わせろ!」
「うん!」
アルくんが本格的に前線に出るようになって、ガッくんとアルくん、そして狼耳の少女の三人が中心になってキメラの群れに風穴を開けていく。
その穴を広げるようにシャルネのケラヴノスが雷を迸らせ、そこにユフィの顕現させた炎の女騎士がキメラを焼き尽くしていく。
「ガーク、援護に入ります」
「うぉぁ!? なんじゃありゃ! 炎で出来た騎士!?」
「あれが女王陛下の精霊顕現か……」
「マジか! というかあんなヤバイ代物だったか、精霊顕現って!?」
少し疲労した様子を見せたユフィだけど、まだまだ気迫は漲っているようだった。
ユフィの顕現させた精霊を見てガッくんがどこか気の抜けたような反応をしつつ、ナヴルが補足するいつもの流れ。こんな状況でも変わらない頼もしい二人の会話に私は自然と笑みを浮かべていた。
「……なんですか、アレは?」
初めてライラナが警戒を示した。ライラナの視線の先にいるのはガッくんとシャルネだ。正確には二人の持つ武器に向けられているんだろう、と私は理解した。
通常の魔法よりも天然魔石の魔道具による攻撃の方が効果があるように見えるのは、染色魔力の関係かもしれない。魔石は他者の魔石による魔力を受け付けず、その魔力は反発し合う。
だからこそライラナから生み出されたキメラは特に魔石の効果で生み出された魔法には弱いのかもしれない。なら、アルくんが自分の血で作った武器で斬りかかっているのも正しい判断だ。明らかに形勢はこちらに傾きつつある。
「私はこの光景を見せてくれる人を信じられる。その選択を、この輝きを美しいと思えるから、貴方の考えには頷けない」
「……」
「貴方の言う通り、喪うことは悲しい。わかり合えないのは苦しい。別離の悲しみなんて想像しただけで耐えられない。……それでも答えを共有出来るのは、同じ答えを選べた時だけだ。だから、貴方はずっと一人だ。自分の答えだけを正しいとするなら、誰ともわかり合うことはない」
ヴァンパイアとして生きるなら、ヴァンパイアの性質の、願いの行く先の結実としてならライラナは正しいのかもしれない。けれど、ヴァンパイアはそもそも絶望から生まれた存在だ。
その絶望を覆す為に禁忌を良しとした。自分が生きる為に人を糧とすることを選んだ時点で、その本能に従うなら人とヴァンパイアは相容れることはない。だからヴァンパイアはどんなに人に近しくても、その分類は魔物とされるべきだ。
「……わからないです。わからない、わからない! あぁっ! そうか、そうだったんですね!」
「……?」
「貴方は、知らないんですね!」
漸くわかった、と言うようにライラナは心の底から笑って告げた。
「貴方は、本当の絶望なんて知らないんですね。だから痛みに耐えられるなんて言えるんですね! 誰かが悲しんでも仕方ないって言えるんですね! でも、それじゃあダメなんですよ! それじゃあ世界は救えないから、だから! 私は貴方にわかって欲しいんです! だから、貴方も絶望したら! そうしたら、私をわかってくれますよねっ!」
「……どうして、そうなるのよッ!」
笑みを浮かべたまま私を見つめるライラナに私はセレスティアルを振り抜く。ライラナは爪を立てた異形の腕で私のセレスティアルと斬り結ぶ。
今度は力任せに弾くように、自分の爪がひしゃげて歪んでも気にせずに私たちは互いの武器をぶつけ合うように空中でもつれ合う。
「貴方はとても良い人だから! でも、私と同じで貴方も足りてない! 完全じゃないからわかり合えない! だったら私たちは完全になったら同じ気持ちを抱ける筈です! じゃあ、貴方には何が足りてないんでしょう? それは、きっと耐えきれない位の絶望です! 私たちがずっと抱えて、叶わなくて、求め続けてきたものを貴方は知らないからぁ!」
「知りたくもない……! それは貴方たちが勝手に抱えたものでしょう! ヴァンパイアとしての業も! 宿命も! 命題も!」
「でも、それは素晴らしいものだって私は信じてるから! 足りないものを補うだけじゃなくて、何も喪われない完全な世界が! 悲しみも苦しみもなくて、あらゆる価値を共に尊んで、喜んで、讃えて! でも、それがわからないのは、知らないからなんですよね! 大丈夫、私なら全部教えてあげられますから! 何も怖がることはないんです! 私と一つになってくれれば、全部一つになってわかるから! 私なら上手くやれるからぁ! だから、私を受け止めて! 私を抱き締めてくださいよぉっ!」
「――お断りよ……ッ!」
抱きつこうとするかのように迫ってくるライラナを全力で蹴り飛ばす。ライラナが飛ばされた先にはキメラの群れが蠢いていた。
その群れの傍に叩き付けられたライラナ。そのライラナに引き寄せられるようにキメラの群れが殺到していく。
「な、何……!?」
肉の音が聞こえる。肉が千切れる音がする。肉が混ぜられる音がする。骨が砕け、折れ、繋がり、また砕ける音が早送りで繰り返される。
いつの間にか周囲に散っていたキメラが我先に集まろうとしていた。その中心にいるのはライラナだ。それは彼女が周囲にキメラをばらまいたのとはまったく逆の現象。
ここにいるキメラを取り込んで、自分という存在を圧縮している。そうとしか言えない光景だった。
「このッ!」
「させるかッ!」
