第56話:送り火は消えて
勢いこそ弱ったものの、未だ燃え続ける森の中でガッくんが異形だった男と斬り結んでいる。
男は満身創痍だ。キメラによって食い破られた傷から血が溢れ続け、どうして動くことが出来ているのかわからない。
そんな満身創痍の男を相手にガッくんは魔力刃を纏わせた剣を振るう。最初は浅い傷をつけることが出来ていたのにガッくんは攻め倦ねていた。
その理由は、時間が経つにつれて男の動きが良くなっているから。冗談と思うかもしれないけれど、それが目の前で起きている事だった。
力任せだった動きが効率の良い動きに変わっていく。ガッくんの剣閃を的確に捌き、受け流していく。隙を見せれば重い拳がガッくんに叩き付けられる。
それは、まるで熟練の戦士。力強くも静かで、腰を据えたような動きだった。まるで戦いを通して、彼が理性を取り戻しているように見えるのは私の錯覚なんだろうか。
「お、らぁっ!」
けど、ガッくんも負けていない。そもそも相手の動きが幾ら良くなろうとも、それでも満身創痍なのだ。不利を消すことは出来ても、有利までは覆すことは出来ない。
何度目かの交錯、ガッくんの剣を持つ手を弾こうと男の拳が下から掬い上げるように振り上げられる。ガッくんの持ち手をピンポイントで狙った拳は、ガッくんの剣を弾き飛ばして宙に舞わせた。
「ガークさん!」
シャルネが悲鳴のようにガッくんの名を叫ぶ。私も思わず息を呑んだけれど、ガッくんは止まらなかった。
剣を握っていなかった手が引き絞られる。まるで見越していたかのようにガッくんは殴りかかる前の態勢へと移行していた。渾身の力を込めながら、ガッくんは拳を振り抜いた。
「――――ッ!」
「ッ――――」
みしり、と何かが軋んだような音が響く。ガッくんが苦痛を堪えるような表情を浮かべ、蹈鞴を踏むように下がる。
ガッくんの拳を受けた男は、殴られた姿勢のまま立ち尽くしており、やがてゆっくりとガッくんへと身体を向け直した。
「――……」
炎が燃える。木々が燃え落ちる音が遠くから聞こえる。そんな中で――男は表情を動かした。僅かに唇を持ち上げるようにだ。その口の端から血が伝っていく。
……当然だ。あんな深い傷を受けて血を吐かない訳がない。けれど、男の表情はそれでも静かなものだった。とても穏やかで、ガッくんを見つめている。
ガッくんは拳を痛めたのか、不自然に手を痙攣させながらも男を睨み返している。対照的な男たちの睨み合いは、ガッくんを見つめていた男がゆっくりとその場に膝を突いたことで終わりを迎えた。
膝を突いて、血を吐き出す男。何度か咳き込み、掠れた吐息を何度も吐き出す。見るからに呼吸が苦しそうで、その命の灯火が消えるのも間近だと思える。
「……――」
すると、男が何か言葉を発した。何を言っているのかわからないけれど、それは確かな言葉だった。
ガッくんは、その言葉を静かに受け止めていた。普段は細めていて開いているかわからない目をしっかりと見開きながら。
「……ガー、ク?」
男は言葉を重ねた。今度はガッくんの名前を確かめるように呼んだ。
「……そうだ、ガークだ」
ガッくんは、自分の胸に拳を当てながら静かに頷いた。それを見た男は、ゆっくりと満足げに頷いた。
そして、男は自分の胸の前で拳と拳を合わせ、深く頭を垂れた。……まるで、感謝を捧げるように。
次に男は驚く行動に出た。拳を解き、自分の胸に手を当てたのだ。その手が勢い良く胸を引き裂き、シャルネが小さな悲鳴を上げた。
ガッくんも突然の男の行動に目を見開いて、手を伸ばそうとしたけれども動きを止める。男は血を吐き出しながらも、己の血に染まった手をガッくんに差し出したからだ。
――……その手には、炎の中でもよくわかる深紅の美しい魔石が握られていた。
「……受け取れって、そう言いたいのかよ」
ガッくんは震える声で問う。男に言葉は通じていなさそうだけど、男はそれでもガッくんの意思を汲み取ったように頷いた。
