第69話:長い夜が来たる(6)
本日の更新三回目です。
「カンバス王国の王女、ですか」
「王女って言っても、カンバス王国の王は血筋で決まる訳じゃないわ。誰が一番、ヴァンパイアとしての力を引き継げるか。開祖の叡智を、開祖から続く先人たちの力を一番受け継いだものが王と呼ばれる。あの子は……次期国王の候補だった。誰よりも選ばれた存在だった。だから王女だったのよ」
血筋ではなく能力で決める。その王の選別には少しばかり思う所があります。似たようなことをアニスは語っていました。けれど、恐らくきっとそれとは異なる在り方なのでしょう。
彼女たち、ヴァンパイアはただ己の種族の大望を叶えるために生きていた。それだけが彼女たちにとっての価値だったのでしょう。不老不死を得て、この世界に完全なる存在となることが至るべき極致だった。
「あの子は多くの叡智を、新たな境地をあっさりと生み出した。新しい魔石を取り込めば、すぐにその力を魔法へと変えた。誰もがあの子を讃えたわ。誰もがあの子を愛したわ。あの子もそれに応えた。誰よりも強く、誰よりも誇らしく、胸を張っていた。誰もが言ったわ、あの子が私たちの生んだ希望だって!」
「……でも、カンバス王国はその王女の手によって滅んだのですよね?」
「そうよ! 私たちは気付くべきだったの! 永遠が、欠けることのない完全がどういうものなのか! あの子が、それをどう捉えていたのかを!」
ルエラは目を血走らせ、瞳孔が開いてしまいそうになっている。恐怖に身体が震え、頭を抱えて蹲る。レイニが支えるように肩を抱いていますが、その身体の震えは強くなるばかりです。
更に話を聞こうとした時でした。夜の静寂を引き裂くような声が響き渡りました。
「ユフィリアッ! またキメラが来る! すまないが、手を貸してくれ!」
「アル!」
警戒を続けていたアルが私の所まで駆け寄りながらそう言ってきました。またキメラが迫ってきたのですか……!
すると、アルの様子に何かを感じ取ったルエラが喉を絞るような悲鳴を上げました。
「いや、いやいや、いやいやいやッ! あの子が来る! お願いッ! 私を殺して! 私もあぁなるのはいや! いやなのっ!」
「ルエラさん、落ち着いて……!」
「アレに喰われたら、私もアレになる! あの子はまた生まれればいいって言ったわ! でも……でも、それは私なの!? 本当に私なの!? 誰が保証してくれるって言うの!? 私の魂は、あの子に一度混ざったら元に戻れるの!? そんなのわからないじゃないッ!!」
ルエラは発狂したように喚き続けて、レイニを突き飛ばしました。そのまま暴れそうになるのをアクリルが背後に回り込み、首を落とすのではないかという勢いで手刀を繰り出しました。
アクリルの手刀を受けたルエラがぐったりと意識を失い、その場に倒れました。それを忌々しげに見つめたアクリルは舌打ちを零しました。
「……勝手なことばかり言って。頼まれなくても、後で絶対に殺してやる」
「……アクリル」
「アレが来るんでしょ。……今は、そっちを殺すのが先」
そっけなくアクリルはそう言って、ルエラに興味を失ったように防衛線の方へと向かっていこうとします。
アルも苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら私に視線を向けてきました。私はアルの視線に応じるように頷くと、アルはアクリルを追います。
「レイニ、ルエラをお願いします。私はここを死守しますから」
「……はい。どうかお気を付けて!」
レイニの返事を受けて、レイニがルエラに駆け寄ったのを尻目に私も防衛に加わる為に駆け出そうとした時でした。
「――あぁ、ようやく見つけた。こんな所にいたのね、ルエラ」
その声に駆け出そうとした私は足を止めて、声の方へと振り返りました。
声は空から降ってきました。弾かれるように視線を上げれば、そこには一人の少女が浮かんでいました。
月を背負うように空に浮かぶ少女の色彩は白。太股に届くほどの長さの髪は穢れを知らぬと言わんばかりに月の光を吸い込むようにして煌めいています。肌も日に当たったことのないのではと思うほどに白く、だからこそ瞳の真紅が際立っています。
服装は髪や肌の白とは真逆の漆黒のドレス。更に異質なのはその背に蝙蝠のような翼と、鳥のような翼の二対四翼が広がっている事。どう見ても異形なのに、その少女は息を呑む程に美しいと、私はそう思ってしまいました。
「こんばんは、まだ知らないお友達。ご機嫌よう」
異形の少女は、どこまでも無垢な笑みを浮かべて深々と一礼をしました。ドレスの端を持ち上げて、空中に足場があるかのように一礼する様は現実感が狂っていきそうになります。
「馬鹿な……どうやって俺の索敵をすり抜けた……!?」
私と同じように足を止めていたアルが信じられないと言うように異形の少女を睨んでいました。その頬には汗が伝っていて、アルの驚愕の大きさを伝えているようでした。
アクリルは無言で異形の少女を睨んでいますが、毛が逆立って全身で威嚇するようにいきり立っていました。けれど、それが虚勢なのだとわかったのはアクリルの膝が少し笑っていたからです。
えぇ、そうなのです。少女はただ平然と構えているだけなのに――まるで、その姿に見合わぬ巨大な何かと相見えているような錯覚に陥ってしまうのです。
「見知らぬ同胞の貴方、とても霧の扱いがお上手だわ。でも、霧の扱いは私も得意よ? 貴方の霧に紛れるように全身を覆ったの。これで私のことがわかるかしら?」
