第70話:長い夜が来たる(7)
本日四回目の更新となります。見逃しがないようにご注意くださいませ。
それは言うなれば壊れた玩具を直すのだと言うような、そんな無邪気さでした。
アクリルが手にかけてきた命は彼女――ライラナによって生み出され、彼女に生み出されたからこそ再生させられると。だから死んでいる訳ではないと。そんなおぞましい倫理を彼女は無邪気に語っている。
「だから貴方が心を痛める必要はないの。貴方には自分の力を高めて欲しかった。そしたら私とお友達になった時に、私の永遠をもっと尊いものにしてくれたでしょう?」
「……何、言ってるの……?」
アクリルが理解出来ない、と言うように首を左右に振って一歩足を後ろに下がらせました。理解不能による恐怖や嫌悪が表情からも滲み出ています。
この少女は決定的に何かがズレている。それが致命的すぎて、話が永遠に噛み合わないような気しかしないのです。
「……ライラナ、と言ったな」
そんな彼女に対して声をかける人がいました。それはアルです、その表情は一切の感情が抜け落ちたような無表情です。
「貴様の言葉は何の慰めにもならん。貴様には人の心がわからない」
「……はぁ」
「貴様の言う痛みを感じる必要がないというのは、貴様の主観でしかない。他人には他人の主観があるとわからぬまま、それで人を救うなどと片腹痛い。人形遊びなら一人で引き籠もっていれば良い」
はっきりとした怒りと嫌悪を滲ませた声でアルは告げました。握り締めた拳が骨が軋む音を立てるほどに握り締められています。
「化物に救える人などいない。お前はただの化物だ。何も救えやしない」
「うーん、私は貴方が言っていることがよくわかりません。確かに貴方の言うとおり、今の私には足りない部分があるのかもしれませんね」
思っていたよりもあっさりと、それでいて神妙な表情を浮かべてライラナは頷きました。けれど、彼女はすぐに笑みを浮かべて手を打ち合わせました。
「それなら、貴方もお友達になってくれたらお互いに理解出来ますね!」
何故、そうなるのか? と。私は怖気と共にそんな感情を抱え込むことになってしまいました。
「……お友達、な。それはお前が取り込んだ者たちのことをそう呼ぶのか?」
「えぇ、そうですよ? 価値ある人間が失われるのは世界の損失です。だから私が保護してあげなきゃ。終わらない世界で、喪われることのない幸せな夢を見せてあげますから。だから私に教えてくださいね。――私は、貴方も幸せにしたいのですから」
ライラナがそう微笑むと、森を掻き分けるようにして無数のキメラがこの場に迫ってきました。彼女の意に従うように、彼等の狙いは私たちに向けられています。
その内の一匹が勢い良くアルに飛びかかりました。アルも迎撃のために杖を構えていましたが、それよりも早くアクリルが槍を一閃させてキメラを吹き飛ばしました。
「アルに近づくな!」
「大丈夫ですよ。私と一緒になってくれれば、ずっと永遠ですから」
「お前と一つになるなんて……気持ち悪いッ! 願い下げだッ! そんなので幸せになれるもんかッ!」
牙を剥くように吼えるアクリルに、ライラナは聞き分けのない子供を見るように慈しむ視線を向けました。それすらも最早歪でしかありません。
私もアルカンシェルを抜いて構えます。そして背後に控えていたレイニへと視線を向けます。
「レイニ! ルエラを避難所へ!」
「は、はい!」
レイニがルエラを抱えてその場を離れようとします。それを見咎めたライラナが指を差し向けました。
「ダメよ、逃げないで? 私とお友達になって頂戴?」
「――アル、アクリル! 時間を少し稼いでください! 精霊顕現を使います!」
私の言葉にアルとアクリルがすぐに動きました。アクリルは私やレイニに近づこうとするキメラを牽制し、アルは声を張りあげて周囲で戸惑っていたままの騎士や冒険者たちに指示を下しながら氷の槍を無数に生み出してキメラへと叩き付けます。
僅かに出来た時間。その時間で私はアルカンシェルを基点にして発生した光を練り集め、魔法陣を空中に描きます。魔法陣が回転して光球へと変じ、その中から炎の女騎士を顕現させます。
出し惜しみはしない、最速で、効果的な一手を!
