第66話:長い夜が来たる(3)
「群れ……!?」
「あぁ、ここまで来て漸くわかった。スタンピードの原因は複数の魔物が食い荒らしに来てるからだ! 霧から感じ取れる気配はこいつと同じ気配が複数ある! 普通の魔物とは明らかに違い過ぎてあからさまだ!」
アルの叫びに私は眉を顰めました。つまり、目の前のヴァンパイア化した奇っ怪な魔物が複数いて、その〝群れ〟が魔物を追い立てたことがスタンピードの原因になったという事なのでしょう。
「アル、数は!?」
「……百……少なくとも確認出来るだけで百体はいる!」
「はぁっ!?」
アクリルはアルからの返答を聞いて目を見開きながら叫びました。再生力が高くて殺すのも容易ではない魔物が少なくとも百体もいると? 最悪過ぎますね。
「百って……流石にこいつは私でも時間がかかるのよ!? まずは魔石を潰さないと!」
「――問題ありません」
最悪な状況ですが……彼等にとっても不幸でしょう。ここに私がいることは。
相手はヴァンパイア、再生力に特化して他の魔物を食い荒らしている。その姿から、捕食したものを取り込む性質があると見て良いでしょう。時間は彼等に利を与えるだけです。
――それならば再生も許さず、一切合切、迅速に始末します。
「〝揺蕩う同胞よ、微睡みの淵より我が声を聞きなさい〟」
私はアルカンシェルを胸元で構え、手を刃に合わせて祈りの姿勢を取ります。私の声に合わせて空気が震えました。
「〝集え、我が同胞。応えるならば現世の姿を与えよう。我が意、我が願いを叶えよ〟」
魔法の発動の前兆のように私の周囲に光が灯る。空中に魔法陣が描かれ、その陣がその場で回転を始める。円陣は回転の勢いを速め、光の球へと姿を変えていきます。
「――〝精霊顕現〟」
胸元で構えていたアルカンシェルを凪ぐように横に振り抜きます。光の球に渦巻くように力が集っていき、私の髪がふわりと浮きました。
私の動きに合わせて光の球に罅が入るように亀裂が走り、そして砕けました。中から溢れた光と共に現れたのは――炎と光が女性を象ったもの。
例えるなら、その姿は嫋やかな女騎士。両手に炎が燃えさかる剣を携え、私の傍に控えるようにして浮かんでいます。
これこそ私の切り札――〝精霊顕現〟。〝自立行動する魔法〟と言うのが正確な所でしょう。ただ魔法という形で精霊の力を借り受けるのではなく、精霊の力に更なる指向性を与えて使役する〝私の魔法〟。
「森を延焼させる訳には行きませんが、灼き滅ぼすのが一番ですからね。――やりなさい」
私の号令に従い、尾のように燐光を振りまく炎の女騎士がヴァンパイア化した魔物へと飛翔していきました。耳障りな絶叫をあげて魔物も炎の女騎士を迎え撃とうとします。
しかし、炎の女騎士は全身が炎で出来ています。触れようとするならば焼けてしまうでしょう。その躊躇の一瞬に炎の女騎士が炎の剣で魔物を刺し貫きました。
炎の剣を突き刺された魔物が悲鳴を上げるも、私は更なる意思を炎の女騎士へと送り込みます。
「――焼け爆ぜて」
精霊顕現は、元々は魔法。そして〝彼女〟の元となった魔法は――エクスプロージョン。
本来は灼熱の炎によって焼き尽くす魔法に形を与え、自分で行動出来るようにしたものが〝彼女〟です。故に、その力は形を与えられても尚、変わることはありません。
炎の剣を刺した先端から炎が揺らめき、内部で炸裂する。それは体内を蹂躙するように広がり、体内の魔石すらも焼き尽くします。ゆっくりと悲鳴もなく魔物が倒れる途中、内部から発火した魔物はそのまま灰へと変わっていきました。
再生の気配がないことを確認して、私はそっと息を吐きました。〝彼女〟は動きを止め、私の指示を待つように佇んでいます。
「まずは一体ですね。…………ん?」
そこで私は視線を感じました。視線の方へと振り向いてみれば、感情が抜け落ちたような表情で私を見ているアルと、引き攣った顔で恐怖の感情を私に向けているアクリルがいました。
「……ば、化物……」
「あぁ、まったくだな……忘れていたよ、久しくな」
「……いや、待ってください。これも現在研究中の魔法の一環でして、あの、怖いものじゃないですよ?」