つまり、自分をアルと同質の霧で覆うことで無効化したと? 少女が無邪気に笑いながら言葉を続けると、先程から感じていた錯覚が錯覚ではなく、誤魔化されていた故に薄く感じていたのだとわかりました。
ゾッと全身から怖気が沸き立つような不快感と恐怖。私の中の何かが絶叫して、危険を告げています。あぁ、この少女は――。
「……キメラ……だと……!?」
そう、彼女はキメラと同じ気配を纏っていました。いえ、厳密に言えばまったく同じではありません。むしろ彼女はキメラと同じ気配を濃縮したように感じます。
キメラほどの巨体でもなく、歪な部位がある訳でもない。なのに――とても、恐ろしい何かがそこにいると私の全身が訴えているのです。
「あぁ、貴方たちはこちらの言葉の方が馴染みがあるかしら? 改めて、どうも初めまして、パレッティア王国の新しいお友達」
流暢にパレッティア王国の言葉に切り替えて挨拶をする彼女は、その異形な部位を見なかったことにすれば気立ての良いお姫様そのものでしょう。けれど、それでも全身が訴える忌避感は消えることはありません。
「……貴方がカンバス王国の王女ですか?」
「ルエラから聞いたのかしら? えぇ、そうよ。でも、もう王女なんて呼ばなくても良いのよ? 私の名前はライラナ。ただのライラナよ、お友達」
「……それは、貴方がカンバス王国を滅ぼしたからですか?」
私の問いかけにライラナと名乗った少女は不思議そうに首を傾げました。心当たりがない、と言うように顎に指を当てています。
「ルエラったら、まだ勘違いしているのね」
「……勘違い?」
「もうカンバス王国なんて形は不要になったのよ、お友達。私はようやく見つけたのよ、永遠の手に入れ方を! だからそれを実践しているだけだわ?」
ライラナは宝物を自慢するように満面な笑みを浮かべて言いました。私は唾を飲み込みながら、更に問いかけを投げかけました。
「永遠に至る方法とは?」
私の問いかけに、ライラナはまるで慈母の如き笑みを浮かべて胸元に手を当てて、少しだけ恥ずかしそうに、それでも絶対の自信と共に告げました。
「――私が、全ての存在を取り込んで、皆が一つになること。そして永遠になった私が皆を永遠の存在として産み直してあげるの」
――……言葉が、出てきませんでした。
全てを一つにする? 永遠になった存在になった後、自分が〝産み直す〟……?
彼女は何を言っているのか、何一つ理解出来ません。ただ、彼女はそれを真理のように捉えて実践しようとしている。
行動も、真意も、思考も、何一つ理解が出来ない。あぁ、なるほど。相互理解が不可能ならば、彼女は紛れもなく化物なのでしょう。
「人は脆弱だわ。老い、衰え、病にかかり、限りある時間に不安を覚え、燃える火のように生命を消費してしまう。えぇ、それが人だわ。でも、だからこそ人は大いなる目標に向かって進むことが出来る。人生に価値を見出して未来に向かっていく。人ってとても素晴らしいわ! だから、私も人を愛している。だから私が永遠の存在となって、皆に永遠を届けたいの」
「永遠を届けて、どうすると……?」
「? 永遠ならもう何も失わないわ。それなら人はずっと幸福でいられるでしょう? 叶わない願いを私たちはずっと受け継いできた。でも、誰も諦めることはなかったわ。魔法という真理を解明して、永遠の存在となって、皆が皆を称え合うの! 素晴らしい世界でしょう! 私たちは、開祖からずっと人の未来に祈りを込めていたの! 私はそれを受け継ぐわ! そして体現するの! 人は、もっと幸福になれるって!」
この感覚を正確に形容する言葉を私は知りませんでした。陳腐な表現ですが、彼女は狂っているとしか思えませんでした。
もしかしたら間違ってはいないのかもしれません。けれど、飲み込めないのは狂気の産物としか思えないからです。
でも、それを受け止められないのが間違っているのか、ライラナが言っている事は実は正しいのか、それもわからなくなってしまいそうになります。
それだけライラナは胸を張って、それが人の幸せに繋がると信じているからなのでしょう。何故信じられるのかわからないから、私にはそれが狂気にしか見えないだけで……。
「――巫山戯るなッ!」
空気を塗り替えるように叫んだのはアクリルでした。彼女は身体を恐怖ではなく、怒りで震わせながらライラナを睨んでいました。
「永遠なら幸せ? その幸せとやらの為にアンタたちは何をしたのか忘れたとは言わせないわよ! 人を攫って、化物や人を殺させて良いように使ってきたじゃないの! そんな奴等が言う幸せなんて腹の底から信じられる訳ないでしょうが!」
「あら……どうしてパレッティア王国にリカントがいるのかしら? もしかして、逃げ出したっていう子たちの一人?」
不思議そうに首を傾げていたライラナでしたが、何か心当たりに行き着いたのか満面の笑顔で胸の前で手を打ち合わせました。
「それなら大変だったでしょう? まさか逃げ出すなんて思ってなくて、辛い思いをさせたわ。それに誤解なのよ?」
「誤解!? 何が誤解だって言うのよ!!」
「――だって、貴方は何も殺してないもの」
……何故、彼女の言葉は一言一言が心臓に悪いのでしょうか。心臓が掴まれたように寒気が私の身体に駆け巡っていきます。
流石のアクリルも呆気に取られる中、ライラナは無邪気に笑ったまま告げます。
「貴方たちが化物と呼ぶ私の〝子〟も、貴方が殺したという〝人〟も、全部私が産んであげたものだもの。だから、何も死んでないわ? だって私はヴァンパイア、〝再生〟させるのは得意なのよ? だから殺しても元通りになるのよ! だから安心してね!」




