第62話:狼の少女
「お久しぶりです、アルガルド」
「わざわざ辺境までご足労頂き、感謝する。……いや、感謝致します、女王陛下」
「やめてください、今回は私事で訪れているのですから。変に畏まられても困ります」
そもそも、アルガルドと呼び捨て呼ぶことにだってまだ慣れていないというのに。
アルガルド・ボナ・パレッティア。かつての私の婚約者でありながら、ヴァンパイアへと身を変じ、王位簒奪未遂という罪を犯したために廃嫡されて辺境へと送られてしまった王子。
今の私との関係は義姉弟という複雑な関係なのですが、アルガルドからの蟠りは感じません。アルガルドの態度に安堵した自分がいるのに気付いて、嬉しく思ってしまいます。
「では女王陛下に倣ってある程度、砕けさせてもらおう。……改めて、レイニも久しぶりだな、随分と立派になった」
「アルガルド様、こうしてお会い出来て嬉しく思います。お元気そうで何よりです」
「シアン伯爵の栄転は辺境にも報せが届いている。平民から男爵令嬢、そして伯爵令嬢に女王陛下専属侍女とは、君の肩書きも随分と忙しいな」
「……半分ぐらいはアルガルド様のせいですよ?」
「それは手痛い指摘だ。では、お互いにこの話はここまでということにしておこう」
頬を膨らませるレイニに対して朗らかに笑うアルガルドを見ていると、つい頬が緩んでしまいそうになります。手紙でのやりとりはしていましたが、こうして顔を合わせるのは本当に久しぶりです。
今の彼は本当に心の底から生き生きしているように見えます。様々なしらがみや擦れ違いの中で拗れきっていた彼ですが、そんな事が本当あったのかと問いたくなるほどに自然体です。
そんな風にアルガルドへと視線を向けていると、鋭い視線を感じて少しだけ身構えてしまいました。その視線はアルガルドの傍にいた少女からのものでした。
今までアルガルドの影に隠れるようにしていたその少女は、私とレイニに警戒心剥き出しの視線を向けています。そして、彼女の頭部には灰色の髪と同じ色の狼の耳があり、同じ色の尻尾がゆらゆらと揺れていました。
その特徴に、私はすぐに思い当たりました。彼女こそ、アルガルドが報告に上げていたカンバス王国からの亡命者なのでしょう。
「……彼女がカンバス王国の?」
「あぁ。紹介しよう、この子がカンバス王国から亡命してきたアクリルだ。アクリル、挨拶を」
「……どうも」
アルガルドに挨拶を促された少女、アクリルはぶっきらぼうにそれだけ言うと、そのまままアルガルドの背中に隠れてしまいました。それでも僅かに顔を出して、まるで威嚇するように私とレイニを睨んでいますが。
ピンと立てられた耳と尻尾も相まって、警戒している動物そのものでどんな反応を取れば良いのか私は困ってしまいました。
私が困っていると、レイニがアルガルドに、いえ、アクリルに向かって歩いていきました。目線を合わせてからレイニは微笑み、アクリルに声をかけます。
「初めまして、私はレイニって言います」
「…………そう」
「そんなに警戒しなくても、私たちはアルガルド様に何もしませんよ。だから仲良くしてくれるとありがたいな。私もアルガルド様と同じでヴァンパイアなの」
ヴァンパイア、と聞くとアクリルは目を細めてレイニを見ました。それは警戒というよりは、どこか訝しげな表情でした。
少しだけ身を乗り出して、レイニに顔を寄せて匂いを嗅ぐようにアクリルが鼻を鳴らします。
「……貴方、アルと近い匂いがする。嘘は言ってない」
「え? そうなんですか? ……あぁ、アルガルド様の魔石は元々、私の魔石だからかもしれませんね」
「……ふーん」
訝しげな表情から、また睨み付けるような表情に変わってアクリルがレイニを睨み付けました。先程よりも明確に敵意を見せたアクリルにレイニが戸惑ったように笑顔を浮かべます。
「……私、あなた、嫌い」
「えぇっ!?」
「……アルに近づかないで」
「こら、アクリル。やめなさい」
突然の嫌いだという宣言にレイニが情けない声を上げました。それを見たアルガルドが咎めるようにこつんとアクリルの頭を叩きます。
頭を叩かれたアクリルは不満を隠さず、アルガルドに爪を立てるように抱きつく力を強めているようでした。
なんだか微笑ましいものを見たような気持ちになって、二人を見つめる視線が柔らかくなってしまいます。
「すまない。見ての通り、警戒心が強くて人見知りでな……」
「いえ、構いません。随分と親しくされているのですね」
「まぁ、な。……俺にとって恩人も同然だ。悪気がある訳じゃないから、大目に見てくれ」
苦笑しながらアルガルドが言うのも、なんだか新鮮でおかしくなってしまいました。つい笑い声を零してしまうと、アルガルドが目を丸くしました。
「……お前に笑われる日が来るとはな」
「ふふっ、すいません。……なんだか、慣れませんね?」
「……呼びにくかったらアルでいいぞ、義姉上? もう様付けされるような立場ではないが、義理でも姉と弟だ。それなら相応の距離で話そう」
「わかりました。でも義姉上はやめてください。アル……も、ユフィで」
「……わかった、ユフィ」
互いに距離感の手探りをしていたようで、ようやく落ち着いたような気がしました。すると、今度はアクリルが私を小さく唸りながら睨んでいました。
そのままアクリルと視線を合わせて彼女を見つめていると、だんだんとアクリルが気圧されたようにアルの背中に隠れていきました。……少しだけ、対応に困ってしまいますね。
「すまない。まだ人慣れしていなくてな……」
