第64話:長い夜が来たる(1)
――魔物が出た。その報告に私はすぐに支度を調えて部屋を飛び出した。この館に来てから、こんな風に急に魔物が襲来するのは慣れたものだ。
外では慌ただしく騎士の人たちが支度に追われてる。私は隙をつくようにして、素早く近づいて声をかけた。
「今起きた。状況は?」
「おぉ、アクリル! 見張りによると結構数が多いらしい! 種類は纏まっていなくて混成状態だ! 今、アルガルド様を待って索敵をかける所だ。お前は?」
「私はいつも通り」
「わかった、無理するなよ!」
私の返事に返した言葉を半分、置き去りにするようにして私は駆け出す。手に握るのはアルから渡された槍、最近パレッティア王国で普及された魔力を通せば魔力の刃を出せるものだ。これが思ったより便利で、これを作る元になった人物への印象を除けば気に入っている一品だ。
私はリカント。森での戦いには慣れているし、身体強化をしている騎士よりも足の速さなら私の方が上。それに戦い方が騎士と違うから、私は単独行動で動く方がやりやすい。
「――見つけた」
追い立てられるように魔物の群れの一部が屋敷の方へと向かっているのが見えた。館を越えれば、その先には村がある。村には報告があった時点で避難の指示が出されている筈。
でも、魔物の侵入を許せば畑や住居に被害が出る。だから、これ以上は近づけさせる訳にはいかない。
一定の距離を保ちつつ、魔物の様子を窺う。匂いと足音、注意深く意識を向けて魔物の状態を把握しようとする。
(……この音の調子は、狩りじゃない。匂いも好戦的というよりは……怯えてる。それなら逃走してきた可能性が濃厚、大物が近くに来てる可能性がある)
腹を空かせて向かって来た訳じゃなさそう、それなら誘導しても弱いかもしれない。
(なら、広範囲に散らばらないようにしつつ……大物がいないかどうか確認)
短く息を吐き出して、群れの先頭を走っていた大猿のような魔物に狙いを定めて木を蹴りながら迫る。大猿の魔物が反応するよりも早く、その首に槍を突き立てる。そのまま飛び込んできた勢いに押されるように崩れ落ちる猿の魔物に足をかけて槍を引き抜く。
今度は息絶えた大猿の魔物の身体を蹴って木に飛び移る。そのまま後ろを振り向くことなく、魔物たちが逃げてきた方向へと向かって移動する。
魔物は私を追って来る気配はない。足を止めて、私を見たけれども私が向かった先を見て追おうとしなかったようだ。……やっぱり、奧に何かいる。
それに、先頭の魔物の集団と同じように逃げ惑うように向かって来る魔物の群れが幾つも確認出来た。舌打ちをしながら、私は群れの勢いを殺すように狙いやすい一体にだけ狙いを絞って、確実に仕留めていく。
そして、すぐさま離脱。それを繰り返しながら魔物の流れの奧へと進んで行く。
(……ちょっと、数が多すぎない?)
