第61話:覚悟と急報
イリアの問いかけに、私は想像を膨らませてみた。
ゆっくりと老いていく私と、変わらないままのユフィ。
それでも、きっと笑い合える筈だ。一緒に時間を生きていけるなら。
ユフィは私の夢を助けてくれる。私の幸せを願ってくれる。だからきっと、不満は残らない。
私もユフィを愛してる。幸せにしたいと思う。自分に許された時間でユフィを想い続ける。
だから、きっと笑って死ねる。笑って死ねるように生きて、生きて。その果てに、私を見送った後にユフィはどうするんだろう?
人のまま、許された時間を後悔がないように生きる。それはきっと幸せで、人としてごく当たり前の幸せ。
――幸せだろう、〝私は〟。でも、残されてしまうユフィは?
「――ユフィを残して逝ってしまうぐらいなら、人であることなんて捨てるよ」
私が寿命でユフィを置いていくかもしれない? ユフィを一人残していくかもしれないなんて、そんなの――耐えられる筈がない。
人として間違っていたとしても、それで歪な何かになろうとしても、ただ人のままでは私の望んだ幸せはもう手に入らない。
手放せない。ユフィは、あの子は私のものだ。私もあの子に捧げた。だから、時の流れにだって私たちを引き離すことは許さない。
元々、私は前世の記憶を垣間見てしまった異端児だった。その異端であることを捨てられずに、私は歪な人間として育ってしまった。
それをユフィは丸ごと受け入れてくれた。こうして王女として、魔法使いとしてありたいと望んだ私に夢を見せてくれた。ユフィとの出会いは、きっとこの先二度と出会うことのない程の大きな幸運だった。
「私の場合、その途中だからって言うのもあるけれど……ユフィを一人残していく位なら、人間であることなんて止める。ユフィを手放さなきゃいけないぐらいなら、人であることに価値なんて感じないし、未練なんて何もない」
「はっきりと言い切りますね」
「ははは、寿命が長くなるだろうユフィと一緒にいるって決めてるからね。それに、私はユフィをいつまでも玉座に縛り付けておくつもりはないからね」
ユフィは精霊契約者だ。人という器こそあれど、その中身は意思を持った大精霊。だからヴァンパイアとはまた違った別種の不老不死だ。
ユフィは自ら望んで女王になったけど、それは古くから続く伝統を全て受け継ぐ象徴となることで、自ら古い時代に終止符を打つという願いを以て選んだ道だ。
この先、パレッティア王国に魔学を広めて、貴族と平民の新たな関係を築く。貴族が全てを担う時代から、誰もが望みに向かって進んでいく時代へ。そんな時代に向けて私とユフィは手を取り合って進むことを選んだ。
だから、いつかはユフィも女王の座から降りて貰う。精霊契約によって結ばれた精霊との絆、そればかりを頼りにするのではなく、手段の一つとして残す。そんな時代を私たちは望んでいる。
絶対的な王が全てを統べるのではなく、皆が手を取り合って力を合わせられる国作り。そんな国が出来た時、ユフィの力は逆に邪魔になってしまう。古き時代を終わらせたくないものがユフィを祭り上げようとする可能性だってない訳じゃない。
まぁ、もしもそうなってしまったら攫ってしまおうかとも考えてるけどね。
「それに私はもっと広い世界を見てみたい。パレッティア王国は故郷だ。大事に思ってる。でも、同じぐらい自分の夢も大事に思ってるから。だから、その隣にはユフィがいて欲しい。ユフィと一緒に世界を見てみたい。だから、先に死ぬつもりなんかない。必要なら私は人であることを捨てると思う」
人を積極的に止めるつもりはないけれど、人に留まろうという理由もない。必要なら、私は躊躇いもなくその道を選ぶだろう。
例え、人から疎まれるかもしれない存在になったとしても。私はユフィと一緒に生きていけるならそれで良い。
結局、最後の最後で私は〝皆を幸せにする魔法使い〟になることを選べない。突き詰めて、切り捨てて、最後に残るのは私にとってのお姫様のユフィだけ。
そんな自分が怖くもある。だから何も切り捨てたくないんだ。一度、切り捨てる道を選んでしまえば私は次々と切り捨てられる。
人よりも長い手、人よりも早い足、手を伸ばす意思は――自分への恐れだ。こんなにも私は人でなしになれてしまうから。
「終わってしまうことは選べなくても、終わることは自分で選べる。だったら私は決められた終わりなんていらない。私の終わりは私が決める。私の終わりを妨げるものは皆、壊してやる」
私が終わる時が来るとしたら、ユフィが本当に満足した時だ。互いにもう微睡みに沈んで、この目が開かなくても良いと思える時が来るまで、私は私を終わらせようとするものに抗い続ける。