確かにこんな規模で制御出来るのは今の所、私とリュミぐらいですが。でも、小規模でささやかな魔法でなら私以外の人にだって出来ない訳じゃないんですよ? 魔楽器による顕現例もありますし……。
そんな思いからアピールしてみましたが、私が一歩距離を詰めただけでアクリルが勢い良く首を左右に振りました。耳は逆立っていますが、尻尾がくるりと巻いて縮こまってしまっています。
そんなアクリルの様子を見ていたアルは深々と溜息を吐いて、諦めたようにこう言いました。
「アクリル、気にするな。こいつは化物だが、取って食ったりはしない」
「人を何だと思っているんですか」
「化物だよ。揃いも揃って頭が痛くなる」
「……ごほんっ! こんな話をしている場合ではありませんね、アル! アクリル! 次に行きますよ!」
今、この話をしてしまうと時間がかかってしまうでしょう。だから今は後回しです。とにかくヴァンパイア化した魔物……アニスはキメラと呼んでいましたか? とにかくキメラを始末しなければ。
「……アル、今、凄く私アルに同情しちゃったよ……」
「……あぁ、わかって貰えて嬉しい」
私は! 何も聞いていません!
それから気を取り直して、私の顕現させた精霊によって片っ端からキメラを潰していくことにしました。索敵はアルがしてくれるので、私は精霊の使役に意識を集中してキメラの相手を。他に向かって来る魔物はアクリルとアルが始末してくれたので討伐はスムーズに進みました。
私がほぼ一撃でキメラを仕留めていると、アクリルから向けられる視線がどんどん濁っていくような気がしていましたが、五十も数えようかと言う時にはアルと同じように呆れたような目になっていました。
「……この人が一番この国で強いんじゃないの?」
「どうでしょうか? アニスには負けると思いますよ」
「……アニスフィアって、魔法が使えないのに貴方より強いの?」
アクリルが何言ってるんだ? みたいな表情を浮かべて私に聞いてきました。確かにアニスは魔法を使えないですが、ドラゴンの魔力による身体強化と魔道具を組み合わせてくると……ダメですね。
「精霊顕現で精霊を呼び出すのには時間がかかりすぎます。その間に抑えられては終わりですし、普通の魔法だって隙を見せれば派手には使えませんし、かといって小手先の魔法では切り払われて終わりでしょうね。速度で言えばアクリルと良い勝負ですし。ですからアクリルも私に勝つ目はあると思いますよ?」
「……勝つ目があるだけで、勝てる訳じゃないでしょう? それに真っ向からぶつかること前提じゃない。貴方は本気でやるならそれを許さないでしょう?」
「……さぁ、どうでしょうね?」
私は別に武人と言う訳ではないので、倫理に反しない程度には手段を選ぶつもりはありませんが。
あくまで私は女王。人の上に立つ者として清く正しくありたいと思いますが、必要であれば泥を被ることも厭いません。
確かに私がアクリルを相手にするなら、彼女の長所を活かさせないように完封しようとするでしょう。速度ではアニスと良い勝負ですが、破壊力や突破力ではアニスには劣るようですし。
ただアクリルは魔石の力なのか、ごく自然に風を纏っています。それはどこか義母上を思わせる戦い方です。その力をもっと大きく活用出来るようになれば、彼女ももっと強くなるかもしれません。
「……義母上とは一度引き合わせてみたいですね」
「……なんで貴方の母親と会わなきゃいけないのよ」
「アルのお母様ですよ?」
「…………」
「おい、集中しろ! 巫山戯ている場合か!」
「巫山戯てませんよ、ほら」
腕を振って炎の女騎士を迫ってきたキメラに差し向け、首を飛ばします。そのままステップを踏むように宙を回転した炎の女騎士が断面から炎の剣を突き刺して焼き尽くします。
これで九十匹は仕留めましたでしょうか。……本当は魔石や死体を回収して研究に回したい所なのですが、危険なので焼き尽くすしかないのが残念ですね。
「焼き尽くすのではなくて、氷漬けもありでしたかね……? いえ、溶けないという保証はないですしね……」
「……余裕あるわね」