悍ましい光景の中で足を止める者が多い中、シャルネの雷矢とガッくんの炎の斬撃がキメラに叩き込まれる。
自分の生命が絶たれることに何ら抵抗も見せず、ただキメラはライラナへと集っていき、そしてやがて全てのキメラがライラナに呑み込まれてしまっていた。
ゆらりと、ライラナの身体が揺れた。その次の瞬間、ライラナにフラムゼーレを振るっていたガッくんの傍にライラナが高速で移動する。
「なっ、速ぇ……!?」
「ガッくん!」
ガッくんがフラムゼーレを咄嗟に盾にするけど、そのままライラナのそっと押すような動作で吹き飛ばされた。その勢いはとても押しただけとは思えない、何度も地面を跳ねる程の力でガッくんが転がっていく。
「ガークさんッ! くっ……!」
シャルネが悲鳴を上げながらケラヴノスで雷矢を放とうとするけれど、キメラと違ってライラナに狙いが上手く付けられず、更にライラナも高速移動するので捉えることが敵わない。
唯一、そこに追いつけたのはアクリルとアルくんが呼んでいた狼耳の少女。神速とも取れる槍の一撃をライラナに繰り出すけれども、それをライラナは歯で噛み止める。
「――なっ……!?」
「アクリルッ!」
ただ手を払うような動作で狼耳の少女を押しのけようとした所にアルくんがアクリルを抱きかかえるようにして庇う。
そのままアクリルを抱きかかえたまま、アルくんが吹き飛んでいく。骨がひしゃげる音が聞こえ、そのまま木に叩き付けられるようにアルくんが崩れ落ちる。
「数で意味がないなら、質を上げましょう。確実に一つ一つ、丁寧に」
「止めろぉッ!」
怒りで視界が真っ赤になる。そのまま激情に任せてセレスティアルでライラナに斬りかかる。ライラナが片手を翳して、セレスティアルの刃を掴む。指が折り曲がり、腕が押し負けたように曲がる。それでもセレスティアルの刃をライラナは離さない。
「――貴方が一番大事なのは、あの人」
ぞく、と。悪寒が背筋を駆け巡った。ライラナは私を見ていなかった。その視線の先、そこにいたのは――ユフィだ。
ライラナが空いた片手を翳す。その手がそのまま蛇の頭へと変わってユフィへと向かって伸びていく。
ユフィも自分が狙われていることに気付いたのか、咄嗟に精霊を盾にしようとする。けれど、その精霊は蛇の一噛みで無惨にも散っていく。
再び口を開けて、ユフィへと喰らい付こうとする蛇を見て、血が沸騰するような程の激情に身体が包まれた。
「アァァアァアア――――ッ!!」
抑え込まれていたセレスティアルの魔力刃に魔力をありったけ込めて、至近距離で炸裂させた。衝撃で私も吹っ飛ぶけれどユフィを狙っていた蛇の頭は根本から千切れて軌道を逸らして地に落ちた。
一方、私は衝撃で後ろへと吹き飛び、反動で意識が一瞬明滅していた。上下左右の感覚がわからない。自分が地面に立っているのか、まだ空中に浮いてるのかも。
そして、戻りかけた視界が最初に認識したのは――両腕が吹き飛びながらも、私に向けて笑みを浮かべているライラナ。
にぃっ、と恍惚とした笑みを浮かべた彼女がそのまま口を開く。その光景がスローモーションのように見えた。
「守りたい者があるから、人は強くなれる。でも、守ろうとするからこそ自分を守れなくなる」
「ッ、ぁ……!」
「――それはとっても苦しいことですよね。でも、もっと私と同じになってくれれば、貴方もわかってくれますよね?」
――肉を突き破るような痛みと共に、私の首筋にライラナの牙が突き立てられた。
その痛みが私の意識を覚醒させる。それはもう激痛というレベルではない。下手をすれば意識が飛んでしまいそうな、灼熱を流し込まれたような苦痛だった。
「あ、ぁ、ぁぁあああっ! が、ぁ……ぁぁあっ!!」
我武者羅にライラナの頭を掴んで無理矢理引き剥がそうとする。けれど首筋に喰らい付いたライラナは離れない。
意識が痛みで朦朧としてくる。灼熱は傷口から全身に回って私の身を中からぐちゃぐちゃにしていく。
「――アニスッ!!」
そこにユフィが飛び込んできた。無理矢理アルカンシェルの刃をライラナの首に突き立てるようにして割り込む。
ユフィが首を貫いたことで力が緩み、牙が離れる。その瞬間を狙って、全力でライラナの腹を蹴り飛ばして引き剥がす。
私に蹴り飛ばされるままにライラナが飛んで行く。そこまでが限界だった。私はそのまま崩れ落ちるように地面に膝をついてしまう。力が抜けたのか、そのままセレスティアルも手放して落としてしまった。
「アニス……! アニス! しっかりしてください! アニス……!」
「……ぅ……ぁ……ぅ」
意識が朦朧とする。熱が身体の中でぐるぐるしてる。目の奧が真っ赤になって、頭の中が引っ繰り返されてるみたいだ。
私を呼ぶユフィの声が遠い。声を標に顔を上げてユフィを見ると、ユフィの泣き顔が目に映った。
「アニス……目が……!」
……目? 目が……どうしたって……?
「目が、赤く滲んで……ダメ、ダメです、アニス! 意識をしっかり保って! あぁっ! 誰か! レイニを、レイニを連れてきて! アル! アルッ! アニスが! アニスがぁっ!!」
ユフィ……何、言ってるんだろ……なんだか、もう、意識が保てそうにない。
起きてなきゃ、いけないのに。酷く、頭が重たい。身体が、熱い。とても、眠い。
そして、私は――意識を手放した。