第67話:長い夜が来たる(4)
「アクリル、槍を引いてください」
「……ッ!」
私がアクリルにそう言うと、アクリルの槍を握る手が少し震えました。槍先がブレたことで女は引き攣った悲鳴を短く上げました。
泥で汚れている金髪、服は良く見れば仕立ては上等なものに見えます。外見は二十代半ばほど。そして涙で潤んだ瞳は――真紅。私にとっては見慣れた色でした。
「貴方は、ヴァンパイアですね……?」
私が問いかけると、女性は喉を引き攣らせてしまったのか、ただ震えるだけで何も返答しませんでした。その視線はアクリルが突きつけている槍に向けられています。
話を聞きたくてもこのままでは聞けませんね。仕方ない、と私は溜息を吐きます。
「アクリル、もう一度言います。槍を引きなさい」
「……チッ」
私が強めに言うと、舌打ちをしながらもアクリルが槍を引いてくれました。でも、その目は女を憎悪に籠もった瞳で睨み付けたままです。アクリルが槍を引いたのがわかったのか、それと同時に女が突然動き出しました。
つい身構えてしまいましたが、そこに害意は感じませんでした。ただ必死な様子で女は私に縋り付いてきたのです。その身体は異常なまでに震えています。
「たす、たすけて……ころ、ころされ、ころされ……いや……いや……」
縋り付いてくる女に戸惑いながらも視線を彷徨わせます。どうにか彼女を落ち着かせて話を聞きたい所なのですが、ここは森の奥深く。スタンピードはまだ止まった訳ではありません。
そうしていると、周囲の索敵を終えたのかアルが近づいてきました。
「ユフィリア。この周辺、そして村人の避難所の周辺にキメラの気配はない。……一度、避難所に戻ろうと思うが、どうする?」
「……そうですね。警戒は緩められませんが、彼女から話を聞くべきだと思います」
「そうか。……おい」
アルが私の腕に縋り付いていた女性の肩を掴んで、自分と視線を合わさせました。アルの真紅の瞳が怪しく揺れ、女は食い入るようにアルに視線を向けているようでした。
恐らくヴァンパイアの精神干渉を使っているのだと思いますが、ヴァンパイア同士で通用するのでしょうか……?
「俺の言うことがわかるな? 今から安全な場所に避難する。逆らえばここに捨てていく。いいな?」
「……は、はい……」
こくこくと何度も女性は頷いていますが、アルの表情は渋いです。恐らくは望んだ結果ではなかったのでしょう。
そうするとアルは私に視線を向けて、小さく首を横に振りました。やはりヴァンパイア同士では精神干渉は上手くはいかないのでしょうか……?
「俺が抱える。アクリル、前を頼めるか?」
「……アルがそいつを抱えるの?」
「効率の問題だ。……頼む」
「……ふんっ」
アルが淡々とアクリルにそう言うと、アクリルは明らかに機嫌を損ねたようで視線を逸らしました。
「……後でご機嫌取りしてあげた方が良いですよ」
「……うるさい」
* * *
「アルガルド様! アクリル! ユフィリア女王陛下も無事でしたか!」
私たちが村人たちの避難所に行くと、そこでは慌ただしく騎士たちが防衛の準備と村人の避難を急がせていました。
見張りに立っていただろう騎士が私たちの無事を喜ぶように破顔しました。けれど、アルが見知らぬ女性を抱えていることに気付いて訝しげな表情を浮かべました。
「心配をかけたな。まだスタンピードは収まっていないが、勢いは落ちる筈だ。魔物もこちらに真っ直ぐ向かって来るのは少ないだろう?」
「えぇ、各地にバラバラに散ったみたいですね。……やっぱり魔石持ちですか?」
「いや、それよりも厄介だ。村人の避難はどれだけ済んでいる?」
「ユフィリア女王陛下の護衛の方も手伝ってくれてるので、あと三回に分ければ避難は完了すると思います。私たちの撤退はその後になりますが……」
「そうか……わかった。私はダーレンと情報を共有し、指揮を代わる。アクリル、すまないがユフィリアを頼む。あと、身体を休めておいてくれ」
騎士と情報を共有するために話していたアルだったけれど、ここを離れる前にアクリルに声をかける。けれど機嫌を損ねているらしいアクリルは返事をしなかった。
そんなアクリルを見て溜息をついたアルは、私に女を預ける。それからアクリルの傍に寄って彼女の頭を撫でる。
「許せ。あとでワガママ一つ、聞いてやる」
ぴくり、とアクリルの耳と尻尾がピンと立ちました。それからアクリルは半目のまま視線を向けて、低く呟きました。
「……何でも?」
「……俺に可能な範囲でな」
「じゃあ、いいよ。許してあげる。ほら、ダーレンと話があるんでしょ? 行ってきなよ」
無視していたのが嘘だったと思えるぐらい、アクリルの機嫌は戻ったらしい。それにアルが少しホッとしたように溜息を吐いてから、私に視線だけ向けて一礼して駆けだしていった。
恐らく、アクリルを頼んだ、と言いたかったのでしょうけれども。……さて。
「レイニはどちらにいますか?」
「レイニ嬢でしたら避難誘導の援助に。……彼女は凄いですね、この状況でパニックになりそうな人を落ち着かせて円滑に避難を助けてくれたのですよ。流石、女王陛下の専属侍女です。肝が据わっていますね。こんな状況ですが、彼女がいてくれて良かったと思います」