「だから私にはイリアを止める資格はないけど……きっと楽な道じゃない。終わりを自分で決めたいって言うのは、その終わりまでの責任を自分で取るって事だから。私はもう覚悟してる。今、ちゃんとはっきりとわかった」
「……はい」
「だからイリアもよく考えて決めるんだよ。あと、レイニとよく話し合った方がいい」
「わかっています。……アニスフィア様」
「ん?」
「……私は、貴方に拾われて、貴方と共に生きて来られて幸せでした。今の私があるのも貴方のお陰です。もし、レイニが望むなら……いえ」
一度言葉を途切れさせてから、イリアは深呼吸をしてから改めて私へと視線を向ける。
「私は、長き時でも、人の世から外れたのだとしても。アニスフィア様たちと生きてみたいと、そう思っています」
「……イリア」
「まだしっかりと踏ん切りがついた訳ではありません。レイニにも相談しなければならないことですからね。でも、その上で、私はアニスフィア様たちと世界を見てみたいと思います。生きていれば人は変われる、世界を変えることが出来ると貴方に教わりましたから」
そう言って微笑むイリアは、今まで見てきた顔の中で一番生き生きとしているように見えた。
どうしようもなく嬉しいのは、イリアならずっと一緒にいてくれると思ってしまうからなんだろうか。
一度、イリアを突き放そうと思ったことがある。それは主人と従者という形でイリアを押し込めてしまったから。でも、私たちは主従であるということを改めて選んだ。
そして今、今度はイリアから私たちの関係を望んでくれた。ただの主従という形ではなく、共に生きたいと言う関係を。
ただ他人に従うばかりで、キッカケがあって変化は出来たけれど、突然の変化を持て余し気味だったイリア。
そんなイリアが願ってくれた未来に私がいる。それはとても幸せなことなんだと思う。心の奥がギュッと締め付けられるような感情がじんわりと全身に広がっていく。
「イリアにそう言って貰えるなら、本当に嬉しいよ」
「……そうですか」
「うん。――ありがとう」
自然と口から出たお礼の言葉。それを聞いたイリアは笑みを浮かべたまま、小さく頷いて目を閉じた。それはまるで私の言葉を噛みしめているように思えた。
「こちらこそ、――ありがとうございます。アニスフィア様」
――ここで、今日の夜が終われば最高だったと思う。
けれど、私の不安はこの夜を以てして、最悪の的中と共に起きてしまった。
「――王姉殿下! 大変です!」
どんどん、と慌ててノックしながら叫ぶ侍女の声で私とイリアは扉に視線を向けてしまった。ただならぬ気配を感じて、イリアが扉を開いた。
「何事ですか?」
「イリア様! こちらにお出ででしたか……! そ、それよりも王姉殿下に火急の報せにございます!」
「何があったの?」
「――スタンピードの発生でございます!」
足を震わせながら叫んだ侍女がそのまま崩れそうになったので、咄嗟にイリアが支える。
スタンピードが起きた? いや、それだけならここまで侍女が慌てて私に報告してくるかな? 何か、嫌な予感がする。
「誰が私にそれを伝えろと? ただのスタンピードじゃないね?」
「王太后様です! スタンピードの発生地は……――辺境です! こちらには、ユフィリア女王陛下が……!」
そこまで聞いた私は、セレスティアルを引っ掴むように手に取りながら全力で走り出した。向かう場所は王城だ。
スタンピードが辺境で発生した? ユフィの視察中に? 走りながらも状況を呑み込もうとする。
身体強化も使いながら王城へと入る。ショートカットするために勢い良く地を蹴って、城壁すらも駆け上がる。目指すのは父上の執務室だ。
「う、うわぁっ!? お、王姉殿下!? なんでバルコニーから!?」
「ごめん! 父上と母上はどこ!?」
「し、執務室です!」
「ありがとう!」
バタバタと忙しなく走り回っていた騎士が突然、外から王城に入ってきた私に目を丸くしていたけれど、私はそれどころじゃなくて執務室へと駆け込む。
ノックもなしに飛び込んだ執務室には父上と母がいた。二人とも、突然入って来た私に驚いた表情を向けている。
「父上! 母上! 辺境でスタンピードがあったというのは本当ですか!?」
「うむ……いや、確かに報せはしたが、早いな……? いや、それはどうでも良い。今、辺境から伝書鳩が到着した。間違いない」
「では、ユフィは!?」
「ユフィリアは現地で対応に当たっているそうよ。それでアニスフィア、落ち着いて聞きなさい。このスタンピード、パレッティア王国史上、最大規模になるかもしれないと一筆が添えてあったわ」
「最大規模!?」
そんなに大きな規模のスタンピードが、一体どうしてこんな突然発生してるの!? しかもユフィの視察中に!? 偶然なのか、それともこの前のキメラはやっぱり何かの前兆だったのか。