ガッくんが魔石に手を伸ばす。そして魔石がガッくんの手に渡されたのを確認して、男が跪くような姿勢で力を抜いた。
その姿は、ガッくんに心からの感謝を捧げ、そのまま力尽きたようで。炎に照らされたその顔はどこまでも安らかで、満足げなものだった。
ガッくんは受け取った魔石を握り締め、そのまま肩を震わせていた。……結局、この男についてはわからない事だらけだ。
どうしてキメラを憎んでいたのか、どうしてパレッティア王国で目撃される亜人種よりも、もっと人間に近しい姿をしているのか。最後に、どうして正気を取り戻せたような素振りを見せたのか。
何もわからない。そして、きっとその全てを知る術は失われてしまった。それでも、きっと彼は救われたのだろう。その表情は、言葉が通じなくても、彼を知ることが出来なくなっても、そうであって欲しいと願ってしまいたくなる。
「――王姉殿下ッ! ご無事ですか!」
ふと、上空から声が聞こえた。頭上へと視線を向ければナヴルがいた。エアバイクで彼が駆けつけてきてくれたんだろう。その後ろには他にもエアバイクに乗った騎士たちの姿が見えた。
それが、この不思議な一連の騒動の終わりを告げた瞬間だった。
* * *
ナヴルがエアバイクで駆けつけてくれて、私たちが回収された後の話だ。
炎の異形だった男によって起こされた山火事は現地の騎士団によって消火活動が行われ、なんとか延焼は抑えることが出来た。例の異形だった男の遺体も回収することが出来た。
フィルワッハに戻った私たちは大きな傷こそなかったものの、細かな傷があったので手当てを受けることに。
その手当が終わった後、私は男の遺体が安置されている場所へと向かった。そこにはガッくんがいて、私に気付いたように視線を向けてくる。
「……アニス様」
「ガッくん、ここにいたんだ」
「えぇ」
ガッくんの両手は包帯がぐるぐる巻きにされていた。戦っている時は馬鹿げた強度を誇っていた男だけれど、死体となった彼は普通の人間と変わらないようだった。
男はあの満足げな表情を浮かべたままだ。私から視線を移したガッくんは、男の顔をただ眺めている。
「……なんだったんでしょうかね、コイツ」
「わからない。亜人種の魔物にしては、私が知る魔物よりもずっと人らしかった」
「……俺の名前を呼んだんですよ。あと、なんか喋ってましたよね。言葉は通じませんでしたけど」
「そうだね。私にもそう見えたよ」
だから、魔物というよりは人のようだ。きっとそれはガッくんも思った事だろう。
けれど口に出すことは出来なかった。魔物ではないかもしれない。でも、普通の人でもない。それは頭の角を見れば当然のことだ。
「……コイツも、素材にするんですか?」
ガッくんがぽつりと、頼りなさそうな声で呟いた。
「……魔石を持ってたってことは、魔物ですから。だから、こいつの身体も……」
それは自分に言い聞かせようとしている言葉だったのかもしれない。ガッくんは、きっとこの男に思う所があるからここにいたんだ。
魔物とも、人とも言い切れない男。その男の末路がどんなものになるのか。魔物として、その身を暴かれることになるかもしれないと。それは仕方ないことだと言うように。
「……そうだね」
調べるべきだと、そう思う私がいる。ヴァンパイアを除けば意思疎通の可能性があった魔物としては極めて珍しい。今後の為にも研究する必要がある、と。
これが本当にただの魔物だったら私も躊躇わなかったと思う。けれど、この男はシャルネを庇い、ガッくんと戦った。その果てに己の魔石をガッくんへと捧げた。
魔物は生存本能が強い。周囲の魔物を食い散らかしても構わないと、それだけ己を生存させようとする本能が強い。けれど、この男は自分の生存ではなく、自分の存在全てと言っても過言じゃない魔石を託していった。
「……あのキメラはヴァンパイアの形質を持っていた。もしかしたら、この男もヴァンパイア化して起き上がってくる可能性があるかもしれない」
「アニス様……?」