そんな事を呟いてしまうと、アクリルから冷たい視線を向けられてしまいました。気付いていないようにしながらも、アルへと視線を移します。
「アル、次のキメラは?」
「待て。……何だ、これは?」
「アル?」
「何かがキメラから逃げ回っているみたいだ。キメラも複数、そいつを追いかけているみたいだな」
「逃げてる? 魔物ではなくてですか?」
「いや、魔物を追いかけるにしては複数で同時に襲いかかっているのは今までは見なかった動きだ」
「……方向は?」
「あっちだ」
アルが指し示した方向に私たちは移動を始めました。キメラが複数動いているせいか、木々を倒される音も聞こえてきました。
なのでアルの索敵がなくても位置を把握出来ました。そちらに向かっていると、アクリルがぴんとその耳を立てました。
「――人だ!」
「え?」
「悲鳴が聞こえる……! キメラに追われてるのは人だ! それも……これ、カンバス王国の言葉だ!」
アクリルが驚いたと言うように叫び、その瞬間に私とアルは同時に互いの顔を見合わせました。そして互いに頷いて視線を前に戻します。
「アクリル! 先行出来るか!?」
「わかった!」
「キメラの相手は私が! アクリルは保護を優先でお願いします!」
アクリルが一つ頷いて、私たちよりも走る速度を上げて前へ跳ねるように進んで行きます。木を蹴って弾け飛ぶように進んで行くアクリルはすぐに見えなくなってしまいそうです。
その背を必死に追っていると悲鳴が私の耳にも聞こえるようになってきました。複数のキメラの奇っ怪な叫びが重なり、不愉快な合唱が響いています。その中に交じる悲鳴は切実なもので、助けて、とカンバス王国の言葉で叫んでいました。
叫んでいたのは女性でした。泥や葉っぱをつけて薄汚れており、必死に走ってキメラから逃れようとしています。キメラはそんな彼女を喰らわんと涎を垂らしながら迫ります。
「さ、せる、かぁ――ッ!」
そこに流れ星の如く、マナ・ブレイドの残光を引くようにアクリルが立ち塞がりました。迫ったキメラの目を潰し、勢いを止めます。その間にマナ・ブレイドの魔力刃を解除、槍を回収し直して女性を引っ掴んでその場から離れていきます。
「ユフィ! ここにいるキメラで周辺のキメラは最後だ! どうやらあの女性を追って集まっていたらしい!」
「――わかりました」
アルの指示を受けて、私は炎の女騎士をキメラの群れへと突撃させました。突撃する女騎士は剣を持った腕を交差させ、縮まるようにしてキメラたちの中央へと陣取ります。
そして、両手を広げるようにして身体を大きく広げました。瞬間、精霊を象っていた魔法が〝解放〟されました。
元となった本来の魔法へと精霊が〝還っていく〟。灼熱の渦が逃れる暇を与えずにキメラを呑み込み、森の一部にクレーターを生み出しました。
残り火がくり抜いたような地面に残っていますが、森に延焼が広がるような気配はありません。制御は上手くいったみたいですね。
「消火しておく。お前はアクリルを、俺は周囲の魔物の状況を把握する」
「わかりました」
私は爆心地から女性を抱えたまま離れていたアクリルの方へと足を向けました。
アクリルは抱えていた女性を木に背中を預けさせるように座らせていました。けれど、驚いたのは……アクリルがその女性の首元に槍を突きつけていたことです。
「アクリル? 何を――!」
アクリルを止めようと彼女の傍に駆け寄ると、アクリルの表情がよく見えました。
それは憤怒。隠しきれない怒りがアクリルから溢れ出し、女性に突きつけた槍が小刻みに震えていました。
アクリルに槍を突きつけられた女性はがくがくと震え、掠れた声を上げています。その目はアクリルを見ているのか、見ていないのか。ただ恐怖に震えていました。
「……こいつ……! なんでここに……!」
「アクリル……?」
「こいつ、私が捕まってる間に指示を下してた奴の一人よ!」
アクリルから告げられた内容に、私は驚きに目を見張ってしまいました。
すると、女性は恐怖に引き攣ったように掠れた声ではなく、悲鳴を上げました。
「た、助け……助けて……! こ、ころ、殺されちゃう……!」