後半は小声で、騎士は私にそう告げてくれた。成る程、彼は恐らく事情を把握している方なのでしょう。
スタンピードの発生、それによって避難の必要性があることを村人に伝えれば恐怖によって混乱に陥っても仕方なかったでしょう。でも、ここにはレイニがいてくれました。
彼女はヴァンパイアの力を使ったのでしょう。偶然ではありますが、ここにレイニがいてくれたのは僥倖でした。
「えぇ、レイニは私の自慢の従者ですよ」
* * *
「ユフィリア様! ご無事で何よりです!」
「レイニ、貴方も避難の誘導の助力、ご苦労様です」
騎士に案内して貰ってレイニの所に向かうと、安堵したように息を吐いて私に駆け寄ってくれました。
そこで私が肩を支えるように連れてきた女性に目を向けました。注意深く見ていると、レイニがハッとしたように息を呑んで彼女を凝視しました。
「ユフィリア様……この人は……」
「貴方の同類だよ」
レイニの問いに答えたのは私ではなくてアクリルでした。機嫌を戻したように見えた彼女でしたが、それでも自分を苦境に追い込んでいた女が傍にいるのは不愉快なのか、さっきから剣呑な空気を振りまいていました。
レイニは少しだけビックリしたように目を見開かせましたが、案じるように女性の肩に手を置きました。
「大丈夫ですか?」
「レイニ、彼女はカンバス王国の者かもしれません」
「あ、そうなんですね。えーと……大丈夫ですか?」
レイニがカンバス王国の言葉に切り替えて言うと、女性はゆるゆると顔を上げました。
そしてレイニの顔を見ると、何故か目が零れ落ちそうな程に目を見開かせました。そしてレイニの肩を掴んで、至近距離からレイニを見つめました。
「えっ、あのっ」
「ティリス……?」
「え……?」
「……ぁ、いえ……ちが……う……」
「母を、知っているんですか?」
レイニが食い気味に女性に問いかけました。私もアクリルも目を丸くしてレイニを見てしまいました。けれど、女性の驚きは私たち以上だったのかレイニを真っ直ぐ見つめて、そしてレイニに縋るように顔を寄せました。
「あぁ……! ティリスの……娘? 貴方が? ティリスは……?」
「……本当に母を知ってるんですか?」
「そっくりよ、貴方は……あぁ、もしかして、ここはパレッティア王国なの……?」
「はい。……私はティリスの娘で、ここはパレッティア王国です。貴方は……カンバス王国の方なのですか?」
レイニが問いかけると、女性はびくりと肩を震わせてゆっくりとレイニから身を離しました。その顔は、恐怖に引き攣りながらも皮肉めいた笑みを浮かべていました。
「カンバス王国……あぁ、そうね。そうよ、でも――〝もう、なくなったわ〟」
「……なく、なった……?」
「――滅びたのよ、カンバス王国は! あの〝狂った王女〟のせいでね!」
* * *
ただ〝魔法〟という奇跡を追い求めた。それこそ生命の命題だったから。
魔法という存在に執着していた。その奇跡の技を余すことなく身につけたかった。
もしも願って叶うなら、魔法の全てを解き明かすための永遠を手にしたかった。
私たちが〝そういうもの〟だと思い出したのは、物心ついた時のこと。
誰もが期待してくれた。誰もが望んでくれた。誰もが私を祝福してくれた。
永遠を手にして、真理を手にして、果ての果てまで。その時、仮初めの永遠は真の永遠になる。
私たちはずっと、それを欲して生きて来た。価値ある永遠になる為に、その為に私たちは生まれてきた。
だから私は正しく生きなければならない。それは私一人の願いではなく、多くの私に続く先人たちが望んでくれたことなのだから。
――誰一人だって欠かせはしないわ。だって、魔法は偉大なるもの、人に幸せを与えてくれるもの。
――何一つ失われることのない、永久にして完全なる世界。その世界に辿り着くための魔法なのだから。
――だから、私が救ってあげなきゃ。永遠になれない不完全な者たちを救ってあげなきゃ。
永遠に足る者であるならば美しくならなきゃ。――あぁ、だから美しさが欲しい。
永遠に足る者であるならば逞しくならなきゃ。――あぁ、だから強くなりたいわ。
永遠に足る者であるならば賢しくならなきゃ。――あぁ、だから知恵を求めるの。
私に救われて良かったと、そう思われなければ。だから足りないわ、足りなくて、足りなくて、あぁ、どうしようもなく餓えてしまうわ。
――だから、私と一つになりましょう? 一緒に永遠にしてあげる。それが幸せでしょう?
でも、ごめんなさい。全ては繋ぎ合わせられないわ。醜いのはダメよ。きっと嫌われてしまうわ。
だから私に必要な分だけを残して、分けてしまいましょう。いつか私がこの世界を幸せに満たせたら、また一緒に暮らしましょうね?
老いてはダメよ。置いていくのはダメよ。消えても欠けてもダメよ。そう、ずっと、ずっと一緒にいましょうね?
貴方もお腹が空いたら食べてきていいのよ。そしたら、また一つになりましょうね。もっと私を美しく、強く、賢くして?
私が覚えていてあげる。だから、もう少し待っていてね? 必ず全てを私が救ってあげるから。
――あぁ、今日も月が綺麗ね!