「まるでペットみたいな言い方ですね」
「ペットじゃない」
ペット、という言葉に反応してアクリルから尖った声で指摘されてしまいました。
「……失礼しました。アクリル、私はユフィリア・フェズ・パレッティアと申します。決して貴方に危害を加えないと誓いますので、あまり嫌わないで頂けると助かります」
そう言いながら、アクリルに向けて手を差し出してみます。アクリルは私を睨み付けるように見て、少しだけ身を乗り出して私の手から匂いを嗅ぎ取ろうとするように鼻を鳴らします。
それから私の顔をジッと見ていましたが、何故か今度は狼耳をぺたりと伏せてアルの背中に隠れてしまいました。
「……すまないな」
「いえ、気にしていませんよ」
アルが苦笑しながら言いましたが、あまり気にしてはいません。アクリルとは仲良くはしたいと思いますが、時間がかかりそうなので今は退くことにしましょう。
「それで、どうしていきなり視察だなんて言い出したんだ? 何かあったのか?」
「はい。……一応、念のために確認しておきますが。アル、貴方はこの地に来てから誰かをヴァンパイア化させたりしましたか?」
「……いや、誓ってそのような事はない。必要ならばクライヴに証言をさせるが?」
「いえ、念のための確認でしたから。……先日、フィルワッハでアニスが奇妙な魔物と遭遇したんです」
「姉上が? 奇妙な魔物とは一体何だ?」
アルが険しい表情を浮かべながら問いかけて来ます。私は一つ頷いてから答えました。
「複数の魔物が混ざったような、奇っ怪な小山ほどの大きさの魔物です」
「……姉上は、今は新しい都市の管理者をやっていると聞いたのだが? なんでまたそんなものと遭遇したんだ? しかも何故、フィルワッハなんだ?」
「その、たまたま休暇で……」
「……あの人は出かける度に問題を起こさないと気が済まないのか?」
アルが険しい表情を崩して、半目の呆れきった表情に変えて呟きました。別にアニスも起こしたくて問題を起こしている訳ではないと思いますが……。
それでも心臓に悪いことには変わりありませんので、アニスには八つ当たりをしてしまいましたが。心配をかけたのですから、少しぐらい甘んじて受けて欲しいと思います。
「話を戻しますね。その魔物がヴァンパイアの特性を持っていたんです。魅了、不死性、そして再生能力……」
「そんな馬鹿でかい魔物にヴァンパイアの特性か。……厄介すぎるな、現地に姉上がいたのが不幸中の幸いだな」
アルが腕を組み、難しそうな表情を浮かべる。自らヴァンパイアとなったアルには、アニスが遭遇した魔物の脅威が身に染みてわかるのでしょう。
「それで、俺に疑いが?」
「いえ。実はその時、別の魔物もいまして、その魔物と三つ巴のような状況になったそうなのです」
「三つ巴?」
「はい。その魔物が、牛のような角を持つ、亜人種の魔物に近い何かだったのですが……アニス曰く、魔物というよりは人にしか見えなかったそうで」
私がそこまで言うと、アルは目を細めて何かを考えるように顎に手を当てました。
「……アクリルのことは手紙では聞いていましたので、それでアニスの話を聞いてピンと来たのです。もしかしたらカンバス王国が関わっているんじゃないかと」
「……その人にしか見えない魔物が、カンバス王国から来たと?」
「可能性は高いと思っています」
「……ねぇ」
アルと話し合っていると、割り込むように声をかけてきたのはアルの後ろに隠れていたアクリルでした。
背中に隠れるのではなく、私の前に出てきたアクリルの瞳は真剣な色を帯びていました。
「その魔物、どうしたの?」
「丁重に弔いました。奇妙な魔物の方は死体も残せなかったのですが、人のような魔物は魔石を託してくれたそうで、他の魔物と同じように扱うのは違うということで……」
「……託した? その人、魔石を託したの?」
「はい。そのように私は聞いています」
「……アルのお姉さんに?」
アクリルが目を細めて、少しだけ敵意のような、不快感を帯びたような声で聞いてきました。……どうにも、アニスへの印象があまり良くなさそうですね。
「いえ、その時、同行していた騎士が戦って、最後にその騎士へと魔石を捧げたそうなのです」
「……ふーん、そうなんだ」
私の言葉を聞いて嘘か本当か確かめるようにジッと私を見ていたアクリルでしたが、納得したように頷いて肩の力を抜きました。
「多分その人、〝タウルス〟だよ」
「……タウルス?」
「私たち、リカントと同じだけど、祖が違う一族の人たち。牛みたいな角はその証」
「リカントと同じ? つまり魔物と交わった一族ということか?」
アルが確認するようにアクリルに問いかけました。アルの問いにアクリルは素直に頷きました。
「では、その者はカンバス王国の住人だった可能性が高いな……」
「その、タウルスと思わしき男は同時に現れた異形の魔物を激しく憎んでいるようだったと聞いています。そちらに何か心当たりはありませんか?」
アクリルへと疑問を投げかけると、アクリルは何故か暗い表情を浮かべました。自分の身を縮めるように腕を抱き締めて、俯いてしまいました。
その反応にアルが心配そうにアクリルの肩に手を添えています。アルが支えたことでアクリルも落ち着いたのか、強張っていた身体の力を抜いて答えてくれました。
「……多分、知ってる。それ、私たちに〝殺させてたもの〟だと思う」
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