「行きなさい!」
炎の女騎士がライラナへと真っ直ぐに向かって飛翔していきます。それに対してライラナは焦った様子もなく、無造作に手を掲げました。
次の瞬間、ライラナの手からまるで芽が出るように異形の一部が顔を出しました。蛇の頭のようなソレは大きく口を開きました。
その口の中から更に小分けにしたような蛇が湧き出て、絡みつくように噛みついてきます。ならば、と丸ごと焼き尽くそうと魔力を送ろうとした瞬間でした。
――魔力の供給が追いつかない。その違和感をしっかりと認識する前に、蛇の頭が私の顕現させた精霊を丸呑みにしました。
「――は?」
その光景が、まるで理解が出来ませんでした。
精霊の気配が一瞬にして消え失せ、魔力の繋がりが消え去ってしまいました。まるでそこに始めからいなかったかのように。
「……けふっ。凄い魔法ね。流石に呑み込むのは、私でも一苦労だわ。あぁ、もしかして貴方、精霊契約者なのかしら? 初めて見たわ!」
ライラナが手から伸ばした異形の頭を撫でながら、ニコニコと笑っています。私にはそれが遠くから聞こえるような、そんな聞こえ方をしていました。
絶望。ここまで目の前が真っ暗になったような思いを、私は一度も感じたことはありませんでした。だから、ただ現実が遠くなっていきます。
「でもね、ごめんなさい。私、精霊契約者にだけは負けられないの。パレッティア王国の皆さんとお友達になるのに必要な事だったから。私はね――精霊を〝食べる〟のは、誰よりも得意なのよ?」
ようやく悪寒の正体を理解しました。急速に意識が鮮明になり、ハッキリとしていきます。
この恐怖は嫌悪や理解不能から来るものだけではなく、むしろ〝存在〟として感じる忌避感だったのだとようやく理解しました。私は、本能で彼女の危険性を把握していたのです。
――彼女は、私の天敵だと。
「――さぁ、お友達になりましょう?」
彼女が手を翳せば、私の顕現させた精霊を呑み込んだ蛇の頭が私に伸びてきました。
私は咄嗟に身体強化に魔力を回して、蛇の頭から逃れるように跳躍します。彼女は私の天敵かもしれません。精霊顕現がダメでも、身体強化と通常の魔法を駆使すればやれない事はない、そんな考えを巡らせなければならない程、私は追い詰められていたのかもしれません。
――私が避けた蛇の頭、それが再び私に牙を剥くことはなく、避難所の扉へとその頭を叩き付けていました。
「――順番は選ばないわ。だって皆、私とお友達になってくれるのだから」
声も出ませんでした。ただ、目の前が真っ赤に染まったような気がします。一撃では避難所の扉は壊れていませんでしたが、明らかに傾き、軋んでしまっています。
中から村人の悲鳴が聞こえてきます。恐怖の声が私の耳に届きます。私は歯が砕けんばかりに噛みしめた後、強く叫びました。
「止めなさいッ!」
魔法が通じないなら、魔剣で。脳裏に浮かぶのはアニスです。アニスのようにマナ・ブレイドをアルカンシェルに纏わせて蛇の首元を狙うように振るいました。
僅かに食い込むような感触、そのまま蛇の首を落とします。しかし、驚いたことにその首が今度は姿を変え、まるで別種のワーウルフのような姿へと変えて私へと迫りました。
「――あっ」
迎撃が、間に合わない。
予想もしない出来事に私の身は硬直していました。誰が蛇の頭を切り落としたら、別の魔物になって襲いかかって来ると思えるのか。まだ冷静であれば、アニスから聞いていた話を思い出せていたでしょうか。
その心当たりを思い出す間にもワーウルフは私に迫り、牙を向けています。食いつかれると、私は目を閉じてしまいました。
――そこで、私は風を感じました。
「――ユフィに何してくれてんだぁッ!!」
それは、誰よりも愛おしい人の声。その人の声が何かが衝突するような衝撃音と共に聞こえてきました。
目をしっかりと開けば、そこに彼女はいました。エアドラに跨がり、王天衣を纏った彼女は怒り心頭といったような顔で周囲を睨んでいました。
「アニス……!」
* * *
ユフィが心配でエアドラの全力で飛ばしてきて良かった……! 嫌な予感がしてたんだけど、的中しちゃったよ!
お陰で後続のガッくんたちは置いてきてしまったけど、間に合った今なら判断は正しかったと思う。
っていうか、この状況なに!? 私が想定していた状況よりももっと酷くない!? 周りには私が見たキメラよりも小さいけれど、明らかにキメラとしか思えない魔物の群れとそれに対処する騎士と冒険者、それからアルくんと……なに、あの狼の耳ついた子? 飾り? でも尻尾まであるんですけど、もしかして本物!?
それからキメラの前に陣取って敵対しているとしか思えない女の子は誰!? なんなの、この状況!?
「ユフィ! 状況説明、的確に!」
「え、あ、はい」
エアドラから降りて、周囲を警戒しながらセレスティアルを抜いて構える。私が声をかけるまで茫然としていたユフィだけど、表情をすぐに引き締めた。
「スタンピードの原因はキメラでした。そしてあのキメラは、カンバス王国のヴァンパイアの手のものです。そのヴァンパイアが……」
「あそこにいる真っ白な奴って事ね?」
「はい。その、私では彼女の相手は分が悪くて……精霊顕現が無力化されました」
「はぁ!? どういう事!?」
ユフィの精霊顕現って私でも出されると相手にしたくないって思うアレだけど、無力化されたってどういう事!?
「彼女は……パレッティア王国の魔法使いの、いえ、精霊契約者の天敵です。恐らく精霊契約者を意識して対策を積んでいるのだと思います」
「はぁ? 何それ」
精霊契約者に対策を積んだヴァンパイアって事? 一体なんでまたそんな事になってるのよ?
「……とにかく、アレは敵って事ね。ユフィには分が悪いなら私がやるしかないわね」
「アニス……」
不安そうに眉を寄せてユフィが私の名前を呼ぶけど、止めようという気配はない。多分、ユフィが自分で分が悪いとはっきり言うってことは、それだけユフィとあの真っ白い奴は戦わせちゃダメだって事なんでしょう。
周囲のキメラは暴れたままだけど、あの真っ白い奴は私を見たまま微動だにしていない。……なんだろう。なんか、凄く嫌な気配がする。人の形をしてるんだけど、中身が人でないのがひしひしと伝わってくるって言うのかな。本当にヴァンパイアなの、こいつ?
「よくも人の身内に好き勝手してくれたわね」
「…………」
「何のつもりでこんな事をしたのか知らないけど、ただで帰れると思って……」
「――あ、あのっ!」
警戒しながら真っ白い少女を睨み付けていると、私の言葉を遮るように場違いな声を上げた。予想だにしなかった声の調子につい目を見開いてしまう。
そいつは、何故か胸の前で手を握り合わせて、うっとりするような目で私を見ていた。その視線が私を捉えて放さない。何故か、言いようのない悪寒が背筋を駆け巡っていった。
「――素敵な御方! 貴方のお名前はなんと言いますか!?」