第71話:長い夜が来たる(8)
「……は?」
なんだ、こいつ。ついそう思ってしまった。思わず後ろに一歩引いてしまう程に、気配も態度も合わさってとにかく気持ちが悪い。どうしてこの状況でそんな乙女みたいな反応が出来るのか。
「あぁ、世界は本当に素晴らしいわ! 精霊契約者を初めて見ただけでなくて、こんな人と巡り合わせてくれるなんて!」
「……いや、あの」
な、何? 何なの、コイツ!?
「私はライラナと申します。素敵な御方、どうかお名前を聞かせて頂けませんか?」
「……わざわざ教えると思う? アンタ、私の大事な人たちに何をしてくれたと思ってるのよ?」
「勿論、お救いしようと思っておりました」
「……救う?」
いや、一体何を言ってるのかまったく理解出来ない。何がどうなったらこの状況で救うなんて言葉が出てくるのか。
「貴方ならご理解頂けるのではないですか? そんな美しいものと混ざり合っている貴方なら!」
……こいつ、一体どんな世界が見えてるの? 混ざり合ってるって、多分ドラゴンの刻印紋の事よね? 見ただけで見抜いた?
いや、ユフィがこいつがキメラの親玉のヴァンパイアだって言っていたから、つまりはそういう事か。私がドラゴンの刻印紋で時間をかけてドラゴン化しているように、こいつはヴァンパイアの力で多種多様な魔物を取り込んでるって訳だ。
ある意味で同種に近い訳だ。だから彼女は察知したのかもしれない。私も察したように。
「ただの人の身では脆く、老い、朽ちていきます! 別離は悲しみを生んでしまうもの! だから人は悲しみに向き合い、挑んで来ました! 誰もが望むでしょう!? 朽ちない永遠を! 喪われない幸福を! それを私は叶えたいのです!」
「……その考えは理解出来ないとは言わないよ。それで? じゃあ、私の大事な人たちを傷つけようとしたのはなんで?」
「共生する為です! 私たちは永遠の存在となり、一つとなって再誕しなおせば良いのです! 永遠に生きて、喪うことなど何一つない、幸福な世界を実現する為に! 貴方でしたら、私と同じ貴方でしたら理解してくれるでしょう!?」
必死にライラナと名乗った少女は私に訴える。わかって欲しいと、心の底から望むように。理解が出来ない訳じゃない。けれど、私の心は冷めていく一方だ。
「いいや、頷けないね」
「ッ、どうしてですか!?」
信じられない、と言うように叫ぶライラナ。いや、信じられないのは私の方なんだけど。
「それが本当に素晴らしいことなら、皆が喜んで受け入れてくれる筈でしょ。そうじゃないってことは何かが間違ってるって事だよ」
ここにいる人たちは抗おうとしている。誰も彼女の言葉に頷けなかったってことだ。それが答えでしかない。
私も理解はしてやれる。でも、それが実現出来るなんて到底思わない。ましてや、真の幸福だと謳いながらも抗われているのなら、それはその人にとっては幸福なんかじゃない。
「では、貴方はそうではないのですか? アニス、そう、アニスと呼ばれていましたね、素敵な御方! 貴方は心を痛めないと言うのですか!?」
「……そうだね。その事を思えば心が痛むよ」
「なら、どうして!?」
「だからって幸福であることを決めるのは私じゃないし、貴方でもない。その人が、そうだと決めた道を進むならそれは邪魔出来ない」
……そうだ。その道を決めるのは他者の選択ではあってはならない。自分で道を選ぶからこそ、その選択は尊いんだ。
だから幸せだからと選択を押し付けるのは違うと思う。もし押し付けた幸せでも、それを幸せだと一緒に選んで貰えるならそれで良い。でも、それが本当じゃないと捨てられるのだとしても、それは正しいと思う。
「本当に救いたいと思うなら、相手を理解しなきゃ本当の救いなんて見えてこない」
「だから私は! 共に生きようと言っているのです! 同じ存在になって貰えれば、きっとわかって貰えます!」