奧へ、奧へと進む度に魔物と遭遇する頻度が上がっていく。流石に足を止めて耳を澄ませてみれば、後続はまだまだ続いているらしい。
こんな規模の魔物はこの地に来てから初めてのことだ。流石にこれ以上に深追いするのは危険だ。一度、引き返そうとした、その時だった。
「――……まさか!」
* * *
レイニに支度を調えて貰った後、レイニもすぐさま着替えて私たちは部屋を出ました。
「女王陛下! レイニ嬢!」
「貴方たちも起きていましたか。まずはアルから話を伺います。付いてきてください」
部屋を出るとすぐに追いつくように護衛の騎士たちが駆けつけてくれました。私は状況を確認するためにアルの姿を探します。
声がする方に向かえば、そこは屋敷の入り口。そこには辺境に配属された騎士や冒険者たちが慌たしく準備に追われているのが見えました。
その中にはアルの姿があったので、私は足早にアルの方へと近づいて行きます。
「アル! 状況はどうですか?」
「ユフィリアか。少し待て、索敵を始める」
「索敵ですか?」
私の疑問には答えず、アルは杖と共に懐から小瓶を取り出しました。その小瓶に入っていたのは赤い血液です。
アルは小瓶の蓋を開けると、その中に入っていた血液がしゅるしゅると煙のように変わっていき、赤い煙が薄くなって透明へと変わりながら空中に広がっているようです。
「うわっ」
「レイニ?」
「……これ、私もやってた魔法と似てます。血を媒体にして、その範囲を広げて知覚範囲を広げているみたいですね。ただ、凄い規模が広くて……ちょっと私には無理かな」
レイニもヴァンパイアなので、アルがやっている事はすぐに把握出来たのでしょう。なるほど、レイニは人の感情を読み取るために霧を広げて相手の感情を知覚する、という魔法を使っていたことがありましたが、アルの使っている魔法も同系統のものなのでしょう。
目を閉じて、杖を掲げていたアルがその姿勢のまま口を開きました。
「……数が多いな。アクリルが先行して足止めをしているが、アクリルを追う気配はない。恐らく大物がいるな」
「では、今回は迎撃の方面で?」
「ひとまずはな。騎士は私の護衛に、冒険者の各位は村の住民の避難を急がせろ! アクリルだけでは流石に庇いきれない。ダーレン! いつものように冒険者たちの指揮はお前に任せた! 私はまず規模と大物の把握を済ませる!」
「了解! 避難が完了したら戻ってきますよ!」
「こちらがそちらに合流する可能性も考えておいてくれ。迎撃ではなく防衛が必要な場合がある。それを念頭に入れておいてくれ」
「うへぇ、そりゃ大仕事だ! 行くぞ、野郎ども!」
ダーレンと呼ばれたリーダー格の冒険者が他の冒険者を引き連れ、村がある方へと駆けだしていった。
その間にアルを守るように騎士たちが陣形を組んでいる。随分と慣れたような動きで、少しだけ感心してしまいました。
瞳を閉じて意識を集中させていたアルでしたが、杖を下ろして瞳を開きました。その顔には張り詰めたような表情が浮かんでいます。
「……ユフィリア」
「アル?」
「今すぐ王都に引き返せ」
「はい?」
突然のアルの言葉に私は何度か瞬きをしてしまいました。アルは表情を一切崩さぬまま、淡々とした様子で口を再度、開きます。
「この規模はスタンピードだ。――現状の戦力では、確実に防ぎ切れない」
「スタンピード!?」
アルの警告とも言える言葉にレイニが悲鳴を上げるように反応をしました。私も驚いて目を見開いてしまいます。
「それは、本当ですか?」
「数は既に五百を超えている。それに、まだ増えている。まだ幸いなのは拡散して纏まるような気配がない事だが……」
「五百!?」
それは誰の悲鳴だったのでしょう。その声には絶望の色が満ち溢れていました。
アルたちが引き連れている騎士と冒険者を合わせても三十名ほど。魔法を使える騎士もいる筈ですが、自分よりも何十倍もいる規模の魔物を相手に出来るような魔法使いなど一握りでしかありません。アルが現状の戦力で防ぎ切れないと言うのはご尤もです。
「先行しているアクリルも足を止めるほどの大群だ。これでは押し留めるのは不可能だ。残念だが、村は放棄するしかない」
「そんな!」
アルについていた騎士の一人が憤るように怒りの声を上げましたが、他の騎士に睨まれて悔しそうに歯を噛みしめていました。