思わず歯ぎしりする程に歯を噛みしめてしまう。あのユフィがスタンピードで倒れるとは思わないけれど、王国史上、最大規模かもしれないという一言が添えられてるのが嫌でも不安を掻き立ててしまう。
「ユフィリアは〝王天衣〟を現地に持って来て欲しいと頼んできたわ」
「えっ、〝王天衣〟を!?」
〝王天衣〟とは、今はパレッティア王国の宝物庫で保管されている私とユフィのお揃いの装束だ。それはまだユフィが即位する前、私とユフィがお披露目で空を飛翔した時に纏ったあのドレスだ。
あれを使えば自由に空を舞うことが出来るけれど、普段から使うものでもないし、研究と改良がある程度済んでからエアドラと一緒に保管されていた。
「それが必要なぐらい、不味い状況って事ですよね?」
「……恐らくは」
そこまで聞いて、私は勢い良く執務室から飛び出そうと踵を返す。その背に母上の鋭い怒声が聞こえてきた。
「待ちなさい、アニス!」
「止めないでください、私はユフィを助けに行きます!」
「行くな、とは一言も言っていないでしょう! 早とちりするんじゃありません!」
「え?」
思わず私は目を丸くして母上を見つめてしまった。母上は私が足を止めたのを見て、深々と溜息を吐いていた。
「どうせ止めても行くのでしょう。それなら貴方の王天衣、そしてエアドラを開封します。貴方がユフィに王天衣を届けて来なさい」
「……良いんですか?」
「止めても聞かないでしょう? それなら思うようにやって来なさい。……但し、必ず二人で生きて帰ること。例え、誰を犠牲にしてでもよ? 良いわね? 今、この国は貴方もユフィも失う訳にはいかないの。必要なら、貴方たち二人だけでも戻ってきなさい。それが条件よ」
私の顔を真剣に見つめながら母上が言う。私は母上に同じように視線を返しながら強く頷いてみせた。
私が頷いたのを見て、母上が父上へと視線を向ける。父上は諦めたように溜息を吐いた後、表情を引き締めて顔を上げた。
「近衛騎士団からも応援を出す! スプラウト騎士団長を呼べ!」
「侍女たちはアニスフィアに王天衣の用意を! ユフィリアの王天衣、エアドラの搬出も急がせなさい!」
父上と母上の命令で、場が慌ただしく動き始める。気が逸りそうになりながら、私は月が浮かぶ空を睨んだ。
今日の月は、――不気味なほどに紅かった。
* * *
――時は、少し遡り。
視点はアニスフィアから、辺境の地に赴いた彼女へと移そう――。
* * *
「ご無沙汰しております、女王陛下。女王陛下のご活躍はこの地まで届いております。お元気そうで何よりでございます」
「クライヴ、久しぶりですね。そちらこそ、お元気そうで何よりです」
辺境の森の中、その切り開かれた場所に建てられた古びた洋館。年季が入った佇まいがどこか不気味さも醸し出している館で私を出迎えてくれたのは老年の執事。
クライヴは昔、私も顔を合わせたことがある有能な執事でした。年齢を理由に一度は務めを外れていたのですが、この地に〝彼〟が送られてしまったことで同行していました。
すっかり髪は白く染まり、皺も深まっているクライヴですが、まだまだその身には活力が満ちているようでホッとしました。
「辺境の生活は大変でしょう?」
「いえいえ。ここ最近は現地の方々との交流も深まり、当初よりも良い生活を送らせて頂いております」
「それも貴方たちの働きあってのこと。女王として、貴方たちの献身を労いたく思います」
「ありがたいお言葉です。それでは、ユフィリア女王陛下はどうぞこちらへ。護衛の騎士たちにはささやかながら歓待の準備がございますので」
今回、辺境に視察に来るにあたって護衛についていてくれた騎士達がクライヴが指示をしたことで、別の使用人によって別室へと案内されていきます。
残ったのはクライヴと私、そしてレイニ。レイニは自然体で静かに私に寄り添ってくれています。あまりにも堂に入ってるので、私は思わず満足げに笑みを浮かべてしまいます。
「我が主が首を長くしてお待ちになっております。こちらへどうぞ」
そうしてクライヴに案内されたのは、この洋館の執務室。クライヴがノックすると、中から懐かしい声が聞こえてきます。
「――クライヴか、入れ」
「失礼致します。――アルガルド様」
クライヴが扉を開いてくれて、私とレイニを招き入れてくれる。
そうして、執務机から腰を上げたばかりの位置にいた〝彼〟――アルガルドが私たちを見ると眩しそうに目を細めました。
その後、一度だけ感慨深そうに目を閉じた後、ゆっくりと目を開いて柔らかく微笑を浮かべました。
「――久しいな、ユフィリア、レイニ。こうして再会出来たこと、喜ばしく思う」
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