「……話にならない。いや、話をするつもりもないのか。貴方にとってはそれが救いなんでしょうね。でも、誰にも理解されない幸せなんてただの一人遊びだ。だったら話を聞いてくれる人だけ救えば良い。それなら誰にも迷惑もかけなくて済むよ」
私がそう言うと、ライラナは信じられないと言うように首を左右に振った。
彼女が私に何を見出したのかは、なんとなくはわかる。けれど、それは私にとっての幸福ではないし、私の幸福もまた彼女の幸福ではない。
例えるなら、鏡越しに映った自分自身のように私たちはよく似ていて、でも、きっと鏡にはお互いは映っていない。だからわかり合えない。つまりはそういう事だ。
「……私は、どうして貴方がそんな事を言うのか理解出来ません。貴方にならわかって貰えると思ったのに」
「そう」
「でも、それはきっと私が足りないからなんでしょう。わかりました。だから――私は、貴方が欲しいと思いました」
ライラナは顔を上げて私を真っ直ぐに見つめて来た。そこにはどうしようもない程の執着が焦がれている。粘つき、へばり付くような感情に私は眉を顰める。
「私はまだ足りない。足りないから、もっと理解しないと。大丈夫です、私はまだ未完成で、未熟だけど、私なら何も取りこぼさない。ずっと、ずっと貴方を思って、貴方を覚えています。何一つだって忘れません。だから、安心してください」
「……だから取り込まれてくださいって? いやいや、何一つ安心出来ないし、迷惑なんだよなぁ」
そろそろ怒っても良いのかな? と考えて、思わずハッとしてしまう。私は彼女に対して複雑な思いを抱えてしまっている。私は怒っているけれど、それは彼女の行いにであって、彼女の在り方にはそんなに否定的にはなれない。
むしろ、どうしてこんな子が産まれてしまったのかと嘆きたくなる気持ちの方が大きい。彼女がヴァンパイアだったから? それとも育った環境が悪かった? わからない。何一つだって彼女の事を理解してやれない。
彼女が望む相互理解は酷く一方的なものだ。なら、もう私とライラナの間にあるのは断絶しかない。確かに、彼女の言う通り私たちは似ているのかもしれない。でも、似ているからこそ決定的にわかり合えない。
「アニス、私は貴方が好きです、一目惚れなんです! だから、私と永遠になってください!」
「告白より先に人生やり直してきなさい。そして永遠にお断りよ!」
ライラナの熱烈な告白に対して吐き捨てるように告げて、私はセレスティアルに魔力刃を展開させて踏み込んだ。
王天衣による飛翔も加えた加速は一気にライラナと私の距離をゼロにする。ユフィの精霊顕現を無力化させてたと聞いてるから、最初から全力で出し惜しみなしだ!
「〝架空式・竜魔心臓〟!」
前回のキメラとの戦いで嫌でもあっちの特性は理解している。セレスティアルに展開した魔力刃を一気に圧縮して結晶化させる。
私の突撃に反応しようとしたライラナは、見惚れるようにセレスティアルの刃に視線を奪われている。私はどこからどう見ても隙だらけの首を飛ばすように全力で振り抜く。
振り抜かれたセレスティアルは無防備なライラナの首に刃を立てて、けれど斬り飛ばせなかった。斬れなかったのだ。それは単純な硬度の話ではなくて、まるで首が肉の層を何重にも重ねたような〝分厚さ〟のせいだ。
衝撃を吸収されるように人の形に圧縮された肉は刃に絡みつき、食い込むだけで終わらせる。それを無理矢理引き抜くように引くと、首からライラナの血が勢いよく吹き出る。
「……あぁ、なんて美しいの」
首に手を添えると噴水のように溢れていた血が巻き戻るように再生する。ライラナはただうっとりとした目で私を見つめている。
……というか、マジか。本気で首を飛ばすつもりで斬ったんだけど、こんな防ぎ方されるって有り得る?