私の護衛として付いて来た騎士たちにも動揺が広がり始めています。まさか、私が来ているタイミングでスタンピードが発生するなんて。
「屋敷にあるエアバイクを全台持ち出せ! 女、子供、老人から優先的に輸送して避難させろ! ダーレンには迎撃から防衛、そして離脱に切り替えろと伝えろ、戻ってこなくて良い。村人の避難を最優先にさせろ!」
「ですが……!」
「これは命令だ! 動け、時間は限られているぞ!」
アルの指示に一瞬、アルを守るように控えていた騎士たちが動きを止めたものの、すぐに意を決したように動き始めました。
その場に残されたのはアルだけです。何故アルだけが残るのかと思っていると、アルが睨むように私を見ます。
「何をしている、ユフィリア、レイニ。お前たちも行け。王都に戻る前にここ一帯を治めている辺境伯の屋敷に避難民の受け入れと援軍の要請をして貰えれば助かるが……」
「アル、貴方はどうするつもりですか?」
「迎撃と防衛が不可能でも、数を減らすことは可能だろう?」
「一人で行くつもりですか!?」
レイニが信じられないと言うように叫びます。私も同じ気持ちでしたが、アルは表情を崩して苦笑を浮かべました。
「何を言っている、アクリルが先に行っているからな。一人じゃないさ」
「……スタンピードを二人で止められるとでも?」
「お前や姉上ではないんだぞ? 無理に決まっている。だが数を減らし、矛先を逸らすのは可能だ。それにアクリルは森に限定すれば並の魔物では追いつけない。危なくなれば逃げに徹して逃れることが可能だろう」
「では、貴方は?」
「俺にはヴァンパイアの再生能力がある。そう簡単に死にはしない。無策で突っ込むつもりではない。俺は姉上のような英雄ではないし、既に廃嫡された身だがな。俺には俺なりの意地がある。この国の王子だった者としての意地がな」
「……死ぬつもりはない、ですよね?」
「馬鹿を言うな、死ねばそれまでだ。俺に死んでやる理由はないが、生き足掻く理由はある。だから為すべきことを為しに行く、それだけだ。だからお前たちも為すべきことを為せ」
アルは表情を引き締めてそう言いました。その言葉を受けて、私は思わず額に手を当ててしまいました。
「……そういう変な所でアニスと似ないでくださいよ」
「なに?」
「頑固者だと言ったのです。――貴方には無理かもしれませんが、ここには私がいるでしょう?」
私がそう言うとアルは目を見開いて、私と同じように額に手を当てて頭が痛そうに顔を顰めました。
「お前……自分の立場を考えて言え!」
「貴方に言う資格はありませんよ、アル」
アルが批難するように私に向かって叫びましたが、私の返しを受けて表情を顰めて口を閉ざしました。
「レイニ、貴方は王都にスタンピードの発生の報せを出してください。場合によっては、このスタンピードは王国史上、最悪の規模になる恐れがあります。発生の位置と規模、そしてタイミングが悪すぎます。なので念のため、〝王天衣〟をこちらに持ってくるように通達してください」
「王天衣を持ち出すつもりですか!?」
「最悪の場合、それがあれば私一人でも離脱出来ます。それに森が深いですから、エアバイクでは小回りが利きません」
「……間に合うかはわかりませんよ?」
「それでもいいのです。レイニ、従ってください」
「……はぁぁぁあ、もう! わかりましたよ!」
私の指示にレイニは難色を示していましたが、盛大に溜息を吐いて了承してくれました。その葛藤を思えば少し申し訳なく思いますが、許してください。
「護衛騎士は誰か一人を王都に報せるためにエアバイクを走らせてください! 残りの騎士たちは村人の避難誘導の助力を! 私はスタンピードを食い止めます!」
「じょ、女王陛下、流石にそれは……! 御身に何かあればどうするのですか!?」
「では、誰がこの私を害せると言うのですか!? この身を案じて説得したいと言うのであれば、アニスでも連れてきてください!」
護衛騎士たちは私の言葉に目を見開かせて、そして諦めたように視線を逸らして首を左右に振りました。
「……ここまで説得に困る台詞もないな……!」
「まったくです……」
頭を抱えながらアルとレイニが揃って呟いていましたが、私は敢えて無視しました。反論がないなら、このまま押し通させて頂きます!
「それでは各自、動いてください! 辺境とはいえ、この地は我が王国の領土です! ならば私が守りましょう! 私はこの国の女王なのですから!」
 