「下手に残して、ヴァンパイアのことを知られてしまう可能性を残すのは避けたいな。……だから、弔ってあげようか。責任は私が取るよ」
ガッくんが驚いたように目を開いて私を見た。私はガッくんを見ずに、物言わぬ男を見下ろした。
「わからない事は多いけど……でも、きっと、この人は最後に救われたんだよ。ガッくんが、ガーク・ランプという一人の騎士が向かい合ってくれたから」
魔物として死ぬのではなく、人として看取られて死ぬ。私もあんな光景を見せられて、ただの魔物として彼を見ることは出来なかった。
そんな私にガッくんは、そっと静かに頭を深く下げた。ただ、何も言わず。そんなガッくんにかける言葉はなかった。
――そして、後日のこと。私の指示によって、男の死体は弔われることとなった。その送り火を灯したのはガッくん。炎に包まれた男は、天に還るようにその身を灰へと還していった。
* * *
「――なるほど、話はわかりました」
フィルワッハから王都サーラテリアに私は移動して、ユフィに今回の一件を報告していた。今回出現した魔物はどう考えても異質だ。真っ当な生物とは思えない魔物と、人により近しい亜人種の確認。
あまりにも不気味すぎる。あんな魔物が人里に降りていたら一体どれだけの被害が出ていたのか計り知れない。それに、あの奇妙な魔物はヴァンパイアとしての性質も秘めていた。
それが何を意味するのか、可能性を論じることは出来る。けれど確定させることは出来ない。欠片も残せない相手だったけれど、だからこそ悔やまれてしまう。
ユフィは私の話を聞いて、重々しく頷いてみせた。その表情は凛々しく引き締められている。
「確かに前例もなく、そして悍ましい相手ですね。それにヴァンパイアの性質を持っていたというのも気に掛かります」
「うん。あんなのが何匹もいるとは思えないけれど……」
「たまたまアニスが足を運んでいて幸いでした。……しかし、アニスは本当にろくでもないものを引き寄せますね」
「わ、私が悪い訳じゃないよね!?」
はぁ、と表情を崩して溜息を吐くユフィに思わず抗議してしまう。私だって好きであんなトラブルの種を引き寄せてる訳じゃないよ!?
「結果的に良くても、貴方の身に何かあればと思ってしまう私のことも考えてください」
「そ、それは……わかってるけど」
「とにかく、後はこちらで引き継いで調査しておきます。アニスの本来の仕事は討伐や調査ではないのですから」
「うん、わかってる。ただ、出来るだけ魔道具の配備は急がないと。……あんなのがまだ潜んでるって言うなら、東の開拓にも影響が出る」
戦うことは出来なくても逃げることは出来るかもしれない。とにかく騎士や冒険者の実力の底上げの為に魔道具の開発は進めていかないといけない。
「問題は山積みですね」
「まったくだね」
ユフィが肩を竦めて言うのに私も同意してみせる。眉間を揉みほぐした後、ユフィは気を取り直すように息を吐き出した。
「……話を聞きに行った方が良いですか」
「? ユフィ?」
「いえ、なんでもありません。それよりもアニス、本当に大きな怪我はしていないのですよね?」
「え、うん。かすり傷ぐらいはちょっと受けたけど……」
ユフィの質問に答えていると、ユフィが席を立って私の方へと歩み寄って来る。そのまま私の手を引いて立たせて、腰に手を回した。
ユフィの手が腰に回ると、その手付きに悪寒を感じて身体が大きく跳ねた。少しだけ私の口元が引き攣った。
「それは安心しました。ですが、私を安心させる為にも確認させてくださいね?」
「……あの、ユフィ? その、手付きが……もしかして、実は怒ってます!?」
「嫌ですね、何故私が怒らないといけないんですか? 毎度、毎度、心臓に悪い出来事ばかり起こしてくれますね、なんて思ってませんよ?」
「怒ってるじゃん!?」
怒ってませんと、囁きながらも私を引き摺ってベッドに向かっていくユフィ。その歩みの力強さに抗えず、私は諦めたように項垂れることしか出来なかった。