「早く貴方を取り込んで、一つになりたい――!!」
ライラナの感情の爆発に合わせるかのように、彼女の背中から無数の蛇の頭が伸びてくる。それは私に噛み付き、絡みつかんと迫ってくる。
私は後ろに飛ぶようにして距離を取りながら蛇の頭を切り払う。今度はライラナの首の時のような抵抗はなく、あっさりと蛇の頭は斬り飛ばせた。
(本体のぶ厚さはどう考えても異常だけど、伸ばして来た末端ならあっさり斬れるわね。なら、再生能力が働かなくなるまで斬り刻む……?)
この前、キメラを倒したみたいに魔石狙いで潰すのも考えたけれど、どう考えてもその隙がなさそう。とにかく、こいつを消耗させて大人しくさせないと。
幸い、王天衣のお陰で動きはいつもより自由度が上がっている。簡単に捕まるつもりはない。とにかく、無心でぶっ飛ばす――ッ!
「はぁぁッ!」
痛覚もないのかと疑ってしまいたくなる程にライラナは攻撃を避けようという気が一切ない。
けれど、斬っても斬った先からなかったことにされるように傷が再生する。いや、やっぱりヴァンパイアってインチキじゃない!?
「あぁ、素敵! こんな素敵なことってあるのかしら!」
「はぁっ!? 何が素敵だって言うのよ!?」
「誰もが私を褒めてくれたわ! 誰もが私を認めてくれたわ! 私が正しいって、私が希望だって言ってくれたわ! ずっと信じていたわ! でも、どこか物足りなかったの! 何かが欠けていたの! わかっていたわ、私が足りてないのは! 私はまだ、私の望む永遠に辿り着けていないから!」
恍惚の笑みを浮かべながらライラナの腕の肉が盛り上がり、異形の腕となって私に迫り来る。その鋭利な爪を押さえ込むようにセレスティアルを振るう。
今度はあっさり斬れなかったけれど、角度と勢いを変えて根本から斬り飛ばす。それでもあっさりと元の腕を復元したライラナが自分の身をギュッと抱き締めるように回す。
「貴方の否定が、こんなにも気持ちいい! 私という存在が明確になっていくの! 私を見て! もっと見て!! 私という形を、もっとはっきり映してぇ!!」
「この……ッ!」
やっぱりとち狂ってるじゃないのよ! そんな苛立ちから抱きつくように迫ってきたライラナに向けてドラゴンの魔力を集束させた拳を振り抜く。
やっぱり分厚い肉を殴った感触が返って来る。それでも衝撃は抑えられなかったのか、ライラナが吹き飛ぶ。
「アニス! キメラを片付けたら援護します!」
「ユフィ!」
そこにユフィの声が聞こえた。どうやらライラナが連れているキメラはそんな規格外ではないらしく、徐々に数を減らしていってるようだった。
精霊顕現が無力化されたとは聞いていたけど、恐らくダメージがまったく入ってない訳ではないと思う。むしろ受け止められるからこそ、魔石によって精霊が捕食されているのだと思う。
それなら魔法そのものぶつけるんじゃなくて、物質化させた魔法などを駆使すれば効果が上がるかもしれない。そう思えば攻略の目処が見えて来た。
それなら、ユフィたちが自由になるまでこいつを惹き付けるのが私の役目だ。
「――あら、もうそんな数が減ってしまっていたのね。なら、追加で相手してあげるわね」
そう思っていたのに、あろうことかにライラナは自分の腕を自ら切り捨てて放り投げた。それがまた新たなキメラとなって、奇妙な叫びを上げた。
ライラナの腕が変じたキメラは、腕から変じたとしても明らかにおかしなサイズになっている。いやいや、体積とかどうなってるのよ!? どこから出てくるのよ、そんなビックリ生物!
しかも一体だけじゃなくて、何度も腕を再生させては千切ってを繰り返して数を増やしていく光景は悪夢にも等しい。
「まだ夜は終わらないわ。ねぇ、そうでしょう?」
……あぁ、本当に。長い夜になりそうだ。